18話 雪の精は夏に溶けゆく 弐
「次は陽介の番だね」
陽介にはいろいろ伝えないといけないことがある。
なっちゃんのこともそれとなく意識させないといけないし、たくさんのありがとうをしっかり伝えないと。
「じゃあ座って。私もまだまとまってないから、取り留めのない話しになっちゃうかもだけど、許してね?」
「あ、ああ、もちろん。それで改まって話なんて、いったい何なんだよ?」
「うん、いろいろあるんだけど、まずはこの前の学校案内、ありがとうね」
私がそう言うと、陽介は拍子抜けした表情をした。
「いや、そんなことのためにわざわざ二人きりになったのか?」
「違うし。ほかにもあるのっ」
陽介には話したいことがたくさんあって、一つ一つ丁寧に話していくと今日が終わっちゃいそう。
「学校でなっちゃんとうまくしゃべれない私を助けてくれて、私は私のままでもいいって言ってくれて、嬉しかった」
陽介は姿勢を正して私の話を聞いてくれる。
あの時は嬉しかったり不甲斐なかったりでごちゃごちゃして泣いちゃったんだっけ。今思い返すとちょっと恥ずかしいかも……。
でも、陽介のお陰でなっちゃんとも仲良くなれたし、これから始まる学校生活に対する不安もなくなった。
「やっぱり陽介は私の太陽だね」
「だからなんなんだよそれ?」
「特別な存在だってことだよ」
私がそういうと、陽介は目を見開いて少し慌てたように視線を泳がせた。
なんだろう? 私何か変なこと言ったかな?
「あっ、あとデート。あれは楽しかったなぁ」
「ん? ああ、あれな。いきなりデートになったからいろいろ疲れたやつ」
「でも陽介は役得だったでしょ?」
「まあ、な。それは素直に認めるよ」
そういう陽介の耳は、少し赤みを帯びているように見えた。
あの時はなっちゃんが陽介とデートすることで、何か進展しないかと思って提案に乗ったんだけど、何もなかったんだよね。
まったく、二人とも奥手なんだから。
「陽介は誰とのデートが一番よかった?」
「は、はぁ!? なんだよそれ?」
私の質問になぜか慌てる陽介。
「なっちゃんとか、どうだった?」
結構迫った質問だなと我ながら思う。
でも、これくらいしないと陽介のなっちゃんに対する意識を変えられないし。
バレちゃったらごめんねと心の中で謝りながら、陽介の反応を待つ。
「そうだなぁ、夏希とはやりやすかったかな。あいつとは昔から一緒だったし、よく遊んだわけじゃないけど、それでも緊張は最初だけだったな」
「緊張って、ドキドキしたってこと?」
「まあ、あいつも最近はめっきり大人っぽくなってきて、その辺に戸惑いはあるけど、どうだろ? よくわからん」
思わずため息が出そうになった。
これはなっちゃん、相当頑張らないとだめみたいだよ。
「じゃあ誰とのデートが一番緊張した?」
「はぁ!? なんでそんなこと言わなきゃいけないんだよ?」
「いいからいいから」
それからしばらく陽介は質問に答えることを拒絶していたが、私が食い下がると渋々答えてくれる気になったようだ。
「まあ、一番緊張したのは、その……、お前だ、雪芽」
「へ? 私?」
「あー、ほらっ、雪芽とは知り合ってまだ日も浅かったし、いきなり手を繋いでデートっていうのがな、なんか緊張した」
「あ、あー、なるほどね」
あれ、おかしいな。
私いまちょっとドキドキしてる。
意識してないと口元がにやけそう。
どうしちゃったんだろう……?
「それにほら、お前は人目を惹くから、そう言った意味でも緊張したなっ!」
「うん? どういうこと?」
「いや、雪芽はあり大抵に言うところの美少女っていうか、なんていうかそういうのだからさ……。あぁもうっ! それくらい察しろ!」
え、え? ちょっと待って。
今陽介、なんて言ったの? 美少女とか言わなかった? 私のこと。
心臓がバクバクいって、体温が上がっていくのが分かる。
陽介の恥ずかしそうな表情から、冗談で言ってるわけじゃないことが伝わって来て、それが分かると余計に顔が熱くなっていく。
「あー、もうこの話題やめ! 他の話をしようぜ」
「う、うん、そうだね」
ボーっとしていた頭が少しはっきりしてきた。
あー、びっくりした! 陽介ったら急に変なこと言うんだもん。
「そういえばさ、雪芽。初めて会ったあの日、なんでわざわざ電車で行こうとしてたんだ? 学校に行くだけならこの間みたいに静江さんと一緒に来ればよかっただろ」
「あの日はね、ちょうどあのあたりをお母さんと一緒にお散歩してて、それで静かな駅だったから気になって入ってみたの。そしたらそこから学校まで行けるってわかって。じゃあ挨拶に行く予定だったから今日行っちゃおうかなって思って、それで」
「ふーん、そういや静かなところが好きだって言ってたもんな」
あ、それ覚えててくれたんだ。
この前も辛いものは食べるなって心配してくれたし。
そんな細かいことまで覚えててくれることが、無性に嬉しかった。
「あの駅、静かでとっても気に入ってるの。だから毎日お母さんに朝送ってもらって、学校に何度も行こうとしたんだけど、やっぱり一人じゃ無理だったんだよね」
「でも、もう大丈夫だろ。俺たちがついてるんだからさ」
「……うん」
陽介の声音は優しかった。
やっぱり、陽介は優しいなぁ。晴奈ちゃんが大好きになっちゃうのも分かる気がする。
それに、なっちゃんがあんなにかわいい表情を見せるのも、陽介の優しさに惹かれてるからだよね、きっと。
「ねぇ、陽介」
「ん? なんだ?」
「私、陽介と出会えてよかった」
「またそれか?」
陽介は冗談めかしてそう言ったが、私は至って真剣に向き合う。
陽介もそれを察してくれたようで、笑みを消して私と向き合ってくれた。
「陽介がいなければ私、こんなにたくさん友達ができることもなかったと思う。学校にも行けてなかったと思う。今こうしてこんなことを話すこともなかったと思う」
そう、あの日。汗だくで電車を逃した陽介を見て、学校に行きたくても行けない彼を見て、学校に行けたのに行かなかった私は羨ましく思ったんだ。
だから嫌味が口から出てきて、それでも陽介はそんな私を受け止めてくれて、話し相手になってくれて。
「だからね、ありがとう」
それからも私の知り合いになってくれて、友達になってくれて。
人付き合いが不安だった私を照らしてくれて。
「私、陽介のやさしさに甘えてばっかりで全然ダメダメだけど」
それでも陽介はいつも文句も言わず付き合ってくれて。
こんな私を支えてくれて。
「こんな私でも、ずっと友達でいてくれる?」
「ああ、いつまでも、お前の気が済むまで友達でいてやるさ」
「ありがとう。陽介が友達でよかったよ」
陽介の返答を聞いて、少しだけ胸が痛い。
なっちゃんにアドバイスしている時もそうだったけど、なんなんだろう? 体調あまりよくないのかな?
「でも、もうそうやって面と向かって感謝しないって約束だろ? 行動で返せって、この前言ったろう。早く元気になってくれればそれでいいから。無理せずしっかり休め」
そうやって私をたしなめる陽介は、やっぱり優しくて、その優しさが胸にしみて、泣き出しそうになってしまう。
「うん、言いたいことは全部言ったし、今日はもう休むことにするね」
「ああ、それがいい。今あいつら呼んでくるよ」
そう言って去っていく陽介の背中に、何か言い残したことがあったような気がしたが、きっと気のせいだ。
だってありったけの感謝は全部言ったし、なっちゃんのことも少し含ませておいたし。
……でもなんでだろう。胸につっかえて取れないこの気持ちは。
その気持ちの正体をつかむ前に、陽介は二人を呼んできてしまった。
名残惜しいけど、これでお別れだ。
たくさんしゃべって、今日はちょっと疲れちゃったかも。
「じゃあ、雪芽、また来るよ。今度は別の花持ってくるから」
「あたしも持ってきますから、何か欲しいものとかあったら遠慮せず言ってくださいね!」
「今度こそは1000羽折ってくるから!」
「うん、またね」
皆は笑顔で手を振り去っていく。
にぎやかだった病室は、一気に寂しくなってしまった。
ふと、窓際に目をやると、陽介の置いて行ってくれたガーベラがこちらを向いていた。
懐にはお守りが、ベッドの脇には折り鶴が置いてある。
あぁ、今日はちょっとだけ寂しくないね。
そうして私は瞼を閉じるのだった。
――――
声が聞こえた。
ずっと遠くの方で、誰かの話す声が。
それは慣れ親しんだ声で、でも、とても悲しそうに聞こえた。
私は目をあける。
でも、視界は鮮明ではなくて、まるで私という巨大ロボットの頭部に、小さい私が乗っていて、目というレンズを通して世界を見ているかのような、ぼんやりしてどこか遠い。
体は自由に動かなくて、この私というロボットはポンコツのようだ。
でも、唯一動くところがあった。
右手だ。そこには温かい何かが握られていた。
右手を握ったり開いたりしてみると、それが小さくて四角い布地の何かだとわかった。
あ、お守りだ。晴奈ちゃんがくれたお守り。
私はそれをしっかりと握って、何とか首を動かしてみる。
ぼんやりした視界に映ったのは、今にも泣きだしそうなお母さん。
必死に私の右手を握っている。
あぁ、だから温かかったんだ。だから動いたんだ。
お母さんの温かさと、お守りのお陰かな。
お母さんの先には、折り鶴が吊るされていた。
色とりどりで、丁寧に折ってある。
陽介はなっちゃんのことをがさつだなんて言っていたけど、違うよね。
力を振り絞って反対側の窓辺を見る。
そこには陽介が置いて行ってくれた小さな太陽があった。
しかし、ガーベラの花は今にも枯れ落ちてしまいそうなほど重く頭を垂れている。
窓の向こうに広がる曇天のように、重く。
小さな太陽は、窓に打ち付ける雨で、今にもかき消されそうになっている。
きっと私の身代わりになってくれたんだね。
私の悪いところを代わりに引き受けてくれたんだ。
だから今にも枯れて落ちてしまいそうなんだ。
もう大丈夫。もう大丈夫だよ。
もう私の身代わりになんてならなくてもいいんだよ。
私はもう元気だから。もう痛いところなんてどこにもないから。
そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。
陽介……。あの人に最後に一目会いたかったなぁ。
そこで私は昔に見たテレビの言葉を思い出した。
――困ったときに真っ先に頭に浮かんだ人が、あなたの好意を寄せている人です。
……あぁ、そうだったんだ。
私は、陽介のことが好きだったんだ。
好きに、なり始めていたんだ。
でも、この気持ちを知ったところで遅い。
私はもう諦めたんだから。
なっちゃんに譲ったんだから。
だから私は願う。
どうかなっちゃんと陽介が幸せになれますように、と。
でもその後で一瞬頭の中に浮かんだ願いは別のことだった。
私も、恋がしたかった。
ドラマや漫画のような、熱くてドラマチックなものじゃなくても、平凡で欠伸が出そうなものでもいい。
私が心から好きだと思える人と、私にとってとびっきりの恋を、したかった。
あぁ、ダメだなぁ。このままじゃわがままな女になっちゃう。
わがままな女の子を、陽介は受け入れてくれるかな?
それでもいいって笑ってくれるかな?
……うん、きっと陽介ならそうするよね。だって彼は優しいもん。
だから、そう。私は友達で十分なんだ。
優しい陽介の向かい側で、楽しくおしゃべりができればそれでいいんだ。
太陽は私だけの物じゃないから。
私が独り占めするには温かすぎて、雪の妖精の私は溶けていっちゃうから。
だからもう、大丈夫。
目を閉じる一瞬、視界に映った小さな太陽は、今まさにぽとりと、その花を落とした。
次に目を開けると、あの日、陽介と出会ったあの駅が目の前に広がっていた。
そこにはやっぱり誰もいなくて、でもそれでいいんだ。
私はゆっくりと歩きだす。
あの日、太陽と出会った駅に向かって。
空はいつの間にか晴れ上がっていた。
雨音は聞こえなくなって、セミの声がグルグル回る。
あのベンチで待っていればきっと、またきっと彼が見つけてくれる。
一人ぼっちの雪の妖精を、明るく、優しく、照らしてくれる。
そして友達になってくれる。
だから私は安心して待っていればいいんだ。
微笑みを湛えて、1時間に1本の電車を見送り、夏を聞きながら。
そして私は、微笑みながら、誰もいない改札をくぐった。




