3-3(8)
〈コト!〉〈カサ……〉
僕は普段聞きなれない音に反応し、手の甲でまぶたを数回こすった。
「新聞か。脅かすなよ」
僕はゆっくり身を起こすとあくびをしながら入り口付近へ向かい、ドアと
床に挟まれた朝刊を抜き取った。
慣れた手つきでコーヒーメーカーに小さな液体カプセルをセットした僕は
スイッチをONにし、朝刊を小脇挟みながらデスクへと向かった。
僕はおもむろにパソコンを立ち上げ、メモ帳機能から今作品タイトルを
ダブルクリックした。
「はぁ~ 全然進んでないな。ていうかイメージが湧かないんだよ」
〈コン!〉〈コン!〉
「えっ!」
(誰だよ、こんな朝っぱらから)
『フロントです。田町さま、ルームサービスをお持ちしました』
(ボク、そんなの頼んだっけ?)
〈コン!〉〈コン!〉
「あっ、は~い。すぐ開けます!」
僕はパソコン画面を伏せ、すぐさま入り口に向かいドアノブゆっくり引いた。
「おはようございます。せ~んせっ! 朝食をお持ちしました。ふふっ!」
「えっ! 栗原さん?」「何で栗原さんがココにいるの?」
「これが私の仕事ですもの。失礼しまーす!」
彼女は笑顔で僕の左脇の僅かな隙間を潜り抜けると、そのままリビングの
テーブルにコンビニ袋を勢いよく置いた。
「先生、またお酒飲んだんですか?」
「そうだけど。悪い?」
「悪いですよ、こんなに飲んじゃ。身体壊しちゃいますよ」と彼女は一旦
袋からデザート類を取り出し、空になった袋にミニチュアボトルを詰め始めた。
「いいよ、いいよ、自分で片付けるから」
「いいですよ、先生。それより好きなゼリー選んでください」と彼女は
アイスペールにグラスを放り込み立ち上がるとそのままシンクへと向かった。
「栗原さ~ん、洗わなくていいから。そのままにしておいて」
僕はゼリーの蓋を丁寧にめくり上げ、とりあえず彼女が戻るのを待った。
「先生、スポンジも洗剤もなかったんで、とりあえず水につけて置きました」
「それで十分、ありがとう」「栗原さん、いちご味で良かった?」
「えぇ、私はどちらでも」と彼女は素っ気なく答えながらもチラッと僕の手元
を目視した。
「もしかしてマスカット味の方が良かった?」
「いえ、別に」「それより先生、このバナナも食べて体力付けてくださいね。
このバナナ普通のよりすっごく栄養価が高いんですって!」と彼女は2本とも
僕に突き付けた。
「それよりどうして栗原さんがココにいるの? もしかして副編集長の差し金?」
「ご想像にお任せしますわよ」と彼女は含み笑いを浮かべながら立ち上がると
そのままデスクの方へ歩き出した。
「先生、進み具合はどうなんですか?」と彼女は伏せられたパソコン画面を
持ち上げるとマウスを使ってスクロールし始めた。
「おい、おい、勝手に触っちゃだめだよ」と僕は焦りながら彼女の元へと
向かった。
「でも先生、ちゃんとバックアップしてるんでしょ」
「いや、まだ書き出しだから特に何もしてないんだ」と鞄からUSBメモリを
取り出した。
「そ~ね~ 結構文字数あるみたいだし絶対バックアップした方がいいですよ。
先生、ちょっといいですか」と彼女は僕からUSBメモリを取り上げパソコンに
差し込んだ。
〈カチッ!〉〈カチッ! カチッ!〉〈カチッ!〉〈カチッ!〉……
手慣れた様子でバックアップを完了させた彼女はUSBメモリに内蔵されて
いる僕のアマチュア時代のファイルをダブルクリックした。
「うわっ、先生、これ全部小説ですか?」
「えっ、栗原さん、何してるの!」
リビングに戻りかけた僕はとっさに方向転換し再び彼女の元へと駆け寄った。
「この【蜘蛛のit】って先生の処女作? ふふっ! これって
あの名作のオマージュですか?」
「い、いや違うよ。特に関係ないんだよ」と焦る僕とは対照的に彼女は不敵な
笑みを浮かべながら作品タイトルを上から順に目で追った。
さすがに作品内容の閲覧とまでは至らなかったが、彼女はゼリーを頬張り
ながら僕が一番聞かれたくない素朴な質問を投げかけた。
「先生、タイトルから察するとこのフォルダにある作品って……、もしかして
ほとんどが恋愛ファンタジー系ですか?」
「まっ、まぁそんなとこかな、ははっ! 昔さぁ、お世話になった編集長が
売れたいなら恋愛物がいいよって言われたからさ~」と何とも歯切れの悪い
僕を察っしたのか彼女はまるで話題を変えるように現在執筆中のフォルダを
開いた。
〈カチッ!〉〈カチッ!〉……
「じゃ~ 今回の作品って恋愛系じゃないんで大変ですね」
「いや、実はそうでもないんだよ」と僕は少々得意げに咳払いし、彼女の
背後からマウスで画面をスクロールした。
「この手のプロットは作り手にとって実に重宝なんだ」
「そうなんですか。なんか登場人物が多くって大変そうですけど」
「一見ね。でも登場人物やイベント、事件が多いって事は工夫次第で物語が
いかようにも変更可能だからさ~ 書き手としては意外と楽なんだ」
「へぇ~ なるほどね~」と彼女は珍しく僕の答えを素直に受け入れた。
「まっ、そのわりには執筆が遅れ気味なんだけどね」と僕が失笑すると彼女は
画面を見つめながら意外な事を口にした。
「ところで先生、この土地に来て何か執筆のヒントみたいなもの見つかり
ました?」
「執筆のヒント?」
「そう、たとえば素敵な出会いとか」
「ははっ、そんな簡単に素材が見つかるワケな……」『!』
〈カチッ!〉
「ちょっと~ どうしてファイルいきなり閉じるんですか? 私、まだ
見てるのに~」
「栗原さんに折り入ってお願いがあるんだけど、いいかな?」
「もぉ~ 何ですか?」
「実はちょっと取材したい場所があってね」
「取材って何のですか?」
「もちろん小説の素材としてさ。今後の展開に取り込もうかと思ってるんだ」
「へぇ~ それで私に何を?」と彼女は空になったカップをデスク横のゴミ箱
に放り入れ、身体を僕に向けた。
「栗原さんに交渉をお願いしたいんだ。いや、交渉っていうか小説のための
取材許可っていう感じかな」
「先生、もう少し具体的に言って頂かないとイマイチ理解出来ないんですけど」
と彼女は両手で髪を束ねるような仕草を見せた。
「つまりね、何て言うか、そこで働くスタッフ達と触れ合いながらね、その~」
「働くスタッフ? 触れ合い? 先生、何が目的なんですか?」
「いや、その現場が、その~ 海鮮居酒屋で、そこで働くスタッフは何らかの
障がいがあるみたいでね。つまり就労支援的な感じなんだ」
「はぁ~ それで」
「そ、それでまぁ、彼らとの触れ合いを通して何か小説のヒントにでも
なればな~って感じかな」と僕は後頭部をせわしなくひっ掻いた。
「つまり一定期間スタッフさんに協力してもらうって事ですね」
「そ、そういうことになるかな」
「それって一時的にせよ雇用契約が発生するって事ですよね?
ウチの出版社から許可が出るかどうかまだ分かんないですよ」
「大丈夫、費用については僕の会社持ちでいいからさ」と僕が胸のあたりを
軽く叩くと彼女は怪訝な表情を浮かべながら立ち上がった。
「だったら先生が直接交渉すればいいじゃないですか~」
「いや、だってこんないい年したおじさんが若いスタッフ達と触れ合いたい
なんてどう考えても許可が下りそうにないっていうか、結構厳しいかなってね」
「ちなみに若いスタッフ達って男性ですか?」
「いや、じ、女性っぽいような……」
「なるほどね~ だから大手出版社の看板が必要ってワケですね」と彼女は
呆れた表情を浮かべながら僕の切なる願いを一蹴した。
「お断りします」
「えっ、断るって、どうして?」
僕はアシスタントでもある彼女の意外な返しに戸惑いながらも、否定出来
ない”下心”のようなものをひた隠しながら更なる懇願に努めた。
「理由を言ってよ、理由を。それに栗原さんにとって難しい交渉事じゃないと
思うんだけど……」
「私、面倒な事に巻き込まれたくないんです。それに今回は先生の個人的案件
でしょ」と彼女はリビングに向かって歩き出した。
「面倒な事って栗原さん、何か誤解してない?」
「誤解って?」
「いや、僕はただ純粋に作品の早期完成を目指してるだけで、それには
出来るだけ多くの素材が必要なんだよ。だから栗原さんが思ってるような
”やましい”気持ちなんて1ミリもないよ、ホントだよ」と僕は彼女の後を
追いながら若干語気を強めた。
「ホントですか? 先生のその必死さが逆に怪しいんですけど」
「いや、いや、栗原さん、よく考えてみてよ。もし僕が若い女性スタッフと
関係を持ったりなんかしたら確実に大スキャンダルに発展するよ。つまり
今持ってるもの全てを僕は一瞬にして失う事になるんだよ。今の僕にそんな
危ない橋を渡る勇気なんてあるわけないじゃん」
「ないじゃんって言われてもね~」と彼女は妙に冷めた表情でバナナの
皮を剥き始めた。
「ところで栗原さんってこの土地について詳しい?」
「なんですか突然。そんなの詳しいワケないじゃないですか」
「この辺りは田舎だからね、交通の便が悪い上に坂や階段が多くって移動が
大変らしいんだ。知ってた?」
「知らないですよ、そんなの。それより先生、何が言いたいんですか?」
「いや、小説の素材が不足して執筆に行き詰まったこの僕を探すのって
さぞかし大変なんだろうな~ってね」と僕も彼女同様に冷めた表情でバナナ
の皮を剥き始めた。
「先生、私を強迫するんですか!」
「いや、強迫じゃなくって可能性の話をしてるんだよ、可能性の。ま、まぁ、
そんな怖い顔しないでよ」と僕は彼女の迫力に一瞬たじろいだ。
「コーヒー飲むでしょ、栗原さん。さっ、一旦座って、座って!」
僕は興奮気味の彼女をとにかく落ち着かせるため大慌でコーヒーメーカー
の挿入口に液体カプセルをセットした。
「もうちょっと建設的な話をしょうよ、ねっ。僕の執筆がはかどれば今まで
以上に僕を監視する必要もなくなるし、栗原さんの自由時間も増えるだろ。
結果、栗原さんの精神状態が安定すると思うんだ。まっ、いつも迷惑かけてる
僕が言うのもなんだけどねっ!」
「ホント、そうですよ。先生が頑張ってくれないと上からネチネチ言われるの
私なんですからね」
「ホント申し訳ない。でもさ、僕の調子が上がりさえすればみんなハッピー!
まさに今で言うウィン・ウィンだと思わない?」と僕はカップに出来立ての
コーヒーを注ぎ入れた。
「まぁ、確かに先生の執筆が捗ればね」
「栗原さん、ミルクと砂糖いる?」
「いえ、結構です。そのままで」と彼女は立ち上がり僕に近づいた。
「実際、副編集長もかなり僕の執筆状態を気にしてるみたいでさ、一昨日も
京和亭で会食してね。その時この旅の提案があったんだ」
「先生、京和亭に行ったんですか? いいな~ いつもなら私も同席
してるのに。やっぱり高級料亭だから私は外されたんですね」
「いやそれは違うと思うよ」と僕は若干気落ちした彼女にカップを手渡し、
話を続けた。
「実は食事の後、いわゆるクラブ活動を予定していたらしいんだ」
「クラブ活動って女の子たちがいるクラブですか?」
「そう。だから栗原さん呼ばれなかったんだと思うよ」と僕はとっくに冷めて
しまったコーヒーを口にした。
「なるほどね~」
妙に納得し、若干冷めた表情の彼女に僕は少々誇らしげに付け加えた。
「ちなみに僕は当然の如くお断りしたよ」
「えっ、先生、行かなかったんですか?」
「当然だよ。若い女の子と飲むより僕は執筆を優先したよ」と僕はさっそうと
彼女の前を横切るとそのままソファーに深く腰掛けた。
「そろそろ僕に対する誤解、解けたんじゃない?」
「そ、そうね~」
彼女はコーヒーを口に含むと、膝を揃えながらゆっくり僕の真向かいに
腰掛けた。
「ところで栗原さん、このホテルの最上階に鉄板焼きのレストランあるの
知ってる?」
「最上階の一番奥にある高そうなお店ですか?」
「そう、そう。京和亭みたいな高級料亭は無理だけど鉄板焼きならいつでも
ご馳走するよ!」
「えっ、ホントですか?」
〈ピッポッポッ!〉〈ピッポッポッ!〉
「あっ、すみません、先生」と彼女は立ち上がり僕との距離を取った。
『栗原です』『あっ、はい。資料は出来上がりました』『はい』『はい』
「先生、すみません。編集部から電話でちょっと急ぎみたいなんで……」
「あっ、いいよ、いいよ。で、栗原さん、交渉の件は?」
「何時頃、お伺いすればいいんですか?」
「じゃ~ 今日の午後2時半頃でどうかな?」
「分かりました。すみません、慌ただしくって」と彼女はコーヒカップの縁に
ついた口紅を親指で拭きテーブルに置くと、そのまま血相を変え部屋を
飛び出した。
なんとか彼女を取り込み、最初のハードルを乗り越えた僕は早速パソコンの
メモ帳機能を立ち上げ契約書作成に取り組んだ。
執筆時とは明らかに違うその指捌きは、幸福感に満たされた現状を如実に
表すかのようにリズミカルかつ迅速だった。




