第九章 多聞
多聞とは、たくさん聞いて、よく学ぶこと。
多聞天という神様は、毘沙門天のことで北方守護の神様。
話は若干前後するが、文治3年(1187年)。運慶が、願成就院の造仏の依頼を受けた後、そして造仏が完成する2年前の話。
源義経が壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後、兄・頼朝との確執により、奥州へと落ち延びた。その報せが鎌倉に届いた頃、運慶は北条時政の館に呼ばれていた。
「運慶殿は奥州に行かれるのですか? それは楽しみです」
時政の言葉は、表向きは柔らかい。しかしどこか含みを持っていた。運慶はその言葉の奥に、奥州の空気を見てこいという意図を感じ取っていた。仏師としてではなく。
奥州へ――それは、誰かに命じられた旅ではなく、運慶自身が望んだ旅だった。いずれ起きるであろう戦乱を前に、奥州を見ておかねばならない。その思いが湧き起こってきたのである。
運慶は旅支度を整え、東北道を北へと向かった。道中、村々が荒廃した様子はほとんど見られず、むしろ平泉に近づくにつれて、都のような気配が濃くなっていった。道沿いの寺には香が焚かれ、庭には手入れが行き届いていた。風は静かで、祈りは深かった。
そして、平泉。
黄金の都と呼ばれたその地は、静けさの中に力を秘めていた。中尊寺の堂塔、毛越寺の庭園、そして奥州藤原氏の館。藤原秀衡は、運慶を丁重に迎えた。
「仏師殿。平泉の風はいかがかな?」
秀衡の声は穏やかであった、その背には北方守護の覚悟があった。しかし秀衡の顔には病の影がうっすらと見える気がした。
運慶は、秀衡の案内で中尊寺を訪れた。堂内に響く読経の声、金色堂の静寂――それらは、都の仏とは異なる気配を放っていた。
それら仏像群は、怒りでも威圧でもなく、黄金の光の中に立っていた。守るための力を強く宿していた。その像に、運慶は深く感じ入った。
そして、義経。
かつて壇ノ浦の凱旋の折、遠くから見たその姿は、凛々しく、光を纏っていた。だが今、平泉の館で遠目に見た義経は、残照のようにどこか翳りを帯びていた。言葉こそ交わさなかったが、その佇まいが、運慶の胸に残った。
北方守護の神。源平合戦の武神。光と影。
風は奥州に向かって、その勢いを増しつつある。




