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GAME  作者: トレッドミル
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第二章

――三二棟一階一〇一号室――


 二体のロボットが一〇一号室に帰ってきた。目をつぶされたものと、童子切を右手に持ち返り血を浴びて真っ赤になったものだ。

「おかえりー」霜月は自分で操作してここに到着させたにもかかわらず、ロボットたちに挨拶した。

「よし、じゃあこれ借りてくぜ」神無月は『虎徹』をつかんだ。

「は?」師走は呆気にとられたように口を開けた。

「駄目か?」

「そういうことを言っておるのではない。なぜ、お主がそれを借りる必要がある」

「決まってんだろ、俺が二〇五に直接行くからだよ」神無月は、なぜ人間は呼吸するのか、という問いに答えるように師走に言った。

「このロボットに行かせればいいじゃろうが」

「なんか、君がロボットってカタカナ使うと違和感しかないね」

 霜月は口元を歪めて、師走を一瞥した。

「せっかくだし、ちょっとリアルな死を体感してくるわ。体感するだけ。もちろん、こんなとこで死ぬつもりは毛頭ない。いいか? ここでやつらを殺す」神無月は広げたキャンパスの地図上、二四棟二〇五号室に人差し指を押しつけた。

「なんという。お主がそこまで言うならば……。だが、そっちの方は大丈夫なのか」ロボットを指さした。

「問題ない。ただ返り血を浴びただけだ。それと、こっちの修理は帰ってからやってやるよ」神無月は盲目になった方の肩を叩いた。

「じゃあ、いってらっしゃい。操作はぼくに任せてね」霜月は八重歯を見せて笑った。

「いや、操作は師走に頼む」

「えー」霜月は地団太を踏んだ。

「拙者が?」

「そうだ。よろしく頼むぜ。二人とも一気に片付ければ、かなり楽になるはずだ。俺が思うに、最大の敵は、あの卯月だ」神無月の目が鋭くなった。獲物を捕らえる直前のふくろうの目のようにそれは先鋭だった。

「把握した。じゃが、決して無理はするな。お主がいなくなっては、このチームは破綻してしまう」

「俺がいなくなる? 冗談でも笑えないな、それは」

神無月の顔は笑っていた。

「じゃあ、ウサギ狩りにでもいってきますわ」

「もう一匹おるわ。気を抜かんでくれ」師走は、ウサギとは卯月のことを言っているのだと判断し、注意した。

「じゃあねー」霜月は右手を軽く振った。

「じゃあね。つってもこれで常に連絡取りあうからな。発信機の情報は正確に伝えること。分かったか」ピンマイクと右耳に付けたイヤホンを手で軽く触れた。左耳には盗聴器からの音が聞こえるように別のイヤホンをしている。

「わかったよ」

「御意」

 神無月は扉を開けて、部屋を出て行った。

「それにしても抜かりないのう、神無月殿は。水無月殿を殺めたあと、使えなくなったロボットの盗聴機能付き探知機を皐月嬢の背中につけるなんて」

 師走は、独り言のように呟いた。


 神無月と血で赤く染まったロボットは、三二棟から外に出た。

「さてと、二四棟二〇五だよな」

「えー。こちら霜月。こちら霜月。発信機はすでに二〇五を指しています。どーぞ」

「なんだよその刑事ドラマみたいなやりとりは。トライシーバー使ったの初めてなのか。少し落ち着け」

「だってーだってー。こういうの一回でいいからしてみたかったんだもん」

 神無月は霜月が頬をふくらましている光景を思い浮かべ、少し口元が緩んだ。

「わかった。わかったから。じゃあ二〇五に直で向かう。操作よろしく頼むぜ、師走」

「御意」後ろの方から師走の声が小さく聞こえた。

 神無月は左耳に意識を集中させ、二四棟の前まで小走りした。

「いい?ここでじっとしているの」恐らく卯月の声だ。

「なんでよ。こんなところで」これは、皐月であろう。

「わたしたちは傍観者になる。この部屋で隠れて隠れ続ける。殺そうと思うから、隙ができる。隙ができるから殺される。だから、じっと人数が減るまで待つ。ただでさえ、今わたしたちは……」卯月が言葉を詰まらせた。

「そうね。すでに一人いない」補うように皐月が続けた。

「とりあえず、しばらくはこの部屋にいましょう。静かに、ちょっとした音でも出したら、命取り」

「わかった」

 二人の会話を聞きながら、神無月は意地の悪い笑みを浮かべた。そして、知らぬ間に二四棟の前に着いていた。そして、神無月とロボットは二四棟に入った。

 ――えっと、二階だよな――

「そっちの様子はどうだ」神無月はピンマイクに囁いた。

「こちら霜月。こちら霜月。対象の位置に依然変化なし。どーぞ」

「はいはい。ありがとう」ため息交じりに答え、階段を上った。

「そろそろ二〇五につく。師走、ちゃちゃっと片付けるぜ」

「御意」

 また遠くから声がした。


――一一棟前――


「さてと、どこから行きましょうかね」

「おい、落ち着けって」

文月は血走った目をした長月を後ろから追いかけていた。そのまた後ろには、葉月がゆっくりとついてきていた。

「こいつはひとまずおいておこう」

長月は鉄球を撫で、オオカミのような鋭い目を一六棟に向けた。

「どうする気だ」

「殺しに行く」

 文月は背筋が凍りつくのを感じた。

「ど、どうやって」

「これで」

 長月は銃のようなものをポケットから取り出した。

「原理はこいつと一緒」長月は再び鉄球を撫でた。

「電磁砲みたいなもんか」

「そう。さて、行きますか。ほら、きみたちの分もあるから」

ポケットからさらに二つ同じものを取り、文月と葉月に投げた。文月は右手で捕まえ、葉月は両手で下から掬うようにキャッチした。


――二四棟二〇五号室――


 神無月と赤く染まったロボットは、目的の部屋、二〇五号室の前までたどり着いた。

「こちら神無月。まだいるか、やつらは。盗聴器からは何も聞こえてこない。どうぞ」声を押し殺して霜月に問いかけた。

「どうぞっていってくれた! やったー」

「はやくしろ」

「大丈夫じゃまだおる」

突然、師走に代わったので、神無月の体がびくんと動いた。

「了解。じゃあ行くか。頼む、師走」

「御意」

 

廊下に誰もいないことを確認してから、ロボットにゴーサインを出した。

 ロボットは荒々しく扉をあけた。師走は目の前に目標の二人が現れると思い、ロボットをすぐさま部屋の中に突撃させた。

しかし、そこには予想外の光景が広がっていた。

 誰もいないのだ。師走はロボットを操作して部屋中を見渡した。しかし、やはり誰もいないのだ。

「おらぬ。誰も」師走の声からは絶望が滲み出ている。

「おかしいな」

神無月は扉の脇から部屋の中を覗いた。虎徹を握る手が汗で湿り、それが滑り落ちそうになる。手の汗をTシャツで拭き、虎徹を握りなおし、二〇五号室内に突入した。部屋に入るとすぐに、その中を見渡した。

けれど、思うように見渡すことができなかった。ぼうっとしていると、吸い込まれてしまいそうな暗闇だった。神無月は数秒で慣れるはずだと判断し目を凝らした。人間の目の適応能力というのは凄まじいものだ、開けた扉からの光で予想した通り数秒で慣れた。視界が徐々にひらけてくると次第に中の様子がわかってきた。

三台ずつ並んだ実験台が左側に二列、右側に二列、正面に一列配置されていた。それぞれの上には、三角フラスコやビーカー、メスシリンダーなどが煩雑に置かれている。奥には暗幕がかかっていて、外からの光が何筋か漏れてくるのが見えた。部屋全体を隅々まで目で追っていったが、誰もいないことは明らかだった。中央の実験台に目を向けた。

神無月は舌打ちした。

「やられたよ。実験台の上にあった、発信機」神無月は中央の実験台の上にこれ見よがしに置かれていた発信機を指でつまみあげた。

「気をつけろ。周りにおるかもしれん」ロボットは、部屋を飛び出し廊下を見渡した。人影はなかった。

「たぶん大丈夫だ。逃げたんだ、やつらは。てか、なんだかほこりっぽいな、この部屋。やんなるぜ」神無月は煙草を口にくわえ、窓を開けた。

 窓を開けると、心地良い快晴が広がっていた。アブラゼミの鳴く声がうるさいくらいに耳を刺す。

――はあ、拍子抜けしちまったよ――

煙草に火をつけた。火をつけた直後に、神無月は後悔した。公共施設の中などいろいろな不適切な場所で煙草を吸ってきたが、ここは最も吸ってはいけないところだった。

次の瞬間、二〇五号室は爆発した。


「えっ」霜月は何が起きたのか全く理解できなかった。

「神無月殿!」

 神無月がその声に応答することはなかった。

ロボットからの映像を見た。そこには天井が落ちてきたからだろうか、瓦礫の下敷きになって頭部が潰された神無月が映っていた。師走は、ロボットを動かそうとボタンを押す。

動かない。

叩くように押す。

動かない。

動かないにもかかわらず、カメラは生きているため、神無月を映し続ける。霜月が声を詰まらせ、口を押さえたまま部屋を飛び出した。師走は、すぐに映像を消した。


――二三棟二〇一号室――


「成功ね。あんたの考えた通りだった」皐月は気だるそうに拍手した。

「やっぱり、あれは発信機、もしくは盗聴器、またはその両方ってとこだったのでしょうね」

「あんたの洞察力にはさすがに感心するわ」皐月は溜息を漏らしたが、その溜息は落胆ではなく安堵の溜息だった。

「いや、あなたが発信機を付けられていなかったら、私たちは確実に殺されてたわ」

「なにそれ、ばかにしてんの」

「違う。感謝してるの」

 皐月はその言葉を聞かなかった素振りをして、部屋の外から顔を出し、二四棟の方面を見つめた。先ほど発信機を机においた、二〇五号室から黒い煤が吹いているのを見て、自分が釈然としない気持ちを抱いていることに気付いた。水無月を殺したロボットとその所有者の一人を消せたのだ。恐らく。なのに、はっきりと喜びをかみしめるということが出来なかった。これでは、死んでいった水無月に失礼ではないかと皐月は自分を奮い立たせようとした。しかし、皐月には別の気持ちが奥の方から沸々と湧きあがってきているのが分かった。

 ――結局、あいつらと同じことをしているじゃないか――

 皐月は、自分の行いは正しいのかと自分の内側に問いただした。しかし、答えは返ってこなかった。それどころか、本当に正しいことをしたのか、と疑問が山彦のように跳ね返ってきた。皐月は直立していることすら儘ならなくなり、足元がふらついた。

「どうしたの」

 卯月の声で我に返った。

「いや、別に」皐月は頭を軽く左右に振った。

「それにしても、急に筆談なんか始めるから、なにかと思ったわよ。『盗聴されてるかもしれない』だなんて。実際、その通りだったんだけどね。それよりも、そのあとのあんたの読みの方が常人じゃないわよ。なんでさっきはロボットに殺させたやつらが、今度はロボットだけじゃなく、人も来るだろうなんて予測したのよ。気持ち悪すぎるわ、あんた縄文時代に生きてたら、卑弥呼様よ、卑弥呼様」皐月は長い息を吐いた。

「別に予測というほどでもない。ただ、人間って一度うまくいったことをもう一度やろうとしたときに、必ず慢心する。今回の場合は、自分の手で殺したい。もしくは、殺す現場を直に見たい。彼にそういう感情がわいた。ただ、それだけ。それに、別にこの予測が当たらなくてもよかった。別に私たちは今すぐ、あの人たちを殺したいわけじゃないでしょ? 殺せるチャンスをばら撒いておけばいい。罠を張っておいて、それに引っかかるのは向こう。積極的な殺しはしない。余裕を見せると、必ずぼろが出る」卯月は、まっすぐ窓から見える空を見据えている。まっさらな青空だ。

「なるほどね、今回の場合はあの部屋で煙草を吸う人がいれば、発動するような罠を張っておいただけってことね。神無月があたしたちに直接手を下すためにやってきた。けど、誰もいなくて一気に気が抜けて小休止するために煙草をふかした。なんてのは結果論に過ぎないってことね。つまり、ロボットだけであたしたちを殺しに来たとしてもあの仕掛けは発動しなかった。でも、それはそれで別によかった。今殺す必要に迫られてるわけじゃないんだから。あたしたちは、そこかしこに落とし穴を作っていく。敵はそれに勝手にはまっていくだけ」皐月は小刻みに首を縦に振りながら言った。

「理解が早くて説明が楽でいい」

「だから、その上から目線の言い方は」息を吸い込み、続けようとしたが、やめた。

「ま、いいわ。運が良かった。これで敵が一人減ったんだから。それにしても、あんた、占い師にでもなったら? 占い師なんてもんじゃない。預言者にでもなれそうなくらいだわ。神無月がヘビースモーカーなのは最初のゲーム説明のときに煙草を吸い始めたのを見れば一目瞭然。だけど、あの部屋に直接来るのが彼で、しかも殺し合いの最中に煙草を吸うなんて、とてもじゃないけど予測できないわ」

「だから、予測なんかじゃない。罠を張っただけ。別に煙草じゃなくてもあの部屋は爆発する。なんかしらの刺激さえあれば。それに、彼があのグループの主導権を握っていて、それでいて自己主張の激しい人だということは、最初に自分の研究室に来ないか、と呼びかけたときに見てとれた。でも、ただそれだけ。偶然よ」

「でも、それは事実起こった。爆発したということは、それを物語っている」

「実際にそうなっているかは現場を見てみないと分からない。でも、わざわざ死体を見に行くのも愚か。放火犯が野次馬に紛れてその騒ぎを見たがるような精神と一緒。そんなことしてたら、いつか警察に捕まる。そんなことより次のことを考えましょう。私たちを殺そうとしている人はまだたくさんいる」

 ――たしかに、実際に死体をみていない。神無月は死んだのか。それとも、今の爆発はロボットだけが巻き込まれただけで、神無月はその場にいなかったのか。それとも、別の人があの罠にはまったのか。もしくは、勝手に爆発しただけで誰も死んでいないのではないのか。いや、でも別にそんなことはどうでもいいのか。誰が死のうが死ぬまいが、今は構わない。あたしたちは生き残りたいだけで、殺したいわけではない。絶対生きてやる。生き残って、欲しいものを得る――

 皐月は窓の外を見た。外の景色は依然、雲ひとつない青空のままだった。


――一六棟三〇一号室――


 チーム春は、どのようにして戦うのかを長らく討論していたが、ようやく収束に向かっていた。幸い、話し合っている最中に敵に乗りこまれるなどという不測の事態はなかった。

「エキチってあの、細胞を凍結させるあれか」睦月は、如月に問いかけた。

「そう。俺らが使える一番の武器になるんじゃないのか」

「どうやって使うの。いろいろ思い当たる節はあるけど」弥生は、ウェーブがかかったその髪を親指と人差し指で挟み、ねじっている。

「そう。いろいろ使えるんだよな。例えばの使い道としては、こうだ。まず、隣の三〇二号室に俺らの声を録音したものを流しておく。そして、液体窒素をまいておく。そこにいると思った敵は、乗り込む。その部屋には液体窒素が気化しているため、窒素が充満している。酸素濃度が急激に下がったその部屋に入った瞬間、失神。そして、死ぬ。もちろん、窒素は無色透明無味無臭だから気付く間もなくして死ぬ。息を止めて我慢できるのと低酸素濃度の空気を呼吸するのとでは全く話が違うからな。濃度によっては一呼吸で倒れる」

「それでいこう」睦月は指をパチンと鳴らした。

「なにが、それでいこうだよ。自分でも少し考えてみろよな」

「わたしは」二人は弥生の方を向いた。「わたしは、爆発させるのかと思ったよ」

「弥生の方が考えてるな、こりゃ」くすくすと笑いながら、睦月を横目で見た。

「つまり、あれだろ。密閉された容器にエキチをいれとく。でもって、マイナス一九六度で気化する液体窒素は容器の中で絶えず蒸発し続ける。窒素は気化すると体積が七〇〇倍ほどに膨張するから、容器がその高圧に耐えられなくなり、爆発する。そういうことだろ」

「そう。だけど、無理だよね。そんな時限爆弾みたいにうまくいくわけないし」弥生は力なく笑った。

「いや、良い案だと思う。それに案を出さないやつよりかはいいんじゃないか」如月は、堪えているようではあるが、まだ笑っている。

「俺だってちゃんと考えてるって」睦月は頬を少し赤らめた。

「何をだよ」今度は堪えようともせずに声を出して笑っている。

「じゃあ、どうやってエキチを三〇二にまくんだよ。まさか、タンクから直接ばーっと部屋中にばらまくわけじゃないよな」

「そんなことしたら、そいつ自身死ぬからな。過去にどっかの研究室で室温を下げようとしてエキチばらまいて死んだって例もあるしな」

「じゃあ、どうす……そうか」

 睦月は自分の中に戦慄が駆け抜けて行くのが分かった。如月にはいつも驚かされる。今の会話の中に全て答えが隠されていたのだ。彼の中では既に答えがあって、それを自分たちに問題として呈して解かせる。まるで小学校の先生のように。如月は自分の思考の一歩も二歩も先にいるのだ、と睦月は思った。同時に睦月は、自分の能力の低さに意気消沈した。

「そういうことだ。なあ、弥生」

「へ?」弥生は不意打ちを食らったような表情になった。

「爆発だよ。爆発」睦月は自分で自分に頷いた。そして「なるほど。容器を密閉させて、しばらく時間がたちそれが爆発する。そこで部屋中に窒素が充満していく」とうすら笑いを浮かべながら言った。

「睦月にしては切れるな」

「うるさい」

「じゃあそれでいいかな」

睦月の問いかけに二人は首肯した。

「よし、じゃあ睦月、とってきてくれ」

「何をだよ」

「おいおい、今の話聞いてなかったのか。エキチだよ、エキチ」

 如月は、やれやれと嘆息をもらした。

「なんで、俺が……分かったよ、分かった」項垂れて部屋から出て行った。扉が閉まると同時に、如月は手を叩いた。

「よし、俺らはレコーダーで録音するか、会話を」

「はーい」可愛らしい返事だった。

 チーム春もチーム夏と同様に積極的な殺しは避けた。自分たちに牙を向けた者だけに対して殺しを行う、という策を打ったのだ。


~ゲーム説明(八月三日午前九時十五分)~


 集合時間は八月三日午前九時であった。しかし参加者全員がそろったのは、その十五分後であった。最後の一人が一四棟のメディアルームに入ってきたその瞬間に部屋全体が暗闇に包まれた。その暗闇は一瞬だった。いや、一瞬なのか、しばらくたっていたのか正確には判断できなかった。判断する材料がないからだ。

「さあさあ、みなさん座ってください」暗闇が解けたと気付くと同時に、立派なひげをたくわえた五〇代前半の男性が現れた。小柄ながらも、皺ひとつないスーツを着ているためか、威厳がある。

この大学の学長、海部健次郎だった。

 少しのざわめきがあった後に、学長は参加者全員が着席するのを目で追ってから、再び言葉を発した。

「この度は皆様のご参加に感謝しています。ありがとうございます」深々と礼をした。

「学長直々にご説明ありがとうございます」葉月は立ち上がり、学長よりも深い角度で礼をした。それに続くような形で、他の人も座ったまま礼をした。

「いやいや、本当にわざわざ時間を割いていただき、こちらが感謝するだけです。さて」

 学長は手を叩き、本題に入った。

「今日お集まりいただいたみなさんは、このプロジェクトへの参加希望ということでいいですね」

「内容を説明してくださいよ、学長様」長月が口を右側だけ釣り上げた。

「すまないね。先に内容を説明しなければならないね。君たちには《ゲーム》をしてもらう」

『皆様』から、『君たち』に変わり、さらに口調も強くなった。強制力がある言い方だ。

「勝った者には欲しいものを与える。なんでもだ。金、地位、名誉、なんでもだ」

「なんでもって。死者でも生き返らせてくれんのか? 錬金術でもして金を大量に生み出しでもすんのか?」長月は鼻で笑いながら手を挙げた。

「なんでもといったのだから、当然含まれる。優勝したグループの者全員の欲しいものを与える。必ず、私が叶える」学長は、睨まれたら背筋が凍るような眼光で答えた。

「グループってどういうことですか」弥生が挙手する。

「今から、君たちはチームに分かれてもらう。第一グループは、睦月、如月、弥生、つまり生命科学科の諸君だ。そして、第二グループは、卯月、皐月、水無月、すなわち化学科の諸君。第三グループは、文月、葉月、長月、物理科の諸君。最後のグループが、神無月、霜月、師走、つまり機械科の諸君だ。これからこのチームで動くことになる」学長はそれぞれの名前を呼ぶときにその人を指さしながら、説明した。

「なんかあれだな、一月から三月だからチーム春、四月から六月だからチーム夏、みたいな感じで、四季っぽいな。名前がみんな月の旧名だし」

如月の言葉に皆同意した。ただし、長月だけは煮え切らない表情をした。

「分かりました。で、そのチームで何を争うんですか」水無月が訊いた。

 学長はふうっと長い息を漏らし、意を決して宣言した。

「君たちにはこれから、残り一チームになるまで殺し合いをしてもらう」

 空気がその一言で変わったのは言うまでもない。唾一つ飲みこめばその音が響き渡ってしまうほどの張りつめた空気が場に満ちた。誰も何も発言しなかった。

一分ほどたっただろうか、そのとき長月が大きな声で叫んだ。

「そんなことだろうと思ったよ。死んでも欲しいものがあるって考えてるやつが参加条件なんだろ。なら、殺し合っても構わないよな。だって死んでも構わないんだもんな。なんでもくれるんだろ。なら、それくらいの代償は当然だよな。お望み通りやりますよ。参加だ」

「ちょっと待ってください」弥生が立ち上がり「なんで殺し合いなんかさせるのですか」と言った。

「そうだな。参加する俺らにはその理由を聞く権利がある」神無月がポケットから煙草を一本取り出し、火をつけた。

「室内で煙草は……まあいいだろう。理由は一切、公表しない。それならば参加したくないと言う者がいるなら、ここで立ち去ってくれてもかまわない」

 学長がかなりはっきりとした口調で述べたにもかかわらず、誰も席を立つ者はいなかった。よく考えれば当然のことだ。命に代えてでも欲しいものがある人間が集まっているのだから。しかも、勝ち残ればなんでも欲しいものが手に入る。おりる理由がない。

 ただ、十二人の中で睦月だけは心の中で迷っていた。

――俺はまだ死にたくない。そこまでして欲しいものなんてない。死んだら、欲しいものが得られたところで、なんにもなんないじゃないか。だいたい、こんなのおかしいじゃないか。理由もなく殺し合いをさせられて、勝ったら欲しいものをやるだって。ばかばかしい。ほら、誰か出て行こうよ。そしたら、俺も乗っかるからさ――

 睦月の期待とは裏腹に誰も動かなかった。微動だにしなかった。

 ――なんだよ、こいつら。いかれてる。でも一人だと出にくいし。なにより弥生が参加するのに俺が逃げていいのか。いや、弥生もさすがに参加拒否するだろ――

「では、全員参加ということで良いかな」学長が参加者に問うた。

「では、あと一時間後からゲーム開始のベルを鳴らします」学長は自分の腕時計を見て、ふと思い出したかのように続けた。午前十時をさしていた。

「あの」睦月が遮った。

「どうかしたのかな、睦月君」学長は優しい目をしていると思っていたが、見据えられるとそれは耐えがたいほどの鋭い眼光だった。

「いや、なんでもないです」

「参加を拒否するなら今ですよ」瞬きを一切しない無機質な目に吸い込まれてしまうのを睦月は必死に堪えた。

「本当になんでもないんです、すいません」

「では……そうそう、ルールの説明をしていなかったね。一つだけルールがあります。キャンパスからは絶対に出ないでください。当然ですが、外で殺したら逮捕されます。キャンパス内であれば、あとで警察に報告するときに私が殺害したことになりますので、安心して殺してください。このルールさえ守っていただければ、他にルールはありません。ちなみにゲーム開始とともに大学を囲う柵に高圧電流を流します。触れたら即死なので注意を。あともう一つ、明日の午前十一時の時点で二チーム以上生き残っていた場合、生き残っている者全員には死んでもらいます。以上」

 では、と軽く会釈して、学長はメディアセンターを出て行った。

「一つだけじゃねーじゃん」長月が呟いた。


 取り残された十二人は、学長の後姿をみてから、自然に四つのグループに分かれた。

チーム春はすぐにメディアセンターを出て、睦月と如月の研究室がある一六棟へ向かった。その三分後位にチーム秋は、全員隣同士の研究室所属であるため、それらの研究室のある一一棟へ向かった。そして、残ったのは夏と冬になった。

「まあ、今の学長の説明で名前と顔は一致した。俺は神無月だ。初対面だよな。よろしく」

「ご丁寧にどーも。ぼくは霜月でーす」少年のような笑顔でピースした。

「拙者は師走でござる」

「そうか、まあ立ち話もなんだし、どっか場所を移して改めて話し合おうか。うちのラボでいいか?」

「いーよ」

「大丈夫じゃ」

 会話が一段落すると、チーム冬は神無月の研究室があるという三二棟に移動した。


 チーム冬のやりとりを横目に、チーム夏は依然無言を貫いていた。

「あの……」水無月がまとめようとするが、皐月はネイルアートでもしているのだろうか、爪をいじっている。一方、卯月は小難しい哲学書を読んで、こちらに興味を示さない。

「あの……僕、水無月っていいます。よろしくお願いします」頭を垂らす。

「よろしくー」皐月は水無月を見ないで、爪ばかり見たまま答えた。

「よろしく」卯月は蚊が飛ぶような声で返した。

「場所を移さないですか。そうだ。僕の研究室に行きましょう。自己紹介もまだですし」

「わたしは別に一人でいい」卯月のこの一言が引き金となった。

「なにそれ。あたしたちがお荷物だって言いたいわけ」今回は爪ではなく、しっかりと卯月を見据えている。

「別に」

「なによ。その言い方。あたし、そういうの嫌いなの」

「どういうのが嫌いなの」

「そういう言い方よ!」皐月は甲高い声で怒鳴った。

「ちょっと、とりあえず、移動しましょう。移動」水無月が二人の間に入り、皐月が少し落ち着いたので、チーム夏もメディアセンターを出て、二四棟へ向かった。


 そして、午前十一時、ゲーム開始の合図であるベルが鳴った。

「それでは、開始です。チーム春は一六棟、チーム夏は二四棟、チーム秋は一一棟、チーム冬は三二棟を拠点にしたようですね。さっそく如月君の呼び方を借りました。では、始めてください」学長の言葉とともに、《ゲーム》は始まった。


――一六棟三〇二号室――


「準備はこれでいいか」睦月は如月に訊いた。

 準備自体には大した時間はかからなかった。要したのはものの十数分であった。

「オッケー」如月は親指と人差し指で丸を作った。

 三〇二号室は三〇一号室の四分の一ほどの広さであり、若干窮屈に感じる。三〇二号室は実験室というよりは、飲食をするためのお茶部屋として普段使用されている空間である。電気ポットや電子レンジ、割り箸や紙コップなどが整頓されているこの部屋は、隣に実験室があるとは思えないほど綺麗で、神々しさすら感じる。その異空間に今、神秘さを助長させるように液体窒素の入ったタンクが中心に置かれている。

 如月はタンクのふたを密閉するために、バーナーでふたと本体が接している部分を炙った。そして、ふたが若干溶けだしたところで炙るのを止めた。それと同時に弥生はテープレコーダーの再生ボタンを押し、如月と録音した会話を流し始めた。

「よし、出るぞ」

三人は隣の三〇一号室に移動した。

「とりあえずは一段落だな」

「でもさ、こんな手に引っかかるのかな」弥生は首を傾げた。長い黒髪が揺れる。弥生の項がちらっと見えた。睦月には、はっきりとそれが見えた。あまりに美しいので一瞬見蕩れてしまった。けれど如月に指摘されたら厄介だと思い、表情を作り直した。睦月は目線を如月の方に向けた。目が合った。如月は口元を緩めた。

 ――しまった――

 睦月はすぐに如月から目を逸らし、俯いた。

 如月は口元を緩めたまま、弥生に対して答えた。

「引っかかんなくてもいいんだよ、別に。足止めになればいいってだけ。それとも、もっと積極的に殺したいのか、弥生は」

「如月のいじわる」弥生は頬を膨らませた。

「そう怒んなよ。要するに、今は積極的に戦うときじゃない。でも、いつかそういう場面が来るはずだ。そのときにもっと別の方法を考えればいい。ただそれだけだ」

「そういうときになったらどうする」睦月が訊いた。

「そんときは考えるんだよ。睦月のここには何も入ってないのか」如月は自分の頭を人差し指でつついた。

「入ってるわ。ほら、音がしないほどぎっしり詰まってる」睦月は自分の頭を左右に揺らした。

「何も入ってないから音がしないんじゃねぇのか」

「お前」

 睦月は如月に両手を挙げて飛びかかるふりをした。その態勢で止まった。数秒間、静寂に包まれた。

「ははは」

「あっははは」

 二人が笑いだしたのを見て、弥生も静かに笑った。久々に起きた笑い声だった。今だけは《ゲーム》など行われていないように思えるくらいに平穏で暖かい笑い声がこだましていた。

 しかし、平穏は長くは続かず、現実によって呆気なく黒く塗り潰された。

「おっと、さっそくこの仕掛けが役に立ちそうだな」

 睦月は顎で窓の外を指した。

「あれは」

 外を見ると、白いTシャツに黒のパンツをはいた角刈りで体格のいい大男と、気持ちいいくらいに小奇麗なシャツに青のジーンズをはいた細身の男が並んでこちらを見上げていた。そして、二人の後ろで付き添うように、フリルのついたスカートを召したお嬢様が立っていた。

 細身の男は、睦月と目が合うと満面の笑みを見せ、一六棟に侵入してきた。

「まずい、二階に避難するぞ」

 睦月がそう言ったその瞬間、三〇一号室からガコンと激しい爆発音が聞こえた。

「タイミング絶妙すぎ」如月は、親指をぐっと突き上げて、部屋を飛び出した。二人はそれに続いた。如月はそのまま階段を下りて、目の前の部屋の扉をあけた。

「とりあえず、二〇一だ」

 二〇一号室に入ると、作りは三〇一号室とほぼ同じであったため、かってがすぐに分かった。鍵を閉め、外を覗いた。すると、外にはお嬢様が一人立っていた。彼女は睦月たちの方を見るわけでもなく、ただ正面を見据えている。

「まずいな、ということは長月と文月だっけ、あの男二人が入ってきたってことだよな。はやいとこ出ないと、蜂の巣になるぞ」如月は歯ぎしりし、葉月をじっと睨んだ。

「はやく出よう」睦月の声は、若干走っているようだった。

「まあ待て、やつらが三階に行ってからだ」

「もし、もし、三階に行く前にここにきたら」弥生が掠れた声で訊いた。

「おしまいだ」如月はお手上げのポーズをとった。おどけているが、強張っているのが睦月にすら分かった。


 長月は、一目散に階段を駆け上がっていった。

「おい、待て」

 文月が止めたが、何かに憑かれたように前を走る彼からは止まろうという意思を微塵も感じとれない。

「くそっ」

 長月は、踊り場を通り過ぎ、二階で止まった。文月はそこでようやく追いついた。

「てめえ、はやいってん……ん? どうした」

「しー」長月は、耳を澄ませるようにして、両耳を両手で覆った。

 文月は言うとおりに口を閉じた。

最初は自分の上がった息がリズムを打つのが聞こえるだけだった。耳を澄ましていると次第に他の音が耳に入ってきた。じっと息を潜めると、その音が声だということが分かり、さらにその声の方向が分かった。

「上か」

 長月は頭を縦に振り、忍び足で階段をさらに上がった。今度は文月にもついていけるペースだった。階段を上がりきると、声のする方向がより鮮明に探知できた。三〇二号室だ。何の会話をしているのかは聞きとれないが、確実に声がする。

長月は三〇二号室の扉の前に仁王立ちした。

――入るのか――

文月はジェスチャーで扉を指さし、問いかけた。長月は少し黙り、右手に持っていた電磁砲を床におき、その手をジーンズの右ポケットに突っ込んだ。出てきたのは布だった。ただの布切れのようだ。

――なに考えてやがる、こいつ――

すると、今度は左手を左ポケットに突っ込んだ。次に出てきたのは、ライターだった。文月が、それがライターだと判断するかしないかのうちに、長月は布に火をつけていた。

「おい」文月は脊髄反射的に声が出てしまった。

 その声を無視して、長月は三〇二号室の扉を開け、中の様子を窺う間もなく火のついた布を投げ込んだ。そして、すぐに扉を閉めた。

 この一連の動作があまりにも早すぎて、疑問を口にする間もなく、扉は閉まった。

「おい」

「やっぱり」

「なににやにやしてんだ」

「反応がない」

 たしかにそうだ。長月の動作があまりに不可解だったため、他のことを気にする余裕がなかったが、冷静になった今、文月はさらにおかしいことに気付いた。火のついた布が投げ込まれたというのに、彼らは話を続けているのだ。

「これは……」

「へえ、そういうことするんだ」

 突如、長月は扉を開いた。そして、文月の腕を引っ張り、一気に扉から遠ざかった。

「てめえ、なんなんだ、さっきから」

文月は引っ張られた手を振り払った。そして部屋の中に視線を移した。机の上にラジカセのようなものが置いてあるのを見て、不可解な現象が全て繋がり、納得した。

「ほら」

長月は三〇二号室の中を指さした。文月はラジカセのことを自分に知らせようとしているのだと思った。

しかし、彼が指したのはラジカセではなかった。その先には、投げ込んだ布があった。火はすでに消えていた。

「燃え尽きたのか」

 しかし、文月はもう一度見て、それが勘違いだということを即座に理解した。

「いや、燃えてない」文月は自分の言葉を正した。

「そうだよ、文ちゃん。この部屋、酸素が極端に薄い。もしくは空気じゃない他の気体で満たされてるんだ」

「燃焼に必要な酸素が少ない。だから火が一瞬にして消えて、燃えなかったのか」なるほどと頷いた。

「なんだ、あれか」長月は指をパチンと鳴らし、今度は部屋の中央に置いてある変形した銀色のタンクのようなものを指した。

「液体窒素のタンクじゃねえか、あれは。てことは、窒素で埋め尽くされてるわけか、ここは。一気に部屋に入ってたら即死だったな。くそっ、下衆な野郎だ。自分の手を汚さずに殺そうなんて」

「なるほどなるほど。春はこんな感じなわけね。似非平和主義者ってとこか」長月はほくそ笑んだ。

「おい。そんなことより、やつらはどこに行ったんだ」

「何言ってんの、文ちゃん。彼らはここにはいないよ。そんなこと最初からわかってたでしょ」

「は?」文月は呆気にとられた。

「大体、三階にいるのを外から見られて、そこに居座るバカがどこにいるんだよ。しかも、悠長におしゃべりって。あるわけないでしょ」大声で嘲笑した。

「じゃあ、なんでてめえは三階にきた」怒りよりも疑問の方が湧いてくる時間が何倍も早かった。

「将棋で勝つには王将だけを見ていちゃいけない。相手の手駒を把握して、相手がどういう戦術でくるのか、それを考えるのが勝利の近道。行くよ、文ちゃん。本番はこれからだ」

 床に置いた電磁砲を手に取り、階段を下りはじめた。『文ちゃん』と呼ばれていることなど、もはやどうでもよかった。文月は目の前の男を追って階段を下りるのがやっとだった。


「上がっていったね」弥生は、声を押し殺し、逸る気持ちを抑えた。

「行こう」

「ちょっと待って」如月は睦月を制止した。そして、実験台の下から発泡スチロールでできた箱を取り出し、開けた。その中にはブロック状の白い塊が入っていた。

「あとは、バケツ一杯に水を汲んでくれ」如月は睦月に指示した。

「分かった」

 睦月が水を汲み終えると、如月は自身に活を入れるように膝を軽く叩いた。

「よし、ここが勝負だ。これ持っときな」如月は柄の部分が黒光りしたバタフライナイフを一丁、弥生に渡した。

「いつのまにこんなの」弥生は目を丸くして訊いた。

「お茶部屋のやつだ。使えるかはわからんが、お守りくらいにはなるだろ」

「うん」

「いいか、階段を降りたら、これを玄関口に向かって投げる。そしたら、睦月はその水をこれにかけてくれ。化学的な煙幕の完成だ。どうだ、お洒落だろ」

如月は笑窪を右頬に作った後、扉をあけた。


――わたくし一人で入口を任せるなんて。何を考えてるのよ――

葉月は爪先で地面を蹴り不機嫌さを露わにしながら、一六棟の玄関口を外からじっと睨みつけていた。自動ドアはもう閉まっていたが、文句を言いたい気持ちが抑えきれずに「なんなのよ」と呟いた。

――それにしても、なんなのかしら。このゲーム。学長が生徒同士を殺し合わせるなんて、漫画の設定にしても異端すぎるわ。目的が分からない。殺し合って、勝ち残った人に欲しいものを何でも与える。どういう意図があってこんなことを。まさか、学長も殺し合いを見ることによって『生』を感じたいから? それはいくらなんでもないかしら。これが終わったら、さすがに学長はただじゃ済まないでしょうし、『生』を感じたところで逮捕じゃ意味ないものね。じゃあ、一体――

乾いた重い音がその思考を強制的に終了させた。

ふと自動ドアの中を見ると、白い塊が転がり落ちていて、煙を吹いていた。

「なに、これ?」

呆然としていると、次はその塊にバケツが被さった。煙は瞬く間にエントランスを埋め尽くし、自動ドアの中の光景を白で包んだ。葉月はじっと一連の出来事を見つめていたが、思い出したかのように電磁砲を自動ドアに向けて構えた。何も見えない。いや、正確には、白い闇だけが見えていた。構えた手が震える。緊張で胸が押しつぶされそうになる。息を吸おうとするが、吸い方を忘れてしまったかのように呼吸するのを体が拒んでいる。しかし、吸えない。苦しい。今度は勢いよく吸った。ようやく吸えた。すると、それがまるで合図だったかのように自動ドアが開いた。葉月は考える暇もなく、引き金を引いていた。

 激しい電磁波と共に鉄の塊が銃口から飛び出した。鉄玉は、白い闇に吸いこまれていった。糠に釘を刺すような感覚だった。指が止まった。依然、銃は構えたままだった。

白い闇が揺れた。

葉月がそう判断したときにはもう手遅れだった。気がつくと飛び出してきた男に手首をつかまれていた。男は葉月の後ろにまわりこみ背後から手をつかんだ。引き金を引く。が、鉄はアスファルトに当たり、乾いた空しい音が響いた。手首はちぎれんばかりの力でつかまれている。葉月は振りかえろうと体を捻ることにした。その判断がミスだった。振りかえることに力が使われてしまったのか、手首に力が入らなくなり、電磁砲が手から離れた。

葉月は、観念したとばかりに全身の力を抜いた。それを感じ取った如月は声を上げた。

「今だっ」

 合図とともに煙幕の中から睦月と弥生が飛び出し、二六棟の方に走っていった。

「あなたは逃げないの」後ろの男にきいた。

「お前を殺してからにするよ」

 葉月は溜息をついた。全てを許容するかのような深い溜息だった。

「なんでだと思う」葉月が訊いた。

「えっ。なにが」

「このゲームの意味」

 如月は、不意な問いに自分の中の軸がぶれるのを感じた。羽交い締めの姿勢を崩さないように意識しながら、如月は答えた。

「なんだろうな。学長の趣味……とは思えないな。だからと言って、なんかしらの圧力がかかっているとも考えにくいな。例えば、国から指令が出て、殺し合いをさせて人間の間引きしようだとか、危険因子の削除だとかそういうことだ。命に代えてでも何かを欲してるやつなんか、ただの犯罪者予備軍とも受け取れるしな。でも、そういう圧力があったなら、国立大学ならまだしも、うちみたいな私立大学でやる理由が分からない。国立大学で行う方がいろいろ楽だろうしな。大学側がこんな《ゲーム》を行うメリットが全然思い当たらない。要するに、全く分からない」

「奇遇ね。同じことを考えていたわ。わたくしたち、同じチームだったら気が合っていたでしょうね」

「悪いな、でも今は仲間じゃねえ」

 銃声が鳴り響いた。


 銃声を聞き、二六棟に向かおうと走っていた二人は足を止めた。睦月は振り返った。人が膝から崩れて行くのがわかった。崩れた人影は、その場に倒れると、ピクリとも動かなかった。

 崩れたのは、如月だった。

 弥生が息を思い切り吸った。

「だめだ」睦月はその呼吸を聞き、弥生の口を塞いだ。

「でも。でも。でも」塞いだ手に、弥生の目から止めどなく流れてくる涙が伝っていく。

「ここで死ぬのは、絶対にだめだ」

 二人は二六棟に向かって走った。走っているのか、景色が後ろに向かって移動しているのか、それすらも判断できなかった。けれど、走った。


 葉月は銃声とともに後ろの男の力が消え去っていくのが分かった。そして、力が完全になくなったと思ったら、自分の背中に重力を感じた。重い。これが人一人の重みなのだと葉月は体感した。

「ちょっと遅かったかな、お嬢様」

 煙幕を振り払う仕草さえしない堂々たる態度で電磁砲を構えたまま、長月が目の前に現れた。

「死ぬのを覚悟してたわ」

「これはこれは申し訳ない」長月は深々とお辞儀をした。

「でも、話の最中だったのよね……」葉月は天を仰いだ。

「命より大切な話だったのか」長月に続いて、白い闇から大男が現れたので、葉月は少し驚いた。

「そうかも」

 葉月は天を仰いだままだった。


――三二棟一階一〇一号室――


 師走は、三つの画面を前にして一人、考えていた。

 ――なにゆえ、急に爆発したのだ――

 三つの画面とは、一つはチーム夏との戦闘で目を潰され現在この一〇一号室内で横たわっているもの、そしてもう一つは防護用に一〇一号室の前で突っ立っているもの、最後が先ほど画面を切ったもの、という三つのロボットがそれぞれ映す画面だ。

故に、実際に映像が映っているのは一〇一号室前の平穏な廊下の風景だけである。この画面だけ見ていると、ついさっきまで起こっていた惨劇がまるで夢のように思える。むしろ、夢であってほしいと師走は願っていた。頭部が完全に潰されていた神無月の姿が脳裏を過る。両親も祖父母も全員生きている師走にとって初めて目にした死体だった。奇妙な感覚だった。知り合ってから数時間での別れだった。それも、もう二度と会うことのないだろう、永遠の別れだ。師走は、困惑していた。悲しみ、後悔、弔い、様々な感情が交錯して、処理できていない。

さらに苦しめられるのは、その死因だ。なぜ爆発したのか。時限爆弾でもセットされていたのか。もしくは、入ってきたと同時に爆発するような感応型の爆弾だったのか。でも、それはないと気付かされる。部屋に入ってすぐに爆発したわけではないのだ。師走は、頭を抱え、下を向いた。

 ――神無月殿、是非ともお主の考えを聞かせてくだされ――

「ぼくが」

 背後から声がしたので、師走は驚き、即座に振りかえった。

「ぼくが、いけないんだ」

 扉の開く音など一切聞こえなかったが、霜月がそこにいた。必死に涙を堪えているのが一瞥しただけで分かるくらいに、表情が崩れている。

「自分を責めるのはよくない」

「でも……」

「あれは致し方ない」

「防げたよ、ぼくがもっと強く言ってれば」

「なにを言っておる、お主。拙者が神無月殿の代わりに行っていれば」

「そうだね。君なら、誰も死なずに済んだ。それはぼくでもよかった」

「何を言っておる」師走は急に話の流れがつかめなくなった。

「どういうことじゃ。拙者やお主なら死ななかったとは」

「気付かなかったの?」

「いや。えっ」誰でも解ける問題に一人だけ間違えたときのような気分だった。

「ぼくたちは、煙草吸わないじゃん」

「煙草?」

「最後に、ライターで火をつける音がした。神無月くんは敵がどこかに隠れてるかもしれない、あの状況で煙草を吸い始めたんだよ」

「気付かなかった。それにしても、気が狂っとるな、あやつは」

「実際に敵は周りにいなかったんだろうし、別に休憩すること自体は良かったんだよ。ぼくだって一息ついてただろうしね」

「なら、煙草だってよかろうに」師走は雲をつかむような感覚だった。霜月の真意が一向につかめない。

「よくないよ。あの部屋に入ったとき、神無月くん、なんて言ったか覚えてる」

「なんじゃったか」師走は右手で頭を掻いた。

「ほこりっぽいな。そう言ったんだよ」

 ――ほこり、煙草、火、爆発――

 師走の脳内では答えに焦点が合い始めていた。完成間近のパズルを解いているような気分だった。

「たぶん、ほこりなんかじゃなくて、もっと小さな微粒子みたいなやつがふわふわしてたんだろうけど」

 その一言が最後の一ピースとなり、パズルが完成した。

「粉塵爆発」

「やっぱり。たぶん、そうだと思うよね」霜月は首を縦に振った。

「化学科が故にか……。体積に対する表面積の割合がかなり大きい『粉塵』は、空気中に飛散すると周りに十分な酸素が存在することになり、燃焼反応に敏感になるなどという話自体は耳にしたことはあったが、本当にそんなことが起こりえるのじゃな……」

「たぶん、金属粉塵だと思うよ」

「アルミニウムとかであろうか」

「そう。なかには空気に触れただけで発火するものもあるって聞くし」

「だが、煙草を吸うことまで予測したのか、そやつらは」

「あり得ない。そう思うよね。ぼくもそう思った。でも、実際に起きちゃったんだよ。だから」

 霜月はもとの天真爛漫さを少しだけ取り戻したように見えた。だが、思い出したようにその明るさが掻き消された。

「だから。だから、もっと強く煙草やめるようにって言っとけば」

 ――そのことじゃったのか――

 師走は、霜月を擁護する言葉を検索した。しかし、見つからなかった。

「あれほどの重喫煙者に、どれだけお主が語ろうと、焼け石に水であろう」

 師走はあまりの検索能力の酷さに、自分の知性を疑った。

「そうかもね」

 霜月は笑っていたが、どのような気持ちで笑っていたのかは、師走には判断がつかなかった。


――二六棟二階廊下――


 日が傾き始め、太陽が夕日へと変わろうとしている。一日が後半戦に入ったというのに、この戦いは終わりを告げるどころか、まだ始まったばかりだった。

向こうは三人いた。一人も死んでいない。他のチームもそうなのだろうか。睦月の心中は不安定に揺れ、今にも崩れてしまいそうであった。

「ど、どうする」

普段なら弥生から話しかけられるのは当然嬉しい。しかし、今ばかりは話しかけてほしくなかった。どんな顔をしたらいいか分からないからだ。

「とりあえず、落ち着こう」

 二人は無言のまま、お互いに干渉せず、ゆっくりと廊下を歩いていた。閑散としていて、二人だけの足音が鳴り響く。

 ――俺は今どんな顔をしてるのだろう――

 睦月は深呼吸をすると、如月のことを想った。


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