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22.私はあなたが羨ましい

「何よその口調。猫被ってたのね、本当性格が悪い」

「あら、誰だって公の場で猫くらい被るわ。普通はね」

「伯爵家風情が王妃様の真似をするのが普通だっていうの」

「仕方がないでしょう。私はあなたとは違ったんだから」

「はぁ?」


 半歩前に出て対峙した。それでも普段の言い合いよりずっと距離がある。

 飛びかかられても絶対に手が届かない場所で、サリドラは静かに笑った。


「あなたが私の美貌を妬ましく思う気持ちはわかるわ。不公平よね。生まれたときから土台が違うんだもの」


 そっと口にした言葉に敵意が漲る。


「……妬ましいなんて言ってないわ」

「言っているようなものじゃない。否定をするならその正直な目をどうにかしてちょうだい」


 ギラギラと輝くヘーゼルの瞳は嫉妬に塗れて、サリドラの顔を凝視していた。サリドラの青い目はどんな感情を湛えているだろう。

 声を抑える。胸の奥から迸る激情をあまり刺激しないよう。ぐらぐらと煮え立つ黒いものが、のどから溢れて散らないように。


「あなたが私を妬ましく思うように、私だってあなたが羨ましかった。人の顔を持っている。それだけでも羨ましいのに、およその無理を弾くだけの権力がある。私だってそれが欲しかった。社交界に出たばかりの頃、あなたの父親にベタベタと触られても跳ね除けられなかった私の悔しさがわかる? できることなら引っ叩いてやりたかった。私があなたと同じ爵位なら、私の嫌悪をどこかに訴えることができたのよ――不公平だわ。生まれたときから土台が違うなんて」


 妬ましかった。羨ましかった。不公平だと何度も叫んだ。

 人の顔を持って生まれたかった。こんな体はいらなかった。人の世界はサリドラに優しくなかった。人ではないから。異物であるから。

 欲しいならあげたい。手にして絶望するといい。サリドラの苦悩をお前たちも知るといい。

 譲渡など、しようもないのだけれど。


「ロルフはあなたの見た目を美しいと言い、中身を見て嫌いと言ったわ。いいわね、羨ましい」

「大した嫌味!」

「本心よ」


 両手を広げて慣れた笑みを作り上げた。どの角度から見ても隙のない、サリドラにとっての防壁だ。


「ねえ、私を見て。美しいでしょう。いつ見たって、誰が見たって、私は美しいでしょう。それで、ティアナ様、私ってどんな中身をしている?」


 ことさらに優しい声でティアナに尋ねると、まるで得体の知れないものを見るような目を向けられた。


「何度もお話したでしょう。取り繕ってはいたけれど、私はあなたとの言い合いで嘘を吐いたことは一度もないわ。ねえ、私ってどんな性格をしているかしら?」

「男漁りが上手くて、嫌味ったらしくて、美を鼻にかけた――」

「それは違うだろう。サリドラは基本的に男を毛嫌いしているし、自分から嫌味を仕掛けはしないし、己の美を疎んじている」


 鼻白みながらもティアナは慣れた嫌みを口にした。それを途中で遮って、ロルフはひとつひとつを訂正していく。

 声の重みに、ちらりと隣を見上げた。こちらに向けられた彼の目は、まるでサリドラの心を見通そうとするかのようで、痛みを覚えて顔を逸らす。

 そんなに真摯な目を向けないで欲しい。ティアナの言う通り、見れたものじゃない中身だ。特に今はドロドロとして、濁ったものが詰め込まれている。

 ロルフの視線に気づかなかったフリをしてティアナを促すと、そわそわと視線をさまよわせた。


「……いつでも自信に溢れていて、私のことなんて眼中になくて」

「私、あなたのこと嫌いじゃないわ。かまってちゃんで独りよがりで面倒くさいけれど、良くも悪くも真っ直ぐで、私に本音で当たってくれるから」

「喧嘩売ってるの!?」

「買ってるの。眼中になかったら売られた喧嘩を買いやしないわ。もし私が買わないまま、言い返さずに弱った顔をしていたら、きっと私が一言も喋らなくとも誰かがなんとかしてくれたんでしょうね」


 初めて気づいたというように目を見張る。

 悔しかろうと認めざるを得ないだろう。異性はサリドラの味方だった。サリドラが元気に迎撃していたからこそ誰も口を挟まなかったが、もしも目を伏せて口を閉ざしていたら、ティアナはあらゆる方向から非難を浴びていたはずだ。

 ちなみに、女に嫌われるタイプなのはサリドラもティアナも同じだが、ティアナは意外と同性から嫌われていない。サリドラに真正面から文句を言う様がいくらか支持を得ているのと、サリドラにけちょんけちょんに負ける様が同情を買っているためである。

 それもまた少々羨ましく思う。同情票でもいいから、サリドラへの嫌悪感も薄めて欲しい。残念ながらティアナに負ける気はしないので無理な話だが。


「高慢……で……」

「そうね。私は確かに猫を被って高慢に見せていたわ」


 ようやく正解を引いたと顔を輝かせるティアナに、サリドラは眉尻を下げた。


「でもずっとじゃない。私は最初からこうだった?」

「さ、最初……? ええと、同じデビュタント・ボールで」


 棘を増やし、身を守る。そう決めたのはデビュー前の少女であったサリドラだった。

 でもそれはあくまで異性に向けてだったから、サリドラは――。


「サリドラは自分が一番って顔をして異性に囲まれてて、私はそれが気に食わなくて、身のほどをわきまえろって忠告してあげたのよね。あなたはそんなことはないって謙遜じみた嫌みを言ってたわ」

「……言いがかりは止めてくださいと、私は鼻で笑ってティアナ様を突き放した。覚えてるわ」


 記憶を漁ったティアナの言葉に自然と笑みがこぼれる。それは力ない諦念の笑みだった。

 ――サリドラは友達が欲しかった。特別仲良くなれなくてもいい。迷惑をかけない程度に、顔を合わせれば程々に雑談を楽しめるくらいでいい。誰かと何気ない会話がしたかった。同性にしか望めない希望を胸に、初めての夜会に赴いたのだ。


「自分が一番なんてこと本当になかったのよ。付け焼刃のマナーで、立ち姿も歩き方も、比べてみればティアナ様の足元にも及ばなかった。言っても誰も聞いてくれなくて、針の筵を投げ返すことしかできなかったけれど」


 男性陣に囲まれていたのは上手くあしらえなかったから。跳ね除けようにもどこまでの無礼が許されるのかわからなかった。

 ティアナに言いがかりをつけられて、周囲の女性陣からも糾弾を受けて、そうしたらサリドラに一目惚れをした男性陣が口を挟もうとしているのに気づいて。男性陣対女性陣などという規模の大きな諍いを引き起こすわけにはいかなかったから、早々に諦めてティアナを煽って一対一に持ち込んだ。

 サリドラが孤立したきっかけは彼女だったから、多少の恨みは当然ある。けれど同じだけ感謝もしていた。あそこで火種を目撃しなければ、事態はもっと深刻になっていた可能性が高い。サリドラが気づかない内に火薬を貯め込んであちこちで爆発していたのなら、恐らく両陛下はサリドラの引き起こすトラブルを許容できなかった。

 小さく首を振って息を吐き出す。胸を満たす重い凝りはなくならなかったけれど、深く呼吸をした瞬間だけは少し気が晴れる……ような気がする。


「この美貌が力を発揮しない女性相手だって、外見で中身を勝手に作ってしまって、私のことなんて見やしない。じゃあ男性相手だったらどうだと思う?」


 ティアナの気まずそうな顔なんて初めて見た。ティアナはサリドラを知らないが、サリドラだってティアナの表面的な部分しか知らない。知るほど深い会話をできていないからだ。

 知りたかったな、と思う。性格が悪いのはお互い様。普通に交流ができていれば、どこかでわかり合える瞬間があったかもしれない。

 今からはどうだろう。彼女の父親が無実だったとしたら――いや、無理だ。ティアナがロルフに好意を抱いていて、サリドラがロルフの婚約者である以上。


「この外見だけあれば、中身がどうであろうと満足なのよ。私という人格じゃなくてもいいの。優しいとか、はっきりしていていいとか、外見ありきのただの後づけだわ。だって、それを知る前から私に惚れていたじゃない。私を知らなくても愛するのなら、そこに中身は必要ない」


 別に一目惚れを全否定したいわけじゃない。外見が好みだから好印象を抱く。普通であればいいだろう。ただ、サリドラの場合はその比重が大き過ぎるだけで。


「誰も私の全てを愛さない。あなたが言った通り、私は人じゃないから。……ティアナ、あなたが羨ましいわ。心から」

「そんな、こと」


 後ろから伸びた手がサリドラの身を浚った。くるりと半周回されて、柔らかくもないものに包まれる。分厚い肩に顔を押しつけられると、頭の奥がじんと痺れた。

 息を吐いて、吸って、目を閉じる。


「私は、知らなかったわ」

「言わなかったもの。あなたに言うのが初めてよ。一生言うつもりもなかったのだけど」


 頭を撫でられる感触に小さく笑う。布に埋まったままのくぐもった声は、ちゃんと彼女に届いただろうか。


「吐き出して、ちょっとスッキリした。八つ当たりをしてごめんなさいね、ティアナ様」


 彼女との言い合いは嫌いじゃなかった。飲み込んだ毒を吐き出す機会をくれたから。ティアナにとっては災難なことだけれど。

 難しい顔をしたロルフに連れられて庭園を後にする。その背に高い声がかかることはなく、サリドラはこっそりと振り返る。

 残された数人の騎士に囲まれて、別の出口へと案内されるティアナの小さな後ろ姿は、途方に暮れた子供のようだった。

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