叛逆
四十二
柩を背負って降伏の意志をしめした劉禅のすがたを見て、鄧艾ははれやかな表情になった。
「こ、これは、これは……」
笑みをたたえた鄧艾は、すばやく劉禅のうしろにまわり、縄を解いて、柩をひきとって灼いた。
「ご、ご英断です。わ、わるいようにはいたしませぬ」
鄧艾はみずからがたてた大功をよろこび、せいいっぱいの度量をみせた。
劉禅と太子、諸王それに群臣はすべて罪をとわれることはなかった。
鄧艾は、皇帝から節をあたえられている。
節とは小さな旗ではあるが、その旗をさずけられた者は、専断権をあたえられている、ということである。
鄧艾は司馬昭の指示をあおぐことなく、劉禅を驃騎将軍に、太子を奉車都尉に、諸王を駙馬都尉に任命した。
さらに劉禅には、
「ご、ご指示がでるまで、も、もとの宮殿におすまいください」
と寛容さをしめした。
「さ、さて……これからは占領政策だな」
属将の師簒に益州刺史を兼任させ、隴西郡太守の牽弘やそのほかの属将に、益州の各郡を統治させることにした。
また鄧艾軍が経験した唯一の激戦地である緜竹におもむいて、兵の屍体をあつめさせ、京観をつくった。
大勝利した将軍が京観をつくることは、古代からの倣いであり、京観は屍体が多ければ多いほど高く大きくなる凱旋門である。
鄧艾は蜀を併呑した後、傲岸になったわけではないが、京観の高さが功績の大きさだといえるので、高い京観を仰ぎ見つつ、蜀の士大夫たちにいった。
「あ、あなたたちはわれに会ったおかげで、今日このように安穏としていられるのだ。
も、もしも呉漢(光武帝時代の名将)のような男に攻められていたら、蜀の主従は皆殺しに遭っていたであろう」
さらには、
「き、姜維は一代の英雄といえるであろうが、わ、われと会って戦うことになったので、き、窮することになったわけだ」
といって笑った。
「かなり気がおおきくなっておられるな」
「それは、いいすぎであろう」
蜀の有識者は、鄧艾の大言を聞いておなじく笑った。
とはいえ、鄧艾が蜀の首都である成都を降伏させたことは、遠征における壮美といってよく、捷報に接した司馬昭は、
「快事、快事」
となんどもくりかえしてよろこんだ。
司馬昭はさっそく皇帝の曹奐に、上聞をおこなった。
皇帝から直接、鄧艾を褒めてもらうようにしたわけである。
それにしても、である。
「鐘会から、まったく報告がきておらぬが……」
司馬昭は、そのことを不審に感じて謀臣の賈充に訊いた。
鐘会は快進撃をつづけたが、剣閣にこもる姜維に行く手をはばまれ、そこからまったく報告がない。
「わたしのもとにも、鎮西将軍(鐘会)からの報告は上がっておりません。
才気煥発の鎮西将軍が、たたきあげの征西将軍(鄧艾)に功をうばわれるとは、予想外ではありましたが」
「いってやるな。鐘会が姜維をひきつけておいてくれたので、鄧艾は成都を陥落させることができた。だが妙だな……」
司馬昭は、疑念をうちけすことができない。
十二月に、鄧艾に詔が下された。
「鄧艾は威を輝かせ、武をふるい、敵国深くに入り、悪人の首領の首を晒した。
帝号を僭称していた君主をぬかずかせ、その首に縄をかけた。
歴世、誅殺をまぬがれていた者どもは、いっせいに平らげられた。
戦いは季節を越えることなく、戦闘は終日を要しなかった。蓆を巻くように益州を攻め取り、巴と蜀を平定した。
よって鄧艾を大尉とし、二万戸を加増し、ふたりの子を亭候にとりたて、それぞれに千戸の食邑を与える」
大将軍にして晋公の司馬昭と、太傅の司馬孚をのぞけば、大尉は群臣のなかで最高位である。
つまり鄧艾は、位人臣をきわめたといっていい。
九月に大尉の高柔が病死したので、その位が空いていたという事情もあるであろうが、鄧艾はじぶんの地位に感慨をもった。
(わ、われが、ついに大尉か)
そのめでたい報告にやや遅れて、黄皓が捕らえられたとの報が入ってきた。
「こ、黄皓といえば驃騎将軍(劉禅)にとりいった佞臣か」
鄧艾は、わずかにいやな顔をした。
「どうなさいます。お斬りになりますか」
師簒が、鄧艾に訊いた。
「い、いや……話だけでも聞いてやろう」
鄧艾の前に、黄皓が引き出された。
「こ、この悪党が。ど、どの面をさげてのうのうと生きているか」
鄧艾が罵倒すると、黄皓は顔をあげた。
「劉禅の志は、だれにもわかりません。また私が劉禅に取り入る悪党であればこそ、大尉(鄧艾)は蜀を簡単に平定することができたのです。
斬りたければ、お斬りになればよろしい。どこに怒る必要がありましょうか」
鄧艾は、黄皓の目を視た。くもりのない目である。にわかに怒りをかき消した鄧艾は、
「……そ、そういうことか」
とつぶやき、
「か、刀の穢れよ。こ、この男を成都から追い出せ」
と捕吏に命じた。
「よろしいのですか」
師簒は鄧艾に疑義を呈したが、
「に、二度と成都にはもどってくるなよ」
と鄧艾は、その場で黄皓の縄をほどき、釈放した。
黄皓はしばし呆然としていたが、深く鄧艾に頭を下げると、臨時政府の建物から退出していった。
その後ろ姿を見送った鄧艾は師簒に、
「あ、あの男は佞臣ではなく、ち、忠臣だ。
驃騎将軍(劉禅)の意を受けて、いずれ魏に政権を返上する準備を実行していたのだ」
師簒は驚いて、
「そ、そのようなことが……」
と絶句した。
「か、考えてもみよ。わ、われらが益州に入ってから、ま、まともな戦をしたのは緜竹の諸葛瞻とだけだ。
そ、それ以外は、た、戦わずして驃騎将軍はわれらに蜀の国を返上した。
こ、黄皓にわれらは感謝こそすれ、斬るいわれはないのだ」
「明帝の時代に権力をふるった、秦朗のようなものですか」
「さ、さあな。わ、われは、秦朗とは面識がない……黄皓が秦朗の友のような男であるのならば、よ、世は皮肉であるな」
すでに魏は、司馬氏の晋の傀儡である。明帝は袁煕と甄皇后の子であり、曹魏の血をひいていない。
そのころから曹魏は、ゆるやかに血縁という鎖を断ち切り、つよくなってきていたのだ。
蜀を平定したことによって、諸将は洛陽に凱旋することを想像してよろこんだ。
鄧忠と師簒も、
「はやく、都の土をふみたいものだ」
「そうですね。都に残してきた家族の顔も見たいものです」
などといっている。
そのなかで、ひとりうかない顔をしているのは鄧艾であった。
鄧艾は蜀討伐におもむくまえに、妙な夢を見たのである。
山上に座って、ちかくに流れる水を見ている。ただそれだけの夢である。
山の上に水が流れているのはふしぎといえばふしぎではあるものの、凶夢とは思えない。
しかしこころにひっかかるものを感じた鄧艾は、占いにくわしい殄虜護軍の爰邵を呼んだ。
「こ、このような夢を見たのだが……ど、どういう意味があるのか、占ってもらえまいか」
と問うた。爰邵はしばし思いをめぐらせていたが、即答はしなかった。
「そうですか。しらべてみます」
といい自宅で易の卦をたててみた。後日、鄧艾のもとをおとずれて、結果を教えた。
「山上に流水があることを蹇といいます。
蹇は占いにおいて、西南に利あり、東北に利あらず、というものです。
それについて孔子の解釈はこのようなものです。西南に往けば功をたてられる。東北にはよくないことがおきる……そちらに往けば道が窮まってしまう。
つまり、将軍はかならず西南にある蜀を平定なされるでしょう。しかしながら、おそらく成都から東北にある洛陽には帰還できないでしょう」
不吉なことも、爰邵はかくさず鄧艾に報告した。易をおこなう者は、解釈をまげたり、かくしだてをしてはならないのである。
一方その解釈を聞いた鄧艾は、顔面蒼白となった。
(え、易をする者は、ここまでいうものか……)
とおもしろくなかったことはいうまでもない。
鄧忠と師簒に爰邵の占いを聞かせると、
「あたるも八卦、あたらぬも八卦というではありませんか」
「そうです。とりあえず蜀を平定できるとの占いなので、成都を陥落させてから洛陽の帰路を変えればよいのではありませんか」
とふたりはさほど気にしていないようすであった。
しかし鄧艾は爰邵の占いをするたたずまいに、神妙さを感じており、蜀の占領政策をしつつも、なんどもその占いが胸によみがえるのであった。
ある日鄧艾は、
(そ、そうか。呉を攻めれば東北の洛陽に還らずともよい)
ということに思い至った。
そこで鄧忠と師簒を呼び出して、
「こ、これからわが軍と、し、蜀軍を編成して呉を攻めてみようと思う」
と告げた。ふたりは、顔を見合わせた。
「おまちください。それは、あまりにも急な話ではありませんか」
「そのとおりです。姜維と鎮西将軍(鐘会)の動向もあきらかではないうちに、成都を空けるのは得策ではありません」
「い、戦とは勢いが大事なのだ。さっそく晋公(司馬昭)に、ご、呉を平定する案を送ってみる」
急に意固地になった鄧艾を見て、鄧忠と師簒は胸騒ぎをおぼえた。
「なあ、やはり父上は例の占いに固執されているのかな……」
「そうかもしれませんね。蜀を降すという大功を立てられた征西将軍(鄧艾)ですから、すぐさまつぎの功をもとめるのは、あらぬ疑いをかけられるような気がします」
鄧忠と師簒の心配は、現実のものとなるのである。
洛陽の司馬昭は、鄧艾からの書簡を読むなりめずらしく口調をあらげた。
「大尉(鄧艾)は、専断がすぎる」
賈充もうなずいて、
「たしかに、事をいそぎすぎているようにも感じますな。晋公の意向を無視して、独断で戦後の処理をすすめています」
と鄧艾の危うさを指摘した。
「ふむ……監軍(衛瓘)に諫めさせるか」
監軍とは、司馬昭がこの遠征の元帥であるかぎり、司馬昭の意を体している。
戦場にいる鄧艾や鐘会の命令の外にいる、独立した職である。
衛瓘は沈毅な人柄であり、司馬昭のことばをすぐに理解した。
鄧艾のもとに行き、その戦略の熱を冷ますように説得した。
「晋公のおことばをお伝えします。
呉を攻略することをふくめた大尉の計画については、のちの指示を待つようにということです。
軽挙はよろしからず。晋公はご不快です。おわかりいただけたでしょうか」
と直言した。
四十四歳の衛瓘は、六十七歳の鄧艾にとっては子どものようなものである。
その衛瓘に渾身の策を否定されることに、鄧艾は内心憤慨した。
「わ、われはけっして軽挙しているわけではない……」
怒りがおさまらない鄧艾は、ふたたび司馬昭に書簡を送った。
「今、蜀の民衆はこぞって帰服し、南海の果てまで平定され、東は呉に接することになりました。
こうなったからには、はやく呉を鎮定すべきです。もしも晋公の命令を待っておりますと、使者が往復する間に月日が費やされてしまいます。
『春秋』の義によれば、大夫は国境を出たあと、社稷を安んじ、国家の利益を得る場合は専断をすべきだといっています。
呉はまだ魏に服従せず、当然のことながら蜀につらなっておりますので、常道にこだわって時機を失ってはいけない、と考えます」
成都を降したあと鄧艾は殺戮をおこなわず、蜀の劉禅主従を赦したという実績が呉に伝わっているはずだと考えている。
「か、川をつかって呉に攻め下れば、そ、孫休は戦わずして降伏する」
鄧艾の自信は、確信に変わっている。
「は、春には軍を呉に出したい。こ、この機をのがすと、魏は呉を平定するのに幾年も費やすことになろう」
「……」
鄧忠と師簒は、目に妖しい気魄をやどした鄧艾を見守ることしかできなかった。
鄧艾の意識の表裏には爰邵からの、
「東北に、利あらず」
という占いが浮沈している。
(ら、洛陽に戻れぬならば、東か南にゆくしかない……)
鄧艾は、司馬昭の許可が得られない場合でも独断で軍を発するつもりである。
呉を攻略するための軍船を造らせ、新年を待っていた。
司馬昭は鄧艾の書簡を受け取り、それを読むなり、氷のような表情となった。
「どうかなさいましたか」
賈充が訊くと、司馬昭は無言で書簡を手渡した。
「これは……」
「ふむ。いよいよ鄧艾が謀叛を隠さなくなってきたぞ。
独断で、呉に攻め入るつもりらしい。どうしたものか」
賈充は首をひねってしばし考えたのち、
「毒をもって毒を制す、という策がありますぞ」
といった。
「それは……」
「鐘会です。無聊をかこっているかれに成都を支配させるのです」
「ふむ……ひとまず益州の混乱さえおさえられればな」
司馬昭は、しぶしぶながらうなずいた。かれは鐘会の野心を見抜けないほど愚かではない。
年が明け、魏の年号では景元五年(二六四)となった。
とつぜんなんの報せもなく、衛瓘が鄧艾の前にあらわれた。
「お、おう。どうか。し、晋公は呉への遠征のご許可を下されたか」
無機質な新年の挨拶にいぶかりながら、鄧艾はきげんよく衛瓘に訊いた。
すると衛瓘は、
「詔がくだされました。大尉(鄧艾)に叛意ありということです。
晋公は檻車をもって、あなたをお召しです」
と冷えた口調で告げた。
「わ、われに叛意だと……それは、どういったわけか」
「抗弁がおありでしたら、晋公の前でお述べください。なお、軍はあなたの指揮下にはありません」
呆然と衛瓘のことばを聞いていた鄧艾は、あっという間に捕吏によって身体を縛られた。
「父上……」
「これは、いかなる事態ですか」
子の鄧忠と師簒も、縛られて衛瓘の前に引き出された。
颯爽とした常勝将軍が、一転して罪人になった。三人は、おたがい顔を見合わせるだけで、なすすべを知らない。
そこに荒々しい足音がひびき、兵をつれたふたりの将軍があらわれた。
「これは、これは、もとの大尉どの。みぐるしく抵抗するのはやめて、罪に服されてはいかがかな」
「かつての常勝将軍も、かたなしですな。
猿のように山をつたって城を降した品のなさが、今日のざまなのだ」
鄧艾が顔をあげると、ひとりは鐘会でもうひとりは初老の引き締まった体軀をもった男である。
「し、鐘会……と、き、きさま姜維だな。
わ、われを陥れたのは、な、なんじらであったか。
し、鐘会、われは姜維をよく知っている。と、とにかく策の多い男だ。な、なんじは姜維にたぶらかされているぞ」
姜維は履で鄧艾をこづくと、
「司徒(鐘会。昇進している)、負け狗がよくほえて、うるさくてたまらぬ。
さっさと連行していってもらおう」
「はは、伯約、そのとおりだ。これ、罪人をはやく檻車におしこめ、洛陽に送れ」
鐘会と姜維は、まるで親友のように親しげである。
この異様な光景をみた鄧艾は、
「え、衛瓘、く、国を乱すのは、このふたりだぞ。し、晋公によく伝えよ」
とさけんだ。
「つれていけ」
衛瓘は無表情で鄧艾らを檻車に入れ、せせらわらう鐘会と姜維の方にむいて、
「司徒、これでよろしいでしょうか」
と訊いた。
「結構」
鐘会は、鷹揚にうなずいた。それは、これからの益州の主がじぶんであることの表明でもあった。
鄧艾と鄧忠、師簒は、そのまま檻車で洛陽に送られたのである。
鄧艾が転落した原因は、鐘会の司馬昭への讒言があった。
鄧艾が上表した書簡を途上で取り上げ、疑われない程度に無礼なものいいに書きかえた。
筆跡のまねも、鐘会の得意とするところである。
さらに、じぶんがいかに鄧艾の独断専行を危惧しているかを、司馬昭に連絡しつづけていた。
では、鐘会は姜維といかにして親しくなったのか。
剣閣という難攻不落の要塞を守備していた姜維は、緜竹で諸葛瞻が敗死したことを知ると、
「鄧艾が軍をさいて、こちらに鐘会の救援を出してくるかもしれぬ」
と思い伏兵をおいた。
北に鐘会、南から鄧艾に挟撃されると、いかな剣閣であろうとも苦戦は必至である。
ところが、南に配置した伏兵からは鄧艾軍接近の報はいっこうにとどかない。
「まさか、鄧艾は成都に直行したのではなかろうな」
姜維は、あおざめた。張翼と廖化も、
「まさか……それなら成都から救援の使者が来るはずだ」
と不審がった。
数日間、成都からは音信不通であった。
劉禅がどのような意志をもっているかもわからないし、うわさだけが剣閣の要塞内で飛び交った。
「陛下は、呉に避難なされるときくぞ」
「いや、孟氏のいる南中にお遷りになるのではないか」
しびれをきらせた姜維は張翼と廖化に、
「もしも陛下が南中に行かれるのであれば、われらは遅れてしまう。
うわさにまどわされず、正確な情報をえるために主力を率いて成都にむかって出発しよう」
と決断した。
剣閣に守備兵をのこした姜維は、張翼や廖化らをつれて主力軍を率いて南下した。
「成都で戦闘がおこなわれているとは、聞こえてきません。
よもや陛下はすでに呉か南中に避難されているのかもしれませんな……」
張翼も不吉な予感がして、姜維にいった。
「……いそがねばならぬ」
馬をいそがせる姜維たちのもとに、劉禅からの使者がきた。
使者は、太僕の蔣顕である。
かれがしめした詔は、驚愕の内容であった。
「投戈釈甲」
つまり、武器を投げ棄て、甲を解くようにという命令である。
「これは、いったいいかなることか……」
姜維が絶句すると、蔣顕は、
「陛下はすでに、鄧艾将軍に降伏なさいました。戦いはもう終わったのです……」
と目をさげていった。
「降伏だと……」
姜維や張翼、廖化の想像の範囲外である出来事がおこっていたのである。
「鄧艾は、別の道をすすんで成都に達したのか」
「そのようです」
場に、沈黙がただよった。
「今日まで戦いぬいたことは、なんの意味ももたなくなってしまった」
張翼は、天を仰いで慟哭した。
成都降伏を知った多くの兵たちも、泣き、怒り、さわいだ。
姜維は詔を手にしたまま、手のふるえをとめることができなかった。
悲嘆のあまり剣を抜いて、岩に斬りつけた兵もいた。
剣閣にのこっていた守備兵たちも、武装解除を命じられ、岩の壁に矛や剣を突き立てた者も多かったという。
混乱する兵たちを、姜維はなだめ、集合させた。
「すでに成都の主は、魏の将軍である鄧艾になっている。
甲を脱ぎ、戈を棄てよというのは陛下のご命令であるならば、それにそむいてはならぬ。
遺憾ながら、ここで軍を解散する。
みな……よく戦ってくれた。礼をいうぞ。
無位無官となったわれは、みなを褒賞することはできないが、昭烈皇帝(劉備)が天上からみなをご覧になっていたはずである。
帰郷して、疲れをいやせよ」
姜維の説得に、兵たちは呆然とし、天を仰ぐ者も地をみつめる者も、その場をうごけなかった。
やがて兵たちは武器をその場に棄て、甲を脱いで、姜維に礼をして立ち去っていった。
「よし」
姜維は涙をぬぐい、
「さて、北にむかう」
といった。張翼と廖化はおどろいて、
「成都におられる陛下のもとに、むかうのではないのか」
と問うた。姜維は目を細めて、
「ちがうな」
といった。
「それは、どういうことだ」
廖化が、姜維につめよった。姜維は、
「成都にゆくということは、鄧艾に降伏するということだ。一方、北からは鐘会が来る……どちらに降伏すべきだと思うか」
といった。
「どちらも、おなじことではないのか」
張翼も廖化に同調して、姜維に訊いた。
「ちがう。われに策がある。蜀はまだ滅びてはおらぬ」
こういって、姜維は不敵に笑った。
張翼と廖化は顔を見合わせて、
(また、策か……)
とあきれたが、蜀を復興する策なのであれば立ち去るわけにもいかず、姜維と行動をともにした。
一方の鐘会にとっては、剣閣という蜀軍の要塞は、まさに難攻不落であった。
滞陣のようすを司馬昭に報告したあと、鐘会はこころが重かった。
「魏において泉のように湧き出たなんじの智慧も、蜀においては枯れ果てたか」
司馬昭に、からかわれるような気がしたからである。
淮南三叛とよばれる魏の内戦を、鐘会は八面六臂のはたらきで策を生み出し、あっという間に鎮圧した履歴がある。
それが、姜維に対してはどうか。
毌丘倹や諸葛誕に比すれば姜維の能力は上回っているものの、手も足も出ない。
(われが、鄧艾ごときに劣るとはあってはならぬことだぞ……)
鐘会は、唇を噛んだ。
苛立った鐘会は、巴西郡へまわって涪県に出る道をさぐらせていたが、その最中に急報がとどいた。
「ご報告いたします。剣閣にはわずかな守備兵をのこして、ほとんど兵がおりません」
「なに、それはまことか」
鐘会は、この時点で劉禅が降伏して、鄧艾が成都に入城したことを知らない。
鄧艾が成都にむかったことは知っているので、蜀との攻防戦がおこなわれていると思っていた。
「ということは、剣閣にいた姜維は、成都の劉禅へ救援にむかったにちがいない」
すぐに司馬の夏侯咸と、護軍の胡烈を呼んだ。
「剣閣には、わずかな兵しかのこっていない。なんじらで陥落させよ」
承知したふたりはおそるおそる剣閣に近づいたが、兵の気配はまったくない。
「なんと、剣閣にだれもいないとは……」
おどろいた夏侯咸と胡烈は、鐘会に無人の剣閣を占拠したと報告した。
「そうなのか、わかった」
冷静さをよそおった鐘会だが、内心は動揺していた。
諸将に指示を与え、姜維の軍を追撃させた。
この軍事行動は戦略面においてはまったく意味がなく、いわば司馬昭に、
「蜀軍をはげしく追撃しました」
と報告するためだけの空虚なものである。
(もし、姜維が鄧艾に降伏していれば……われの面目はまるつぶれだ)
姜維まで鄧艾に降伏してしまえば、鐘会の戦果はまったくない。
そこに先鋒の兵から、吉報がとどけられた。
「姜維ら剣閣を守備していた守将たちが、鎮西将軍(鐘会)に降伏を申し出ています」
「そうか」
みじかく答えて冷静をよそおった鐘会であるが、内心は喜悦に満ちて飛び上がらんばかりの歓喜をおぼえていた。
(蜀軍の主力である姜維を降伏させることができた……これでようやく晋公にいい報告ができる)
文章は鐘繇の子である鐘会の方が、鄧艾よりはるかに巧い。大戦果をあげたかのように華々しく、司馬昭に報告書を書いて送った。
しばらくして、涪県に本営を据えた鐘会のもとへ姜維、張翼、廖化、董厥という四人の将軍たちが印綬をさしだして降伏した。
(これが、姜維か……)
引見して姜維を一目見た鐘会は、感動をおぼえた。
年は六十をわずかに越えていると聞くが、精悍で存外若々しい。
張翼と廖化は、蜀建国からの歴史の生き証人である。七十をとうに越えているが、剣閣での奮闘には敬意を表したくなった。
しかし、勝者の威厳を見せねばならない鐘会は姜維に、
「来るのがおそかったではないですか。なぜか」
と親しく問うた。
はっと目をあげた姜維は、
「今日お目にかかったのは、早すぎたと思っております」
といって涙を流した。
(うむ、さすがは姜維。忠臣よな……)
鐘会は、感動した。かれは論理学に精通しており、姜維のことばがいかに重い意味をもつのかを、即座に理解することができた。
「悪いようには、いたさぬぞ」
感動のあかしとして、鐘会は姜維だけでなく他の将たちにも受けとった印璽、旗、車蓋などすべて返却してやった。
蜀軍は解散したが、姜維たちが兵を招集すれば、すぐにでも数万の兵があつまるのである。
その兵と鐘会が掌握している兵をあわせると、十万ちかい大軍となる。
(思ったとおりだな)
姜維は、内心ほくそえんだ。
蜀が降伏した今、鐘会はこのような大軍を率いる必要はない。
それなのに姜維たちを厚遇し、大軍を編成するうごきをしめしたことは、
(司馬昭に対して、叛逆するつもりでいるにちがいない……)
と確信した。
鐘会は名将が好きで知られており、姜維と話しあううちに、すぐに意気投合した。
外出するときはかならず姜維をおなじ車に乗せ、座るときはおなじ席についた。
姜維としじゅう話しあうようになった鐘会は、長史の杜預に、
「われは、伯約(姜維)を中原の名士とくらべてみたが、諸葛誕や夏侯玄にまさることはまちがいない、と見ている」
と絶賛した。
一方の姜維も、
(鐘会の人となりは、把握したぞ)
と内心よろこんでいた。
かつて司馬氏による粛清を恐れて蜀に亡命した夏侯覇に、姜維はこう訊いたことがあった。
「魏はすでに司馬氏が政権を掌握したようだが、かれにわが国を征伐する志はあるだろうか」
夏侯覇は、こう答えた。
「司馬懿は家門をおおきくすることに腐心するだけで、国外のことを考える余裕はありますまい。
ただし、鐘士季(鐘会)という若者がいます。かれは後々、呉や蜀にとって憂いになる存在でしょう。
しかしながら、非凡な人でないかぎり、かれを用いることはできないでしょう」
その夏侯覇も蜀の皇族として老い、一昨年亡くなった。
すなわち、鐘会は人の下に立つことのできぬ才能の持ち主である、と夏侯覇はいいたかったのである。
(鐘会をつかって、蜀を復興させてやろうではないか)
これが、姜維渾身の策である。
姜維や張翼たち蜀の降将と親しく交わっていた鐘会は、しばらく司馬昭への報告をおこなわず、偵探をつかって、
「鄧艾が、成都でどのようにしているかを、つぶさに調べよ」
と命じた。
数週間成都を調査した偵探は、
「鄧艾は節による専断で、益州の人事をじぶんの好きなように決めていました。
しかも呉を攻めることまで独断で決めたらしく、軍船を造らせて呉攻略の準備にはいっているもようです」
と驚くべき情報を鐘会に告げた。
「鄧艾め……きやつは蜀の皇帝きどりか」
呉を攻めたいなら、蜀のことは鐘会に委任するのが当然である。
しかし鄧艾はあいかわらず鐘会のことを無視しつづけている。
蜀の統治に関して、鐘会に相談の使者をつかわせたことは一度もない。
(鄧艾め……目にものみせてくれるぞ)
熅然としている鐘会のもとに、朝廷からの使者が到着した。
「鐘会はまったく敗れることなく、勝ちつづけ、しかも戦闘をおこなわずに、蜀の征討を果たした。
よって司徒とし、封を進めて県候とし、一万戸を加増し、ふたりの子を亭候に封じて、それぞれ千戸をあたえる」
褒賞の使者であった。朝廷が長年の悲願であった蜀平定をなしえて歓喜にわきかえるさまが目に見えるようである。
「司徒となあ……」
と笑顔を見せない鐘会を、朝廷からの使者はいぶかった。
「最高の栄誉です。なにか、お気に召しませんでしたか」
「うむ……近くに寄ってくれ」
あえて使者を近づけた鐘会は、耳元でささやくようにいった。
「私事で喜んでいる場合ではないのだ。
じつは成都を統治している鄧艾は意のままに人事をおこない、叛逆をたくらんでいる……このことをいそぎ晋公(司馬昭)にお報せせねばならぬ。
あなたは朝廷の使者ではあるが、私の配下の者を従えて、洛陽に急行してくれまいか」
「えっ、大尉(鄧艾)が謀叛……」
「さよう。ときは一刻をあらそう。たのめますか」
うなずいた使者は、あわてて益州をあとにした。
「鄧艾に逆心あり」
と司馬昭に密告したのは、じつは鐘会だけではなかった。胡烈なども疑いをいだき、独自で司馬昭に報告の使者を立てていた。
年が明けるなり、鄧艾を収監する檻車が成都に到着させるなどは、さすがは鐘会のなせるはなれわざである。
檻車に押し込められた鄧艾は天を仰いで、
「われは忠臣であるのに、突然このような仕打ちはいったいどうしたことか。
古の秦の名将である白起は、最期がむごかった。おなじ運命をわれがたどることになろうとは……」
と慨嘆した。
「うるさい。謀叛人は、晋公の前で申し開きをすればよい。
さっさとつれてゆけ」
鐘会は侮蔑の目で、鄧艾を乗せた檻車が出てゆくのを見ていた。
姜維にむきかえった鐘会は笑顔で、
「やっと成都から、鼠を駆除することができた。これからあなたの力を借りなければならないが、策はこれからゆっくり練ろう」
といった。
姜維もうなずいて、
「どうだ。いったとおりになっただろう」
とかたわらの張翼に自慢げにいった。
(そういうことか……)
ようやく張翼は、姜維の策を理解した。
鐘会をそそのかして成都の主にし、したがわない魏の諸将を抹殺して兵を掌握する。
(そのあとは……鐘会を殺害して、蜀を復興するつもりか)
「陛下(劉禅)は、まだご健在だ。主上の汚名をすすぐのも、臣下のつとめだとは思わないかね」
姜維はそういって鐘会のもとへ行き、親しげになにかを話している。
張翼は、不吉な予感がしていた。
(姜維の策が、成就したことはない。今回もかならず竜頭蛇尾に終わる……陛下のお命だけはなんとかお守りしなければ)
そのとき、やや距離をおいて憮然としている老将の廖化が見えた。
「老将軍、すこしお話が……」
張翼は、退出していこうとした廖化を呼び止めた。
「はは、なんじも老人ではないか。どうした、何事かあったのか」
廖化は、笑って歩みを止めた。
「主上(劉禅)のことです」
「……そうか。われにあてがわれた家に寄ってゆこう」
張翼は廖化にうながされて、廖化の家に立ち寄った。
家の中はしんとしていて、だれの気配もない。
「われに家族はおらぬ。いずれ家令をつけてくれると官吏はいっていたが、その必要はないと感じている」
廖化のことばは、張翼とおなじ不安を共有していることをしめしていた。
「伯約(姜維)の策ですが、わたしは危険だと思っています。
成都が、火の海にならないともかぎりません。そこで、そうなったとき、老将軍に主上をお守りいただけないかと」
「ふむ……あてはあるのか」
「わたしの兵から、忠勇の百人を選抜しております。かれらを率いて、陛下の身柄をお守りしていただきたい」
廖化は白くなった鬚をしごいて、即座にうなずいた。
「うけたまわった。しかし、なんじはまた伯約についてゆくのか」
張翼は、自虐の笑みを見せた。
「伯約とは腐れ縁……かれはかれなりの忠義を実行しようとしているのです。
ともに死んでやらねばなりますまい」
「ふふ……われもなんじも、ものずきな者が世の中にはいるものよ。
ともに滅びた漢(蜀)のために死のうぞ。
すこし酒でも呑んでゆけ。われは嗜まぬが、司徒(鐘会)から下賜された美酒がある」
その頃姜維は、劉禅にむけて書簡をしたためていた。密書である。
「どうか陛下には、数日の恥辱をお忍びくださいますように。
臣は滅亡に瀕した社稷をふたたび安んじ、昏くなった月日をふたたび明るくする所存です」
姜維からの密書を受け取った劉禅は、
「伯約……まだ夢から醒めぬのか」
とつぶやき、密書を炉の火にくべた。
現実の見えない劉禅ではない。
かならず姜維と鐘会は滅亡すると感じた。
ある日、姜維はいつものように鐘会と食事をともにしていた。
いつもとちがう姜維の気配に首をかしげた鐘会は、
「どうした、伯約。気分でもわるいのか」
と話しかけた。姜維は、
「いや、そうではない。主上(劉禅)もご無事であるし、漢(蜀)の大政はなんじに任せることができた。
われは、もう六十を過ぎた。政治軍事から身を退いて、仙人になる修行でもしようかと思う」
といった。鐘会はおどろいて、
「なんじはまだ男ざかりではないか。これから大事をなすわれと栄誉をともにしてほしい」
とひきとめた。
「しかし士季(鐘会)は、主(司馬昭)をうわまわる大功をあげてしまった。
いまさら鵬が雀の群れにまじることができると思うか。
司馬昭は、かならずなんじを粛清しようとする。狡兎死して走狗煮らる、というやつだ。
ともに仙人になって、隠遁しないか」
鐘会は思わず立ち上がって、
「われは、四十にもならぬ。また司馬昭ごときに、おくれをとるわれではない。
ともに天下をめざしてくれぬか。機は熟したではないか」
と姜維の手をとっていった。
「機は熟した……か」
「まあ、見ていよ」
鐘会が姜維の手を握る手が、熱をおびた。
正月十五日の翌日、十六日ことである。
鐘会は護軍、郡守、牙門騎督以上の身分の者と、蜀の官吏であった者を集めて、
「太后が崩じられた」
と告げた。太后とは郭太后のことで、亡き曹叡の皇后であった人である。
曹叡の遺志を継いで、司馬氏への協力を惜しまなかった人でもある。
この郭太后が、先月つまり十二月に崩御した。鐘会はおもむろに書状をみなに示し、
「ここに、太后がお遺しになった詔がある。
畏れ多くもわれにあてたものであり、皇室を簒奪しようとしている晋公……いや、司馬昭を討てとお命じになっている」
諸将は、あまりのことにざわつきはじめた。
その反応がおさまるのを待って鐘会は、
「太后の遺詔に背くわけにはいかぬ。だが、司馬昭は強敵であり、たやすく討ち滅ぼせる相手ではない。
そこでどうすべきか、みなで謀れ」
といった。
(なるほど、その手があったか……)
姜維は、厳めしい表情の奥でほくそえんだ。
太后の遺詔は、まちがいなく偽作である。しかし文才が卓越している鐘会にとって、遺詔を偽造することなどたやすいことである。
「これは、謀叛ではないのだな」
「しかし、われらだけの兵力で晋公に勝てるはずがない……」
魏の諸将はとまどうばかりであり、積極的に戦略を提案するのは、姜維、張翼、董厥ら蜀の遺臣ばかりである。
それもそのはずで、鐘会はみずから発案した司馬昭討伐の策を姜維らとすでにねってあったので、それを公の場で発表しているにすぎない。
「案は出尽くしたようだな。では、姜維将軍には蜀兵をすべて率いて、斜谷に出てもらう。
われは大軍を率いて、そのあとにつづく。
すなわち長安を急襲し、陥落させるのである。
長安を制圧したあとは、騎兵は陸路をすすむ。歩兵は船に乗り、渭水から河水に入れば、数日で孟津に到着する。
騎兵と歩兵が合流して洛陽を攻め落とせば、一朝にして天下は定まるであろう」
「壮大な策戦だな」
張翼がとなりの姜維にいった。
姜維はうなずいて、
「敵の虚を突く、という観点からすればみごとな策だ。
さすがは鐘会……戦において隙がない司馬昭が相手ならば、正攻法では勝てぬよ」
といった。
(問題はその前に鐘会をどこで殺すかだが……鐘会よ、漢の復興のために死ね)
姜維の胸中は、複雑であった。
「では、各軍の部署を決める」
鐘会は敵対しそうな将や長官を罷免し、信頼している者や親しい者に指揮権をあたえた。
さらに罷免した将官が叛乱をおこさないように、ことごとく曹とよばれる役所の建物に監禁した。
城門と宮門をかたく閉じた結果、益州にいる魏と蜀の兵のすべてを鐘会が掌握した。
おどろくべきはやわざであった。
ところで司馬昭は、鐘会の野心をまったく察知していなかったのか。
じつは司馬昭の正夫人である王夫人が、はやくから鐘会の危険を夫に教えていた。
彼女は司徒までのぼった王朗の孫で、王粛の娘である。
ちなみに王夫人は司馬炎ら五人の男子を産み、司馬炎が晋の皇帝(武帝)になったことから、文明皇后という諡号をおくられることになる。
その王夫人は鐘会が司馬昭に重用されているのを見て、
「鐘会は損得勘定を優先させて、あなたの恩義をないがしろにするような人に見えます。
重用が過ぎると、かならず叛乱をおこします。大任を与えるべきではありません」
と忠告した。
もうひとり、鐘会を疑惑の目で見ていたのは西曹掾の邵悌である。
かれは蜀征伐の総帥に鐘会が抜擢されることを知るや、司馬昭に面謁してこういった。
「まもなく鐘会が十万余の大軍を率いて蜀を征伐するということですが、鐘会は子がいるとはいえ、いまは独身ですから、洛陽に残した家族を振り返らずにすみます。
他の者を総帥に任命したほうがよろしいのではないでしょうか」
鐘会が蜀を平定すれば、独立して叛乱をおこす、と邵悌は暗に忠告しているのである。
それを聞いた司馬昭は笑って、
「なんじのいうことはよく理解しているつもりだ。
蜀は天下を苦しめ、民に安息を与えない国である。われが征伐におもむけば、掌を指すごとくたやすく平定できるであろう。
だが、多くの臣が蜀を討伐することができないといっている。
戦う前に敵をおびえていれば、せっかくの知勇も尽きてしまい、そうなった者を元帥にもちいれば敵に捕獲されるだけである。
ただひとり、鐘会だけがわれと同じ意見をもっていたので、かれを元帥にしたのだ。
かれは、かならず蜀を滅ぼすことができる……しかしだ」
司馬昭はここで声をひそめて、
「さて、蜀を滅ぼした後、なんじが心配したとおりになったとして鐘会になにができようか。
およそ敗軍の将には勇気がなく、亡国の大夫は蜀の存続について鐘会とともに図ることはできない。
両者の心胆は、蜀の滅亡とともに霧消しているからである。
蜀の平定後は、遺民はただ落胆するばかりであり、魏の将士は故郷に還りたがる。
だれが鐘会とともに、叛乱をおこす気になれようか。
もしもかれが悪業をおこなえば、一族を滅亡させるだけだ……なんじはこのことを憂うひつようはないが、断じて人に聞かせてはならぬよ」
と邵悌にいい聞かせた。
司馬昭はやはり人を見る目がたしかであり、それを起用する豪胆さもある。
その後、鄧艾が司馬昭の命令を聞かなくなり、かってに呉を攻めようとしたときは、すぐにみずから軍を率いて西にむかおうとした。
(晋公は矛盾したことをしておられる)
ふたたび邵悌は司馬昭に面会を申し出て、意見を述べた。
「鐘会が率いている兵は、鄧艾の数倍もあります。ただ鐘会に鄧艾を捕らえよとお命じになればよろしいではありませんか。
わざわざご自身で征伐におもむかれる必要はないと存じます」
すると司馬昭は眉宇をけわしくして、
「なんじはかつて鐘会についてなんといってきたかもう忘れてしまったのか。
われは信義をもって人に接し、ものごとに対処することを旨としている。
そういうわれが、先に人を疑ってよいものであろうか。
先日、中護軍(賈充)がわれのもとにきてこう問うた。おおいに鐘会を疑っておられますか、とな。
それに対して、われはこう答えた。いまなんじを蜀に行かせたなら、われはなんじを疑うべきなのか、とな。
中護軍はわれのことばを、安易にうけとらなかった。ゆえにわれが長安に着けば、おのずとこの難事は解決するであろう」
といった。
司馬昭は諸葛誕の叛乱をうまくおさめたように、敵の急所を見抜く眼力をもっている。
(この時機になれば、われじしんがうごくべきだ)
と判断した。しかし司馬昭は曹爽が油断して都をあけるようなことはしない。曹爽から権力をうばった父である司馬懿の政変は、ずいぶん司馬昭の教訓になっている。
王朝の宰相である司馬昭が都をあけると、そこは陰謀の巣になりやすい。
そこで、まず叛乱の一方の相手である鄧艾を捕らえて檻車に押し込め、都に送った。
つぎに皇帝の曹奐を奉じるかたちで、征西をおこなうことにした。皇帝を洛陽城内にのこすことは危険である。
それと同時に、皇族の中で王になっている者を鄴にあつめて。従事中郎の山濤に命じて監視させておいた。
皇帝と宰相が同時にいなくなれば、王のひとりを皇帝に立てようとする叛逆者が出現すするものである。
とにかくおこりうる危険をすべて封じて、司馬昭は長安にむけて出発した。
それに先んじて中護軍の賈充に節をもたせ、
歩兵と騎兵あわせて一万の兵をもたせて、
「斜谷にはいってから、漢中をめざすように」
と急行させた。
さらに長安への途上で、鐘会を油断させるための書簡を送った。
「もしかすると、鄧艾は召還に応じないかもしれない。そこで中護軍(賈充)に歩兵一万を率いさせ、楽城に駐屯させることにした。
われはみずから十万の兵を率いて長安に至るであろう。ほどなくなんじに会えるので、心配はいらぬ」
司馬昭からの書簡をうけとった鐘会は、手がふるえるのを感じた。
「伯約(姜維)……伯約をすぐここへ」
近侍に姜維を招かせた鐘会に、
「なにかあったのか」
と姜維はいぶかしげに訊いた。
「……これを見てくれ」
鐘会は、姜維に書簡を見せた。
「ふむ……司馬昭は、こちらの意図に気づいたな」
「そう考えてまちがいはない……ただ鄧艾を捕らえるだけならば、われがひとりで処分できることを司馬昭は知っている。
しかるに長安にみずから出張るとは、ただごとではない。われの挙兵を察知したということだと思わないか」
「そう考えるべきだろうな」
姜維は内心、
(司馬昭が、鐘会の尻を蹴り上げてくれたわ)
とほくそえんだ。
「……であろう。ならば、われらも急がねばならぬ。
事が成れば、天下を取ることができる。事が成らずとも、兵を退いて益州を守備すれば、劉備くらいにはなれるであろう。
われは淮南への遠征(淮南三叛のこと)以来、事をしくじったことはいちどもない。このことは海内のだれもが知っている。
そういう功があるかぎり、われが落ちつく先はどこであろうか。魏ではあるまい……そうは思わないか」
鐘会は過去のじぶんがあげた武功をならべているが、蒼白の貌からは動揺が見て取れた。
姜維は、
(昭烈皇帝くらいとは、片腹痛いが……くじけるなよ、御曹司)
と鐘会をはげましながら、
「魏の西部については、われがくわしく知っている。大船にのった気分でいるがよい。いいな」
と鐘会を安堵させた。
「うむ。伯約……助かる」
司馬昭の軍につきそうな将官をことごとく幽閉したあと鐘会は、
「よし……あとは益州の兵を集めてもらいたい」
と最後の仕上げを姜維に依頼した。
「まかせておけ」
益州の兵を集めて魏の将官を皆殺しにし、鐘会をも殺害すれば、姜維の策は完成する。
ところが、ふたりの思いもよらぬところで、蟻の一穴が大規模な叛乱を崩壊させることになるのである。




