1章(3) 魔導師
「我が身に集いて燃える火よ、我が敵を焼く炎たれ」
詠唱しながら魔法を発動。何かが体の周りを漂っているような感覚と共に、テーブルの上に小さな火の球が出現した。
基礎攻撃魔法の一種である。
火球はふよふよとリビングを漂い、儚く散った。呪文の〝敵を焼く〟という文言を、これでもかと裏切るような、頼りない炎であった。
それでも鋭斗の表情は明るい。
「魔法、使えた……!」
「いや早ぇよ。まだ30分も経ってねぇってのに」
雑誌から顔を上げたスパイルは、訝し気にそう言った。その目の前を、先ほどと同じ火球が通り過ぎていく。
「あ、詠唱無しでもいけました!」
「ほう……基礎とはいえ、そんなに早く覚えるとはな」
因みにこの火球、殺傷能力が無いのはもちろん、紙すら燃やせない。基礎魔法の中でもとりわけ安全な、幼子の練習用として作られた魔法である。
スパイルは感心した顔のまま呟く。
「魔導師に向いてるかもな」
「え?」
「いや、何でもねぇ。それよりお前、元の世界では働いてたか?」
「いえ……バイトすらしたことないです」
「そうか。じゃあ何かやりてぇことは?」
「……」
鋭斗は黙って俯いた。
そもそも、それが無いから……就きたい仕事が無いから、困って神頼みをして異世界転移することになったのだ。
大学に入るまでは良かった。あまり勉強しなくても成績が良くて、当たり前のように地元で最も偏差値の高い高校に入って。将来の夢なんて大学に入ってから考えれば良いだろうと思いながら、親に言われるがまま6年制の薬学部に入って。そして、授業と試験の過酷さに押しつぶされた。もうやめたいと思った。
敷かれたレールの上をボーっとしながら歩いてきたから、いざレールが途切れれば、どうすれば良いのか分からない。
「……すみません。何かしないと、とは思ってるんですけど」
長い沈黙の末にようやく絞り出した言葉は、何とも曖昧なものだった。
それを受け、スパイルは「参考程度に聞いてほしいんだが」と語り始める。「オレは〝魔導師〟っていう、魔法で魔物を倒す仕事に就いてる。魔物を倒せば倒すほど稼げる、C国だけの職業だ」
鋭斗は目を瞬かせた。魔物は他の国にもいるはずでは、と。
それに答えるようにスパイルは補足する。
「魔法がC国だけの技術だからな。他の国では他の名前の、魔物を倒す職がある。ともかく、魔導師は魔導師協会からの討伐依頼を受けて魔物を倒すんだ。基本的には一人で。国家公務員なんだが、かなり自由の利く職業だ」
「……魔物……魔法で……自由……」
噛みしめるような呟きが鋭斗の口から漏れる。
甘美な響きに感じた。想像すればするほど、楽しそうで、やってみたくて。
鋭斗の目に輝きが宿るのを、スパイルは見て、釘をさすように言葉を紡いだ。
「だが、危険な仕事だ。〝18歳で魔導師になったとして30歳まで生きてられるのは半分もいない〟って言われてるくらいだからな。まあ、実際に魔導師になれるのは20歳からだが」
「18歳ってどこから来たんですか」
「50年くらい前までは何歳でも魔導師になれたんだ。その頃の名残で、今もこう言われ続けてるらしいぜ。そういう訳で、魔導師になりたがる奴は少ねぇ。魔法に長けた奴にとっちゃ割の良い仕事だが、そういう奴でも多くは自らの命を危険にさらすことを嫌って他の職に就く」
だからお前もよく考えろ、と言おうとして。スパイルは、見た。鋭斗の瞳が怯むことなく真っ直ぐ自分に向けられているのを。鋭斗の表情が、勇ましい笑みに彩られているのを。
「なりたいか、魔導師」
「はい」
「っし、じゃあうちにある教本と過去問集を使え。マーク形式の筆記試験だから」
「え、筆記試験なんですか」
「ああ、魔法の理論とかの問題がずらっと」
「面接とかは……」
ありませんように、と願うような表情で尋ねる鋭斗に、スパイルは苦笑する。
「本当は試験の前に適性検査と面接もあるんだが、オレが推薦すれば免除になるぜ」
「っ、お願いします」
「おう、任せろ。で、試験は年に3回あって、直近の試験は……来月の2日だな。1か月しか無ぇけど、まあやってみろ」
そう言いながらスパイルは、リビングの書棚から本を取り出し、ドサドサとテーブルに積み上げていく。
「そういや、お前スマホ知ってるくらいなら電子レンジ使えるよな? レトルトとか冷凍食品とか説明しなくても使えるよな?」
「え、はい」
「オレ明日から仕事で昼も晩も外で済ますから、好きに食って良いぜ。料理するなら何か材料買っとくが」
「いえ、しません」鋭斗は慌ててそう言って、笑みを浮かべる。「元いた世界ではレトルトばっか使ってました」
「そりゃ良かった。まあ、なんだ、自分の家だと思ってくつろいで良いからな。あと、2階上がってすぐの部屋は今日から1か月間お前の部屋な」
「ありがとうございます!」
それからというもの、鋭斗は猛勉強した。その甲斐あって、8月の末にはスパイルに「これなら絶対合格できる」とお墨付きを貰えるまでになった。