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拝啓、喫茶ダニエルは鬼ヶ島にあります  作者: みお(miobott)
夏祭り、いりこ飯カレー
15/22

5

「じゃーん」

 30分後、瀬戸がまるで子どものような顔で店に駆け込んでくる。

 鍋を前に恐る恐るカレーを作り始めていた梨花は、その姿を見てぽかんと口を開いた。

「いりこ?」

「知り合いのうどん屋で貰ってきました」

 彼は腕いっぱいの袋を持っている。それはカサカサと乾いた……いりこ。

 伊吹島いりこと書かれた袋を開くと、店の中にふわりと独特の香りが広がった。

 香川の伊吹島という島で捕れるカタクチイワシの乾物、いりこはブランド品だ。

 あがってすぐに干す作業を行うので、品質がいい。と祖母が熱弁を振るっていたことを思い出す。

 香川名物であるうどんの出汁もいりこが使われるので、その香りも味も県民には親しみがある。

 もちろん、数年に渡って実家を離れていた梨花にとっても。

「でもいりこで料理なんて……出汁を取るくらいしか」

「これで、炊き込みご飯をつくります」

「え?」

「あ、馬鹿にしましたね。いりこ飯っていう正真正銘、ちゃんとしたお料理ですよ」

 戸惑う梨花に構わず、瀬戸は袋からどんどんと食材を取り出した。

「いりこを出汁ごと、根菜類と一緒に炊くんです。味付けは基本はお醤油とみりんと、という普通の炊き込みご飯ですが、いりこの風味が美味しいそうです。蝶子さんのレシピサイトに、あったんです」

 袋からはどんどんと食材が出てくる。里芋、にんじん、大根、こんにゃく、薄揚げ……。

「いりこ飯にカレーをかける。いりこカレー。すごく香川っぽくないですか? それに魚縛りもクリアできますし」

 どっさりと積まれた食材を前に梨花はぽかんと固まるばかり。そんなご飯、祖母のメニューにはなかった。

「でも……今からそんな大量にご飯なんて」

「そのあたりもクリアしました……あ、キッチンちょっと触りますね」

 瀬戸が棚を開き、あちこちからまな板を取り出す。包丁も何本も取り出す。

 それを彼は、綺麗に殺菌した客席の上に並べ始めた。

 客席の上はボウルとザルと包丁がずらりと並び、まるでキッチン教室のようだ。

「今、香西さんのお父さんにも声をかけられて」

「お父さんが?」

「手伝えることはないかって。だから炊飯器とお米、あるだけかき集めて貰ってます。常連さんも野菜刻むの手伝ってくれるって」

 気がつけば店内に続々と人が入ってくる。常連のお婆さん、友人、近所の喫茶店のマダム……そして父。

 彼らは梨花に励ましの言葉を一言二言伝えるなり、包丁を手に取る。野菜を洗い、切り、米を洗う。

 父はどこから見つけてきたのか、大量の炊飯器を店に続々と運び込む。

 隣の店の店主も、うちの炊飯器を使っていいよ。などと声をかけてくる。

 梨花が呆然としている間に、店内はセントラルキッチンのような様子になっていた。

「これなら間に合いそうですね、香西さん」

 いりこの頭と腹を指でむしりながら、瀬戸が梨花を見る。大きくて太い指が小さないりこを処理していく様子は、まるで魔法のようだった。

「そういえば、蝶子さんとお祖母様のコメント欄のやり取り、全部見られました?」

 居ても立っても居られずいりこの袋に手を出そうとすると、瀬戸がそっとそれを留める。

「お孫さんであるあなたのこと、すごく心配されてました。人を頼れない子だから心配って。それでね、レシピのアプリをはじめたんですって」

「え……」

「自分に何かあれば、あの子は全ての夢を諦めて、跡を継ごうとするんじゃないかって。でもこの味が世間に広まれば……味は残る。あの子はこの味にとらわれずに済むって」

 瀬戸の言葉に、梨花は唇を噛み締めた。

「それに蝶子さんとお祖母様の最初の喧嘩の原因。お祖母様のスパイスの使い方について、蝶子さんが注意したのがはじまりだとか……すぐに噛みつくのが蝶子さんらしいですが」

「え、でも。お婆ちゃん、スパイスなんて」

「自分の味にスパイスやハーブを使えないか模索してたみたいなんです。ハーブやスパイスが好きな孫に、食べさせてあげるために」

 ぱちり、ぱちり。といりこの欠片が落ちていく。

 それは手放してきた夢が、落ちる音に似ている。

 その夢は誰にも気づかれないまま、床に落ちて消えた……そう思っていた。

 まさか、祖母に気づかれていたなんて。

「おばあ……ちゃんが」

 そういえば、祖母とは長く話をしていない。

 自分の夢を祖母に語ったことはあっただろうか……ふと、そんなことを考える。

 また自分はたった一人で、思い詰めていたのだろうか。

 いりこの小さな身を丁寧に処理しながら、瀬戸がつぶやく。

「……僕は家族を捨てたんです」

 その言葉は、瀬戸に似合わないものだ。驚いて彼の顔を見れば、瀬戸は相変わらず穏やかな表情で店内を見渡した。

「でもあなたには、お父さんも常連さんも、お友達もいる」

 店内には野菜の香りといりこの香りが広がっている。包丁を使い、野菜を刻む音が聞こえる。こんにゃくをアク抜きするための湯気が天井にまで広がっている。

 ずらりと並べられた炊飯器の中には、つやつやと輝く米粒が見える。

 そして何よりも、その周囲を駆け回る人々の顔が、皆明るい。

「梨花」

「……お父さん」

 炊飯器をセットし終えた父が、梨花を眩しそうな顔で見る。

 我の強い祖母に比べて、気の弱いおとなしい人だった。

「いま、警察からクーラーボックスが捨てられていたと連絡が来たよ。捨てることになるから、勿体ない話やが」

 なんともやるせない顔で、父が梨花を見た。

「お父さんが警察に行ってくるけん、お前は店を続けなさい」

「え、おとう……」

「魚福もな、お前の好きにしたらええ。死んだ人に生きた人間が遠慮したらいかん」

 店を出る父を見送り、瀬戸が呟いた。

「頼れるものは、頼りましょう……誰かに頼られた時、助けてあげられるように」

「瀬戸さん」

「だから香西さんは、カレーをいっぱい作る、それに集中してください」

 ぐっと奥歯を噛みしめれば涙は二粒流れ、止まった。それから梨花は顔を拭う。

「……分かった」

 カレーを作ろう。最高に美味しい、スパイスのカレーを。

 よし。と腹の底に力をいれて。

 そして、梨花はキッチンに向かって駆け出した。

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