第6章 ♁小学校でのいじめ問題は権力のもとに有耶無耶に
第6章 ♁小学校でのいじめ問題は権力のもとに有耶無耶に
《2015年10月8日 丁巳の日 先負 寒露》
外は夕暮れ。空一面が秋の茜色に染まっている。時折、赤とんぼが宙を舞う。空の色が真っ赤なだけなのに、周りの木々の葉っぱさえも緑色のはずが、どうしてか赤く色づいて見える。ナナの横顔も赤く映えている。天使のようだ。天使のために我慢、我慢。「汝、隣人を愛せよ」。こいつらは「隣人」ではなく「人参」だ。いや、イソジンだ。ウガウガペッペッだ。「主は憐れみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。主は絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない」。リンボーダンスをしている茶坊主と洟垂れ小僧親子の姿を想像したら、怒る気力さえ失った。
父がよく言った。「怒りを覚えたら、ゆっくりと一から十まで数えなさい。その間にその怒りの無意味さを知るはずだ」と。「笑う門には福来たる」と茶坊主がほざくから、死っきゃーす。一、二、三、四、五でご苦労さん。茶坊主が緑のタヌキではなく赤いキツネに見えてきた。帰ってからカップ麺でも食べようっと。
放課後の小学校。掃除も終わり、児童・生徒の姿もほとんどいなくなった夕方四時半過ぎのことだ。
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担任の福山先生から娘ナナのことで今朝、電話があった。
「急で申し訳ありませんが、今日の夕方四時にお母様だけでなくお父様もご一緒に学校に来てくださいませんか」。福山先生からの呼び出しだ。健ちゃんも一緒だ。わたしは一抹の不安を覚えた。しかも、きょうは急用に悪いとされる先負日。ただ午後は吉となっているので、こちらを念頭に置きたい。
「ナナに何かあったんでしょうか?」。わたしの手は微かに震えていた。
「単刀直入に申し上げます。お母様は娘さんがいじめられているのはご存知ですか?」
「えっ、何ですって。もう一度お願いします」。わたしは自分の耳を疑った。
「お母様は娘さんがいじめられているのをご存知ないようですね」
「ええ。児童養護施設にいた時にはいじめられていたというのは知っていますが、その時は言葉が話せなかったからだと聴きました。今は普通に話せるのにどうしてなのですか?」。わたしは娘のナナが不憫でならなかった。
「いじめている男子児童というのが、その児童養護施設で一緒だったんです」
「日系ブラジル人の孤児だったと思うのですが、娘をいじめていたのは……」
「私もその事を最近、知ったところなんですよ。先方のご両親はなかなか気難しいと申しますか、お父様がテレビでも有名な弁護士さんで今度、大阪市議選に出られるとか。お母様がまた大変な方でして。元々は皇族、天皇家の一族の方で、現在は大阪市教育委員会の委員を務められていらっしゃいます。ですから、今回のことは私に任せていただきたいんです」
「もしかして、先方にはわたしたち家族の出自がバレているんでしょうか?」。不安が的中したと思った。
「ええ、まあ。でも、それを徒に言うような人たちではありませんが、怒らせると厄介です。ですから、私に任せていただけませんでしょうか?」
「しかし、何も言えないというのは情けないです」
「情けなくありません。娘さんを想う気持ちが人一倍おありだと思いますので、私の口から言うのも奥がましいんですが、耐えていただきたく思います。お父様もご理解ある方だと信じておりますので、よろしくお願い申し上げます」。いつもの福山先生とは違って、心が沈んでいるような気がした。
「分かりました。福山先生には個別に補修の授業をしていただいておりますので、恩を仇で返すようなことは致しませんので、ご心配なさらないでください。福山先生、頑張ってください」
「分かりました。どうもありがとうございます。それでは午後四時に二年四組の教室でお待ちしております」
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二年四組の部屋では二家族による三者面談が始まった。
担任の福山先生とわたしたち家族三人、そして鬼頭大五郎君とその親御さん。
ナナはただダンマリを決め込んでいる。自分がいじめられていることに関して肯定も否定もしなかったのだ。
それに対して、大五郎は「ハイカラさんをいじめたことはない」と全面否定した。ハイカラさんとは大正浪漫文化大好きなナナのあだ名で、福山先生が名づけた。
それで仕方なく、担任の福山先生は「ナナと大五郎が同じ児童養護施設『あすなろ』の出身であること」、「児童養護施設『あすなろ』で大五郎が問題児で複数の児童に対していじめを行っていたこと。その中にナナも含まれていたこと」、「大五郎の養父母も大五郎が児童養護施設『あすなろ』でいじめをくり返していたことを認識しており、大五郎を更生させようと養子に迎え入れたこと」を明かした。
だが、大五郎の養父である鬼頭金太弁護士は「それは過去のことで、いま現在は何の問題もなくすくすく育っております。なのに、どうして福山先生は過去のことを蒸し返すんでしょうか。さもなければ、広田さんご夫妻と同じ空の色だからですか」と福山先生の発言に問題があることを指摘し、私たちの出自を知っているという含みを持たせた脅しとも取れる発言だが、知らなければ大したことを言っているとは思えないから余計に腹立たしいのだ。
福山先生は苦虫を噛み潰したような顔をして、「鬼頭君のお父さん、過去のこととおっしゃいましたが、本当にそうお思いになっていらっしゃるんでしょうか。それとも、次期市議選に立候補されておられるご自身の保身のために鬼頭君を擁護されていらっしゃるのでしょうか。前者か後者かどちらでしょう? さあ、答えなはれ」と啖呵を切った。せめてトランプを切るとか、俳句を詠むくらいだったらまだしも、啖呵を切るとは大それたことを仕出かしたものだ。
しかし、鬼頭弁護士は弁護士というだけあって弁が立つ。福山先生より上手だった。
「アハハハハ。『笑う門には福来たる』と言うでしょう。福山先生、校長先生から話はお聞きになったはずじゃないんですか。今なら先程の先生の発言を撤回しても笑って許しましょう。私はあくまでも庶民の味方である庶民派の弁護士ですからな。穏便に事を済ませたい。ワハハハハ」。鬼頭金太弁護士は、余裕を咬ましているようにみえて、実の所は権力で押さえつけようと必死のパッチだった。頭皮は薄いが、眼光は鋭い。究極のゴマスリ野郎、茶坊主のようにも見える。そんな鬼頭弁護士は京都大学法学部卒のエリートで、法曹界でもそのリベートには定評があって在阪TV局の帯番組にも定期的に出演しており、出演の度に出待ちをする大阪のおばちゃんたちからアメちゃんをテンコ盛りに貰うほどの人気振りで、大阪刷新の会と日本翼賛会の推薦で先週、次の大阪市議選への立候補を決めたところだ。
実家は京都府内で遊技場を経営(遊技場というのはパチンコ・パチスロ店のことだ)。父は朝鮮半島の全羅南道木浦にある日本人・田内千鶴子夫婦の孤児院「共生園」で育ち、戦後すぐに木浦から船で京都府舞鶴に渡ってきた在日韓国人一世(厳密には日本統治下の孤児であるため、何人かさえ分からない)、母は京都府舞鶴出身の日本人で、鬼頭は母方の姓。
「……」。福山先生は口を横一文字に噤んだまま何も語らず。机の下で右手をぎゅっときつく握り拳にしていた。私はその悔しそうな福山先生の手助けどころか足を引っ張っている現状に苦慮しながらも、ただ見守るしかなかった。神は助くる者を助くじゃないのか。
そこで再び、鬼頭弁護士が発言した。「福山先生も広田さんの親御さんの手前もあるでしょうが、きょうのところはイジメが過去にはあったかもしれませんが、今はないということでよろしいですね。それでは、お先に失礼いたします。時子、大五郎、福山先生にご挨拶を」。この時、わたし思ったんやけれど、大五郎って洟垂らしまくりやで。親御さん、ハンカチかティッシュで鼻拭いたらんかい。
「福山先生、息子のことをよろしくお願いしますね。私も教育委員会のメンバーのひとりとして猛省しているところです。校長先生にもよろしくお伝えください」。鬼頭金太弁護士の妻・時子は元皇族で、学習院大学文学部を卒業後、英国のオックスフォード大学に留学。帰国後、関西学院大学大学院文学研究科の修士課程(現、博士課程前期課程)を修了し、若くして大阪府教育委員会の委員に選ばれ、委員長、教育長になったこともある。
「福山恵先生、さようなら。ハイカラさん、さよなら。さようなら。さようおなら」。人一倍どでかい声を出す洟垂れ小僧の大五郎だった。
「大五郎くん、また明日」。福山先生はそう言いながら、右手の拳を振り上げようとしていた。
鬼頭家族が帰った後、福山先生はわたしたち家族に平身低頭でこう言った。
「私の力不足で申し訳ありません。鬼頭弁護士だけなら問題はないのですが、実は奥さんの方が厄介で。教育委員会を敵に回すと校長先生にも影響がありますので。申し訳ありません」
◎主な登場人物
▼わたし(広田ミキ/金美姫)
ピョンヤン出身/舞踏家/ニッポンへ脱北/ドジ・のろま/父外務省高官/母小学校教師/アカブチムラソイ/タンゴ/結婚・出産/子不知自殺未遂/記憶喪失/2児の母/コンビニバイト
▼健ちゃん(広田健三/陳健三)
広田家家長/中国遼寧省出身/農家三男/無戸籍/北京大医学部卒/元外科医/発禁処分作家/ボサボサ頭/ニッポン亡命/大正浪漫文化/竜宮の使い/大阪マラソン/母親白系ロシア人
▼ナナ(広田ナナ/チュッチュッ)
広田家長女/タイ難民キャンプ出身/ビルマ人/ニッポン亡命/悪戯好き/高田馬場/交通事故/あすなろ/児童養護施設/養女/道頓堀小/ハイカラさん/福山先生/失語症/車椅子
▼ヒカル(広田ヒカル)
広田家次女/大阪生まれ/天使のハートマーク/ダウン症/ルルドの泉/奇跡/明るい/笑顔/霊媒師アザミン/プリン・イチゴ好き/亡命家族を結び付ける接着剤/天体観測/流れ星
▼平野のおっちゃん(平野哲)
外務省官僚/福岡県八女市出身/両親を幼くして亡くす/ミキ・健三ら亡命者支援/ヒマワリ・サンシャイン/ミキの父・金均一の友人/ミキ養父/西行法師/吉野奥千本に卜居/満開の桜の樹の下で銃殺
▼洋子さん(平野洋子/旧姓有栖川)
平野哲の妻/旧皇族/奥ゆかしさ/ミキ養母/ミキと健三のヨリを戻す/ゆめのまち養育館/福山恵/奈良県・吉野/夫婦で早朝にジョギング、古都奈良散策/いけばな家元/みたらし団子/韓国ドラマ
▼アザミン(水田あざみ/斎木あざみ)
霊媒師/津軽イタコの家系/弱視/青森県・鯵ヶ沢町出身/10歳の時に村八分/大阪・梓巫女町/琉球ユタ修業/ミキの善き理解者/夫は水田豊部長刑事/2男2女の母親/直接的・間接的にミキを救う
▼塙光男(朴鐘九/河合光男)
北朝鮮の孤児/スパイ/金日成総合大卒/ニヒルなイケメン/新潟県可塑村村長の養子/同県大合併市市長/ミキの初恋の相手/北朝鮮、ニッポン乗っ取り計画首謀者/ミキを誘拐/親不知不慮の事故死




