18 ジョーカーのしゅわしゅわジュース
「あの、元の世界ってなんですか?」
アントが不思議そうに訊ねてきた。
「ああ、俺たちはこの世界の人間じゃない。元いた世界はこことは違う別の世界だ」
ジョーカーはあっさりと説明した。いや、別に隠すことではないかもしれないけど、ジョーカーにしてはやけにあっさり認めた気がする。何か考えがあるのだろうか?
「おまえ、本当に嘘ばっかだな。別の世界なんてあるわけねえじゃん」
コリムが呆れたように言った。まあ、普通の反応だろう。
「儂もほかの世界があるなんて、聞いたことはないな」
村長も同意を示し、コリムはほら見たことか、と得意げな顔になった。
「まあ、俺のいた世界の話をしてやるから、騙されたと思って聞いて見ろ。酒の肴だと思えばいい」
ちなみに食卓の上には酒が置いてあったが、マジックペンのような強烈なシンナー臭がして、おまけに水とアルコールが完全に分離していて、とてもじゃないが飲めた代物ではなかった。
ジョーカーは実に表現豊かに、元いた世界の話をしはじめた。
サイコパスは話上手と言われているが、ジョーカーも例に漏れず、話の構成がうまかった。相手が興味を引く話題を絶妙なタイミングで、実にドラマチックに展開していく。
最初は半信半疑だったコリムや村長も、興奮した様子でジョーカーの話に聞き入っていた。子どもたちやアントは言わずもがなで、きらきらした瞳で話に夢中になっている。
感情のないリトンでさえも、スープをスプーンに入れたままで、ジョーカーの話に集中していた。
そこでふと、結奈は気づく。この村で、おそらくもっとも裕福な村長の家。そこには本のたぐいはない。もしかして、この世界には「物語」がないのかもしれない。
つまりは、ジョーカーの話は彼らにとって、生まれて初めて接するファンタジー小説のようなものなのだろう。興味と興奮を抱かないはずがなかった。
「ねえ、そのしゅわしゅわのジュースって、そんなに甘くて美味しいの?」
ジョーカーの話をじっと聞いていたリトンが、感情のない表情で訊ねてきた。どうやら彼女がもっとも興味をもったのが、炭酸ジュースのことだったらしい。
「ああ、子どもはみんな大好きな飲み物だ。一度飲んだら、もう水なんて飲めなくなるぞ」
「ほんと?」
「飲みたいか?」
ジョーカーの質問にリトンはこくんと頷いた。ほかの子どもたちも「飲みたい」と口を揃えて合唱してきた。
「だったら飲ませてやろう」
「ちょっと、そんな約束して大丈夫なの?」
結奈は慌てて止めに入った。この世界で砂糖がどんな位置づけにあるかは不明だが、少なくとも食卓には並んでいない。入手が難しい可能性がある。
それ以前に、炭酸ジュースなんて、この世界でつくったりできるのだろうか?
「アント、台所を借りるぞ」
何を思ったのか、ジョーカーが台所に向かった。結奈も慌てて追いかける。
「ちょっと、どうするつもり?」
「話を聞いてなかったのか? 炭酸ジュースをつくるんだ。先ほどのスープには、家畜の乳が入っていたようだし、カルピスソーダなら違和感なく飲めるだろう」
「いや、飲みやすいかもしれないけど、どうやってつくるのよ?」
「こんなふうに、だ」
ジョーカーは木製のコップに桶から水を汲み入れると、指先でコップの水に触れた。次の瞬間、それが白濁色の液体に変化する。
「え? うそ?」
「味見をさせてやる。飲んでみろ」
一瞬、毒でも入っていないか不安になったが、ジョーカーは自分の主義にあった殺ししかしない。
命令の首輪があるので、そもそも結奈を騙して変な薬を入れる必要もなかった。結奈はコップを受け取ると、一口飲んでみる。
「なにこれ? 本物じゃない!?」
結奈は目を丸くした。これは間違いなくカルピスソーダだ。しかし、いったいどうやってつくったのか? こんなに一瞬で、水がカルピスソーダに変わるはずがない。まるで手品だ。
ふと、結奈はある事実に気づいた。
先ほどコリムを助けたとき、ジョーカーは兵士にチョコレートを渡していたではないか。元の世界から持ち込んだ物だと勝手に思い込んでいたが、よくよく考えれば、それは不可能だ。
では、あのチョコレートはどうやってつくったのだろう?
「あの悪魔が言っていただろう? この世界では存在定義が力になると。俺のレゾンデートルは【偽装錬金:フールゴールド】。簡単に言えば、人間の五感を誤魔化す能力だ」
「誤魔化すって、まさか――」
「そう。いま君が飲んだのは、ただの水だ。それをカルピスソーダだと錯覚させたに過ぎない。物理的に変える能力ではないからな」
あらゆる物を誤魔化し、嘘をつく能力。確かにジョーカーらしい能力だ。しかし、存在定義レベルで嘘つきって、ほんとなんなの、こいつ。と結奈は思った。
「じゃあ、あのチョコレートも?」
「ああ、そうだ。道に落ちていた動物の糞をチョコに変えた」
「……へ?」
「うん?」
「うん? じゃないわよ! あれって動物の糞なの? 食べてたよ、あの人!」
「ほかに手頃なサイズの物がなくてな。いやぁ、あんなに美味そうにウンコを食べる奴を初めてみた」
うわぁ、と結奈は引いてしまった。そして密かに、ジョーカーからは食べ物をもらわないようにしようと心に誓った。
「でも、あなたも食べようとしてなかった? 兵士が疑っていたときに?」
「相手を騙すときに体を張るのは当然のことだろう? 毒ならまだしもウンコは食べても死にはしない。まあ、会話で誘導できる自信はあったし、何よりこの世界にも『毒』の概念があることは知れた」
相変わらず抜け目のない性格だ。やはり、先ほど元の世界のことを話したのには何か理由があったのかしれない。その意図を、結奈は思い切って尋ねてみた。
「は? 単にあの生意気な小僧の反応がおもしろそうだったから、話したに決まっているだろ? 最初は嘘つき呼ばわりしてたのに、最後のほうは目をきらきらさせて聞いていたぞ。最高じゃないか」
悪人っぽい笑顔で、いや、実際悪人なんだけども、ジョーカーはくくくと笑いながら答えた。駄目だ、この人。無駄にガキっぽい。なんか残念な人だ。
とりあえず、ジョーカーのつくったカルピスソーダを人数分食卓へと運んだ。みんな、興味津々といった感じで、白濁色の飲み物を見つめている。
「さあ、ヤマダキッチン特製ジュースだ。飲んでみろ」
ジョーカーは自分の名前をヤマダと伝えていた。
確かに自分の本名を教えるリスクはあるかもしれないが、そういった態度は賢いというよりは不信感を抱かせるだけだ。
結奈はジョーカーの前に自己紹介をしていたこともあり、結奈だと名乗っている。
ジョーカーがつくったジュースを最初に飲んだのはリトンだった。一口飲んで、驚いたように目を見開き、もの凄い勢いで飲み干した。
「美味しい。これ、すごく美味しい」
感情がこもるはずのない声。しかし、いまはどこか歓喜の音色が混じっているように聞こえた。リトンの反応を見て、ほかの者たちもカルピスソーダに口をつける。
「うめぇ、なに、これ!?」
「美味しい!」
「凄いわ、これ。こんな濃厚な飲み物があるなんて」
「こ、これは――、あり得ん! なんて飲み物だ!?」
みな驚愕の表情で、称賛の声をあげる。色のない世界が、カラフルになったかのような感動があるのだろう。
「ちなみに、おかわりもあるぞ」
ジョーカーの言葉に、全員がコップを差し出してきた。




