俺は、死ぬたびに何かになった。
俺には、前世の記憶がある。
そう言うだけなら、それほど珍しい話ではないのかもしれない。世の中には前世を覚えていると語る者もいるし、生まれ変わりを信じる者だっている。だが、俺の場合は少し違う。
俺が覚えているのは、前世だけじゃない。
前々世も、その前も、さらにその前も――すべて覚えている。
最初の人生で、俺は人間だった。
特別な人間ではない。世界を救ったこともなければ、歴史に名を残したこともない。普通の家庭に生まれ、普通に育ち、恋をして、結婚して、子供ができた。仕事ではそれなりに苦労したし、家族と喧嘩したこともある。それでも振り返れば、悪くない人生だったと思う。
妻に先立たれ、やがて俺自身も年老いた。最後の日は、子供や孫たちが集まってくれた。小さな孫の手を握りながら、俺は静かに目を閉じた。
「……悪くない人生だったな」
それが、人間だった俺の最後の言葉だった。
死ぬことは怖くなかった。人は生まれ、いつか死ぬ。それだけのことだと思っていたからだ。
――そして次に目を覚ましたとき、俺は木の枝にしがみついていた。
(…………ん?)
最初に感じたのは、猛烈な違和感だった。
視界がおかしい。
右を見ているのに、同時に左も見えている。
(待て待て……なんだ、これ)
身体を動かそうとして、さらにおかしなことに気づいた。手が小さい。いや、そもそも人間の手ではない。足の形も違う。長い尻尾があり、口の中には妙な感覚がある。
そして何より――身体が緑色だった。
(…………は?)
近くにあった水面を覗き込み、そこに映った姿を見た瞬間、しばらく何も考えられなくなった。
カメレオン。
どう見ても、カメレオンだった。
こうして俺の二度目の生は、人間ではなく一匹のカメレオンとして始まった。
最初は死ぬ間際に見ている夢なのだと思った。だが腹は減る。眠くなる。痛みも感じる。そして一日が終われば、また次の日が来る。夢にしてはあまりにも現実的で、何より時間が長すぎた。
仕方なく、俺はカメレオンとして生きた。
木を登り、虫を食べ、天敵から身を隠した。左右の眼球を別々に動かし、二方向を同時に見ることを覚えた。獲物までの距離を測り、一瞬で舌を伸ばす感覚も身についた。周囲の状況に応じて身体の色や模様が変化する感覚にも、いつしか慣れていった。
ただ一つ、最後まで慣れなかったことがある。
記憶だ。
人間だったころの記憶が、一つも消えていなかった。
両親の顔も、妻の声も、子供たちの名前も、孫の小さな手の感触さえ覚えている。
(俺は……本当に生まれ変わったのか?)
何度考えても答えは出なかった。
そしてカメレオンにも寿命はある。
二度目の死が訪れ――俺は、再び目を覚ました。
今度は海の底だった。
(…………またか)
驚くより先に、そう思った。
だが、三度目の身体はさらに異常だった。見えている世界そのものが違う。光も、色も、物の輪郭も、人間だったころとは比較にならないほど多くの情報として眼に飛び込んでくる。
そしてある日、獲物へ向かって身体を動かした瞬間だった。
――バチンッ!!
(…………は?)
自分でも理解できないほど猛烈な一撃が放たれ、目の前の獲物が弾け飛んだ。
三度目の俺は――シャコだった。
そして、また死んだ。
四度目に目覚めたとき、さすがに俺も生まれ変わること自体には慣れ始めていた。
だが、自分の身体を確認して思った。
(いや……多いだろ)
腕が八本あった。
タコだった。
この身体は面白かった。一つの腕を動かしながら別の腕を使い、周囲を警戒しながら獲物を捕らえ、それと同時に逃げ道まで探せる。複数のことを同時に処理しているのに、なぜか頭が混乱しない。
(これ、人間の身体でできたら便利だっただろうな……)
そんなくだらないことを考えながら、俺は四度目の生を終えた。
そして五度目。
もう何になっても驚かないつもりだった。
(…………いや、小さすぎて何になったのかすら分からん)
クマムシだった。
乾燥し、飢え、過酷な環境に晒される。それでも生きる。これまでのどの身体とも違う、生存することそのものに特化したような生命だった。
カメレオン。
シャコ。
タコ。
クマムシ。
人間として生きた記憶を抱えたまま、俺は四つの異なる生命として生きた。
なぜ俺だけ記憶が消えないのか。
なぜ人間の次がカメレオンで、その次がシャコだったのか。
そこに意味があるのか。それとも、ただ途方もない偶然なのか。
何一つ分からなかった。
そして五度目の死が訪れたとき、俺はもう答えを求めることすらやめていた。
(次は……なんだろうな)
できれば鳥がいい。
一度くらい空を飛んでみたい。
犬も悪くない。優しい飼い主に拾われれば、案外楽しい人生になるかもしれない。
少なくとも、もう一度人間になれるとは思っていなかった。
だから――。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
自分の口から赤ん坊の泣き声が出た瞬間、俺は本気で混乱した。
(…………え?)
天井がある。
誰かに抱かれている。
目の前には涙を流す女性がいて、その隣では男が嬉しそうに笑っている。
「あなた……この子、私の指を握って……」
「ああ。元気な男の子だ」
言葉が聞こえる。
意味も分かる。
恐る恐る自分の手を見る。
小さい。
だが、五本の指があった。
(……人間?)
足も二本。腕も二本。尻尾はない。
人間だ。
(戻った……)
長かった。
どれほどの時間が流れたのか、もはや正確には分からない。それでも俺はようやく、最初の人生と同じ人間へ戻ってきたのだ。
そう思った。
――その瞬間までは。
「神官様。この子の魔力は?」
(…………魔力?)
聞き間違いかと思った。
白い衣をまとった老人が、俺を抱いている女性――おそらく今世の母親なのだろう――の隣へ歩み寄ってくる。
「では、確認いたしましょう」
老人が俺の額へ手を当てた。
次の瞬間、淡い光が広がった。
(なんだ……これ)
光の中に、何かがある。
いや。
――見える。
普通の光ではない。幾重にも重なった色。細かな粒子。流れ。人間だったころなら絶対に認識できなかったはずの何かが、今の俺にははっきりと見えていた。
(この見え方……)
知っている。
ずっと昔。
三度目の生。
海の底でシャコとして生きていたころ、俺は世界をこれに近い形で見ていた。
「…………おかしい」
老人が呟いた。
「どうされたのですか?」
母親の声が震える。
老人は何度か俺へ光を当て、やがて困惑した表情で首を振った。
「この子には……何のスキルもありません」
部屋から音が消えた。
「そんな……」
母親の顔が青ざめ、父親も言葉を失う。
どうやら、この世界では相当にまずいことらしい。
だが――俺はそれどころではなかった。
(……待て)
右側に母親がいる。
左側には神官。
俺は無意識に、二人を同時に見ようとした。
右眼を右へ。
左眼を左へ。
二つの眼球が、別々に動いた。
(…………できる)
二つの異なる視界が頭へ入ってくる。
それなのに混乱しない。
カメレオンだったころと同じだ。
(まさか……)
今度は意識を自分の内側へ向ける。
一つのことを考えながら、別のことを考える。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
(これも……できる)
タコだったころと同じだった。
そして先ほど見えた、あの奇妙な光。
あれはシャコだったころの――。
(…………)
俺は小さな手を握った。
何のスキルもない。
老人は確かにそう言った。
それなのに俺の中には、人間になる以前に生きた四つの生命、その感覚が残っている。
そこでようやく、俺は気づいた。
俺は人間に戻ったんじゃない。
ここには魔力がある。
スキルがある。
神官なんてものまで存在する。
ここは――俺が最初に生きた世界ではない。
人間として死に、カメレオンになった。
シャコになり、タコになり、クマムシになった。
そして五度の生涯を経て、俺は再び人間として生まれた。
ただし――まったく別の世界の人間として。
これまでの四回は、ただの生まれ変わりだった。
そして今回。
俺は初めて――異世界へ転生した。




