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阿吽  作者: 北天の護人
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第十九章 無常

無常むじょうとは、すべては変わるということ。

建長6年(1254年)、三十三間堂。

湛慶は千手観音本尊を彫っていた。千の手に、千の祈り。その手は、怒りを振り払う手でもなく、祈りを捧げる手でもなかった。それは、ただ人に触れ、人を包み、人に寄り添う手だった。


湛慶は彫りながら、父・運慶の声を思い出す。

「怒りで守るための像だ」――その言葉には、戦乱の時代を生き抜く武士たちの覚悟が刻まれていた。


そしてまた、快慶の声も聞こえる。

「祈りは、怒りの中には宿らない」――その言葉には、市井の人々の、声なき痛みに寄り添う静けさがあった。


湛慶、この時82歳。湛慶は長い年月をかけて悟った。怒りも祈りも、形にすればやがて崩れる。仏も人も、草も木も、すべては因縁によって生じ、変化し、消えていく。それは「空」――絶対的な存在や実存的な存在はなく、全ては因縁で繋がっているのだと。


空であるからこそ、すべてはつながり、すべては意味を持つ。千の手の中心に、湛慶は沈黙を刻んだ。それは、父の怒りでも、師の祈りでもない。それは、湛慶自身の「阿吽あうん」だった。「阿」は始まり、「吽」は終わり。呼気と吸気。怒りと祈り。そしてその間にある、空なる真理。湛慶はその沈黙を彫ったのだ。


開眼供養かいげんくようの日。湛慶は像の前に立ち、静かに合掌した。千の手は、何も語らず、すべてを包んでいた。その手は、空であり、縁であり、ただ「在る」のであった。

三法印とは、仏教の教えが真理であることを示す三つの“印”=証拠・しるし。

諸行無常しょぎょうむじょう すべてのものは変わり続ける(永遠なものはない)

諸法無我しょほうむが すべてのものに「絶対的な自分」はない(執着しない)

涅槃寂静ねはんじゃくじょう 苦しみが消えた悟りの境地は静かで安らか

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