もう、こんなの…
忙しそうにしているようだった。
経営企画部の仕事は元々やりたかった仕事だと言っていた。
それは応援したいが、土日が仕事で潰れて、平日も遅くまで残っている。
業務改善を理人が進めてくれたおかげも大きく、すみれは最近はほぼ定時で帰れるようになっていた。
2週間ぶりに理人のお家でデートで少し浮かれている。
のに、理人の家の最寄り駅に来ても、いつも迎えに来てくれる理人はいなかった。
電車に乗るときの連絡に、待っていると返信が来たっきり。
メッセージも既読にならず、電話も長いコールが鳴ったまま。
心配になって、急ぎ足で理人宅に向かう。
何度も通った河原を、初めて1人で通った。
桜が舞っている。
前回来たときは、間もなく咲きそうだけと並んで歩いた道。
何かあったときのためにと渡されていた、使ったことのない合鍵で鍵を開ける。
「…なーんだ」
理人はソファですうすう熟睡していた。
すみれを迎えに来るまでの時間で眠ってしまったのだろう。
ソファの横にしゃがみ込んで、手櫛でといただけの髪を指で梳く。
やわらかくて、パーマなのにサラサラ。
刈り上げた襟足は、面白い感覚だ。
頬もちょっとチクチクとしていて、無精髭。いつも、休みの日でもきっちりしているのに今日は余裕がなかったのだろうか。
両目の下のキュートなホクロ。
通った鼻張。
うすい、やわらかい、くちびる。
「…ん…」
「……!!」
身動きした理人に、すみれはびっくりして手を引っ込めた。
それでも、起きたわけではないようで、寝息を立てている。
寝てる人に何をしているんだろう。
心臓がバクバク言ったまますみれは心の中で平謝りして、ベッドから持ってきた毛布をかけた。
そんなに疲れているなら、今日は休みたいと言ってくれてもよかったのに。
…ウソ。本当は、会えないのが寂しかった。
寝てても顔が見れて嬉しい。
会社でも顔は見てるけど、この時間はすみれだけの…
もう、こんなの…
「…ん?すみれ…?」
「あ、理人さん、お邪魔してます!」
「ん?」
寝起きでぼーっとする理人。
起き上がる理人に合わせて、すみれも立ち上がる。
半分目が開いてなくて、かわいい。
しばらく瞬きを繰り返す。
「あれ、寝てた?ごめん、迎えに行かなくて!」
意外にも、寝起きはあまり良くないのかもしれない。
「連日お仕事大変なんですよね?お疲れ様です。あ、髪が」
髪を整えてあげると、まだぼーっとしている理人が、気持ちよさそうに撫でられてる。
「かわいい」
「……それ、褒めてる?」
「も、もちろんです!」
思わず口に出ていたそれに、すみれは慌てて頷く。
それならいいけどと言いつつ、不服そうな理人。
寝起きだからだろうか。
こんなにわかりやすく感情を出してくれるのは珍しい。
大人の男性にかわいいは褒め言葉ではないのかもしれないけど、かわいいと思ってしまった。
「かわいいついでに、仕事、頑張ってるから抱きしめてほしい」
「へ!?」
「ダメ?」
首をかしげて、ちょっと楽しそうにソファに座ったまま腕を広げる。
「あ…う…えっと…」
「嫌?」
「いやではない…けど、恥ずかしいというか…」
ほら、と、急かされて、まだ、触れてもいないのに、すみれは赤くなる。
抱きしめられることも、キスされることもあっても、すみれからしたことはない。
「ダメ?」
「い…意地悪です…」
「うん、意地悪だから、あわよくばすみれからキスもしてくれないかなと思ってる」
「そっ、それは…」
すみれは、恥ずかしさで泣きそうになりながら、そろそろと隣に座る理人の腕に手を触れる。
理人の顔は見上げられなくて、目を逸らして。
理人の背中に腕を回したところで、ぎゅうと抱きしめられた。
「ちょ、理人さん、もう…」
「もうちょっと」
「でも…きゃ」
ふわりと体が宙に浮いた。
抱すみれを抱き上げて、理人の膝に座らせた。
「えっ、ええ、あのあの、あのっ」
「可愛い」
「理人さん…」
「うん、もうちょっと…このままいさせて」
ぎゅうぎゅうと、すみれを潰さないように、でも逃さないように抱きしめて。
そしてすぐにすうすうと寝息を立て始めた。
「えっ、うそうそ、待って」
理人がソファにもたれかかっているから重たくはないが、逃れられない。
あたたかな体温に包まれる。
「そんなぁ…り、りひとさぁん…」
情けない声が出るが、理人は夢の中だ。
すみれをすっぽり包み込める体。
細身に見えるのに、分厚い胸板。
ゴツゴツした喉。
…すみれを軽々と持ち上げた、太い腕。
胸に体を預けると理人の心臓がゆっくり脈打っていて、落ち着く。
すみれの心臓はうるさいくらいドキドキいっているのに。
理人の心音と息遣いを感じながら、理人の体温に眠気を誘われた。
◇◆◇
「おはよう」
なんとなく視線を感じて目を開くと、理人と目が合う。
「ん…おはようございます」
ちゅっとキスをして、理人はすみれをソファにおろした。
またも軽々と抱き上げて。
理人と離れて、肌寒く感じる。
「そんな寂しそうな顔しないで。食べちゃいたくなるから」
「たっ!?」
「ごめんね、すっかり寝ちゃって。お茶淹れようか」
「は、はい」
理人はお茶を淹れにキッチンへ向かった。
ーーー食べちゃってくれても、いいのに。
ぼんやり思ってしまったそれに驚いて、すみれは首を振った。




