139話 現実の答えは理想に報いない
日が沈んで薄暗くなったはずの景色は、田んぼや畑に積もった多くの雪のおかげでまだ明るい。
あたしは足跡の少なくなってきた道に、自分の足跡を残しながら家路を急ぐ。
特に急ぐ理由もないんだけど、こう寒いと長く外にはいたくないし。早く帰っておこたに入りたい……。
それで、お茶入れてから今日もらったチョコを食べるんだ。
由美とは当然交換したけど、他の子とも交換できたし、思った以上に鞄の中はチョコでいっぱいだ。
雪芽さんたちにも本当は今日渡したかったなぁ。まぁ平日だし仕方ないけどさ。
それもあって、チョコ作り練習をしたメンバー間では、先週すでにチョコ交換を済ませていた。
チョコ交換というより、チョコ品評会みたいな感じだったけど。由美が真剣な顔してチョコ食べてるのはちょっとおもしろかったな。
雪芽さんたち、ちゃんとチョコ作れたかなー。特にヒナさん。最後まで怪しかったから心配だ……。
なんて、ちょっと偉そうだったか。あたしだって大したもん作ったわけじゃないし。
それにヒナさんは好きな人にあげるんだって言ってた。あたしはそういうのじゃないし、とやかく言える立場じゃないか。
「そういえば、ヒナさんもお兄ちゃんにチョコあげるって言ってたな」
あたし以外は全員、お兄ちゃんにあげるって言ってた。
……なんだよ、みんなしてバカ兄貴にあげるなんてさ。その中でも一番分からないのが由美だよ。あいつは由美に酷いことしたのに。
後でバカ兄貴にチョコ渡すために家に来るって言ったけど、ほんとは来て欲しくない。だって、由美は強がっててもきっと傷つくから。
由美は多分、チョコと一緒に自分の気持ちは変わらないってことをお兄ちゃんに伝えるはずだ。そうなったらきっと、お兄ちゃんはまた由美を……。
由美だってそれが分からないはずないのに、どうしてなんだろう。
「みんな、意味分かんないよ……」
足元にこぼした言葉を、ギュッと踏んづけて雪の中に閉じ込める。
あーあ、家帰りたくないなぁ。
――――
炬燵に入りながらお茶を啜っていると、玄関がガラガラと音を立てるのが聞こえた。
どうやら誰か帰って来たらしい。まぁ、誰が帰って来たかなんて姿を見るまでもなく分かるんだけど。
「ただいま」
「……」
廊下から顔を覗かせてそう言うバカ兄貴に一瞥くれてから、あたしはもらったチョコの包装に手をかけた。
「お、晴奈も学校でチョコ貰ってきたんだな」
「貰ったんじゃなくて交換だから」
「そうか、お前がチョコ作ってたなんて知らなかった」
「なに? あたしがチョコ作ってたらいけないわけ?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
バカ兄貴はそう言うと荷物を持って2階に上がっていった。
そんな態度にあたしは無性に腹が立った。
自分はなんでもないって平気な顔して、言い返しても来ない。
当たり障りなくて、曖昧で、日常みたいな会話をする。
……ムカつく。由美はあんなに苦しんでたのに平気な顔してさ。
「……なんで何も言わないんだよ、バカ兄貴」
何度も何度も聞いた。なんで? って。
それなのにお兄ちゃんは何も言わない。雪芽さんのことも、お兄ちゃん自身のことも。
だから、由美より大事なことってなんなのか、それに納得できるまであたしはこの態度を改める気はない。
そう心のなかで息巻いて、しかし次の瞬間には俯いて小さくため息を吐いていた。
その一瞬の隙きをついて、もうひとりのあたしが頭の中で呟く。
……いつまでこのままなんだろ。ずっとだったらやだな……。
って違う違う! いつまでだって構わないって! あのバカ兄貴がちゃんとした理由で由美と別れたのか確かめるまではっ!
手元にあった湯呑を手にとって中の紅茶を一息に呷る。
「……」
それは長い間ティーバッグを入れていたせいで随分と渋くて、あたしは思わず顔をしかめた。
その時ちょうどバカ兄貴が2階から降りてきて、台所へと向かう音が聞こえた。
あたしはそれを気にしないふりをして、もらったチョコを一粒口に放り込む。
「あー……、晴奈。今ちょっといいか?」
チョコを味わっていると、台所で何やらしていたバカ兄貴がこちらに向けて声をかけてきた。
腫れ物に触るかのような声色に、あたしは苛立ちを覚える。
「今忙しいから無理」
「そうか……。じゃあいつなら暇?」
「今日はずっと忙しいの。だから無理」
「うーん、1分だけでも無理か?」
なかなか引き下がる気配のないバカ兄貴にしびれを切らして、あたしは勢いよく振り向く。
見るとなにか手に持っているようだ。
「もうっ、なんの用?」
あたしの顔を見ると、バカ兄貴は情けない笑みを浮かべて近づいてくる。
そして手に持った包を差し出した。あたしは思わずそれを受け取る。
「それさ、作ってみたんだけどよかったらと思って」
「……なにこれ」
「チョコだよ。ほら、今日はバレンタインだろ?」
それは知ってるけど、どうしてあたしにチョコを渡すことになるんだろ? バカ兄貴の考えが読めない。
「それでなんであたしにチョコ渡すの? 意味分かんないんだけど」
あたしがそれを聞くと、バカ兄貴はバツの悪そうな顔をして呻く。
「あー……、それは、だな……。ほら、最近俺たちちょっとギクシャクしてたっていうか、だっただろ? だからその、これを機に仲直りできたらなぁ、と思ってさ」
……つまりなんだ、あたしのご機嫌取りのためにこんなもの作ったっていうの? ふざけてんの?
「……なにそれ。お兄ちゃんさ、なんであたしが怒ってるか分かってる?」
あたしは炬燵から出て立ち上がると、真正面からバカ兄貴を睨みつける。
「分かってないよね。だからこんな事するんだ。あたしはお兄ちゃんが由美にひどいことしたから怒ってんの。なのにあたしと仲直りって、そうじゃないでしょ!? お兄ちゃんが謝んなきゃいけないのは由美じゃん!」
「……そうだな。すまん」
由美の名前が出ると、バカ兄貴は真剣な顔をして俯いた。
その表情が、本気で由美に申し訳ないって顔だったから、あたしは余計に腹がたった。由美が傷ついた原因は全部分かってる。そんな顔だったから。
「ほんと、お兄ちゃんは何も分かってない。分かってないよ。由美がどんだけお兄ちゃんのこと好きだったのかも、どんだけ幸せだったのかも。なのになんで? 何が駄目だったの? 由美の何が不満だったっていうのさ!」
「不満とか、そういうのじゃないんだ。ただ由美ちゃんを恋人として見れなかっただけで――」
「じゃあ、最初から付き合ったりなんてしなければよかったじゃん! 君は妹の友達だから恋人として見れないって! はっきり断ればよかったんだ!」
「いや俺は――。……そうだな。晴奈の言う通りだ。俺が未熟だったばっかりに由美ちゃんを余計に傷つけちまった」
……違う。あたしがほしいのはそんな言葉じゃない。
自分を加害者だって認めて、反省して、あたしの糾弾をその通りだって受け入れて。そんなんじゃない。
硬い表情で俯かないで、真っ直ぐにあたしの目を見て、お兄ちゃんのことをあんなに好きだった由美と別れなくちゃいけなかった理由を言ってほしいだけなのに……!
「なんで? なんでなの? なんでお兄ちゃんはホントのこと話してくれないの!?」
「……お前に話すようなことじゃないから」
その一言で、あたしは全身の血が沸き立つのを感じた。
沸騰したそれは頭に上ると、あたしの視界は眩んで狭くなった。
そして頭で何かを考えるよりも、言葉を口にするよりも早く、あたしの体は動く。
ちょうど手に持っていたそれを、あたしはお兄ちゃんの胸めがけて力いっぱい投げつける。
でもそれは大きく的を外して、お兄ちゃんの足元に叩きつけられた。
バンッ! と畳を叩く大きな音がして、視界に映る小包がひしゃげる。
「じゃあいいよ! お兄ちゃんなんてもう知らないッ!!」
そしてあたしは足元に脱ぎ捨てられていた上着を手に取ると、部屋から飛び出した。
そのまま廊下を走って、玄関の靴箱からスニーカーを放り出す。
スニーカーの踵を踏んづけて玄関を開け放てば、冷たい夜の空気があたしを出迎える。
そしてあたしは駆け出した。凍り始めた雪を踏み抜いて、ちらつく雪には目もくれず。
なんだよなんだよ! お兄ちゃんのバカッ! 大バカ兄貴ッ!
あたしに話すようなことじゃないって、それってあたしには関係ないってこと!?
あたしは由美の親友で、お兄ちゃんの妹で、関係なんていくらでもあるじゃん!
どうして? どうして何も話してくれないの? 除け者みたいにするの? あたしだって教えてもらう権利くらいあるはずなのに!
あてもなく、走って、走って。
頬に当たる雪は一瞬で溶けて、その度にあたしの頬は少しずつ冷たくなる。
一歩進むたびにお兄ちゃんへの罵倒が頭に浮かんで、吐き出す間もなく次の一歩を踏み出す。
そして、突っかけたスニーカーがすっぽ抜けたところで、あたしの足は止まった。
雪に触れた足が冷たくて、熱い。
トボトボと飛んでいったスニーカーの元まで行くと、濡れた足をそのまま突っ込んだ。
今度はちゃんと履いてから、あたしは歩き出す。今度も行くあてはないままに。
お兄ちゃんへの不満をブツブツと零しながら、どれだけ歩いただろうか。気がつけば一軒の民家の前に立っていた。
それはよく見知ったクリーム色のかわいい家で、あたしの親友が住んでいる家だ。
「……なにしてんだあたし。由美んち来てもしょうがないのに」
あーあ、なんで飛び出してきちゃったんだろう。部屋に引きこもるとか、もうちょっと冬に適したやり方があったはずなのに。
コンビニでも行くか。漫画の立ち読みでもしてから帰ろ……。
そう思って来た道を戻ろうとしたとき、ちょうど玄関の横にある窓のカーテンが開いた。
その向こうにいた人物と目が合うと、そいつは驚いたように目を見開いて、すぐにカーテンを閉めた。
「やばっ……」
「晴奈! どーしたの? 急に来るなんて」
逃げ出そうと背を向けたところで、勢いよく開けられた玄関から由美が顔を出す。
「えーっと……、なんとなく?」
「ふーん? 何があったのかは知らないけどさ、とりあえず上がれば? 外寒いっしょ?」
「…………うん」
――――
「なるほどぉ……。でも、雪どのくらいか見ようとして晴奈がいたときはびっくりしたよ。一瞬ヤバい人かと思ったし」
あたしの話を聞き終えた由美は、冗談めかしてそんな事を言った。
話をしているうちに体も温まって、気持ちも落ち着いてきた。由美のお母さんが入れてくれたホットココアも、それに一役買っているかもしれない。
「だけど、それは晴奈が悪いと思うなー」
しかし、味方だと思っていた親友はそんな一言を告げる。
「なんでさ? どう見てもバカ兄貴のほうが悪いじゃん!」
「だって、陽介さんは晴奈と仲直りしようとしてくれたのに、聞きたいことが聞けなかったってだけでチョコ投げつけて飛び出してきたんでしょ? それは晴奈が悪い」
「でも関係ないって言われたも同然だったし!」
「実際関係ないっしょ? これはウチと陽介さんの問題だし」
うぐぅ……。確かにあたしのせいで由美とお兄ちゃんが別れたわけでもないし、この問題の関係者ってわけじゃないか。
……ちょっと寂しいけど、それは由美の言うとおりだ。
「で、でもっ! あいつは由美にひどいことしたんだよ? どうして別れたのか理由もちゃんと言わないでさ」
「理由なら前も言ったじゃん。ウチが陽介さんと釣り合わなかったんだって」
「それは建前でしょ? 本当は雪芽さんと何かあったからなんだよ」
あたしがそう言うと、由美は何かを思い出したのか、少し遠い目をして微笑んだ。
「建前じゃないって。関係はあるかもしれないけど、あの時ウチらが別れた理由はそこじゃないし」
由美は少し寂しげな表情で俯くと、マグカップを手に取り口元に運ぶ。
……由美は納得してるんだ。あるいは納得したいのかもしれない。
でも、あたしはまだ納得できない。だからまだお兄ちゃんを許せる気がしない。
「でも! 由美はあんなにお兄ちゃんのこと好きだったじゃん! そんな簡単に納得して、諦めていいの?」
あたしの言葉にも涼しい顔をして、由美はマグカップから口を離すとホッと一息ついた。
「簡単に納得したわけでも、諦めたわけでもないよ。今でも陽介さんの事好きだし」
「じゃあなんで……!?」
あたしの目を見つめると、由美は柔らかな笑みを浮かべる。それはなんだか大人っぽくて、まるであたしが小さな子供になってしまったみたいだった。
そして視線を下げてゆっくり目を閉じると、由美は静かに語りだした。
「ウチね、気づいたんだ。恋って漫画みたいにはいかないんだよ。好きって気持ちが必ず報われるわけじゃないし、ずっと前から好きでも、好きだって気持ちがどんなに大きくても、報われないこともあるって」
その言葉はあたしの胸に深く突き刺さった。
それはきっと、由美が傷ついて、血を流して、そうして手に入れた一つの答えなんだ。
とっても残酷で、でもそれだからまっすぐに胸を穿つ。辛くて、苦しくて、痛い。そんな真実。
「想いが通じて付き合えても、そのまま末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし。ってことにはならないこともある。そんな漫画みたいな展開はさ、運命の相手でもなきゃ無理じゃん?」
由美は痛みを堪えるかのようにマグカップを握る。
その目が見つめる暗い水面には、一体何が映っているんだろう。あたしにはその景色を知る由もない。
「ウチにとって陽介さんは間違いなく運命の人だと思うけど、陽介さんにとってはそうじゃなかったってことだよね……。それが分かったときは辛くて、悲しくて、泣いちゃったりとかしちゃったけどさ、でも今は少しだけ違うんだ」
「違うって、なにが……?」
問いかけるあたしと目を合わせると、由美はいたずらっぽく笑う。
「ウチが運命の相手じゃないなら、運命の相手になればいいだけっしょ!」
その笑顔があまりにも眩しくて、あたしは思わず目をそらした。
「は、はぁ? 急に何言い出してんのさ」
「漫画でもよく言うじゃん? 運命は自分で切り拓くんだーとか、運命を変えるんだーとか。それいいじゃん! ってことで、ウチもやることにした!」
「んな簡単に行くわけないって!」
「それはそうだけどっ! でも、そう努力することはきっと無駄にはならないし」
「どんだけポジティブなんだよ……」
呆れるあたしを見ても、由美は笑う。
それは挑発的で、運命相手に怯むこともなく、バカみたいに明るい笑顔だった。
でも、そっか。運命とかおっきいことは分かんないけど、変えようって努力することはできるんだ。
……あたしも、努力すればまたあいつに会えるのかな?
分かんないけど、今度あったときにまた子供っぽいとかバカにされないように努力することはできる、かな。
「前を向く力は陽介さんがくれたんだよ? いつまでも下向いてるわけにはいかないって!」
「でも下向かせたのもバカ兄貴じゃん」
「うっ……、そうかも知れないけどっ! でもウチが変われたのは陽介さんのおかげだし!」
変わった、か。確かに由美は変わったのかもしれない。
お兄ちゃんに恋してからの由美は、あたしの目から見てもどんどんキレイになっていったし、お兄ちゃんと付き合う前はこんな大人みたいなことは言わなかった。
……バカ兄貴のこととなるとバカなこと言い出すのは変わらないけどさ。
「はいっ、これで晴奈が陽介さんと喧嘩する理由なんてないってこと分かったっしょ? 今からチョコ作って一緒に渡し行こ!」
「ちょ、ちょっと、なんでそうなるの!?」
「……実は、チョコ作ったはいいんだけど渡すの緊張するっていうか……。ウチらってよく考えたら別れたばっかじゃん? 気まずすぎじゃん」
「よく考えなくても分かれ」
「う~~! お願~い晴奈ぁ。ウチの一生のお願い!」
「それこの前漫画カンパして買ったときも言ってたよね? お前は人生何周目だっての」
それからしばらくの間押し問答は続いたが、やがてあたしはキッチンに立つことになるのだった。
夏から書いてるバレンタイン編が、ついにリアルに追い越されました。




