20.ティアナ公爵令嬢
「いやあ、サリドラ様と殿下ってばとってもラブラブ。例のアレがあんなにアレだったから心配してましたけど、いい感じじゃないですか!」
「その伏せたところをちゃんと口にしてご覧なさいなラヴェーヌ」
「怒られちゃうから嫌ですぅ」
「もうあと一歩自重すれば私にも怒られないで済むのよ」
「やだ、サリドラ様は笑顔が素敵だと思いますよぉ」
小声で軽口を交わしながら辿り着いた庭園には、先んじて兵士が配備されていた。
責任者と思わしき者に感謝を込めて視線を送ると、顔を真っ赤にして目を泳がせてしまって、なんだか悪いことをした気持ちになる。かと言って素通りするのも気まずいので、どうにか美貌の圧に耐えて欲しい。
「今の季節はこちらが美しいですよ」
以前ロルフと歩いたときとは季節が代わり、庭の印象は随分と変化していた。誰かが花々に詳しいメイドを呼んでくれたようで、サリドラが目を留めたものに適度な説明をくれる。
こうして話を聞くと花というのも色々あって面白かった。領地の特産物を売り込むため、山に溢れる草木に関しては程々の知識を有しているが、愛でるための植物には疎い。この機会に学んでみるのもいいかもしれない。
のんびりと散策を楽しんでいると、ふいに先を進んでいた騎士が顔を強張らせて振り返った。
「……招かれざるお客人のようです。念のためお戻りいただけますか」
「え、でも、この先のお庭が……」
「サリドラ様の身の安全が最優先ですので」
渋って足を止めるメイドに何を感じたのか、女騎士がサリドラの肩をそっと押して元来た道へと促した。
しかし招かれざる客とは一体。浮かんだ疑問はすぐに氷解した。
「何よ、私がどこに行ったって自由でしょう!?」
進行を阻もうとする兵士の声に被せて、聞き馴染んだ金切声が聞こえてきたので。
自由ではなかろう。ここは王宮だ、一貴族が行けない場所など山ほどある。ましてや、公爵その人ならまだしも、爵位も持たぬ公爵令嬢では。
「あ!」
強引に妨害を突破してきたらしいティアナと目が合った。
「サリドラ、あなたのせいだったのね。庭園を独り占めしようなんて、この国一の性悪にふさわしい行いだわ!」
「そんなに謙遜せずともよろしくてよ。ごきげんよう、ティアナ様」
ひらりと手を振って挨拶兼別れを告げるが、いつも以上に気を荒くしたティアナは聞き入れてくれなかった。
肩を怒らせた女の歩みを騎士はすかさず遮る。けれど心はともかく身はか弱い令嬢。悪態を吐きながら邪魔な騎士を退けようとするティアナを手荒く押さえつけるわけにもいかないようで、苦い顔でどうにか宥めようと苦慮している。
この様子では、素直に退いて貰うのは無理だろう。こちらが立ち去ってもなんだかんだ追ってきそうだ。声をかけるかかけないかを迷うサリドラに、ラヴェーヌがそっと耳打ちをした。
「……武器は持ってないようです。あの格好では薬瓶も携帯は無理ですね」
「そう、ありがとう」
それなら万が一にも酷いことにはなるまい。会話くらいは大丈夫だろう。……信頼できる騎士もいることだし。
ラヴェーヌに視線を送ると、彼女は肩を竦めて剣の柄に手を置いた。この剣にかけて、という騎士特有の誓いである。
覚悟を決めて一歩踏み出すと、意を汲んだ警護たちが道を開けた。
ティアナはそれを威光が通ったと思ったらしい。地面を蹴るような足取りで真っ直ぐサリドラに近づいて、勢いのまま手を振り上げる。
当然ながらその手はあっさりと騎士に止められた。暴力沙汰の現行犯とあって、今度こそ後ろ手に拘束される。
「放しなさいよ! いいじゃない、一発くらい。お父様が言ってたわ、どうせ神様の力ですぐに治るんでしょう!?」
「いいはずがないでしょう、わたくしだって痛いものは痛いのよ……」
「サリドラ様。拘束する理由もできたことですし、もう戻られますかぁ?」
まさか第一歩から攻撃されるとは思わなかったのでドン引きしてしまった。
さすがのティアナでも、いつもはここまで攻撃的ではなかったはずだ。公爵家に狙われているかもという物騒な前提がある以上、彼女に心乱れる何かがあったのなら念のため把握しておきたい。
どうやって話を聞き出すかと口元を隠して眉を寄せると、それは好都合にもティアナに煽りと取られたようだった。
「何よ、低位の者を見る目をして、どうして、どうして、あなたばっかり」
垂れた目を吊り上げ、柔らかな色の髪を振り乱し、彼女は涙を浮かべて叫びを上げた。
「マーキス様なんてこっちだっていらないわよ!」
騎士の一人が青い顔をしたティアナの侍女を連れてきた。
オロオロとティアナを落ち着かせるべく奮闘する侍女から聞き出したことによると、なんとティアナはマーキスに結婚を申し込んで振られてしまったらしい。案の定、サリドラを愛していると言って。
なんて迷惑なことをするのだ。そりゃあサリドラに八つ当たりもしたくなる。
少しばかり寛大な気持ちになった。顔を赤くして涙をこぼすティアナになんとも言えない視線を向け、十分に距離を取った上で、ひとまず拘束だけは外させたのだが。
「私だってロルフ様がよかったわ! でも平民ごときの巣へ行って醜い怪我なんて負ってしまったから、お父様に説得されて、捨てざるを得なかった。視察なんて部下に任せておけばよかったのよ!」
その寛大な気持ちをも吹き飛ばすのがティアナの高慢さである。
酷い不敬を聞いた。騎士たちは怒るより呆然とするか引いているし、彼女の暴言に比較的慣れているサリドラも絶句してしまう。お、お嬢様、と声を震わせながらティアナの背を摩る侍女だけが選ばれし猛者だった。
「あなた……」
どこから叱ればいいのかわからなくて、その後の言葉が浮かばない。
誰も二の句が継げない空間で、ティアナは更に独り言というには大きな音量で独白を続けた。
ロルフが好きだった。でもロルフはティアナを大切にしてくれなくて悲しかった。父も母も姉も、皆ティアナを蝶よ花よと可愛がった。笑って甘えていれば全てうまくいくと言っていたのに、ロルフは怪我を負ってしまった。何もうまくいかない。傷さえなければ再び婚約者になってあげるのに。王妃になれるからマーキスに擦り寄っていただけで、マーキスなど全く好みではない。ロルフの前ではつい身を離してしまう。この健気な乙女心をロルフも知るべきだ。
その他色々。怨念めいた悲劇のヒロインもどきに、優しく相槌を打つ侍女は凄いと思う。歴戦の騎士たちすら恐れ戦いているのに。
「それもこれも、全部あなたのせいよ!」
「えっ、私?」
流れ弾にギョッとして猫が剥がれた。
マーキスに振られたのは大体自業自得とはいえご愁傷様だが、先程の一連、一体どこにサリドラが怨讐となる部分があったのだ。
「神が創ったのなら、人の世界になど来るんじゃないわよ! サリドラなんていなければよかったんだわ!」
サリドラがいなくても、ロルフがティアナに冷たかったのは変わらないし、怪我をしたのも関係ないし、ロルフを捨てたのも関係ない。
関係はないが、でも、その言い方には少しだけ傷ついた。
これまでサリドラに直接そう言った人はいなかった。言う機会がなかったのか、自制したのかはわからない。けれど結構な人数がそう思っていただろう。少なくとも被害を食らったその瞬間は。
姉然り――自分然り。
サリドラに好意を持ってくれていた女騎士たちが殺気立つ。サリドラの美貌に惑わされた男の騎士や兵士たちは一様に厳しい顔をしたが、しかし職務から脱せぬ程度には理性的だった。サリドラは高飛車な仮面を傷つけられて、僅かながら目を揺らす。
激昂した獣は弱った獲物に目聡い。機を逃さず追撃しようと身を乗り出したティアナを止めたのは、瞳孔を開いて剣を抜きかけたラヴェーヌではなく。
「暴言にもほどがあるな、シャタローザ公爵令嬢」
まるで物語のヒーローのようなタイミングで現れたロルフだった。