作者あとがき
十五年くらい前だろうか、ちょっとした占いをやってみたら、あなたの人生のテーマは金子数珠ですよということだった。金子はお金ということで、仕事も含めてわからなくもない。数珠って?。
とりあえず、インターネットで「金子 数珠」って検索したら、運慶の数珠という本が出てきた。(不思議なもんで、それ以降、同様に検索しても出てこない)。とりあえず、その本を買って試しに読んでみたら、仏師運慶についての話だった。
読んでいて思ったのが、現代と変わらないじゃないかと。仏像を作る仏師というとすごく遠い世界のような気もするが、仏教というある意味、設定というか縛りというか、それに則って仏像をつくると解釈できなくもない。現代における多くのものづくりと共通する部分があると思う。予算があって、制限があって、仕様書があって、ものつくっていくのと変わらない。
仏像を作らせる側だって同じで、仏教を知っているんだろうけど、鎌倉武士なんか、俺こんなフィギュア持ってるんだぜーという子供と変わらないところもあるわけで、どうしても武士は強い仏像に傾斜していってしまったんだと思う。結局は心のありようで、どうありたいかというものを、仏様を選んで仏像作ってもらうわけで。自分自身も、北天なんていっちゃってて、願成就院の毘沙門天の3万円くらいのフィギュア持ってます(笑)。
そして運慶を知っていくと、奈良仏師を引き上げるために、鎌倉方に寄せていったんだろうなと思うようになった。京仏師が公家や平家を抑えているから、必然的に鎌倉方に寄せていくしかない。結局は、お金を出してくれる人が大事なわけで。(書き終えて、鎌倉武士が台頭してきたから自然と近づいた気もしますが、当時はそう思ってました)。
自分がやっている仕事は製造業のエンジニアなんだけど、まさにそうだよなと。決裁とか稟議とか、結局決裁者に寄せていくしかないわけで。何かを為そうと思って寄せていると、まあ陰口はたたかれるし、足も引っ張られる。こんなに人のことを思ってやっているのにとなってしまう。(見返りは求めちゃダメです。見返りを求めずにただやっていくしかない)。
だから、運慶も相当だったんだろうなと。理解されなさもあったろうし、陰口、足の引っ張りたくさんあったんだろうなと思う。
社長だから一般社員より苦労するし、お客さんは怒ると刀抜いてくるし、お客さん政治闘争や戦争で急に死んじゃったりもするし。そりゃ大変だ。
でもそんな運慶が今の時代でも絶賛されているのを見るととても嬉しい。自分のことのように嬉しい。
そんなことを思ったら仏像が少し好きになって、仏像を見ているうちに(やっぱり美しい)、仏教も少し調べてるようになった。ある意味設定を知らないと理解できないので。
自分が仏教に対して信心深いかというと、そうでもなくて。
ダーウィンの進化論から考えると、なぜ宗教があるのかというよりも、宗教を信じた人が生き残ったのか。はたまた人間の心に、神とか仏を信じる根本的な部分があって、仏陀とかキリストとか出てくる以前に、そういう人たちが生き残って、その部分が宗教と結びついて行ったのか、わからない。なんとなく、後者な気がしますけど。
仏教だろうが、神道だろうが、キリスト教だろうが、なんだろうが、本質的には人の願いなんだと思う。幸せに生きていたいという。
だから、仏教を信じなさいなどというつもりはさらさらなくて、みんな幸せになってほしいというのはありますが、あくまで運慶たちやその時代の人たちを理解する設定を提示したつもりです。
特に仏教は当たり前のことを言っている気がする。でもひょっとすると、これは逆で仏教的な考え方が日本人に根付いているのかもしれない、という気がしないでもない。例えば、掃除と寺子屋の関係とか。ヨーロッパは小学生掃除しないもん。
話はだいぶそれましたが、運慶との縁の後、かなりたった後に、これまた奇妙な縁で、坂上田村麻呂(平安時代の武将)に、日に2度も出会う日があって(しかも岩手県で)、坂上田村麻呂を調べて、歴史を調べていった。そんなこんなが一つの物語になっていった。それらが繋がった時は本当に気持ちが良かった。
そうこうしているうちに、実際に見に行ってみようと思ったのが五年くらい前で、また見てみると感じ方も違ったりする。その辺りはアメブロに載せてます。
北天のブログ
https://ameblo.jp/shy-ponta/
ということで、自分がとっても面白いな〜と思ってるし、もし若い頃の自分のように悩んでいる人がいたら運慶だって誰だってみんな一緒だよってのも教えてあげたいし、あわよくば老後の趣味だけじゃなくて金子にもなるんじゃないかと思ったりして、ブログにしたり、今回小説にしたりしてみました。
この小説は2万5千字程度だから、本一冊にするには最低でもあと2倍から3倍くらい膨らまさないといけないわけで、自分にはちょっと無理かなと思い始めています。まあ、面白いと思ってくれる人がいればよしとしましょう。
できるだけ歴史に忠実にしたかったけど、ちょっと無理というか、脚色してるところもあります。源頼政との出会いとか、運慶が平泉行く話(藤原基衡が運慶に毛越寺の薬師如来を作らせた話があるけど、どうも年代が合わない)とか、アン阿弥陀仏を名乗るタイミングとか、快慶が津々浦々な感じ(津々浦々だけど、こんな感じでひょいひょい作ってはいないと思う)とか。
あとは、運慶の最初の円成寺の大日如来。如来というのは完全に悟りを開いている仏様なわけで、その像の顔に迷いがあるというのも矛盾するわけで。また、運慶が怒りの像ばかり作っていたわけでもなく。でもそこを実際の通りに話を広げてしまうと、話としてはわかりづらくなるので、怒りの像ばかり作っているような書き方にしてしまいました。まあ、ぜひ本物を見ていただければよいのかなと。そんなきっかけになれればいいのかなと思います。
でも、この小説を書いて、時間の流れを追っていく中で、改めてわかったこともあって、運慶願経って何でやったんだろうって、以前は意味がわかってなかったんだけど、縁を固めたかったんだなと思ったり。それまた調べたら東大寺の焼け落ちた木をそれに使っていたり。なんとなく想像していることが確信に変わるわけで。
他にも、運慶の最初の作品は円成寺の大日如来ですが、なぜか、大分経ってからだと思いますが、北条時政の屋敷は円成寺になってるわけで。もちろん京都の円成寺と静岡の円成寺と全く別な寺ですが。平家物語の中に、北条時政が京都守護になって、平家の生き残りの若者を捜索して殺して辟易してる件もあるし、そうすると繋がったりするわけです。
あとは、快慶は東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)の後、慶派を出ていくような、今までとちょっと関わりが違うようになる、距離を置く。そして重源は南無阿弥陀仏と自分を名乗り、快慶はアン阿弥陀仏と銘を入れるようになる時がある。そうすると、このタイミングだったんじゃないかなと思ったり。(調べたらもう少し後みたいでしたけど、大筋は変わらないのでよしとしよう)。
あとは、重源の坐像は運慶作と言われていたり。運慶の集団による仏像制作はどこから来たんだろうと思うと、東大寺の大仏復興が目の前にあったわけで。ものをつくる人として、そんなものを見に行かないわけはないだろうと思うし、そうすると重源にも目がいくわけで、そこからつながりもできるよなと。そして、重源に運慶は重用されたし、そりゃ重源の仏像も作るよなと。すごく自然な流れかと思うわけで。
もちろん、こういう流れとか繋がりみたいなものはどこにも書いてないので、勝手にそう思って物語に組み込んでいるだけですが。これは、歴史について、現地で見て回っているうちに、歴史探偵的な癖がついてしまったので、そんなことを思う・感じるようになったんだと思います。
(この小説書いてる瞬間は、この話知ってる人、世界で俺1人なんだぜ、みたいな優越感もあります。)
ダラダラと書いてしまいましたが、まとめると。
・歴史は面白い
・過去を知ることは、現在未来を知ることにつながる
・一人でも多くの人にそう感じてもらいたい
それが私の願いです。
読んでいただけましたら、本当にありがたいです。もしあなたと貴縁ができましたら、これまたありがたい限りです。
最後に、結局、仕事って、誰のために、何のために、何をしますか?ってことだと思うんです。
現代に生きる、運慶や快慶そして湛慶たちの、ものづくりに限らず仕事が、千年とか先の子孫に(別に十年先でもいいけど)残ってそして喜んでもらえるなら、それは素晴らしいことだし、この小説を読んでそうありたいと思ってもらえたなら、これまたありがたい限りです。




