第34話 喪失の実感
スタンピードから翌日。
病室で那由多は目を覚ました。
ゆっくりと身体を起こし、左側を見る。
当然、以前のように腕はない。
その代わり身体中には管が刺さっている。
昨日は戦いの興奮もあった。
自分の腕を失ったことよりも、目の前の人を救えたことへの満足感の方が大きかった。
だが、一晩経って落ち着いてみると、さすがに心にくるものがある。
これを勲章と呼ぶべきなのか。
それとも悲劇と呼ぶべきなのか。
「はぁ……」
那由多は小さく息を吐く。
そして、ベッドの横に置かれていたペットボトルへ手を伸ばした。
「ん? あぁ……」
右手でペットボトルを掴み、フタを回そうとする。
だが開かない。
そこで、ようやく気付く。
今までなら左手で容器を押さえていた。
当たり前だった動作が、今はできない。
『ご主人、フェムトマシンでサポートしましょうか?』
「いや、自分で慣れないと」
そう言って、那由多は右手だけでフタと格闘する。
10秒。
20秒。
30秒。
「……」
開かない。
『もう!』
ネアの声が脳内に響く。
次の瞬間、患者衣を貫くように胸元から小さなフェムトマシンの腕が伸び、ペットボトルのフタを器用に回した。
カチッ。
「すまん」
『最初から私に任せればいいのに』
那由多は苦笑しながらペットボトルを受け取り、処方された薬を飲む。
「……あ」
そこで、もう1つ気付いた。
「まだ朝飯食ってないや」
『はぁ……』
視界の隅で、ネアが笑いながら両手を広げて「お手上げ」とジェスチャーする。
『手間のかかるご主人ですね』
「……情けなくなるよ」
『……そんな真に受けないでくださいよ』
ネアはそう言いながらも、少し寂しそうに那由多を見る。
もし自分に身体があれば。
今すぐ那由多を抱きしめて、慰めることだってできるのに。
そんなことを思った。
朝食を終えてしばらくすると、医師と律が病室へやって来た。
簡単な診察の後、フェムトマシンの状態を確認する。
モニターに表示された数値は17%。
昨日から変化はない。
「安定はしているね」
律は画面を確認し、それから那由多を見る。
「……フェムトマシンと、そのコアを入れた時のことを覚えている?」
少しの沈黙。
那由多は天井を見上げ、それからゆっくりと口を開いた。
「ああ。振り返れば、だいぶ怖いことしたなって」
那由多は俯いた。
「サイバーパンクとか好きだったから、ちょっと憧れもあったんだよ。だから、あの時はほとんど即決しちゃった」
そして、苦笑する。
「普通、親に相談するよな」
律の目が見開かれる。
「えっ。入れるまで1回もご両親に連絡してないの?」
「……事後報告だよ」
那由多は頭を掻いた。
「あの時は……無価値で、貧弱だった俺が強くなれるならって気持ちが強かったんだ」
「それだけで?」
律の言葉に、那由多は彼女の方を向く。
「今回のダンジョン氾濫みたいな時に、人を救えたらなって」
那由多は少しだけ声を落とした。
「探索者って、犯罪者の逮捕とかにも駆り出されることがあるだろ? だから……誰かを守れるくらい強くなりたかったんだよ」
律はため息を吐いた。
「卑下しすぎて、何も言えないわ」
「え?」
「それに、美談じゃないわよ。それ」
律の表情が少し険しくなる。
「自己犠牲が過ぎるのよ。提案した私が言うことじゃないけど……適正が100%じゃなかったら、多分止めてたわ」
「ははっ……」
那由多は困ったように笑った。
その時。
コンコンと病室のドアがノックされた。
「どうぞー」
面会なら大体普通は午後からのはずだ。
誰だろうか?
ドアが開く。
入ってきたのは、スーツを着た清潔感のある男性だった。
「突然の訪問、申し訳ありません」
男性は深々と頭を下げる。
そして顔を上げると、名乗った。
「私、義肢メーカーのピースメイカーの者です」
「ピースメイカー?」
「はい。今回のスタンピードでご活躍された神楽様に、弊社から義手を無償で提供したいと思いまして……」
那由多の顔が、みるみる明るくなる。
「えっ! いいんですか!」
「もちろんです。ぜひお使いください」
男性は笑顔で答える。
「無償提供の条件は、Zでピースメイカーの宣伝をしていただくだけです」
「それくらいなら、ぜひ!」
那由多は即答した。
「ちなみに、探索者としては使えますか?」
男性の笑顔が少しだけ引きつる。
「えー……恐らく、ゴブリンの一撃でも破損すると思います」
「そんなに!?」
「生活用として設計しておりますので……転倒時に手をついて、自身の体重を支えるなどは可能ですが……」
「そうですかぁ……」
那由多は少し残念そうな顔をした。
「まあ、割り切ります。お願いします」
すると——
「だったら、神代工業に任せてよ」
律が口を挟んだ。
「神代が?」
「そう」
律は那由多を見る。
「那由多の身体のデータもあるしさ」
これまでの検査や試験。
神代工業には、那由多に関する膨大なデータが蓄積されている。
「散々モルモットにしてきたんだから、こんな時はお返ししないとね」
「そうか」
那由多は笑う。
するとピースメイカーの男性が頷いた。
「でしたら、用途によって使い分けるのがよろしいかと思います」
「使い分け?」
「弊社の義手は日常生活用。そして神代工業様には、探索者としての活動を想定した補助機構を開発していただく」
男性は続ける。
「接続部分については、フェムトマシンを利用できる可能性もあります。そうすれば、新たなインプラントを必要とせずに済むかもしれません」
律が頷いた。
「そうですね。それがベストでしょう」
「では、そういうことで。後日、改めてご連絡いたします」
男性は一礼すると、病室を後にした。
ドアが閉まる。
律は那由多へ向き直った。
「どうする?」
「……本当に、インプラントする物はないの?」
那由多は少し不安そうな顔で尋ねた。
その表情を見て、律の顔が曇る。
「……分からない」
「分からない?」
「実際にやってみないとね。フェムトマシンとの接続だけで済む可能性もある。でも、ダメなら手術が必要になるかもしれない」
「……そっか」
那由多は左側へ視線を落とす。
しばらく黙った後、口を開いた。
「……少しだけ、考えさせてくれない?」
「うん。それでいいと思う」
律は穏やかに笑った。
「じゃあ、私も仕事に戻るから。お大事にね」
「ありがとう」
律は病室を出ていく。
カツ、カツ、と廊下へ遠ざかっていく足音。
やがて、それも聞こえなくなった。
『ご主人』
ネアが声をかける。
『怖いですか?』
聞くまでもない。
那由多の心拍数は上がっている。
脈拍も、呼吸も、普段より速い。
ネアには分かっていた。
「……怖いよ」
那由多は正直に答えた。
そして、少しだけ間を置く。
「でもさ」
残った右手を握る。
「探索者は続けたいんだ」
那由多は自分の左側を見る。
「それが俺なんだ」
そして、少し照れくさそうに笑った。
「……そして、ナユタンブラックなんだ」
『……そうですか』
ネアはそれ以上、何も言わなかった。
ただ、那由多を見つめる。
人の役に立つために、自分の身体を削っていく。
それを「強さ」と呼んでしまう。
そんな那由多が、ネアには少しだけ哀れに思えた。
けれど――
ネアの想いは、少しずつ強くなっている。
そして、フェムトマシンの適応率だけは。
着実に上昇していた。




