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阿吽  作者: 北天の護人
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第一章 縁起

縁起えんぎとは、「すべてはつながってる」という考え方。

何かが起きるのは、いろんな原因や条件(=縁)がそろったから。ひとりでポンと生まれるものなどないということ。

長寛2年(1164年)、三十三間堂の完成供養が終わっていた。

京の空は澄み渡り、冬の光が降り注いでいた。千の観音菩薩の、千の手が、千の祈りを抱くように広がっていた。堂内は少しの喧騒の中、読経の声が高らかに響いていた。


この堂は、観音信仰に篤い後白河上皇が、自らの離宮・法住寺殿の一画に建立させたものである。信仰のためであると同時に、急速に力を増す平清盛の財力を抑える狙いもあった。清盛は保元・平治の乱を勝ち抜き、武士として前例のない高位に就き、もはや貴族を凌ぐ権勢を誇っていた。上皇はその力を利用しつつ、巧みに牽制しようとしていたのだ。


千体の千手観音は、祈りであると同時に、力の顕現でもあった。仏の手が千あれば、国の隅々まで掌握できる――そんな錯覚すら抱かせるほどに。


運慶は、仏像の群れを見上げながら、胸の奥にざらついた問いを抱えていた。


開眼供養かいげんくよう。中央には、平清盛がいた。金襴の直衣に身を包み、背筋を伸ばして立つその姿は、まるで仏像のように動かず、しかし仏像とは異なる圧を放っていた。周囲の貴族も僧侶も、言葉を発し得ない。空気が張り詰め、誰もがその存在に呑まれていた。


かつては、こうした場の中心に立つのは藤原氏をはじめとする貴族たちだった。だが今、武士が都の中心にいる。清盛は、武士でありながら貴族の装束を纏い、貴族以上の権威を放っていた。その姿は、まさに時代の境界に立つ者だった。


運慶は遠くからその姿を見つめた。目を逸らすことができなかった。


「この男が、都を動かしているのか……」


式典の前日、三十三間堂の回廊にて、運慶たちの近くに清盛と従者たちが来ていた。

清盛の足音は、静寂を裂くことなく、静寂そのものを従わせるように響いた。

木の床を踏みしめるたび、重みが堂内に染み渡り、回廊の空気がわずかに揺れた。木目に触れる指先は、何かを確かめるようでありながら、すでにすべてを掌握しているかのようだった。


運慶は思わず手を止め、清盛の目をじっと盗み見た。その眼差しは、誰にも向けられていないようで、すべてを見透かしているようだった。言葉にならぬざらつきが、胸の奥に残った。仏像を彫るとは、こうした力に抗うことなのか。それとも、寄り添うことなのか。


式典が終わり、堂内の喧騒が少しずつ静まる中、運慶は千体の千手観音を前に、沈黙のまま立っていた。


自分が彫った観音像は、あんなにも奥のあんなにも片隅にある。誰も気づかない。誰にも見えない。


その時、背後からくすくすと笑う声が聞こえた。京仏師たちだった。


「奈良の名もなき仏師など、片隅がお似合いだな」

「俺たちに時間さえあれば、奈良仏師など呼ばれることはなかった。ありがたく思え」


京仏師――彼らは都の寺院や貴族の庇護を受け、華やかな装飾と洗練された技術を誇っていた。仏像は美であり、権威の象徴でもあった。彼らの筆先は、仏を描きながらも、貴族の眼差しを意識していた。


一方、奈良仏師――運慶の父・康慶をはじめとする慶派の仏師たちは、古寺に根を張り、実直な造形と力強い彫りを信条としていた。だが、都ではその実直さが「野暮」とされ、洗練を欠いた時代遅れの作風とみなされることもあった。


運慶は振り返らなかった。だが、拳を激しく握りしめた。爪が掌に食い込むほどに。


「お前らに負けてない……」


心の中で叫んだ。だが、声にはならなかった。今は京仏師全盛の時代。華やかな技と名声を誇る彼らの前で、いくら慶派の棟梁の跡取り息子だと言ってみたところで、時代遅れの奈良の若き一仏師風情がと、囲まれて殴られるのが目に見えている。


とそこに、その様子をひとりの老武士が見ていた。源頼政である。


彼は、かつて保元の乱(1156年)では後白河天皇側につき、平治の乱(1159年)でも平清盛とともに源義朝を破った。


保元の乱は、皇位継承をめぐって後白河天皇と崇徳上皇が争った政変であり、武士たちが貴族の政争に本格的に動員された最初の戦だった。

続く平治の乱では、後白河法皇の近臣同士の対立が激化し、源氏と平氏が真っ向からぶつかり、平氏が勝利。清盛は政権の中枢へと躍り出た。


頼政は、源氏の一族でありながら、常に勝者側につき、今は平家に仕えていた。その矛盾に、運慶は反発していた。だが、惹かれてもいた。


「おまえは、何のために仏像を彫るのか」


運慶は驚いて顔を上げた。頼政の声は静かだった。その眼差しは、仏よりも深かった。


「悔しいのです。」


そう答えると、頼政はしばらく黙っていた。そして、ゆっくりと問いかけた。


「守るためか。祈るためか。己のためか」

「おまえの、為すべきこととは何か」


運慶は答えられなかった。彫ることで何を為しているのか、まだ知らなかった。この時、運慶21歳。


その言葉が、運慶の胸に残った。

「守るためか。祈るためか。己のためか」

千手観音は、千の手と千の目でみんなを助ける仏。

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