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21.元婚約者

 驚くほど重たい声をぶつけられ、ティアナは物理的に衝撃を食らったかのようによろめいた。顔色を悪くして目を見開く彼女を睨みながら、ロルフはサリドラの横に立って肩を抱く。


「今すぐに謝罪をして貰えるか。それで済む話ではないが」


 その冷たい声音とは正反対に、寄せられた身は温かい。肩を包む手の温もりが染み入って、サリドラはひっそりと詰めていた息を吐いた。


「母の用事がすぐに終わってよかった。何もされていないか?」

「ええ……ありがとう」


 本当に同じ人物が発しているのかと疑うほど、耳元で囁く声は穏やかで甘い。よかったと細められる目もまた、真綿のように柔らかい。

 けれどすぐにその目は鋭さを帯びてサリドラから逸らされた。視線の先で、腰の引けたティアナが唇を噛んでいる。


「ほ、本当のことです。皆思ってることだわ」

「皆とは? 少なくとも私は一度もそう思ったことはない」

「サリドラに恋人を誑かされた子は、皆! 私だってロルフ様もマーキス様もサリドラに取られて」

「マーキスはともかく、サリドラと出会ったのは私ときみの縁がなくなってからだ。取られたとは言わないな」

「で、でもサリドラは王妃様のお気に入りだったじゃないですか! だからきっと王妃様経由で興味を引かせたんだわ!」

「確かに母から話には聞いていた。やや抜けているが努力家で、誰もが一目で惚れる絶世の美女だと。だが、それはサリドラが頼んだのではなく、間違いなく母の独断だぞ。誰かに言われたからと動く人ではないからな」


 言い募るたび即座に戻される正論。頭を直接冷やすかのごとき直球さにも、ティアナは負けじと言い返す。

 減らない口は永遠に言いがかりを続けるかと思われたが、ぶった切られるのは意外に早かった。


「ただ……そうだな、婚約中であっても、きみより話に聞いていただけのサリドラの方が好感を持てる人間だとは思っていた。私はきみのことは好きではなかったから」

「なっ……」


 視界の端で、ラヴェーヌが渾身のガッツポーズを決めたのが見えた。

 ティアナははくはくと声にならない声を吐き、錆びついた舌を無理矢理に動かしたように言葉を絞り出す。


「ど、どうして? 私は美しかったでしょう!?」

「当時見ていたきみの見た目は美しかったと思う。だが、見た目だけだな。淑女に対して申し訳ない言い方になるが」


 どう見ても本当に申し訳ないとは思っていない顔をしていた。しれっと言い放ち、声を失うティアナに構わず続ける。

 身分だけで人を見下すところを嫌悪していた。向上心がなく、面倒ごととなれば後々のことも考えず逃げを打つ姿勢を軽蔑していた。優先されるのが当たり前という顔を見るたび嫌気が差していた。ティアナは全く王妃に向かない。あんなものを王妃にしては国が傾く。何度も両陛下に訴えていたし、両陛下も同感だったようで、解消を前向きに検討していた。


「そんな!?」

「え、そうなの?」

「ああ。そもそもあの婚約は、今は亡き王太后のごり押しだったらしいからな。両陛下がまだ地盤を固められない内に派閥で押されて跳ね除けられなかったそうだが、現状、王家がシャタローザ公爵家と繋がる旨味はない」


 解消を検討していたという言葉にショックを受けたティアナを無視して、ロルフはサリドラに詳細を語った。

 王太后、つまり王の母はシャタローザ公爵家に連なる血筋の人ではないが、シャタローザ公爵家から資金提供を受けていたらしい。娘を婚約者にして欲しいと話を持ちかけられて二つ返事で頷いたとか。

 先代国王が崩御されて数年という当時、国は揺らいでこそいないとはいえ、盤石ではなかった。長い歴史と潤沢な資金を持つシャタローザ公爵家。信用を金で買い、ある意味強固な派閥を得ていた彼らを、当時の両陛下は無視はできずに渋々婚約を受け入れた。


「そういうことで王家は公爵家に悪印象を抱いていたから、シャタローザ公爵令嬢にも元々いい感情は持っていなかった。まあ、その辺りについては彼女には罪のない話だ。そこはきっちり線を引いていたつもりだが……結局本人に対しても好感を持てる部分はなく、成長も見込めなかった」


 これは人に知られてもいいことなのかと周囲を見回せば、騎士たちは当然の顔をして頷いている。兵士たちはまちまちの反応だが、驚いている者はほとんどいなかった。どうやらある程度周知の事実のようだ。ここにいるのは信頼の置ける者たちで、昔から王妃やロルフに仕えている人が多いから、必要そうな内情は共有されているのだろう。

 信じられないという顔をして震えているのはティアナくらいで、ティアナを背後で支える侍女ですら、そうだろうなという顔をしていた。


「私に事故があってあちらから解消されることになったものの、そうでなくてもいずれ解消はされていただろうな」

「知ら、な、かったわ、そんな事情」

「再度言うが、婚約にまつわるあれこれ自体はきみの咎ではない。知らなかったことも悪くない」


 救いを求めるように上がった視線は、けれどあえなく迎撃された。


「きみが悪かったのは性格だ」


 サリドラは血の滴る抜身の剣を幻視した。ばっさりと両断されたティアナは、切られた事実に理解が及ばぬというように放心している。

 あまりにも切れ味がいい。つらつらといけないところを並べ立てられているときの方がマシだった。

 容赦のなさにようやく気づく。ロルフは現れたときから冷たく怒っていたが、サリドラが思っているよりずっと――激怒しているのだと。


「あの……もう、このくらいで解散しませんか。とっくに溜飲は下がりましたので」

「サリドラの溜飲が下がっても、私の溜飲は下がっていない。大切な婚約者に向かって、生まれてくるなと言ったんだぞ」

「言いたいことは理解できますし」

「私には理解できない。サリドラに責められて然るべき非はない」


 頑固者は頑固にまだ足りないと主張した。サリドラは全くそうは思わない。

 ティアナに種々様々な非があるとはいえ、マーキスに振られてプライドを傷つけられていたところに、本命の男から全否定を食らったのだ。嫌いと言われて、性格が悪いと言われて。

 これはもういわゆる死体蹴りの域ではないだろうか。ティアナはメンタルが丈夫なようだからまだ俯いて震えるくらいで済んでいるが、サリドラだったら泣き崩れてしまっているかもしれない。

 これ以上何を言うことがあるのだ。さすがの彼女ももう言い返すことなどできないはずである。一方的になじるのは褒められた行いではない。


「……その女だって、大した中身じゃないでしょう」


 だが、ティアナは想像を遥かに超えて強かった。か細い声で、しかし確かな憎しみを込めてサリドラへと矛先を向ける姿には、いっそ尊敬の念すら抱いた。

 よし続きだとばかりに身を乗り出すロルフを押し留める。


「そうね、私だって性格は悪い方よ。あなたほどではないけれど」

「サリドラは」

「いいから殿下は下がっていて」


 サリドラが喧嘩を売られているのだ。自分でやる。

 ロルフやラヴェーヌは不満そうだが、他の観衆は胸を撫で下ろしたようだった。いくら暴れ馬相手とはいえ、消沈した女性をやり込める王太子の姿など見たくないのだろう。

 ロルフは少し考えて、己以外の男性陣を下がらせた。今度こそ誰も近づけるなと言い含め、傍らの騎士から剣を受け取り携える。

 とても助かった。これで言いたいことを遠慮なく言える。

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