十二話
一通りの下見を終えて店を出るとすでに日が暮れかけており、空がオレンジ色に染まっている。
目を凝らしてよく見ると、すでにいくつか輝いている星すら見える。
商店街の人通りもまばらになり、すでに店を畳んで商人達も見受けられ、昼間の賑やかな喧騒はなりを潜めている。
もうすぐ夜が来てあたりは完全な闇に包まれるだろう。
いくら首都とはいえ、夜になれば頼りになるのは星と月の明かりだけになる。そんな暗闇の中を好き好んで出歩く人など、滅多にいない。
「すっかり日が暮れて来たな……思ったより時間がかかってしまった。急いで屋敷に戻ろう」
店から出たリーリヤは開口一番に隣の少年にそう言ってきた。
隣にいる少年はジト目でリーリヤを見ている。
表情にはありありと何かを言いたげな色が浮かんおり、その色は決して機嫌が良いとは言えない色だ。
「……誰かさんが最後の店ですいぶんと楽しそうに時間をとっていたっすからね」
彼らが最後に出てきた店は小物等といったアクセサリー類を扱う貴金属店である。
様々な宝石を扱ったこの店は首都にある店の中でもかなりの格式を持つ店であり、貴族専用の店となっている。
扱う品もそれらの合わせて素晴らしい出来栄えとなっており、有名な職人が色々な細工を施し、この店で買った貴金属を身につけるという事は貴族社会においてちょっとしたステータスにもなっているのだ。
もちろん値段もそれ相応で、一番安い小物を買ったとしても、普通の平民が半年は贅沢をして暮らしていけるほどの値段であるが、領地持ちであり、かつ公爵家の者にとってはたいした出費にはならない。
「し、仕方ないだろ。ジーナのあの綺麗な金髪とライトグリーンの瞳にあったアクセサリーを吟味しなければならないのだから時間がかかるのは当然だ」
少しだけ顔を赤らめながらもアラムの言葉に対してなんとか答えるリーリヤ。
「その割にはずいぶんと楽しそうに、時には自分で身につけて楽しんでいたような気がするっすけどねえ」
相変わらずジト目のまま相手を攻めるアラム。
「そ、そんな事はないと思うぞ……ア、アラムの気のせいじゃないかなあ……わ、私にああいうものはさすがに似合わないと思うし、そ、それに当主様にすでに多大な恩を頂いている身だ。こ、これ以上望むなど、ましてやあのような高いものを私が身につけられるはずがないだろう」
「『どうだ? 似合うか?』『このオパール私の髪の色に合うと思うのだが、どう思う?』『もう少し気の聞いた感想は言えないのか? 嘘でもいいからそこは褒めるところだろ?』『な、なんだこの髪飾りは! 誰がこのようなものを作ったのだ! こういうの一度でいいからしてみたいものだな』」
「あーーー。悪かったよ! そうだよ、夢中になりました! し、仕方ないじゃないか……私もああいうの好きなんだから……」
開き直りつつも、後半に行くにつれ言葉が小さくなる。気恥ずかしいやら、アラムを付き合わせた罪悪感やらが、色々と頭の中を駆け巡っているのだろう。
顔も少しばかり赤くなっている。
「まあ、女の子は光物に弱いって言うのが定番っすけど。ああも見事に、はしゃがれるとは思わなかったっすよ」
「ふ、普段は違うんだぞ! わ、私の格好を見れば分かるだろ? べ、別にそこまで興味があるわけじゃないんだ。ただ久しぶりだったからつい」
「ここまで説得力のない言い訳も珍しいと言うかなんというかっすねえ。まあいいっすよ。完全に夜になる前には屋敷に戻れそうっすからね。それにそこまで似合わないって事はなかったすよ」
何気なくアラムの発した最後の一言に思わずドキリとする。
店の中では眠たげにしており、ほとんど興味を示していなかったのだから最後の言葉はリーリヤにとって不意打ちに近い形で受け止められた。
「あ、そ、その……そうか……そ、それはありがとう」
日暮れの街を二人はそんな会話をしながら屋敷へと向かっていく。
商店街を抜け、少しばかり民家が立ち並ぶ、いわゆる平民街へと二人は辿り着く。
ここから貴族街まではそう遠くはなく、しばらく歩けばすぐに屋敷へと繋がる道に出る距離だ。
ただ貴族街と平民街の間には、ちょっとした大きな河が流れており、その橋の向こう側が貴族街となっている。
すでに人通りもなく、空はオレンジ色から完全な闇へと移り変わろうとしていた。
平民街のあちらこちらの民家からは煙などが立ち上り、時折美味しそうな匂いが外へと漂っている。
ちょうど食事の支度の時間であり、その下準備をしていると言うところだろう。
二人はそんな平民街を抜け橋へと足を踏み入れる。来る時も渡った橋だ。
利用するものは貴族とごく一部の商人しか利用する事のないこの橋は、それだけの作りをしている。
大きく幅のある広さを持ち、馬車が4、5台並んでも余るほどの横幅に、頑丈な石で出来た作りの橋で、ちょっとした名物にもなっている。
「平民から見れば無駄にでかい」だけの橋ではあるが、貴族からすればこれくらい大きく頑丈でなければ安心して利用できないと言うわけだ。
特に人がいるわけでもないので堂々と橋の真ん中をはばかる事無く通る二人。
この広さを持つ橋の上で二人しかいないのだ。少しばかり寂しいと言う気分もあるし、夜になりかけていると言う暗さもあり、特に何かがあるというわけではないが、少しばかり不安な気持ちになってくる。
そうして橋を渡っている時に横から舌打ちが聞こえた。
もちろんリーリヤの隣を歩いているのはアラムしかいないのだから、その舌打ちはアラムが発したとみて間違いないだろう。
何か機嫌を損なう真似をしたのだろうかと思うリーリヤ。
「あーほんっと油断してたっすね……全くどーして気付かなかったっすかね……」
いきなり発せられる意味不明な言葉。
リーリヤには何を言っているかさっぱりと分からない。
「ど、どうかしたのか? 急に」
「リーリヤさん。先に謝っておくっす。もう少し早く気付ければ道を変える事もできたんすけどね……あとでマルクに思い切りからかわれるっすね」
やはり意味が把握できない。
しかし、そんなリーリヤの思考を無視してアラムは言葉を続ける。
「いい加減出てきたらどうっすか? というか隠れる意味なんてこんな場所じゃほとんど意味ないっすよ」
まるで誰かに話しかけているような感じではあるが、それはリーリヤに向けられた言葉ではない。
となれば別の誰かという事になる。
リーリヤは素早く視線を巡らせあたりを見回す。
答えはすぐに出た。
少しばかり距離はあるが、橋の出口に当たる部分から、何人かの人影がわらわらと出てきたのだ。
いずれも手には物騒なものを持っており、友好的とは言いがたい雰囲気である。
その数はざっと見たところで7、8人はおり、全員が大人である。
そしてその真ん中には良く見知った顔があった。
「いやあ、お帰りなさい。ずいぶんと楽しいデートみたいだったね。昼間はさすがに人が多くて中々挨拶出来なかったから、ここでさせてもらう事にしたよ」
「……ヤルミル」
リーリヤが自分達に向けて言葉を発した人物の名をつぶやいた。
「いやだなあ、そんなに怖い顔をしてどうしたんだ? リーリヤさん。同じクラスの仲間なんだからにこやかにいこうよ。せっかくの美人が台無しですよ」
ニコニコと人懐っこい笑みを見せ、リーリヤを褒め称える。
この笑顔だけであるならば彼の顔のつくりのよさもあり、心を許したかもしれないが、生憎とリーリヤはこの男が最低の男だという事を知っていた。
「まさか、お前から褒められるとは思わなかったよ。同じように褒められるのしても相手が違うと、嫌悪すら感じるとは思わなかったな」
「ずいぶんと嫌われたものですね。ジーナ様のためにも仲良くやって行きたいと思っていたんですが、そうやって喧嘩腰になられると、とても困ってしまうことになると思うんだけどな」
「困るのはお前だろ? 言っておくがな、お前が何を画策しようとジーナはお前と仲良くなる気などないぞ。残念だったな」
「いえいえ、困ってしまう事になるのは貴方ですよリーリヤさん……下級貴族の分際で僕とジーナ様の仲を邪魔してくれちゃって。いくら寛大な僕でもさすがに許す事は出来ないね」
柔らかな口調が消え、顔からも笑みが消える。
親の仇だと言わんばかりに凄まじいまでの憎しみの表情でリーリヤを睨みつけるヤルミル。
いくらなんでも変わりすぎだろと思わず心の中で突っ込みを入れてしまうほどだ。
「それで? 許せなければどうするのだ?」
「あははははははは! この状況を見てどうするのだ? まだ分からないんですか? それともわからないふりをしているのですか? 全く馬鹿な女ほどかわいいと言いますが、ある意味当たっていますね」
確かにまずい状況である。7、8人の大人が手に武器をもっており、もし彼らが襲い掛かってくれば間違いなく勝てる要素はない。
チラリと後ろを振り返るとすでに何人かが回りこんでおり逃走すら不可能な状況だ。
彼女とて剣をたしなみそれなりに心構えは持っている女性だ。
しかし、やはり実戦経験が皆無と言ってよく、学生の身である。また、このような囲まれると言う状況に陥ったことすらなく、いくら口で「ジーナを守るために剣の腕を鍛えている」といってもやはり子供の想いだ。
強がっているが内心は冷や汗どころの話ではない。
「分かっているのか? お前のやろうとしている事は犯罪だぞ? ここで私を殺してみろ。お前は次の日には牢獄で処刑を待つ身になるぞ」
しかし、そんな言葉はヤルミルにとっては雑音にも等しい言葉である。そのような脅し文句が通用するのであればこのような真似は絶対にしない。
「そんな心配はご無用だよ。僕の父は裁判書記と言ったろ。犯罪にすらならないよ。ああそれと安心して良いよ。君を殺すなんて野蛮な真似、さすがにする気はないからね。今は」
そんな事を言われて安心できるはずが無い。
何を考えているのか相手の思考が読めずにリーリヤは無意識に逃げるように少しずつ、じりじりと後ろに下がる。
といってもすでに回り込まれているのだから無駄な動きではある。
「君を攫ってジーナ様を呼び出すだけだから」
その一言がリーリヤの心に旋律を走らせた。
そんなリーリヤを無視してヤルミルは言葉を続ける。
「仲が良く、君の事であれだけ怒るジーナ様だ。君が攫われたと知れば、護衛すらつけずに一人で君を探しに来るだろうね。その結果見つかるのは色々な男に陵辱されたあげく、そのショックで自殺した君の姿と言うわけさ。さらに言えばジーナ様にも当然魔の手が襲い掛かるけどその時、僕が彼女を救えば完璧だろうね」
クククと自分の書いたシナリオに愉悦の表情を浮かべるヤルミル。
「いや、その時に無理やり彼女を物にするのも良いかな……妊娠さえさせてしまえばこちらのものだと父上も仰っていたし……まあ、それは後で考えるとして今は君だよリーリヤ。そうそうここにいる人達は今夜、君をたっぷりと可愛がってくれる人達だ。挨拶くらいしてあげたら?」
「結構、いい女じゃねえか。気の強そうなところもいいな」
「坊ちゃん本当に頂いていいんですか? というか今更やめろと言われてもやめる気はないですけどね」
「最近は娼婦抱くのも金がかかるからな……もう少し育っていたほうが俺の好みだが……」
欲望を丸出しにして隠そうともしない下劣な言葉にリーリヤはさらに寒気と怖気を感じる。
こんな男の欲望のはけ口になるなどヤルミルが言うように死にたくなる出来事だ。
「反吐が出るシナリオだな。そんな芝居では観客から金を取るどころか一人の観客すらも掴む事は出来ないぞ。もう少し捻りを入れたらどうだ」
わずかながらに言葉が震えている。
確かに陳腐なシナリオではあるが、それを実行されるとなると笑い事では済まされなくなる。
そしてそのシナリオは現実味を帯びて、彼女に迫りつつあり、恐怖で足がわずかに震えだす。
「あーそろそろいいっすか?」
今までの緊張感を台無しにするほどののんきな声を出したのは茶色の髪をした少年である。
その声を聞いてリーリヤはわずかながらに安堵した。
相当、心が落ち着いたといっても言い。
むしろ、何故今まで彼の存在を忘れていたのか自分でも不思議に思うほどである。
そして彼ののんきな声はなぜかリーリヤの恐怖を拭い去った。
「ああ、そういえば貴方がいましたね。あなたは邪魔ですから死んでもらいます。残念ながらその手の人物はこの場には用意していなかったのですよ。なのでリーリヤとの別れを惜しみたければ今のうちのどうぞ。それくらいの優しさは僕にもありますからね」
「いや、俺がいいっすか? って聞いたのはっすね。もう殺していいっすか? って事なんすけど?」
「なにを言っているんですか? え」
瞬間、彼の周りから血飛沫が舞い上がった。
リーリヤも思考が追いつかない。
ついさっきまで隣にいた人間がいつの間にか消えており、気がついたらヤルミルの周りにいた数人が悲鳴を上げて倒れこんだのだ。
「聞くまでもなかったっすね。というかあまり遅くなるとお姫様や屋敷の護衛が心配するっす。許可なんて取らないんで死にたくない人はさっさと逃げて下さいっすね」
そう言っている間にも二人ほどまた倒れこむ。
両の手にはいつの間にか彼が愛用しているショートソードが握られており、血に濡れていた。
「こ、このガキが!」
「ふざけんな!」
思考を取り戻した連中が手に持った武器をアラムに向かって振るう。
最初に振るわれたのは長剣だ。
さすがにある程度鍛えられているのかあっという間に戦闘態勢を整える。
振るわれた長剣が頭上から襲い掛かるがアラムは半歩踏み出し、体を半身にしてそれを交わす。
同時に長剣を振るった男とは別の男に左手のショートソードを突き入れ一瞬でその場から離れる。
長剣を振るった男がぐらりとゆれ、ショートソードを突き入れられた男と重なり合うようにして倒れこんだ。
その間にリーリヤの後ろに回りこんでいた男達の傍まで移動しており、再び剣を振るう。
低い姿勢から切り込み、相手の脛を切り裂く。
凄まじい激痛が男を襲い、片足をなくした男がバランスを崩し倒れこみ後頭部に剣を突き入れられ絶命する。
「ほんと、とろいっすねえ」
気の抜けた声とは裏腹に次々と男達を倒していくアラム。
リーリヤがようやく思考を回復させたときはすでに全滅と言って良いくらいだ。
「あああ……なんだよこれ! 話が違うじゃねえか! おい坊主! 楽な仕事だったはずじゃねえのかよ」
所詮は一時的な雇われだ。
こうなってくると敬語も何もあったものじゃない。
ヤルミルとて言葉がない。
ヤルミルにとってアラムなど路傍の小石も同然であり、眼中になかったのだ。
学校内の成績においてはそれなりに優秀であると知ってはいたが、しょせん自分と同じように子供であり、学生レベルの話だ。
自分が雇った人間はいわゆる冒険者と言われている人材で、各地で魔獣討伐などをして活躍している人材だ。たかが子供ごとき対抗出来るはずがない。
それなりに優秀な者を雇って後は準備は万端だったのだ。
屋敷からリーリヤが護衛をつけずに、アラムと二人で商店街に向かっていると見張らせておいた人物から情報を聞き、ここで待ち伏せ、自分の邪魔した女に生まれてきた事を後悔させてやると意気込んでいたのだ。
それが今や自分の周りを固めている者はたったの二人。
残りは何が起きたかわからないまま血を流して倒れている。
「な、な、何だよ、何なんだよ。お前!」
ようやく搾り出した言葉がこれだ。
その言葉にアラムは特に答えない。
相も変わらず眠たげな表情のまま、ヤルミルが言葉を発している間に最後の一人を絶命させる。
「結局、全員全滅っすか……動きも思考もどうしてこう遅いんすかねえ……」
まるで今日は天気が悪いなあ、とても言っているのとかわりのない雰囲気だ。
両の手に持った剣を軽く一振りして剣についた血を振り払う。
「ア、アラム……」
リーリヤも思わず言葉を無くしそれしかいえない。
「さて、伯爵家のお坊ちゃんでしたっけ? マルクから聞いていたっすけど、本当にこんな馬鹿とは思わなかったっすね……取り合えず死んどいて下さいっす」
剣を構え一瞬で間合いを詰めヤルミルの首に剣を横に振り払おうとした瞬間、それは止められた。
「待て! アラム!」
ピタリとまさに紙一重で剣を止めるアラム。
対するヤルミルはあまりの恐怖に今度こそ本当に失禁をして腰を抜かしている。
「リーリヤさん。どうしたんっすか? まさか情けをかける気っすか?」
言葉は普段とは変わらない。
しかし、リーリヤは先程ヤルミルと相対した時とは別の怖気を感じた。
「……いや、そうではなくてだな……その……」
思わず言葉を無くす。
リーリヤとしても何故とめたのかわからないのだ。
これ以上の人死にを見たくないという理由かも知れない。
自分の身を狙った相手とはいえ顔見知りが殺されるのは気分があまりよろしくないと言う理由かも知れない。
いずれにせよアラムから見れば甘い理由である。
「ここでこいつを逃しても、また同じ事が繰り返されるだけっすよ? というか本来ならこいつはすでに処刑されているはずの身っす。ここで殺してもリーリヤさんが気にする事はないっすよ?」
責めている口調でもない。
呆れている口調でもない。
リーリヤに現実を見せているという口調だ。
こうした事が起こるのも現実の一つなのだ。
学生のみでは……いや学生の身でなくでも、こういった事と無縁の人間は想像ができても、やはりそれはどこか遠い国の話としてしか考える事が出来ない。
そういった意味ではリーリヤという少女は現実についていけなかったのだろう。
昼間のアラムとの一時の方が彼女にとってはよほど現実的である。
止めたはいいが言葉が続かないのがその証拠だ。
「や、やめろよ……ぼ、僕は伯爵家の家柄を持つ大貴族だぞ……こ、こんな事をしてただで済むと思っているのかよ」
腰を抜かし、下半身をぬらしながらも未だにそういい続けるヤルミル。
おまけに涙と鼻水で良い顔が台無しだ。
見ているほうが哀れになるほどである。
そしてリーリヤもやはりそう思ってしまう。
「そのな……ここで殺してしまえば後々面倒事にならないか? 取り合えず役人に知らせたほうがいいと思う」
少しばかり自信がなさそうな言葉だ。
ライン平原において、一度は殺してやりたいと言い放った気丈な少女は今は別の感情に支配されているのだろう。
「まあ、いいすけどね……」
どっちでもいいというような……少しばかり呆れた声ではあるが、相手の首から剣を離す。
そのとたんに回復していたのかは分からないが、悲鳴を上げてヤルミルは背を向けて走り出した。
が、その足は途中で止まる。
なぜなら、彼の前にもう一人の人物が現れたからである。
「おやおや……士官学校に通う生徒ともあろう者達がこんなところで喧嘩ですか? 感心しませんね」
紺のローブに身を包み少しばかり柔らかな口調でその人物は子供達をたしなめる。
が、見ての通りまわりは死体があるにも拘らず、「喧嘩」という言葉で済ませるのはやはり違和感がある。
しかし、ヤルミルはその事に気付かずにその人物にすがりつくように助けを求めた。
「せ、先生! ルスラーン先生! あ、あいつらが急に僕の事を襲ってきて! た、助けて下さい!」
「おや? アラム君とリーリヤさんが? 二人ともそういう事をするような生徒ではないと思ったのですが……残念ですね……少しばかり反省をさせなければなりません」
ヤルミルの言葉を信じたかのような様子である。
その言葉にヤルミルはルスラーンに見えないように口元を釣り上げる。
「先生! そんな奴の事を信用するんですか? 襲ってきたのはヤルミルからです!」
リーリヤがそれは嘘だと弾劾する。
「おや? そうなのですか? これは困りましたどちらのいう事を信用していいのやら……ふむ、ではこうしましょう……喧嘩両成敗ということで」
そう言ったとたんヤルミルの首が消えて、体は糸が切れたように大地に倒れた。
もちろんリーリヤもそうなるはずであったが、アラムが間一髪のところで相手の腕を切り裂きそれを防いでた。
「え……?」
またしても思考がついていかない。
なぜならルスラーンがローブから出した腕は人の腕ではなくミミズのような生き物と一体化しており、その先には獰猛な牙が生えている口がある。
グギャグギャと気持ち悪い泣き声を発して、腕の途中からは同じように細い触手のようなものが生えており、それらにも小さいながら口と牙がある。
こんな人間……いやこんな気味の悪い生き物などリーリヤの知識には全くない。
見ただけで生理的な嫌悪すら感じる。
ヤルミルはこの生き物に頭を食われて死んでいったのだ。
そしてリーリヤもアラムがいなければそうなっていた。
「ひどいですねえ……アラム君。私のペットを殺すなんてあなたは鬼ですか?」
切り裂かれた腕の痛みなど感じていないという様子だ。
切り裂かれた腕から新たに同じような生き物が生えてくる。
「何匹体内に飼っているんすか? その気味の悪いペットを」
先程までの眠たげな声でもなく、呆れたような声でもない。
その言葉には明確な殺意が含まれている。
戦闘経験があまりないリーリヤですらそれを感じ取れるほどだ。
「おや? アラム君はあまり驚かれないのですか? これを見ると大抵の人間は悲鳴を上げるかわけが分からなくなるのですがねえ。そこにいるリーリヤ君のように」
「そういうのは見慣れているんすよ……『飛竜の爪』!」




