政務再開(ただしカナン付き)
セリーナは執務室で腰を下ろすと、深く息をついた。机の上に並べられた山のような書類を見つめながら、心の中で決意を固める。
「さて、溜まった分も一気に片付けるわよ!」
先日、父に猫耳と尻尾のことを打ち明けた。父親としては大いにセリーナを心配し、その心情を慮ってくれたが、国王としては頭を抱える事態だろう。
しかし、婚約者候補のカナンがすでにそれを知っていること、さらにそれを受け入れ、セリーナを支えると表明したことで、思いの外、大事にならずに当面は凌げそうだった。
セリーナの情報は王族と側近のみに極秘に共有され、当面は外交には出ず、内政のみに携わることとして、政務の再開を認められた。
しかし、その条件が一つだけあったーーカナンが一緒に政務を行いサポートすること。
最初はその提案に戸惑いを感じたものの、いつまでも引きこもっていても仕方ない。カナンが猫耳と尻尾の存在を知った上でも傍にいてくれるのならば、どうせ将来は女王と王配として一緒に仕事をすることになるのだ。
カナンの机は既に執務室のセリーナの机の隣に運び込まれ、準備は整っていた。今日からは毎日こうして顔を合わせることになる。
それはいい。だが、一つ気になるのは……
「……カナンがあんな顔をするなんて……意外だったわ」
「俺の何が意外だって?」
「……っ!!」
唐突に、背後からカナンがセリーナの肩に顎を乗せて耳元で囁いた。その手は当たり前のようにヘッドドレスに隠された耳を撫でている。先日の痴態を思い出し、セリーナは赤面する。
「カナンっ……そこ、触っちゃダメ……っ!」
「そんなに気持ちよさそうなのに?」
「今から仕事でしょ!カナンもちゃんと座って!」
そう言って、セリーナは乱れた髪とヘッドドレスを直して、執務室の椅子に座り直す。
カナンは残念そうにしながらも、すぐに引いて仕事に入ってくれた。
セリーナは小さく息をつき、改めて書類の山に目を向ける。
(……よし、集中しましょう)
初めは少しだけ不安を感じたものの、仕事が始まればそんなことを考えている余裕はなくなった。
国の政務は山積みだ。猫耳と尻尾のことで休んでいた間に溜まった案件も多く、処理すべき文書は膨大だった。次々と決裁を下し、必要な書類に目を通していく。
(思ったよりも、すんなり進むわね……)
久々の執務に不安もあったが、カナンが隣で的確にサポートしてくれるおかげで、作業効率は予想以上に良かった。
彼はどんな内容の書類にもすぐに目を通し、適切な助言をしてくれる。それどころか、セリーナが手をつける前に、ある程度整理をしてくれているのか、必要なものがすぐに取り出せるようになっていた。
書類の山がどんどん減っていく。部下とのやり取りでも、カナンは常に冷静で的確な判断を下し、部下たちに感謝の言葉をかけている。その人間的な温かさが、セリーナの心にじんわりと響いてきた。
(カナンって……こんなに優秀だったのね)
今まで彼のことは、仲の良い幼馴染で婚約者候補としてしか認識していなかったが、改めて一緒に仕事をして見ると、その実力の高さに驚かされる。
(真剣な顔をしているときは、やっぱり格好いい……)
先日、国王である父に向かって「セリーナのことは自分が支える」と真摯に宣言したときのカナンを思い出す。あの時の彼は凛としていて、堂々とした態度だった。
(頼もしいって、こういうことなのね……)
胸の奥がじんわりと温かくなる。
けれど、次に思い出したのは、カナンが彼女の猫耳を弄んだときのことだった。
(……それなのに、あんなふうに意地悪するなんて……)
頼れる一方で、からかうときの彼は驚くほど積極的だ。猫耳を撫でながら、意地の悪い笑みを浮かべ、優しく囁いてきたあのときのことを思い出し、セリーナは思わず頬を紅潮させる。
(あのギャップ……ズルいわ)
思い出しただけで、心臓がどきどきしてしまう。
「ふぅ……」
一度、深く息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
とにかく今は仕事に集中しなければならない。そう自分に言い聞かせながら、セリーナは次の書類に手を伸ばした。
しばらく黙々と政務を進めていると、思ったよりも作業が進んでいたことに気づく。いつもなら三日以上かかる分量が、カナンの協力もあって、順調に片付いていく。
(これは、思った以上に早く終わるかもしれない……)
そう思った矢先、扉がノックされる音がした。セリーナが「どうぞ」と答えると、侍女が静かに入ってきてお茶を持ってきた。
「そろそろ休憩をされてはいかがですか?」
侍女の問いかけに時計を見て驚いた。集中していたせいで、時間が経つのも忘れていたようだ。
「うーん、もう少し進めたいからーー」
セリーナが言いかけた瞬間、カナンが振り向き、真剣な表情で言った。
「ちゃんと休憩しよう、セリーナ」
その言葉に、セリーナは少し驚き、戸惑った。カナンの真面目な顔に、妙にドキドキしてしまう。
「でも、まだやり残したことが……」
セリーナが渋っていると、カナンはセリーナの横に立ち、ソファを指し示してにっこりと笑ったかと思うと、おもむろに耳元で囁いた。
「休憩しないと、今ここで君の可愛い猫耳に触るよ?」
「えっ!?な、なにを!?」
セリーナは顔を赤くしながら反応した。カナンはさらに近づき、セリーナのヘッドドレスに手を添えながら続ける。
「侍女に君の可愛い声を聴かせたい?」
その言葉に、セリーナはますます赤面して、慌ててソファに移動した。
侍女は嬉しそうに微笑んで、ソファに紅茶とお菓子を用意する。
「ふふっ、カナン様がいらっしゃると、お嬢様がちゃんと休憩をとってくださってありがたいです。優しい婚約者候補様ですね」
カナンは確かに優しい。優秀で頼りになる。でも、毎回こんなふうにドキドキさせられては堪らない。
それなのに、侍女の言葉は残酷だ。
「私は隣の間に控えておりますので、何かあればお呼びください」
侍女が退室して扉が閉まると、カナンがセリーナのもとへ歩み寄った。
イヤな予感がする。
「休憩するんでしょう!?ちゃんと休憩しましょう!」
セリーナが必死に言うが、カナンはそのまま無言で距離を詰め、セリーナの目の前で立ち止まった。
「俺、実は猫が大好きなんだ。だからーー」
カナンが低い声で言いながら、セリーナのすぐ隣に腰掛けた。
近い。そして悪い顔をしている。
「君の可愛い猫耳を愛でさせて。それが俺の休憩ってことで」
「っっ!!そんなーー」
セリーナが反論するよりも先に、カナンが手を伸ばして、彼女のヘッドドレスを取り払った。そして、優しく耳の先に触れる。
セリーナはびくっと体を震わせ、目を閉じた。
「んにゃっ……」
声が漏れた瞬間、セリーナの顔がさらに赤くなった。耳を撫でられるたびに、体が反応してしまうのを感じる。恥ずかしさと心地よさが入り混じった感覚に、体がふわふわと浮かぶような感覚に包まれる。
カナンは耳を優しく撫で、時には少しだけ力を込めて、セリーナを挑発するように弄んでいく。
「ふにゃぁ……」
甘く漏れた声に気を良くしたカナンがさらに耳の後ろに指を這わせると、セリーナはますます蕩けていった。
(こ、こんなの……)
セリーナはもう恥ずかしさを感じる暇もなく、ただその手のひらに身を任せていた。
「こっちの耳も、ちゃんと撫でてあげないとね」
カナンはセリーナのもう片方の耳に手を伸ばす。セリーナの反応を楽しむかのように、ゆっくりと耳を撫で続ける。
「にゃ…んっ」
セリーナの体が軽く震え、その声がカナンの耳に届く。カナンはそのまま、セリーナの耳を弄ぶ手を止めることなく、満足げに微笑んだ。
「セリーナ、本当に可愛い……」
休憩という名のカナンのイタズラは、侍女がお茶を下げに来るまで続くのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本日もう一話投稿します。
次話『移動中も気が抜けない』