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亡蜀記  作者: コルシカ
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死せる諸葛、生ける仲達を走らす


         三十四


 楊儀と費禕、姜維の三人は、諸葛亮の遺体にとりすがって、大声で泣いた。

 諸葛亮の信奉者である三人である。

 いつまでも泣きつつ哀悼のこころを捧げたいところではあるが、事態は切迫している。

 蜀軍十万を、無事漢中に撤退させなければならないのだ。

 「ところで丞相のご遺命では、葬地は定軍山だったが……」

 三人の主席である楊儀が涙をぬぐって、ふたりに問うた。諸葛亮は、

 「われを、漢中の定軍山に葬ってもらいたい。山であるから墳墓をつくりやすいからでもある。

 塚は、棺が入る程度の大きさでよい。衣服はふだんの服を着せて埋葬してくれ。副葬品はなにもいらぬ」

 といい遺した。質素を旨とする諸葛亮らしい身の葬り方である。

 「定軍山は、かつて先帝が曹操との戦いで本陣を据えた土地だ。夏侯淵を斬って勝利した縁起のよい場所でもある。

 さらに魏軍がわが国に侵攻するならば、かならず定軍山をとおる。

 丞相は霊となって、わが国を守ろうとなされたのであろう」

 費禕のことばで、若い姜維はまた諸葛亮を偲んで泣いた。

 「伯約よ。きもちはわかるが、われらはこれから大仕事をせねばならぬ。

 漢中にもどってから、おおいに泣こうではないか」

 楊儀も姜維の背中をさすって、涙をあらたにした。

 「ところで、だれが文長(魏延)に丞相の死を報せに行くか……」

 費禕がそう切り出すと、魏延と犬猿の仲である楊儀は露骨にいやな顔をした。

 いつも楊儀と魏延はふたり寄っては論争し、魏延は剣を抜いて激怒したので、間に入ってなだめ、いましめたのは費禕であった。

 魏延も楊儀も我がつよく、意見をゆずらない性格であったので、費禕のように寛容な人間がそばにいてくれたおかげで、蜀軍は機能できていたともいえる。

 「文偉どの。ことをおさめることができるのは、あなたしかいない」

 うつむいた楊儀のかわりに、姜維がいった。

 魏延も、おだやかな費禕に対しては感情をむきだしにはしない。また、魏延の意向を正確に聞き出すのも費禕をおいていないであろう。

 「……私がゆくほかありませんな」

 費禕は仕方なく、魏延の陣に向かうことにした。

 (それにしても)

 費禕は環境に適応し、我執のつよい人間ではないが、今回の諸葛亮の死ばかりは焦躁している。

 (丞相は、命を削るほどの激務をやってのけられた)

 諸葛亮がはじめて丞相になったとき、配下の官僚に訓示をあたえたことがある。

 「官署に集合して意見を述べ合うことは、多くの思想が集合するに等しく、忠義と利益が増えることになる。

 しかし、もしも小さな疑問を放置し、予見や認識の違いを検討することをやめてしまえば、政治に損害をあたえることになる。

 審理をおこなって、適切な結論を得ることは、破れた草鞋を棄てて珠玉を得るようなものであることを心せよ」

 そのころ太子に仕え、のちにこの訓示を聞いた費禕は、

 (丞相は、ささいなこともおろそかになさらなかった)

 と感動したものである。

 とにかく内政において、諸葛亮に非の打ちどころはなかった。

 では、軍事に関してはどうか。

 (丞相の軍事は、やや硬直のきらいがあったのかもしれぬ)

 諸葛亮の軍事は物理的であり、兵が多ければ勝ち、兵糧が尽きねば勝つという手堅いものである。

 反面戦術に飛躍はなく、物理から外れたところでは軍の進退は行なわない。

 「兵は詭道である」

 とした孫氏の兵法を諸葛亮はきらっていたのかもしれない、と費禕は思った。

 (丞相は、最後まで策をもちいることをしなかった。人をだますのが嫌いな性質だったのかもしれぬ)

 いいかたを替えれば、諸葛亮がめざしたのは統制のとれた軍をつくりあげることである。

 その軍法の厳しさは、魏呉の軍をはるかに凌駕している。

 そのため蜀軍は敵地の渭水のほとりで屯田兵として生活していた者がいたが、略奪や乱暴をはたらいた兵はいなかった。まさに王軍の風格を蜀軍はもっていた。

 しかしいくら行儀がよくても、最後は魏軍に勝つことができなかったのは、諸葛亮の限界をしめしていたのではなかったか。

 (魏延の策を、緒戦で採用していれば……)

 費禕は魏延の陣にむかいながら、最初の北伐で魏延が提案した長安急襲を、良策として惜しんでいるじぶんを発見した。

 (丞相は魏延という敵の意表を衝く猛将を、もっとじぶんの戦略に組み込むべきであった)

 魏延は自尊心がたかく、傲慢ではあるが、蜀軍の勝利を誰よりも願う純粋さがあり、それが先帝劉備に受けた恩によるものにせよ、費禕は皆ほど魏延を嫌いではない。

 魏延の陣営に到着した費禕は、

 「丞相の急使である。門を開けよ」

 と当直の兵に命じた。

 魏延は深夜なので眠っていたが、起きてきて費禕を見るなり、

 「だれかと思えば文偉か……しかし、深夜に何事がおきたのか」

 といった。

 「……」

 楽天家の費禕が憔悴しきった姿をあらためて見た魏延は、

 「まさか……丞相がお亡くなりになられたのか」

 と声を低くして問うた。費禕は、だまってうなずいた。

 「そうか……丞相が……」

 魏延は急にうつむいて、涙を落した。

 「われとは意見が合わぬところがあったお人ではあるが、先帝のご遺命をじぶんのお命を削って遂行された。

 あのような宰相は、二度とわが国にはあらわれまいな」

 費禕は意外の感をもって、諸葛亮を哀悼する魏延を見つめた。

 (ふたりは平行線のようであったが、対岸から互いを認め合っていたのだ)

 諸葛亮も、全軍撤退するときは魏延に後拒を任せよといっていた。

 費禕は、本題に入った。

 「丞相のご遺命がある。われらはすみやかに漢中に撤退しなければならぬ。

 征西将軍(魏延)には、後拒をおこなってもらいたい。丞相がお亡くなりになる前にきめたことで、長史(楊儀)と護軍(姜維)も聞いている」

 「なに……ならば、全軍の指揮はだれがおこなう。まさか、楊儀ではあるまいな」

 魏延のまなじりが、険しくなった。

 費禕はいやな流れになったと感じながら、

 「その、まさか、だ」

 と答えた。

 「思ったとおりだ」

 魏延は、費禕につめよった。

 「軍中には征西将軍であるわれもいれば、司馬のなんじもいる。であるのに、文官の楊儀が全軍に号令するとは何事か。

 よもや……楊儀が丞相のご遺命をまげているのではなかろうな」

 費禕は、あわてて弁明した。

 「そのようなことはない。丞相のご遺命は、われの他にも護軍(姜維)が聞いている。

 それに楊儀は文官とはいえ、綏軍将軍の号を賜っている。それよりも、全軍退却するにあたってもっとも重要なのは、後拒だ。ゆえに、丞相は征西将軍であるなんじに後拒を託された。わかってくれぬか」

 魏延はまじまじと費禕を見たあと、きっぱりといった。

 「われは撤退などせぬ」

 「それは……」

 困る、と費禕はいえなかった。

 想定内の出来事である。とはいえ、実際にそれを魏延につきつけられると、費禕は困惑し、胸の動悸がはげしくなった。

 「丞相がなくなられても、蜀軍にはわれが健在である。幕府の文官たちが、ご遺体を帰葬させればよかろう。

 のこった諸将をわれが率いて、魏軍を討つ。

 たとえ丞相とはいえ一人の死をもって、天下の事を廃するとは何事か。

 さらにこの魏延を、誰だと思っている。楊儀のような狐に指示を受けて後拒の将などになれるものか」

 「……」

 魏延はけっして間違ったことをいっているわけではないので、その迫力に費禕は圧倒された。

 「撤退するということは、やむを得ない事態が発生したときか、負けたときである。

 いまわれらが直面しているのは丞相の死ではあるが、天子の死ではない。

 さらに、われらは魏軍に負けたのか。否、負けたどころか、勝ちつつある。

 ならば、撤退する理由がどこにあろうか。司馬であるなんじにも、そのことくらいわかるはずだ」

 この形相の魏延に否定できる者は、だれもいないであろう。

 費禕は、黙してうなずかざるをえなかった。

 魏延は、

 「それでよい」

 と納得すると、近侍の者に筆と紙を持参させた。

 「楊儀には、丞相の柩をまもって漢中に引き揚げてもらう。ほとんどの文官もそれにしたがってもらおう。

 それと……十万という兵は持久戦には多すぎる。三万をのこして引き揚げさせよう」

 といいつつ、帰還させる者と部隊名を筆記しはじめた。

 「ああ、蜀軍はこれからわれが丞相に代わって指揮を執る。

 司馬のなんじと、護軍の伯約にはかならず残ってもらうことになる」

 魏延は、つづいて残留する将と部隊を筆記した。護軍の姜維は皇帝の代理として軍を監視する役目がある。実権はもっていないが、将帥さえ護軍をはばからねばならない。

 魏延は全軍を掌握したとしても、劉禅への忠誠は変わらないので、護軍の姜維を遠ざけたり、帰還させることはしないつもりであった。

 「できた。これでよい。さあ、署名をこれにしてもらおう」

 魏延はみずから書いた書面に署名し、費禕にも署名をうながした。費禕はうなだれて、署名をせざるをえなかった。

 征西大将軍のじぶんと、司馬の署名があれば、蜀軍を掌握したも同然で、おもいどおりにうごかすことができる魏延は、満足した。

 (これは、最悪の事態だ……)

 費禕はこういうときでも、それをくつがえす胆力がある。夜明けとともに諸将がこの書面を見るまえに、処分しなければならぬと決意した。

 「征西将軍のために、長史(楊儀)にこの書面を見せてしたがうように説いてみる。

 長史は文官なので、軍事には暗く、これにしたがわざるをえないであろう」

 といった。魏延もうなずいて、

 「ふむ。楊儀には丞相の柩と、七万の兵を率いて帰還してもらわねばならぬ。たのめるか」

 と書面を費禕に手渡した。

 費禕としては、一刻もはやくこの文書を廃棄しなければならない。大急ぎで魏延の軍門を出た。

 「本営に急げ。刻はないぞ」

 費禕は懸命に馬に鞭打ちながら、従者にさけぶようにいった。

 魏延は軍営のなかで考えをめぐらせるうち、書面を費禕に手渡したのがまちがいだったのではないか、と逡巡しはじめた。

 それを見た魏延の子が、

 「司馬からの返答は、その場しのぎだったかもしれません。

 父上は、騙されたのではありませんか」

 と蒼白な表情でいった。

 「そうか。われもそうではないかと感じていた。これ。誰かある。司馬を捕らえてこい」

 あわてて騎兵を手配し、費禕を追わせた魏延であったが、それはおそすぎた。

 費禕はそれより早く、本営の門をくぐっていたのである。

 「長史、長史をよんでくれ」

 荒い息で、当直の兵に楊儀を呼びにやらせた費禕のもとに、すぐさま楊儀がかけつけた。

 「司馬、どうなされた」

 「これを、ごらんください」

 費禕は、さきに魏延が書いた告知文を楊儀に見せた。

 「な、なんだ、これは」

 小さくさけぶようにいった楊儀は、書面を奪い取った。

 「なんじの署名もあるではないか……」

 「魏延に脅されて書かされた。早く火中に投じて燃やしてしまわねば」

 楊儀はうなずいて、火中に魏延の書面を投じ、完全に灰になってしまうのを見届けた。

 「書面は処分したものの、司馬であるなんじが署名したことを魏延は吹聴して、諸将をいいくるめるかもしれぬ。

 偽書をつくって、なんじの署名をまねてつくらせれば問題だ」

 楊儀は怒りをにじませた目で、いった。

 「……いまの魏延なら、やりかねぬ」

 「であるから、夜明け前に軍を撤退させる。

魏延を置き去りにすれば、きやつとてわれらに兵の数は劣り、手も足も出まい」

楊儀は文官あがりであるが、窮地におちいったときの度胸はある。費禕もそれにうなずいた。

諸葛亮の死んだ夜が明けた。といってもまだ黎明である。

まだ本営の兵は、だれ一人諸葛亮の死を知らない。

楊儀はこのときが勝負であるとばかりに、

「丞相のご命令だ。全軍を撤退させる」

と諸将を起こして、命令した。

「どういうことだ」

「兵糧は足りていたのではなかったか」

呉壱と王平らは、首をひねりながら命令にしたがった。

薄暗い夜気をはらんだ空気を破るように、蜀軍数万の兵がうごきはじめた。

(魏延よ、まだ気づくなよ……)

楊儀は冷や汗を全身にかきながら、撤退をいそいだ。

魏延の出方ばかりに気にしている楊儀は、本営にある文書や兵糧をそのままにしてしまった。

非常事態である。

万事緻密で疎漏のない楊儀でも、蜀軍が撤退後にそれを魏軍の司馬懿に見られるかも知れないという配慮を放棄した。

本営の大軍は、つぎつぎと撤退しはじめた。

(これで、諸将が魏延に加担することはあるまい)

馬上で撤退しながら、楊儀はひとまず胸をなでおろした。

司馬の費禕と護軍の姜維が魏延に同調せず、諸葛亮の遺命にしたがったのであるから、楊儀は魏延に対して圧倒的に優位に立ったのである。

そのころ、本営のうごきを偵探にさぐらせていた魏延は激怒していた。

「楊儀め、丞相の遺命をまげたことはこれであきらかになったぞ。

夜中に軍をうごかせという将帥が、いるはずがない。

軍の全権を預けられたというのも、虚偽にちがいない。このときに楊儀を除いておかねば、陛下や漢(蜀)の臣民に迷惑がかかる」

しかし、魏軍が蜀軍の撤退を察知すれば、かならず追撃することはまちがいない。

「そうだ。大軍でうごきがにぶいわが軍の主力を先回りして、正義とはなにかをわからせてやる」

そういう考えに至った魏延は、配下の兵をたたき起こして、

「いそいで武装せよ。楊儀の謀叛だ。きやつを討ち取りにゆくぞ」

と命じた。

「長史の謀叛だと」

「これは一大事じゃ」

さすがは、魏延が起居をともにして鍛え上げた兵たちである。

追撃の準備をあっという間にすませると、夜道を迅速にすすんだ。夜が明けてくると隘路にさしかかってくる。

漢中への帰路はそもそも狭く細いので、先回りして主力をふせげば、少数精鋭の魏延の兵でも勝機はある。

楊儀は、まさか魏延がここまでの速度で先回りしていることまでを、予想できていなかった。

(先鋒の魏延は戦場に取り残されることになり、魏軍の追撃をうけるはずだ。両者が戦っているうちに、主力は漢中に帰還できる……漁夫の利を得てやったぞ)

ここに楊儀の慢心がうまれ、のちに大きな危機となってふりかかることになる。

蜀軍の主力数万は、南下して漢中へいそいでいた。

ところが、である。

「前方に、魏延の兵がいるようです」

というおどろくべき報告が、偵探から入った。

「嘘だ……馬岱」

「はっ」

「騎兵で前方に、ほんとうに魏延の兵がいるのか検分してきれくれ」

「承知いたしました」

楊儀は属将の馬岱を遣って、最速の騎兵隊で事情を調べさせた。翌日もどってきた馬岱は、

「まちがいありません。やはり魏延が先行して駐屯しているようです」

「まさか……」

魏延の領地は漢中にあり、自領で兵をさらに徴兵し、諸将を口説いて楊儀を迎撃することはありうる。

南鄭候である魏延は善政を敷いており、地元民に慕われている。

漢中は益州の入口であるので、楊儀は諸葛亮の柩を成都に運ぶことができなくなる。

「どうする……魏延とは一戦を避けられそうもない」

司馬の費禕が、楊儀に対応を協議しに来た。

「魏延は、丞相の遺命をないがしろにして、わが軍に矛をむけている……すなわち」

楊儀は、目をあげた。

「謀叛だ」

「丞相の柩をうばわれることがあれば、一大事です。成都にわれらの正統性を訴える急使をお立てになるがよろしかろう」

護軍の姜維も、現実的な策を提案してきた。

魏延が謀叛である証拠は、諸葛亮の遺命に背いたことで立証できる。

魏延は追撃してくる魏軍を殿軍となって防がなければならないのに、その命令をないがしろにしたのである。

 いわば、軍法違反を謀叛にすりかえればよいのだ。

 「しかし、魏延と魏軍が交戦している間に、われらは撤退できるとふんでいたが……追尾してくる魏軍と戦わなければならぬのは、われらということだな」

 楊儀は、胸の動悸が高鳴るのを感じとった。

 「そうだ。しかも前方には魏延がいる……前門の虎、後門の狼というやつだ。

 両者に挟まれたら、わが軍は大軍とはいえ危ないぞ」

 費禕が、額の汗をぬぐいながらいった。

 「昼夜兼行です。まず前方にいる少数の魏延を撃破し、多数の魏軍を振り切りましょう」

 姜維は、さすが諸葛亮の軍事における弟子である。沈着冷静な献策をした。

 「わかった。伯約のいうとおりだ。

 夜は歩きながら眠れ。遅れる者は死ぬと伝えて兵を鼓舞させよう」

 楊儀は、ふたたび腹をくくった。行軍の速度を上げた蜀軍はぐんぐん漢中にむけて進んでゆく。

 そのころ、五丈原で対峙していた魏の大将軍たる司馬懿は、蜀の本営跡を検分していた。

 その日夜が明けると偵探が司馬懿に、

 「蜀軍が退いていきます」

 と報せてきた。

 「それは、まことか」

 苦しい戦いの日々を強いられてきた司馬懿は、飛び上がらんばかりに喜色満面となった。

 (蜀軍は糧食が尽きたのか)

 そうは思ったが、諸葛亮の輸送兵器である木牛と流馬の存在は司馬懿も知っている。

 しかも諸葛亮は長期戦に備え、屯田兵を配置していたので、この頃米の収穫がはじまっている田もあるはずであり、兵糧が尽きるはずはなかった。

 (とすれば……)

 諸葛亮が死んだのかもしれない、と憶測をたてた司馬懿は、さっそく軍師の辛毗を呼び、

 「蜀軍が撤退をはじめました。ここから出て追撃します」

 といった。曹叡の節をもっている辛毗に許可をとっておかないと、のちに何事か文句をいわれても仕方がないからである。

 「そ、そうなのか」

 辛毗も起き抜けに突然の報せを受け、動揺しているようすだが、それを許可した。

 「では、五丈原に進撃」

 魏軍は西進して、武江水を越えた。

 見ると蜀軍の営塁は煙が立っており、火をかけて撤退したようである。

 しかし、諸葛亮がいたとおもわれる営所には火をかけたあとはなかった。

 「ここに諸葛亮が……」

 その本営だけは、まるで今でも諸葛亮が執務をおこなっているかのように整然としていた。

 風に、幾多の文書が舞っている。それを一枚手に取った司馬懿は、

 「これ。営内に残っている文書類をすべて集めてきてくれぬか」

 と近侍に命じた。

 「いったいどういうことか」

 遅れて、辛毗が到着した。司馬懿は文書や兵糧が集められた場所まで歩いてゆき、行政文書を熟読した。

 天を仰いだ司馬懿は、

 「諸葛亮こそ、天下の奇才であった」

 と感嘆した。

 すべての文書に疎漏はなく、無駄を排除し、本質をまとめてある。

 「大将軍(司馬懿)、それでは、まるで諸葛亮が死んだかのようなものいいではないか」

 辛毗が怪訝な目で、司馬懿に訊いた。

 司馬懿は文書を近侍に手渡し、

 「のちの参考にする。もちかえれ」

 と手短に命じたのち、

 「諸葛亮は、死んだのです。

 武人が重んずるのは、軍事機密と兵糧です。

それらがここに廃棄されているということは、武人の臓腑を棄てているのと同義です。

 つまり、われらは蜀軍を追撃せねばなりません」

 と強い口調でいった。

 「しかし……」

 辛毗は、曹叡から蜀軍との交戦を止めるように命じられている。それを司馬懿はあえて無視するように、

 「蜀軍の総帥である諸葛亮は、すでに死んでいるぞ。

 急追して、殲滅してくれようぞ」

 と大声で命じた。

 魏軍は、追撃をはじめた。辛毗はまだ諸葛亮の死を確信できていないようで、やむなくその追撃軍に加わった。

 「敵は近いぞ。速度を速めよ」

 司馬懿の命令で、魏軍はついに蜀の領土にまで侵入した。

 「大将軍、もうここは漢中郡であるぞ。退却する敵軍をここまで追撃せよと陛下はあなたに命じていない」

 辛毗は司馬懿を諫めるが、司馬懿はなにかに憑かれたように軍をすすめている。

 やがて先鋒から、

 「山道にマキビシがびっしり敷かれており、兵がそれを踏んでしまうので進めません」

 と報告がきた。

 マキビシは諸葛亮が退却時に騎兵の速度を遅らせるために発明した武器で、日本の忍者が使用するものと似ている。

 「そうか……では、山道の木を切り出して、長い下駄を作るのだ。この難所を切り抜ければ、戦意のない蜀軍がいるのみだぞ」

 突貫工事ではあるが、魏軍によって木製の長下駄が製作された。その下駄でマキビシを吸着させ、追撃をつづけようということだ。

 魏軍の二千の兵に、木製下駄が配られた。

 「よし。二千の下駄を履いた部隊を、先に進ませるぞ」

 下駄履きの部隊は先行し、蜀軍のマキビシを下駄の裏に吸着させた。

 「マキビシ、ほぼ撤去できました」

 先鋒からの報告に、司馬懿はうなずいた。

 「騎兵と歩兵で、蜀軍においつくぞ」

 ふたたび、魏軍の追撃速度はあがった。

 「魏軍が、まだ追尾してきています」

 魏延の代わりに後拒をおこなっているのは、護軍の姜維である。

 (さすがは司馬懿……勝負の勘所をのがすことはせぬな)

 とても後拒の部隊だけで、魏軍を追い払うことができないと判断した姜維は、先行する楊儀に判断を仰いだ。

 「そうか……じつは魏延の兵が桟道を焼いている。進退に窮したかもしれぬ」

 弱気な楊儀の発言に、姜維は勇気を出していった。

 「いつまでも魏軍に背をむけていては、急襲されたとき勝ち目はありません。

 丞相の柩を魏延どころか、司馬懿にうばわれてしまえば天下に嗤われ、この恥辱は永遠に雪辱することはできません」

 姜維は馬謖亡き後、諸葛亮の弟子となり、軍事における相談役にもなってきた。

 魏の天水郡に住む母から、

 「心細いので、帰ってきてくれぬか」

 と書簡を渡されたこともある。それでも姜維は首をふって、

 「良田を百頃賜れば、一畝の田しかないわが家は、心にありません。遠大な志をもつ男子たるもの、故郷に帰るべきではないと存じます」

 とその申し出を拒否した。

 姜維は第一次北伐で諸葛亮に見いだされたことが、母と別れなければならない不運を幸運に変えた。

 西方の天水郡で仮に高級官吏になったところで天下に令名を馳せることはなかった。

 しかし魏から蜀に仕えるようになって、二十七歳の若さで当陽亭候に封ぜられ、姜維の才能は丞相である諸葛亮に絶賛された。

 「姜伯約は時に適した仕事を忠実に勤め、思慮は精密で深い。

 かれの有能さは、永南(李邵)や季常(馬良)もおよばない。伯約は、涼州における上士である」

 上士とは身分が高い人物ではなく、品格や度量も含めて最高の男子のことをいう。

 それから姜維は累進して、魏や呉にもその名が知られるに至った。

 一生天水郡でさもしい吏務を行なって一生を終えるつもりだった姜維は、今日の栄達を、

 (蜀の地神が、われを招き、愛してくださったのだ)

 と思っている。その蜀のために死ぬのがみずからの宿命であり、じぶんの運命を好転させてくれたのが諸葛亮であるから、かならず諸葛亮の遺体を無事成都に届けねばならない。

 「魏軍は、しつこく追尾してきます。こうなれば撤退をやめ、魏軍と対決しましょう」

 姜維の胆力ある提言は、楊儀をも驚かせた。

 しかし、楊儀も度胸は人一倍ある。

 「わかった。丞相の柩だけをさきに進ませ、全軍で魏軍を撃破するぞ」

 撤退を止めた蜀軍の主力は、兵馬を北に向き、旗も魏軍にむけてはためかせた。

 姜維の覚悟は、諸葛亮によって鍛えに鍛えられた蜀兵たちに伝播した。

 「丞相の柩を、うばわれてなるものか」

 「恩ある丞相に、ぶざまな戦いをみせられようか」

 蜀兵たちの目に、焔が宿った。

 蜀軍は山上の高地にいるのだから、低地を追う魏軍はぎょっとした。

 「突撃」

 姜維の発する鋭い命令で、蜀兵は高地から低地の魏兵に突進した。

 山道での戦いである。

 魏軍は全軍数万で追撃しているものの、ひろく陣を敷くことはできない。一方の蜀軍は二、三万の兵もいれば数倍の魏軍を恐れることはなかった。

 包囲されたり、退路を断たれることがないので、正面の狭い道で敵と戦うだけである。

 「どういうことだ」

 「諸葛亮は、死んだということではなかったのか」

 数で蜀軍を圧倒しようとしていた魏軍は、鋭鋒となって戦いを挑んでくる蜀兵に押されはじめた。

 「後拒をおこなっているのは、姜維か……」

 諸葛亮の死後、鍛錬された蜀兵を手足のごとく指揮する姜維を、司馬懿は驚いて見た。

 「よし、いったん兵を退け」

 敵の勢いがあるときに、兵を下げるのは兵法の常道であるので、司馬懿は魏軍を停止させ、撤退していく蜀軍を見送った。

 「まだ、あきらめはせぬぞ」

 目をすえて前方の蜀軍をにらむ司馬懿を、軍師の辛毗は、ため息をついて見ていた。

 一方の姜維と楊儀は、

 「よし、魏軍に勝った」

 と一息はついたものの、

 「司馬懿は、まだわれらを追ってくるでしょう。深追いする必要はありませんが、先を急ぎましょう」

 と姜維は楊儀をうながした。

 偵探の報せでは、魏延が先回りして閣道を焼いている。

 「閣道が焼けていたら、山に入り、木を切り拓いて漢中にむかうぞ」

 楊儀は、軍を南に向けた。

 蜀兵は林に入って路をつくり、峻険な路を昇り降りした。

 「夜は眠らず、魏軍が追いつづけてくるかぎり、撤退する」

 楊儀は、昼間の魏軍との戦闘で勝利したことに呆然としつつも、蜀兵に命じて帰路をいそがせた。

 いったんは兵を下げた司馬懿も、ふたたび蜀兵が撤退するのを見て追撃を命じた。

 漢中郡の路は険しく、暗い。司馬懿に馬を寄せてきた辛毗は、

 「大将軍よ、あなたに成都を陥落させよとの陛下の詔をあたえたつもりはない。

 閣道は焼け落ちており、兵たちが崖から転落しようものなら、陛下もお喜びにはなるまい。われらも帰還したほうがよい」

 と諫めた。司馬懿はあいかわらず目をすえたままで、

 「前方の山中には、蜀兵が切り拓いた路があります。そこをたどってゆけば、兵は転落死しません」

 といった。

 (いずれ蜀は、攻め潰さねばならぬ。

 聞くところによると、先鋒の魏延が内輪もめをおこしていることはたしかだ。

 ひとりで蜀をささえてきた諸葛亮が死に、全軍意気消沈している今こそ、その好機よ)

 司馬懿はかつて曹操にしたがって益州に攻め込んだことがあり、未踏の地ではない。

 (あのとき武帝がわれの意見を聴いていれば、このような苦難をあじわうことはなかった……)

 曹操は劉備と漢中をあらそって、これを奪取されたが、司馬懿は張魯を降したときに、益州をも攻め取るべきだとつよく献策したのだった。

 そのときの悔しさが、いまだにある。

 魏軍は慎重に、蜀兵の切り拓いた山道をたどっていった。

 赤岸という土地に達する頃、追撃する魏軍の中で急に雰囲気がわるくなった。

 「不気味な地よ……」

 「ここで敵に反撃されれば、われらは帰還できぬのではないか」

 兵たちがさわぎだしたのを、察知できないほど司馬懿は鈍感な指揮官ではない。

 (脱走する兵がでてきそうだな……)

 司馬懿が懸念を感じたとき、本営に辛毗がやってきた。

 「諸葛亮のことだが……」

 「はい」

 「情報を整理すれば、やはり大将軍がいっていたように死んでいたようだ」

 「そうでしたか」

 そのようなことは、五丈原でとうに確信していた司馬懿は、感情をうごかさずにそのことばを聞いた。

 辛毗がいいたいのは、そのことではないらしい。

 「大将軍、ここで引き返そう。これは陛下からの詔命ではないが、それにひとしいと思って聞いてもらいたい。

 それでも蜀軍を追撃するならば、陛下から賜った節をけがした罪で大将軍を逮捕せねばならぬ。

 軍吏はすでに、幕外にひかえている。返答やいかに」

 辛毗は節をかざして、司馬懿を睨みつけた。

 (この人は、七十をゆうにこえているのに)

 すさまじい眼光である。

 (ここで、ひきかえすしかないか……)

 この漢中の深部に達するのに、この後何年かかるかわからない。それだけ諸葛亮に整備された蜀軍は手ごわいのだ。

 (できれば蜀の一大事に乗じて、成都を制圧したい)

 司馬懿は、ついにうつむいて無言になった。

 辛毗は、

 「大将軍、人払いができるか」

 と司馬懿の背中をさすって、耳元で小さくいった。

 辛毗の司馬懿の悔しさを、承知している。

 「大将軍……巨大すぎる功は、わざわいのもとになる。

 陛下が長安に行軍されているときに大将軍が成都に攻め込んでも問題はない。

 しかし、いま陛下は南方におられることを留意されよ。陛下に大将軍のよいことも悪いことも言上できる者たちも、みな南方にいるということである」

 狡兎死シテ走狗煮ラル、という。

 皇帝をもしのぐ大功をたててしまった功臣が、最期をまっとうできないことを、辛毗はよく知っている。

 「……お教えにしたがいます」

 司馬懿は、辛毗に拝礼していった。

 魏軍は撤退をはじめた。

 結局この追撃では、魏軍は損害をだしただけで、何の成果もあげることはできなかった。

 魏軍がすごすごと引き揚げるさまを見た漢中郡の住民たちは、

 「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」

 と口々にうわさして、おおいに喜んだ。

 撤退中にそのうわさを耳にした司馬懿の近侍の者が、

 「漢中の民らが、けしからぬことをいっています」

 と司馬懿に注進した。なぜなら司馬懿は、諸葛亮の術策に負けて撤退しているわけではないからである。

 司馬懿は寂しげに笑って、

 「生きている者を相手にするならば手のうちようもあろうが、死んだ者が相手であるとどうしようもなかろう」

 といった。

 ともあれ、司馬懿は諸葛亮に勝てはしなかったが、負けもしなかった。曹叡の期待に充分応えたといえるであろう。

 益州から出て行った魏軍を確認した楊儀は、

 「あとは前門の虎か……」

 と気をひきしめなおした。まだ魏延が先行して楊儀たちを待ち受けている。

 「楊儀め、魏軍をふりきったことはほめてやろう。しかし、われはそうはゆかぬぞ」

 魏延が楊儀迎撃の陣を布いたのは、赤岸よりさらに南方にある南谷口である。

 南谷口をすぎると、褒中が近くなってくる。

 魏延には、じぶんが謀叛をおこしたという考えは毛頭ない。楊儀が君側の奸であることを劉禅に上表してある。

 「われらはむしろ魏軍に勝ちつつありました。それなのに撤兵をおこなったのは、楊儀が丞相の遺命をまげたからです。

 私が楊儀と戦うのは、叛乱ではありません。奸臣を除くための正義をおこなうのです。

 もちろん、私は陛下に弓引くことはいたしません。死ぬまで陛下の忠臣でありつづけるでしょう」

 上表の要旨は、このようなものであった。

 成都に楊儀と魏延の上表がほぼ同時に到着したため、留府長史の蔣琬と侍中の董允にこの二通の上表を分析させ、

 「どちらが正しいと思うか」

 といった。

 蔣琬と董允は、諸葛亮の遺命を聞いていない。

 「丞相がなくなったのに、征西将軍(魏延)ひとりが軍を掌握することがありえるのでしょうか……」

 董允がまず、感想を述べた。

 「幕府では、丞相が政務をひとりでおこなっておられました。みずからの喪を発しなければ、軍全体の機能は麻痺してしまいます。

 そのことを鑑みれば、丞相が撤兵を指示し、後拒に征西将軍を命じたという長史(楊儀)の主張が正しいのでしょう」

 蔣琬が、結論を劉禅に伝えた。

 「ふむ……朕も長史の上表が正しいと考えている。では、征西将軍は謀叛したと思うかね」

 「謀叛……」

 蔣琬と董允は、このことばにかんしてはことばをつまらせた。

 「丞相も罪な人事をしたことよ……水と油の征西将軍と長史をおなじ幕府に配置したのだ。いざというとき、わざわいが起きぬはずはない。

 朕は、長史が思っているほど征西将軍を嫌ってはおらぬ」

 魏延は、劉禅の父である劉備が義弟にひとしい張飛をさしおいて漢中太守に任命した人物である。

 懸命に兵を鍛え、蜀のために漢中を強化してきた魏延に、劉禅は好感をもっている。

 「しかし、理は長史たちにある。

 征西将軍は猛将であるから、戦いにも長けていよう。長史の率いる兵たちのほうが多いとはいえ、援兵を出すべきであろうな」

 劉禅は諸葛亮が死んでから、独自の意見をいうようになった。蔣琬と董允は、それに安堵したものの、成都および蜀郡には援兵を出す余裕はない。

 「私が宮中の宿衛の兵をひきいて、楊儀を救援しましょう。

 宮中の兵がくわわることで、長史の軍は大義をえることができますので、士気もあがるはずです」

 さすがは、諸葛亮が後継者と見込んだ蔣琬である。すぐに救援策を思いつき、戦場にむけて急行した。

 南谷口に魏延は本陣をすえた。これは高所から低所にむけての攻撃を意図したものである。

 (さすがは魏延よ……)

 楊儀は冷汗をかき、魏延にあてる先陣をどの将にしようか思案した。

 筆頭は呉壱や呉班であるが、かれらは魏延と親しくしていたので、万一裏切らぬともかぎらない。楊儀は疑心暗鬼になった。

 (まてよ、王平ならば)

 参軍の王平あざな子均は、魏延と慣れ親しまず、いつも冷静な態度で軍議に参加していたことを楊儀は思い出した。

 王平は巴西の出身で、もともと洛陽で校尉だったので、曹操に従って漢中討伐に従った。

 しかし劉備に敗れて降伏し、牙門将裨将軍に任じられた。益州出身なので重んじられ、諸葛亮の第一次北伐では先鋒だった馬謖の副将に任じられて、敗北時先鋒軍の瓦解をふせいだことは先述した。

 以降諸葛亮の信任をえた王平は、諸葛亮の信奉者といってよく、なにかと諸葛亮の策戦を批判する魏延を苦々しく思っていた。

 王平は諸葛亮の死を痛惜したまま、軍をすすめて魏延の先鋒と戦うことになった。

 前方をふさぐ魏延の兵に、王平の感情がいきなり爆発した。

 「なんじらは、それでも蜀の兵か」

 前方をすさまじい表情で睨みつけた王平は、日頃温厚なかれのそれではなかった。

 魏延の兵は、王平の大声にひるんだ。

 「すでになんじらは知っているだろう……丞相はお亡くなりになった。

 丞相のご遺体が冷めぬうちに、なぜなんじらはこのような無体なことをするか」

 諸葛亮の遺体に弓引くものは、蜀の兵ではない。魏延の兵たちのためらううごきを見た王平は、急に哀しみにおそわれた。

 「丞相のご帰還である。前をあけよ」

 王平の涙を見た兵たちも、涙をながしながら前進した。

 「丞相のご遺体と戦うことなど、できぬ」

 魏延の兵たちはさわぎだし、ついに背をむけて逃走しはじめた。

 「逃げる兵を追うな。魏延の首だけをねらえ」

 王平の軍は、戦う前に瓦解した魏延軍に突撃を開始した。

 「くそ、なぜ戦わぬ。われらは丞相の遺命をまげた楊儀を倒すために戦っているのだ。

 もどって王平と戦え」

 魏延は絶叫したが、先鋒の崩れをとどめることはできなかった。

 「父上、これだけ兵の士気が落ちてしまえば、戦えません。

 一度領地の南鄭にもどって、軍を立て直すのがよろしいかと……」

 魏延の息子が、くやしがりながらいった。王平の激越な声が、戦況を決定づけたといっていい。

 「……仕方なし。ここは逃げるしかない」

 魏延は即断して、息子とともに本陣を棄てて、自領の南鄭にむかった。

 南鄭には、再起に必要な兵もいれば、軍資もふんだんにある。

 「魏延が逃げたとな」

 王平が戦わずして魏延に勝った報に接した楊儀は、喜んで属将の馬岱を呼んだ。

 「よいか、あの叛逆者を生かしておいてはならぬ。万丈の山、千仞の谷に逃げ込んだとしても、かならず首を取ってくるのだ」

 「かしこまりました」

 馬岱は拝礼して、本陣を後にした。

 楊儀は、まるで諸葛亮の後継者がじぶんのようにふるまいはじめた。

 たしかに楊儀は魏軍と魏延をしりぞけて、蜀軍を無傷のまま漢中に帰還させる離れ業をやってのけたのは事実である。

 しかし、その偉業をたすけたのは姜維や費禕、王平らだということが眼中にないようであった。

 (楊儀は優秀だが、こういうところがいやなところだな)

 馬岱は魏延追撃の騎馬隊を編制しながら、不吉な予感がしていた。

 「このようなことが、あってたまるか」

 こころを独善で支配されている魏延は、逃げながら何度も怒声を放っていた。

 うごきがにぶい歩兵がほとんどで、しかも多くの兵は逃げ散っている。悪いことに、雨まで降ってきて地面をぬかるませた。

 「父上、後方に速い騎兵隊が追ってくるようです。どうなされますか。戦われますか」

 魏延の息子が、悲愴な声をあげた。

 「楊儀の騎兵隊といえば、馬岱か……」

 このまま南鄭にもどったところで、再起できる見込みはない、と魏延はうなだれた。

 兵の士気が、まるで上がらない。

 みな王平の檄に、魂を抜かれたようであった。

 (関羽が呉軍に追われたときも、兵はこのようなありさまだったのであろうな)

 魏延は、そんなことを考えていた。

 ぬかるんだ山道で、魏延はうごきをとめた。

 もはやついてきている兵は百にも満たず、全員が疲弊しきっていた。

 やがて馬岱が先頭にいる騎兵隊が、魏延においついた。

 「征西将軍……」

 「馬岱、われを追ってきたか」

 「ご武運がありませんでしたな」

 「ふふ、おのれが丞相にとってかわれると、思い上がったのが運の尽きよ。

 われの首とひきかえに、兵たちを不問にしてくれるか」

 馬岱は下馬して、

 「もちろんでございます」

 と魏延に拝礼した。

 こうして、魏延とその息子は馬岱の兵によって斬られた。

 「漢(蜀)は、またひとり猛将を失ったな」

 馬岱は、天を仰いだ。

 (魏延は、劉備に出会うのがおそすぎた)

 もし、魏延が諸葛亮と出会う以前に劉備に仕えていたら、趙雲のように終わりをまっとうできたであろう、と馬岱は思った。

 (丞相は、魏延の才能をもてあましただけで、結局楊儀にしまつさせただけだった……)

 馬岱は、人のめぐりあいの皮肉に思いをはせていた。

 魏延の首は、楊儀に届けられた。

 楊儀は不敵な笑みをうかべて立ち上がると、魏延の首を地面にころがして、

 「庸奴め。ふたたび悪事をはたらくことができようものなら、やってみよ」

 といって、それを踏みつけた。

 庸奴とは愚かなしもべという意味で、相手を侮蔑したことばである。

 その楊儀の姿を見た費禕や姜維たちは、

 (きのうまでの同志を、ここまでするか)

 と不快をかくせなかった。

 楊儀は蜀軍の撤退を魏延にじゃまされたことをよほど怨んでいたようで、魏延の三族、つまり両親、兄妹、妻子を逮捕し、すべて処刑した。

 成都から宮中の兵をあつめて楊儀を救援に向かっていた蔣琬は、途中で魏延が死んだことを知ったので、

 「これで、救援の必要はなくなった」

 とあっさり軍を返した。

 主力軍が帰還したあと、諸葛亮の遺体が納められた棺は、粛々と定軍山の麓に埋葬された。

 定軍山の北に位置する沔陽に諸葛亮の霊廟が建立されたのは、二十九年後の景耀六年(二六三)である。

 この土地まで益州の各地から諸葛亮の霊廟を建立したいという要望が各地であがっていたが、朝廷は許可しなかった。

 それなので、民衆は時節の祭りにかこつけて、ひそかに諸葛亮を偲ぶ祭祀をおこなった。

 「臣民がひそかに諸葛亮を祭るのは、朝廷にとってよいことではない」

 と感じた歩兵校尉の習隆と中書郎の向充は、

 「漢が興って以来、小さな善や小さな徳によって容姿が描かれ、霊廟が建てられた者は多くいます。

 まして諸葛亮の徳は官民の模範であり、その勲功は末代にわたるものです。蜀の皇室が維持されたのは、かれのおかげなのです。

 それなのに廟や像を建てることなく、百姓にかってに祭らせているのはよくありません。

 愚見を申しますと、霊廟は定軍山の墓のちかくに建てるのがよく、親族に祭らせ、往事の徳を偲び、勲功を思い出させるのがよろしいでしょう」

 と上奏をおこない、詔令によって霊廟が建立された。

 諸葛亮に遺された家族についてふれておく。

 諸葛亮の妻は、沔南の名士であった黄承彦の娘である。

 若き日の諸葛亮の才能をたいそう買っていた黄承彦は、諸葛亮が独身であることを知ると、

 「わが娘は醜女だ。髪は黄色で肌は黒い。だが、才能は君にお似合いだと思うがどうか」

 諸葛亮は、

 「それは、よいご縁ですね」

 といったので、縁談がまとまった。

 隆中の人々は、この縁談を笑いの種にして、

 「孔明の嫁選びをまねてはいけぬ。承彦の娘をもらうことになる」

 とはやしたてたが、諸葛亮は気にもとめないふうであった。

 黄承彦の娘は孔明の妻になってから、饂飩をつくる器機を発明したり諸葛家を裏からささえた。

 諸葛亮が武器を多数発明したのは、発明好きな妻の助言があったのかもしれないと想像したくもなる。

 ただ、ふたりのあいだに男子が産まれなかったので、諸葛亮は呉の重臣である兄の諸葛謹に養子をもらっている。

 諸葛喬である。

 かれは諸葛謹の次男で、長じてから蜀で駙馬都尉に任じられ、五百の兵を率いて輸送にあたることもあったようだが、建興六年(二二八)、二十五歳の若さで父に先立った。

 諸葛亮が実子を得たのは、諸葛喬の死の前年である。年齢的に黄承彦の娘が子を産むのは難しそうなので、側室の子かもしれない。

 諸葛瞻、という。

 諸葛亮最後の北伐で五丈原に侵攻したとき、かれは兄の諸葛謹に書簡を出した。

 「瞻はもう八歳です。聡明でかわいいのですが、早成して大器にならないかもと、心配です」

 これは諸葛亮の兄に出した、最後の手紙になった。

 また諸葛亮がしたわが子の心配は、現実のものとなるのである。

 諸葛亮を喪った家には、黄夫人と諸葛瞻、さらに夭折した諸葛喬の子である諸葛攀が残された。

 隆中で同居していた弟の諸葛均は蜀に仕え、長水校尉にまで昇進していたので、独立した家をもっていたであろう。

 蜀の朝廷は亡くなった諸葛亮の爵を、幼い諸葛瞻に継がせたが、これは特例といえるであろう。

 諸葛亮の偉大さは、その死去から年月を経るごとに追慕されることが多くなっていった。

 その偉大さは時代を超え、国を越え、日本にもおよんだ。

 中国史でもっとも日本人に尊敬を受けるのは、諸葛亮といっていい。

 例えば日本の戦国時代にいた豊臣秀吉の軍師である竹中半兵衛は、

 「今孔明」

 と人々に呼ばれていたことは有名である。

 諸葛亮の偉大さは行政と忠誠心にあるので、軍事において評価されているのは、「三国演義」という後世の講談のせいかもしれないが、正史「三国志」の著者である陳寿も、

 「諸葛亮の才能と政治は、管仲と蕭何に次ぐ」

 と絶賛しているので、おのずと国を越えた賞賛の対象になっていったのであろう。

 さて、魏延の兵を霧散させた蜀の主力軍は、ほぼ無傷のまま楊儀の指揮のもと、成都に帰還した。

 (わが功は、だれにもまねできぬ。丞相の後継者は、われだ)

 楊儀の増長は、絶頂にあった。


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