42 「天使の。」
アンジェリカはアルト男爵家を継いで生きていくのだと思っていた。
けれども十三歳で母が亡くなり、父が再婚し――腹違いの妹がいることがわかると、状況は変わってきた。
「三ヶ月違いで妹て、さぁ……」
友人のリンダがなんとも言えない目で慰めてくれた。彼女とは母方の従姉妹同士にして幼馴染みでもある。馬術にも同じく興味を持ってくれて。ちなみにリンダはアンジェリカより一ヶ月歳上の同い年。
母が亡くなった時にも寄り添ってくれた。
そのすぐ後に、喪があける前に父が連れてきた――家族のことも、こうして同じく呆れてくれた。
リンダはアンジェリカの名前に似合わない豪快なところもしっかりと知っていた。
そもそも伯母――アンジェリカの母のクロエにしてそうだった。弟である父が何かあればため息混じりにフォローに回っていたのを聞いている。
一番はクロエが嫁いた時だったとか。
「あの男は止めておけ」
そう、弟も祖父も止めたそうだが、案の定――そうして結婚前からの愛人や隠し子だ。
けれどクロエは恋に盲目だった。
アルト男爵がクロエの実家、ルームス男爵家の金目当てだという周りの声を聞かないで、その見せかけの優しさにすっかりと心奪われていた。ルームス男爵家は商人上がりでしっかりと太い商売ルートをもった男爵家だったのだ。
「伯母さま、面食いだったのもあると思う」
「……私も、そう思う」
何せ父のアルト男爵はなかなかの美男。
その娘であるアンジェリカもなかなかの美少女だ。ついでに腹違いの妹のケイトリンも。父の愛人のケイトリンの母も美しい人だから、妹の方が並ぶとやはり美しいだろう。
自分似だとはいえアンジェリカより、自分と愛人の良いところどりのケイトリンの方が、アルト男爵にはもっと可愛いのだろう。
婚約者であったナイジェルも。
そんな面食いアンジェリカの母は――少しばかりそばかすが目立つリンダと似ていた。伯母と姪だから当たり前だが。
だから自分を「可愛い」だなんて甘い言葉を囁いてきたアルト男爵に、コロッと騙されて。
まぁでも、母が亡くなるまでは愛人の存在を母に隠し通したし、母が病床についたときは毎日見舞うくらいは愛情はあったのだろう。その頃はどうにも憎めない母と父だと思っていたのだけど。
ルームス家からの援助が欲しかったのが一番だろう。
母が産後のテンションで、「ああ、私、天使を産んでしまったわ!」と――そして頑として名前を変えなかったのも、許したそうだから。
「……興味なかっただけかも」
「それは、うーん……」
「だとしたらお母様の勢いでもちゃんと名前つけられたことには感謝するわ」
アンジェリカの名前は、母のそういうところからだ。
そして母はなんで病気になったのだろうと皆が信じられないくらいに、案外豪快な人だった。面食いだったけど。甘い言葉に弱かったけど。
それでも目一杯アンジェリカを愛してくれた。
「善い人から早死にするって、あると思う……」
そう結論をまとめると哀しいが。
ルームス男爵は、弟は姉に振り回されたが決して姉弟仲は悪くなく。何だかんだ前向きで明るいクロエの性格に引っ張られた人生は良いことも多かった。だからルームス男爵家はアンジェリカの後見人を引き継いでくれた。
それがあって母が亡くなったアルト男爵家でもアンジェリカの扱いが悪くなることはなかった。
父のアルト男爵は顔は良いが――良いのは顔だけで、金稼ぎが下手なひとだったから、ルームス男爵家からの支援が引き続き必要だったからだ。
だったらケイトリン達を引き取らなければと周りも思ったが――それは新たな金づるのためかと。
アンジェリカの婚約者のナイジェルは、アンジェリカより腹違いのケイトリンを選んだのだから。
ナイジェルのタープ子爵は――そのナイジェルの父は、もともとアルト男爵の悪友であったという。彼は可愛がっている次男にも爵位を与えてやりたいと、仲間内でアルト男爵家に婿入りを打診した。
もちろん援助は惜しまないと甘い言葉と約束付きで。
お堅いルームス家より甘く融通のきくタープ子爵家に乗り換えようとアルト男爵は考えその話を受けた。
そしてアンジェリカの婚約者はナイジェルとなったのだが。
しばらくしてアルト男爵は計画を変えたのだ。
自分が可愛がっているケイトリンもナイジェルを気に入ったから。
可愛がっている子供同士に跡を継がせよう。
そんな計画を、だ。
ケイトリンは学園で人気のある姉へのやっかみで、ナイジェルも自分の思うようにならないアンジェリカに何かしら……な、めんどくさい対抗心があったのだろう。
それを薄々気がついていたアンジェリカは、リンダに愚痴る。
今日はルームス家にお泊りだ。
腹違いの妹の斜め上の思考の相手を、わざわざする必要もない。
それでも日々、何かしら溜まっていく。たまの息抜きはとっても大切。
最近人気の果実酒をリンダが手に入れてくれたから、自棄酒だ。
この国では酒に対しての年齢制限が低い。酒に強い体質があるからだろう。
それでも酔いたいときはある。
「これ、ホンス伯爵家の果実酒なのよ」
「へぇ……あ、エドワード君のお家?」
「そうそう」
それは馬術部に入ってきた新入生のお家だ。彼女らは一つ歳上の先輩になる。
「へぇ……ホンス伯爵家……」
少し前にごたごたがあり、親戚から別な家の次男だった彼が養子入りしたとか薄っすら噂になっていた。
貴族ではよくあることだけれども。
どのご家庭も大変だと、改めて。
己が身にも重なる。
「エドワード君も大変だったんだなぁ……」
女顔で可愛らしい外見の後輩は、案外重たい人生を背負っているようだ。
けれどこの美味しいお酒を彼が引き継いでくれることは良かったと思う。これは途切れ無くなったら世界の損失だ。
アンジェリカは本人も自覚ある、かなりの酒好きだ。
「いざとなれば豪雷号に飛び乗って家を出る覚悟はできてるわ……!」
ついでに準備も。ひっそりとベッドの下には母から譲られた換金できそうなアクセサリーが隠してある。
「覚悟完了ね……」
リンダはその時はうちにいらっしゃいと常々相槌を打ちつつ――友人の名前のセンスだけはどうだろうと、悩む。
豪雷号(♀)。
黒い身体に額に一筋の白い雷のような輝きをもつ彼女の愛馬。
まぁ、似合うような――もうちょっと手加減してやれと思うような。
アンジェリカは中身は、母親似よね……なんて。
そんな豪雷号の出番は、なかった。
彼女は用意していた母の形見の宝飾品と、他の嫁取り道具と、ゆっくりと主を乗せてホンス家に行くことになったから。
自棄酒の数日後。
案の定、妹と婚約者はやらかしてくれたのだが。
その場でまさか。
自分がその美味しいお酒作りのお家に――エドワードに求婚されることになるとは。
アルト男爵は自分が切り捨てようとした娘の方がタープ子爵より大きな――まさに逃した魚は大きいを味わった。
ケイトリンとナイジェルのことがあり、アンジェリカは後見人のルームス男爵家に籍を移ったからだ。
跡取りは自分たちだと、多くの人の前でケイトリンたちが言ってしまったために。それを父親のアルト男爵も認めていることまで。
そうしてソーン伯爵家やエルブライト大公家、個人的にフェアスト公爵の後見があるホンス伯爵家との御縁を得るきっかけをアルト男爵家は失ったのだった。タープ子爵家も。
そうしてアンジェリカはリンダと戸籍上で姉妹となり。
アンジェリカはルームス家からホンス家に嫁ぐこととなった。
リンダは従姉妹から戸籍上妹となったアンジェリカに良かったと思いながら――。
「もしも将来、子供が産まれたなら、名付けはエドワードくんやお祖母様に相談するのよ」
もしくは産まれたらすぐ私に連絡するようにと、リンダはこっそりとその旦那様であるエドワードに――己が後輩に伝えていた。
数年後、良く言ってくれましたとホンス家から感謝されたリンダだった。
産んだばかりでゼーゼー言いながら、幸せいっぱいで舞い上がり、とんでもない名前をつけようとする親友を――リンダは笑顔で拳骨を落としたのであった。容赦なく。
「何事にも負けない強さを! 我が子に勝利を掴む……そう、ヴィクトリーなんて名前――」
「女の子だわ! このバカタレ!」
「り、リンダ先輩、ご容赦を! でもすみませんんん、ありがとうございますぅう! 僕じゃ止められない……」
そうしてエドワードとアンジェリカの初めての子は、落ち着いてからゆっくりと名前をつけられた。
ジャクリーンと。
祖母が敬愛してやまない、自分たちの曾祖母から頂いて。
無事に元気に成長したジャクリーンは、懐いたリンダに度々感謝したという。リンダはジャクリーンの後見人にもなった。
ちなみに次に産まれた長男はヴィクトールと、きちんとアンジェリカの希望も……。
そんなホンス家が。エドワードが。
新しいノンアルコールの飲み物を出したときに甘口を「天使の微笑み」、辛口を「天使の涙」として売り出したとき。
最愛の妻の名前をそこに使ったか。
愛されて良かったねと、リンダこそが一番、泣いて微笑んだ。
こういう前向きに豪快なお嬢さんがお嫁に来たら頼もしいかな、と。
実はシーモアさんへの書き下ろしのサイダーの名前です。
そう、こちらの「だから結婚は君としただろう?」ですが、リブラノベルさんより電子書籍にしていただくことになりました。
https://www.cmoa.jp/title/1101480729/
リリアラのその後をしっかり書かせていただきました。むしろその話を書きたくてこの「だから結婚は君としただろう?」という話を書いたのかもしれない。
どうぞよろしくお願いします。




