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「運転手さん、寄り道しないで必ず先生を自宅に送り届けてくださいね」

「分かりました」

「それじゃ~ よろしくお願いします」


〈ドン!〉


 僕は彼女と運転手さんのやり取りを聞き流し、笑顔で手を振る彼女を横目に

軽く会釈すると車は大通りに向かってゆっくり発進した。

 小説家デビューを果たし、順調に出版部数を伸ばしつつある僕は4年ほど前

から大手出版社の担当が必ず一人付き、外出時は毎回タクシーで帰宅する日々

を送っていた。

 しかもタクシー代金は出版社持ちだから、移動時は基本財布を開ける必要が

ない。

〈ピッポッポッ!〉〈ピッポッポッ!〉


 僕はバッグからスマホを取り出しメールを確認するとすぐさま”了解”と

返信した。 

 内容は明日予定されている雑誌インタビューの確認メールだった。

 僕は執筆活動の傍ら積極的にメディア業界にも活動範囲を広めている。

 それは職業作家にとって有名になる事、つまりネームバリューというのが

書籍販売に多大なる影響を与えるという現実を熟知しているからだ。

 世間に名が知られていない作者と有名人の書籍がある場合、読者がどちら

を選ぶかは火を見るよりも明らかで、作品の内容はさして重要ではない。

 まずは選んでもらうことが最優先事項で、それには自らネームバリュー

を上げるしかない。

 これは人間関係でいう第一印象の重要性に通ずるように思う。

 僕の場合、積極的な行動が功を奏したのか3年ほど前から実売部数から

発行部数契約に変わり、印税率も前作の8%から10%となった。

 ちなみに実売部数というのは印税率が実際の売れた部数に掛かるのに対し、

発行部数契約はたとえ売れなくとも発行された部数に対し印税率が掛かるので

著者として安定した収入が見込めるというわけだ。

 だが収入面に関して世間一般では夢の印税生活と思われがちだが現実は

すこぶる厳しいと言わざるを得ない。

 やはりネームバリューを高め、作品がメディア等で紹介されるなどの後押し

がないと重版、ハードカバーから文庫化と発行部数を増やすことは出版不況の

この時代では非常に困難な状況だ。

 

〈ピッポッポッ!〉〈ピッポッポッ!〉


 再び届いたメールを確認すると、”所要のため明日の雑誌取材に同席出来

ない”との内容に僕は再度”了解”と打ち返した。 

 送り主は僕の経理担当兼、日々のスケジュール管理もお願いしている高杉

という男性で僕のビジネスパートナーというべき人物だ。

 ちなみに昨年から僕は個人事務所を立ち上げ、彼にお金の管理を全て任せて

いるので執筆活動に集中出来る今の環境はまさに彼のお陰でもある。

 更に言うと彼の税に関する幅広い知識、及び的確なアドバイスについても

僕は大いに感謝している。

 毎年徴収される税金に頭を抱えていた僕が出版社主催のパーティーで偶然

彼と出会い、税の相談を持ち掛けた事をキッカケに自らの事務所立ち上げに

尽力してくれたのも彼だった。

 

〈カッチ!〉〈カッチ!〉〈カッチ!〉……


 タクシーは大通りを外れ大きく弧を描くようにゆっくり右折すると僕が

事務所兼住居としているタワーマンションが見えて来た。

 2棟が並ぶように隣接するマンションの奥側エントランスにタクシーが

横付けされると僕は支払いを済ませ、コンシェルジュの女性に軽く会釈、

そしてそのままエレベーターホールへと向かった。

 その後、到着したエレベーターに乗り込んだ僕は迷わず45階のボタンに

軽く触れた。

 エレベーターはいつものように僕の指示に従い、高速且つ確実に部屋の前

まで僕を運んでくれる。

 そして全面ガラス張りのリビングから見える絶景が僕を迎えてはくれるが

そこに以前のような感動はない。

 冷静に考えればそれは当然だ。

 毎回同じ景色を見て感動するなんて、その人物の記憶に何らかの障害が

ある以外考えられない。 

 延床面積もフリーター時代の安アパートに比べゆうに6倍の広さを誇る

このスペースも僕にはあまり意味がないようだ。

 つまり部屋のほとんどがデッドスペースとなり、高額な家賃に対しあえて

メリットを挙げるとすれば静粛性ぐらいだろうか。

 そんな作家にとって最適な環境ながら実は今作品の進みがすこぶる悪い。

 僕の場合他の作家さんと違い、作品の設計図プロットを完成させずに

執筆を始めるので一旦イメージが途絶えるとまさに完全フリーズ状態に陥って

しまう。

 演劇に例えるなら舞台稽古の最中、監督である僕の怠慢で役者をはじめ

スタッフ全員から冷たい視線を一斉に浴びているようなものだ。

 前作もそんなカオスな状況に耐え切れず僕はとりあえず逃亡を試みたが

あえなく失敗。

 そして今いるこのリビングに押し込められた苦い過去がある。

 その為毎回しっかり下調べ及びプロットの完成を優先させようとするも一向

にはかどらず、結局プロットと執筆の同時進行とあいなる。

 やはり執筆プロセスは人それぞれ向き不向きがあるということかもしれない。

 ルールや法則に則って進める仕事とは違い、想像力を駆使しながら何もない

所から形作るこの職業は確かに刺激的ではある。

 が、しかしそれはあくまで”順調下では”と言う絶対条件が付く。

 まるで流れるように頭の中で物語が展開、進行しながら執筆自身がその

ストーリーのワクワク感に浸れるなんて正に作家冥利に尽きるのだが……。


「ふぅ~ 今日もダメか。こんな日がいつまで続くんだろ?」


 僕は執筆を諦め先日出版社から送られて来たFAXを手に取り、明日予定されて

いる雑誌取材の主な質問内容に目を通した。 

 そしてその足で僕はワインセラーに向かいゆっくり扉を開け、おもむろに

ワインボトルを取り出した。

 カリフォルニア産の白ワインだ。

 僕がフリーターだった頃、バイト仲間の長澤さんから貰ったナパバレーの

白ワインの味が忘れられず今でも愛飲している。

 夕暮れが近づいたのか大きな全面ガラス張りの窓から見える景色に少しづつ

灯りが点り始めると僕はつい思い出してしまう。

 それはナオミと過ごした幼くも不安定で、ひとたび触れてしまえばすぐに

壊れてしまいそうな夢物語を……。


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