4 魔導騎士
熱の隠る視線がずっと注がれていることにフローライトは気がついていたが、それを気にもとめることなく長い回廊を歩いていた。
視線の元はきっとそこから望む庭園で行われているお茶会からだろう。
紳士を装っている普段なら少しくらいそちらに目を向けていたかも知れないが、任務を終えて自分たちに与えられた詰め所に向かう最中ではその動作一つでさえ煩わしいと思ってしまう。
ただでさえこの長い詰め所への道のりにも苛立っているのだ、その上で耳障りな色めいた声など聞きたくも無い。
城内での理由なき移動魔法を禁止した敬愛すべき師をフローライトはほんの少しだけ恨んだ。
「フローラ」
あともう少しで煩わしい視線を遮れる建物内に入れるというところで後ろから声をかけられ引き留められたが、フローライトはその声には不快感など感じることもなくその身を翻した。
不快を感じるはずもない。
フローライトのことを今のように呼ぶのは今はこの世にたった二人だけであり、一人は王都を囲む森の中で静かに暮らし、もう一人はフローライトと共に城へと上がってきたのだから。
斯くしてフローライトが振り向いたそこには予想通りの見慣れた美丈夫が立っていた。
「アウイン・・・任務?」
「いや、ちょっと所用で出てただけだ。おかえり、フローラ」
お疲れ様、とフローライトを労う美丈夫、もといアウイナイトはフローライトが最も信頼する男だ。
精悍な顔つき、長身で逞しい体つきは女性を魅了するものに違いなく、現に先ほどまでフローライトに熱い視線を送っていた令嬢方もきゃあきゃあと黄色い声をあげている。
フローライトも彼に近い身長をもっているはいるが、どちらかと言えば線が細く精悍というよりも美麗という言葉の方が似合う二人が並んだことで彼女たちの会話の熱がさらに上がったようだった。
「今日はゴアイサツしないの?」
「えぇ・・・いいよ、今そんな元気ない」
早く引きこもりたいんだとぼやいたフローライトにアウイナイトはほんの少し驚いたように目を見張った。
フローライトは自身の見目についてよーく自覚しており、故に幼い頃よりそれを自身や近しい者達の有利な方へとことが運ぶように活用していた。
そしてそれは魔導騎士として登城してからも同じく、優位に立てるようにと紳士然とした振る舞いを心がけているのをアウイナイトも知っていたからこそ彼は驚いた。
仲間内で一番さわやかで潔癖そうな見た目をしているくせに、その中身は一番利己的であり打算的なフローライトがそれをする余裕を無くすなんて、何かあったに違いない。
「どうした?」
「部屋に戻ってからじゃだめ?」
ここではちょっと、と言葉を濁したフローライトにアウイナイトも賛同し、急ぎ詰め所へと戻るために止めていた足を再び動かした。
程なくして辿り着いた詰め所には人気は無く、それに気も抜けたのかフローライトは一番奥に据えられたソファに倒れるように座り込んだ。
「それで?何があった?」
「何、というわけでも無いんだけどね。任務終わりにちょっと、あのお方と鉢会っちゃっただけ」
「ああ、なるほど」
あのお方に鉢会った、と聞いてアウイナイトは納得がいったように頷く。
なんでもそつなくこなし、面倒ごとを躱すこともうまいフローライトだが、ただ一人だけ王城に大の苦手とする人がいた。
それは国王の側室メデイア妃だ。
躱せないというわけではなく、躱してはいるが躱すのに心底疲れるらしい。
妃はどうにも好色なようで、見目のいい男性使用人を見つけると側に置く習性がある彼女は例によって魔導騎士たちも自らの側に置きたいらしく何かにつけて囲おうとする。
その中でも好みはあり、一番お気に召しているのが始めの挨拶で王子様然として振舞っていたフローライトらしく、何かとフローライトの行く先に現れてはちょっかいをだそうとするのでアウイナイトや他の仲間たちもあまりフローライトを一人にはしないようにしている。
そもそもフローライトは最初から彼女にいい感情を抱いていなかったわけだが、その理由については本人にも心当たりがないようだ。
しいて言うならば生理的に無理、といったところであり、そんなことは初めてだと気を落ち込ませていたことに周りが何とかしようと慌てふためいたのは記憶に新しい。
だというのに今日のようにたまたま任務で一人になったところを狙うとはなかなか抜け目ないとアウイナイトはほんの少し感心しつつも、これからはこれよりももっと厳重にしようと心に決めたのだった。
王の側室は王家の血をより多く確実に後世に残すためにあるもの。
それに手を出したなんて知れれば即刻首が飛ぶ。
現にこれまで彼女に求められるまま応えたあと飽きられて切って捨てられた人の数は少なくないと聞いている。
彼女から誘っているのだから処罰を受けるべきは彼女であるはずだが、周到な彼女は言い寄られただの無理矢理だのとさめざめと泣いたり、全く関係の無い罪を被せたり、疑惑の目から逃げるのが非常にうまかった。
悪女と呼ぶに相応しい女である。
魔導騎士団の便宜上のリーダーはアウイナイトだが、彼自身指示を飛ばすよりも先導して戦う方が性に合っているために実質的な指揮系統となっているのはフローライトなのである。
だからこそアウイナイトたちはフローライトをそんなことで失うわけにはいかないのだ。
どうせ鼬ごっこになるのだから根本の原因から取り除きたいのだが、そう簡単に排除されてくれるわけもないのでしばらくフローライトには王城から出ていてもらおうかと考えていると、不意にだらしなくすわっていたフローライトがソファに座り直した。
それからすぐに彼らのいる詰め所の扉を叩く音が響き、間を置かずして出払っていたらしき仲間の一人が部屋へと入ってくる。
「ああフロー、お帰りなさい」
「ただいま、アンデ。城内は変わりなく?」
入ってきたアンデシンは騎士服を来ておらず、使用人のような服装をしていたことから、彼が城内の偵察に行っていたことがわかる。
自国の城内だというのに偵察というのもおかしな話だが、彼らの立たされている状況は様々な思惑も鑑みてあまり安心していいとはいえない。
ゆえに人に溶け込むのがうまいと自負するアンデシンは時々このように魔導騎士団につけられた使用人の振りをして城内で情報収集をしてまわっている。
「うーん、変わりないと言えば変わりないかな」
「何?」
そうしてなんの迷いもなく問いかけたフローライトに、アンデシンは何とも言えない顔で応えた。
「まあ、末端はね、いつも通りだよね。でもなんか変な噂が流れてるみたい」
「噂?」
「うん。僕らのこと、というかお姉ちゃんのことかな」
「アンデ、外では、」
「えー、身内しかいなんだからいいじゃん!」
「公私をしっかり分けられるのならどうぞ?」
はじめから森の魔女を師と仰いでいると公言はしていても、対外的にはあくまでもただの師と弟子の関係である。
実際には孤児である彼らにとっては母で有り、姉で有り、先生でもあるかけがえのない人ではあるが、それを知られてしまえばそこ付けこもうとする者が増えるのは目に見えている。
だからこそ彼らは外部との接触は当たり障り無く、無駄な情報を自分たちから流すことはしないと登城前に全員で話し合って決めた。
それを思い出し、使い分けに自信もなく閉口してしまったアンデシンにアウイナイトが話の続きを促す。
「魔導騎士が作られたのは魔女の力が衰えているからで権威を落としたくない魔女が送り込んだ刺客ではないか、とか。あと魔導騎士団の見目が麗しいのは重臣たちの愛娘たちを籠絡して足元から崩していこうとしているから、とか」
「なんだそれ」
「ようは魔女が国を乗っ取ろうとしているってことかな」
「ばかばかしい」
あまりにも稚拙で突拍子も無い噂にアウイナイトもフローライトも呆れかえってしまう。
「そもそも魔女が今なお存在しているのか、存在しているとしていまだに必要なのかという声も上がっているみたい」
「後者は魔女様の思うところと同じようでもあるけれど、あまりいい方向にいくとは思えない」
王城内に魔女を廃そうとするものがいる。
根の葉もない噂ではあるがそこにそんな意図をもった悪意が潜んでいることは充分に感じられた。
「人って愚かだね」
「言うなフローラ」
取り繕うでもなく出た言葉をアウイナイトは窘めるが、その顔の渋さから同じことを思っていることは覗えた。
これまでどれだけ魔女の世話になってきたのか、今もなおどれほど庇護されているのかを知らないのだろうか。
それとも目先の欲目に目を眩ませて、そのありがたみを忘れてしまったのだろうか。
どちらにせよ、今の段階で魔女を廃するというのはこの国にとっては損害以外の何者でもないということを理解していない者が多くいることには変わりないようだ。
「もう、魔獣から守ってやらなくてもいいんじゃない?」
「「アンデ」」
面倒そうに言い捨てたアンデシンを叱るような声色で二人の声が揃った。
そういうわけにもいかない。
彼らの敬愛する魔女がこの国を守るというのだから彼女の意に反することは出来ない。
彼らにも意志の自由はあるのだが、弾かれ者の自分たちを慈しみ、教育し、導いてくれた彼女を裏切るような行為を彼らは誰一人として良しとはしなかった。
彼女が守れというのなら守る。
ただし、彼女に牙を剥いたのなら容赦なく返り討ちにしてやろうと三人が顔を合わせて頷いたとき、カロンと涼やかな音が部屋中に響き渡った。
「・・・お呼び出しだ」
試しに鳴らしたとき以来聞いていなかった、そして今の状況ではあまり聞きたくは無かった音に深く眉間に皺を刻みながら、フローライトは重いため息を吐いた。