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あの瞬間僕はまるで白昼夢を見ているかのようだった。
それは彼女の残像がまるでホログラムのごとく色鮮やかに揺れ動き、
彼女以外すべての背景が無色化される様子を僕は目の当たりしたからだ。
よく交通事故のような衝撃を受けると対象物がまるでスローモーション
のように流れると言われるが、彼女との出会いはそれに準ずるほど僕とって
衝撃的だったに違いない。
そんな極めて特異な体験をした僕は少し冷静さを取り戻し、現在ホテルの
バルコニーで心地よい夜風に吹かれいる。
〈ヒュ――ッ〉
〈カサ〉〈カサ〉〈カサ〉
僕はコーヒーカップを両手で包み込むように持ち上げ、額をカップの縁に
軽く押し当て大きく息を吐いた。
他人の空似という言葉があるように、彼女はナオミではなく全くの赤の他人
という疑念を抱きながらも僕は幾度となく当時の記憶を辿っていた。
職業作家となり、作品と言えば出版社とタッグを組みながら読者に寄り添う
内容に終始して来た僕だが、以前の作品には必ずと言っていいほどナオミが
キャスティングされていた。
その理由はただ一点に尽きる。
僕はナオミとの再会を切なる思いで待ち続けていたのだ。
いつ会えるかなど何の保証もない僕は当時ただひたすら書き続けた。
そして幸運にも公募に引っ掛かかり何とかデビューにこぎ着けはしたが、
”職業作家”それは僕にとって本意ではなく、あくまで副産物的であると
言えよう。
だからこそ僕はアマチュア活動時代の質問についてその答えをはぐらかし、
沈黙を貫いた。
それは僕がミステリアスを装い、秘密主義を貫いたのではなく単に話せな
かったのだ。
僕はバルコニーから室内へ移りミニバー用の冷蔵庫からミニチュアボトルを
数本鷲掴みすると、左手で氷をグラスに放り込んだ。
日中さんざんアルコールを摂取した僕はさすがに晩酌は控えるつもりだった。
だが彼女の素性が不明なこの状況下、この僕がわざわざ飲酒を控える理由
などあるはずもなかった。
〈ゴクッ!〉〈ゴクッ!〉〈ゴクッ!〉……
〈カラン!〉
「ふぅ~」
僕は2本目のミニチュアボトルを開け全てグラスに注ぎ込むとそれを半分
ほど飲み干し、再びナオミについてあれこれ考え巡らせた。
確かに彼女、ナオミにそっくりだったよな~ いや、本人だよ、きっと。
造った本人がそう感じるんだから間違いないと言えばそうなんだけど……。
でも、彼女の反応が何か違ったんだよ。ふぅ~ それにナオミじゃなくって
カオリって呼ばれてたしな~ いや~ 分からん。まさにミステリーだよ。
だがそんな淡い期待感漂う妄想も、ふと浮かんだ一瞬の”気付き”により
僕は絶望の淵へと追い込まれてしまった。
「あっ、そういえば今回の作品にナオミはキャスティングされてないじゃん」
あからさまに気落ちした僕はバルコニーに戻る余力もなく近くのソファーに
崩れ落ちるように倒れ込んだ。
「あ――っ! もう、別人確定じゃん!」「紛らわしい事するなよな~」
僕はまるでこれまでのワクワク感を返せとばかりに不平不満を口にすると
おもむろに両腕を後頭部に回し、ソファーに横たわりながらぼんやりと天井
を眺めた。
そもそもナオミは架空の人物。
正しくは僕が創作したヒロインが、彼女が登場しない小説を執筆中の僕の
前に突如姿を現すはずなどないのだ。
今作品は多忙な仕事に翻弄された中間管理職の男性が都会生活を捨て去り、
長閑な田舎暮らしを通し自身を見つめ直すという実にありふれた内容だ。
僕はありったけの腹筋を使い上半身を起こすと、素早く最後に残った
ミニチュアボトルを掴み取りラベルを確認した。
あまり見かけないボトルだな。まっ、何でもいいや。
僕はほぼ原形を留めていないアイスに向かってウイスキーを全て注ぎ込み、
ゆっくりグラスを傾けた。
かなりクセがあるけどちょっと若くって尖った感じのウイスキーも
悪くないな。でもこのウイスキーってどこかで飲んだような……。
「あっ、コレって以前ナオミとホテルのバーで飲んだやつだ!」
今日の出会いが単なるぬか喜びとなり、適切な回復薬を見つけ出せない僕は
万人受けしない特異なウイスキーフレーバーと共にナオミとホテルで過ごした
ワンシーンを懐かしんだ。
『あ―っ、楽しかった! 色々レンちゃん、ありがとねっ』
『喜んでもらえて嬉しいよ。ちなみにウイスキー、あれホントに美味かった?』
『う、うん。美味しかったわよ。でも私が今まで飲んだのとはちょっと違った
かな』とナオミは器用に白いシーツをクルクルと身体に巻き付けると突然顔を
覗かせ上目づかいにニヤッと含み笑いを浮かべた。
『やっぱりな』と僕は落胆し、ナオミとは逆方向にシーツを巻き付け彼女に
背を向けた。
『ちょっとぉ~ レンちゃん。レンちゃんってばっ!』
『何だよ』
『レンちゃんも実際飲んでみて美味しかったんでしょ。アンズやドライフルーツ
の香りからフィニッシュにかけての青リンゴのフレーバーがなんとも爽やかな
とっても飲みやすいウイスキーだよねって言ってたじゃない』
『まぁ、確かにフルーティーで飲みやすかったけどさ』と僕は少々得意げに
再び身体を半回転させ、未だ懐疑的な表情でナオミを見つめた。
『ホントに美味しかったわよ。まるでアルコール臭がなくってさ』
『でもさ、中には『あれ?』っていうウイスキーもあったんじゃない?』
『うん、まぁね』と彼女はおどけた表情で口元をシーツで覆い隠しながら
数回頷いた。
『もしかして僕がピートが効いててかなりスモーキだねって言ってたヤツ?』
『そうアタリ! スモーキってほのかな燻製の香りなのに思いっきりソーセージ
フレーバーなんだもん』
『だってしょうがないだろ。ボク普段ウイスキーなんて飲まないんだからさ。
あっ! もしかしてヨード香がするウイスキーも変だった? ネットの書き込み
だとケミカル臭がするらしくってさ、一応ボクなりの言葉で表現してみたん
だけど確かにアレ相当不味かったよね』
『やっぱりレンちゃんムリしてだんだ。海草の成分がどうのこうのウンチク
語ってたけどアレって完全に理科の実験室フレーバーだったよね』
『だったらあの時そう言ってくれればいいのにさ』と僕はベッドから降り
お洒落な電気スタンド前に置かれたスマホをスクロールした。
『何してるの?』
『明日早いからさ、一応アラームセットしとくね』
『明日ってまだシーンが続くの?』
『いや、ドライブの途中までだよ』
『そりゃ~ 今日のワンシーンにこれだけ立派なセットだもんね。さすがに
ベイサイドまでは無理よね』とナオミは再びシーツにくるまり背を向けた。
『じゃ~ もう寝るよ』
僕はリモコン画面を操作し部屋全体を間接照明に切り替えシーツに潜り込むと
大きな窓ガラスに金色のライトが反射し、ナオミが立ち上がりこちらに向かって
ゆっくり近づいて来るのが見えた。
『……ねぇ、レンちゃん』
『な、何だよ』
『今日はもうこれで終わりなの?』
『そうだよ。ナオミも早く寝たほうがいいよ』
『ちょっとそっちに行っていい?』
『な、何言ってんだよ! ボクそういうのあまり得意じゃないんだよ』と身体
を尺取虫のように器用に曲げながらベッドの端に移動するとナオミは足先を
シーツに引っ掛けたのかまるで崩れるようにベッドから転げ落ちた。
〈ドン!〉
『イッタッ!』
『ふっ! 何やってんだよ』
『あれ? なんだか身体がフラフラするんだけど』
『しょうがないよ、だって台本にない事しようとするからだよ』
『レンちゃん、私を誰だと思ってるの。女優よ! それも一流の。場合に
よっては脚本を変えることだって『キャ―ッ!』〈ごろ〉〈ごろ〉……
『あんまり暴れるとパンツ見えちゃうよ!』
『変態レンのバカ!』『キャ――ッ!』




