第7話 ♁ミキ、娘の小学校の教壇に初めて立つ
第7章 ♁ミキ、娘の小学校の教壇に初めて立つ
《2016年2月3日 乙卯の日 赤口 節分・豆まき》
あれから四か月後の道頓堀小学校二年四組の教室。
わたしは二時間目のチャイムが鳴り、職員室から福山先生が出て来るのを見計らって、福山先生の後を探偵のように追う。黒いサングラスに白いスカーフで顔全体を覆うようにして、ミンクコートを羽織り、一種異彩を放ちながらもわたし自身は至極真面目に変装したつもりで廊下の教室寄りに隠れた。
二時間目は「算数」。担任の福山先生の担当教科のひとつだ。福山先生は他に国語・理科・生活・道徳を受け持っている。
きょうの日直であるナナが棒読みで「起立・礼・着席」と言った。何かあったのだろうか。元気がない。
「きょうはこの数字『2400』について。2400は100をいくつ集めた数か考えてみましょう。それで今回は数カードを使います」
「このように1000とは百を十個まとめた数と考えるのが大切」と言いながら黒板に百のカードを十個並べる。
「これを参考にして2400を作ってもらいます。では、博士くん」
「はーい」と言って、博士こと東京極冬彦は黒板に向かっていき、板書した。
「それでは博士くん、これを説明してください」
「百が十個と百が十個と百が四個で、百が全部で二十四個です」
「正解。はい、拍手」
「パチパチパチパチ」
「これは『変身しないのは四百。変身するのは二千。四百は百を四個、二千は百を二十個。全部で百が二十四個』となります。これをさくらんぼ図で表すとこういう風になります」。福山先生は黒板に変身の呪文とさくらんぼ図を書いた。そして、変身の呪文をクラス全員で読み上げた。
三時間目は「社会科」。教壇に立つのは、アコースティックギター(以下、アコギ)を抱えた二十四歳のじっちゃん先生こと尚喰誠先生。
「きょうの授業では、『昔、ご飯はどうやって炊いていたのか』を学んでいきます。では、地域の方から昔のご飯の炊き方を聞いてみましょう。ということで、スペシャルゲストを呼んでいます。ジャンジャラジャンジャジャジャジャンジャラジャン」とアコギを軽やかに掻き鳴らした。わたしの出番だ。中国に住んでいた時に日本風の竈を使っていたことがある話を「福山・じっちゃんコンビ 」に話したことから始まり、福山先生に今も竈を使っているという八十六歳の独居女性の家へ行き取材までして、福山・じっちゃんコンビに乗せられるまま、きょうここで生まれて初めて教壇に立っているのだ。福山・じっちゃんコンビに言わせると、「これこそが教育現場の目指す方向であり、最終型」と口を揃えて言うから、余計に何かこれ変だぞという気がしている。
「ということで、ハイカラさんのお母様から昔のご飯の炊き方を学びましょう。拍手!」
「パチパチパチパチ」。児童たちと一番後ろで立っている福山先生から拍手が起こった。
わたしは最初が肝心と少し飛ばした。
「わたしはナナの母です。今日は昔のご飯の炊き方についてお話させていただきます。静かに聴いてくれた子どもたちにはご飯の試食も用意していますのでよろしくお願いします。では、始めます。昔と言っても今からおよそ六十年前、一九五六年まではどの家庭でも『竈』――関西では『へっつい』と呼ばれていたものを使っていたんです。こちら左の写真がそうです。かまどという漢字は元々こっちの『鼀』で上部は『穴』ではなく蓋に空気穴がある形だったんです」とじっちゃん先生に手伝っていただき部屋を暗くしてもらい、わたしはスライドで竈やそれに関連する写真を児童に視覚的にも理解してもらおうと試みた。話を続ける。
「この竈は、今のガスコンロやIHクッキングヒーターみたいなものですね。その当時、竈でご飯を炊く時に使われていたのが羽釜です。この写真がそうです。これは上から見た羽釜。そして、次の写真が横から見た羽釜。その次は下の方から見た羽釜です。そして、これが小学校二年生の児童が見た視点の羽釜です。羽釜は、今の自動炊飯器という文明の利器が開発されるまで使われていました」と話しながら見た角度の違う羽釜の写真数点をスライドで見せた。
「土星のリングみたいなのが外側についているでしょう。これを竈にうまく引っ掛けて使っていたのです。この羽釜にお米と水を入れ、竈で炊くのです。竈に薪を入れて火で炊くのは、けっこう手間と時間が掛かって大変。それに、ご飯は何より火加減が大切なものですから、美味しいご飯を作るために、呪文のような言葉が生まれました。『初めチョロチョロ、中パッパ、ブツブツいうころ火を引いて、ひとにぎりのワラ燃やし、赤子泣いてもふた取るな』。これは、『初めは弱火。その次に強火で炊き、そのあと少し火を弱める。そして、最後にパッと強火にしてから火を止めて、しばらくフタを取らずにむらしておく』という意味なんです。これで、美味しいご飯の出来上がり。また、底の部分に焦げ目のあるご飯、「おこげ」と呼ばれるモノができるのも、楽しみの一つだったのですよ。そして、炊き上がったご飯は、羽釜からお櫃に移し替えたのです。お櫃は、木でできた桶みたいなもの。木が余分な水分を吸い取ってくれるから、必ずそうしていたのですよ。これがそのお櫃で、今朝竈で炊いたご飯を入れて持って来ました。ひとりオニギリ一個分しかありませんが……」と言うと生徒がそのオニギリ欲しさに並び始めている。わたしは順を追って説明したつもりなのだが、子どもたちには伝わったのだろうか。わたしの言葉よりも実際に食べて美味しいと思ってくれるといいのだが。それって押しつけがましいよね。味覚は人それぞれ違うし。どうなのだろう。
「マジ美味しいよ、ご飯って、それだけで美味しいなんて初めて知った。ありがとう。ナナのおばちゃん」。あの洟垂れ小僧の大五郎だ。洟を垂らしながらわたしを褒め称えている。ナナをいじめているからワサビでも入れてやりたいところだったが、入れなくてよかった。コイツの言葉がなぜか一番心に響いた。子どもには罪はないとはよく言ったものだ。
それよりも、こういう風にして小学生相手に話をしていると思い出す場面がある。小学校教師だった亡き母がピョンヤンの家を私塾代わりにして小学生の子どもたちに熱心に教えていた風景。母が一番輝いて見えた瞬間瞬間だった。あれからどれくらいの歳月が過ぎたのだろう。時間や空間、国も言語も違うけれど、子どもたちの生き生きとした意欲的な眼差しは変わっていない。わたしには少なくともそう思えた。
今日の日直はナナとナナが好きな総理だが、総理の姿がない。その分、ナナの言葉にも覇気が感じられなかった。「起立、礼、着席」。ほとんど感情が篭っていなかった。飼い主に捨てられた子犬のような顔をしている。
わたしは教壇から下りると焦燥感が降って湧いたように現れて倒れそうになった。何とか耐えて教室から出ていくと健ちゃんが待っていた。
「健ちゃん、いつも待ってくれてありがとう」。わたしは心の中でそう思った。
◎主な登場人物
▼わたし(広田ミキ/金美姫)
ピョンヤン出身/舞踏家/ニッポンへ脱北/ドジ・のろま/父外務省高官/母小学校教師/アカブチムラソイ/タンゴ/結婚・出産/子不知自殺未遂/記憶喪失/2児の母/コンビニバイト
▼健ちゃん(広田健三/陳健三)
広田家家長/中国遼寧省出身/農家三男/無戸籍/北京大医学部卒/元外科医/発禁処分作家/ボサボサ頭/ニッポン亡命/大正浪漫文化/竜宮の使い/大阪マラソン/母親白系ロシア人
▼ナナ(広田ナナ/チュッチュッ)
広田家長女/タイ難民キャンプ出身/ビルマ人/ニッポン亡命/悪戯好き/高田馬場/交通事故/あすなろ/児童養護施設/養女/道頓堀小/ハイカラさん/福山先生/失語症/車椅子
▼ヒカル(広田ヒカル)
広田家次女/大阪生まれ/天使のハートマーク/ダウン症/ルルドの泉/奇跡/明るい/笑顔/霊媒師アザミン/プリン・イチゴ好き/亡命家族を結び付ける接着剤/天体観測/流れ星
▼平野のおっちゃん(平野哲)
外務省官僚/福岡県八女市出身/両親を幼くして亡くす/ミキ・健三ら亡命者支援/ヒマワリ・サンシャイン/ミキの父・金均一の友人/ミキ養父/西行法師/吉野奥千本に卜居/満開の桜の樹の下で銃殺
▼洋子さん(平野洋子/旧姓有栖川)
平野哲の妻/旧皇族/奥ゆかしさ/ミキ養母/ミキと健三のヨリを戻す/ゆめのまち養育館/福山恵/奈良県・吉野/夫婦で早朝にジョギング、古都奈良散策/いけばな家元/みたらし団子/韓国ドラマ
▼アザミン(水田あざみ/斎木あざみ)
霊媒師/津軽イタコの家系/弱視/青森県・鯵ヶ沢町出身/10歳の時に村八分/大阪・梓巫女町/琉球ユタ修業/ミキの善き理解者/夫は水田豊部長刑事/2男2女の母親/直接的・間接的にミキを救う
▼塙光男(朴鐘九/河合光男)
北朝鮮の孤児/スパイ/金日成総合大卒/ニヒルなイケメン/新潟県可塑村村長の養子/同県大合併市市長/ミキの初恋の相手/北朝鮮、ニッポン乗っ取り計画首謀者/ミキを誘拐/親不知不慮の事故死