28 正義の殺人鬼が生まれた朝
村にたどり着いたのは、ちょうど夜が明けるころだった。魔物に襲われる危険を顧みず、商家から新たに借りたラダーを夜通し走らせて、村へと帰り着いた。
すでに王国軍は立ち去ったあとだった。
村はわずかに原型を残すのみとなっており、畑は荒らされ、家畜も皆殺しにされていた。家は壊され、燃やされつくし、黒焦げとなった木材からは、いまだに煙が立ち昇っている。
いや、それだけではない。大量の無残な死体が転がっていた。
「こんな……酷い」
結奈は心が折れそうなほどの衝撃を受けていた。脳裏には、自分たちに優しくしてくれた村人たちの生前の顔が浮かんでは消えていく。
いくつもの肉片が転がる焼け野原を駆け抜けて、結奈は村長の家へと向かう。遠目でもわかった。食卓をずっと囲んでいた村長の家も、ほかと同じく黒く焼け焦げて、残骸を残すだけとなっていた。
大事な思い出の場所が壊された。気を抜けば、そのまま崩れ落ちそうになってしまう。だが諦めるわけにはいかない。まだ、生存者がいる可能性がある。
村長宅の広場まで来た結奈。そこにも無数の肉片が転がっていた。
一撃で殺したような様子はない。生きたまま苦痛を与え、じわじわと嬲り殺しにしたのだろう。なんて酷いことを! どんなに苦しかったことだろう? どんなに恐ろしかったことだろう? こんなときに傍にいてやれなかった自分が、憎らしく思えた。
カタン。
不意に音が聞こえた。焼け焦げた残骸の奥、そこに食器入れが倒れていた。バランスが崩れて、音がしたのだろうか?
いや、違う。
うつ伏せになった食器棚の隙間から、子供の手のようなものが見えていた。まさか!?
結奈は急いで焼け焦げた食器棚をひっくり返す。
そこにはリトンの姿があった。
「……ううっ。パパ……は?」
小さな声が漏れる。生きている!? 奇跡だ!
「みんな来て! リトンが生きているわ!」
ジョーカーとコリムが慌てたように駆け寄ってくる。だが、その表情は何故か暗い。違和感を覚えた結奈は、リトンの姿をもう一度見て、その理由を察する。
焼け焦げた小さな体は、半分しかなかった。
もはやリトンが、助かることはない。いまだ生きていることが奇跡だ。
「……パパ?」
か細い声が、耳朶を打つ。
「ここにいるぞ、リトン」
ジョーカーが優しい声で答え、リトンの頬に手を添えた。
「リトンは、もう……死んじゃう……の? 怖い……よ。死んだら……どうなる……のかな?」
「死んだら、俺が元いた世界に行けるだけさ。何も怖くない」
「ほん……と?」
「ああ、本当だ。そこにはたくさん美味しいものがある。お菓子がたくさんあるし、ジュースもたくさんだ。好きなだけ飲み食いしていいぞ」
「えへ……。だったら、怖くない……ね」
その言葉を最後に、リトンは動かくなった。
「さて、そろそろ行くか」
しばらくリトンの死に顔を眺めていたジョーカーが、唐突にそんなことを言った。リトンの遺体を地面の上に置くと、埋葬する様子もなく、周囲の残骸を見渡している。
「行くって、どこにだよ?」
質問したのはコリムだ。彼は憔悴しきったように立ち尽くしている。
「おまえはどうするつもりだ? ずっとそこに立ち尽くしているつもりか?」
「何すればいいんだよ?」
弱々しい掠れた声で、コリムが答える。
「エヴァグリーンへ行っても何もならないことは知っている。俺がセレクテッドに選ばれるわけないことも本当は理解している。だけど、どうしたらいい? アントもコリムも殺されて、母さんも殺されて! どんなに叫んだって、どんなに足掻いたって、この世界は変えられないんだ! 弱い奴はどうやって生きていけばいいんだよ! 力がない奴はどう抗っていけばいいんだよ! 教えてくれよ! なあ、教えてくれよぉおおおお!」
悲痛な叫びがこだまする。
悔しい思いも、理不尽に対する憤りも、胸が張り裂けそうな悲しみも、何ひとつ権力者には届かない。自分たちが生きている証拠を、心があるという証明を、何ひとつ成すことができない。
弱者には何が残されているのだろう? 力ない者たちの望みは誰が叶えるのだろう?
もしも、そういう存在がこの世にいるとしたら――
「簡単じゃないか。一言、この俺に言えばいい。『奴らを殺してくれ』とな」
「は? なんだよ、それ。あんたに言って何かが変わるのかよ? 言うだけだったら、いくらでも言ってやるぜ! あいつらを、ギルバルドと三騎士の連中を、皆殺しにしてくれ!」
それは、どす黒い絶望の中で、唯一光が指し示す道だった。
あらゆる理不尽を憎み、力ある者を殺す弱者の味方。
この世の理から外れた、神のルールさえも通用しない、残酷なる殺人鬼との契約。神を殺すため、悪魔に召喚されし逆転の切り札。
「了解した」
ジョーカーが金色の眼を光らせて、嗜虐に満ちた残忍な笑みを浮かべる。
この瞬間、この世界に「正義の殺人鬼」が産まれ落ちた。あらゆる理不尽を憎み、不可能を可能にする狂気の殺戮者の覚醒。誰からも嫌悪され、そして誰もが望む存在。
「さあ、楽しい楽しい趣味の時間のはじまりだ」
この世界もまた、ジョーカーを欲したのだ。




