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10 王妃の諦念





「これまでが平和だったからと言って、いつまでもそのままとは限らないわ。変化があったのならなおのこと。けれどそれがきっとぬるま湯に浸かりきったあの方達にはわからないのね」


独り言のようにリリーベルは呟いた。

その手には同盟国からの信書があり、それをもう一度じっくりと読み込んだ彼女は深くため息を吐いた。

それを静かに見守っていたスピカは彼女の気持ちを落ち着けるように、リリーベルのお気に入りの茶器へハーブティを注ぐ。


「同盟国のタリバン共和国から信書が来たわ。隣国アルバニー皇国に不審な動き有り、だそうよ」

「まあ、魔女が死んだと聞けばどの国もチャンスと思うでしょうね。そんなに広い国土ではなくともマルブライトにしか育たない農作物も技術も多い。手に入るなら手に入れたい土地でございますもの。させませんけど」

「問題はそんな噂が広まってしまったってところよ」

「でしょうね」


いつも同じティーポットから注いだハーブティを相手が飲むのを見届けてから口をつけるリリーベルにスピカは内心感心している。

王妃となる前、さらには王太子の婚約者になる前から常に命を狙われ続けている彼女はそうした身を守る行為が身に染みているのだろう。

魔女の加護により王家の命が狙えない分、その矛先はいつも配偶者や心を預けた人へと向かう。

先代も、先々代も、そうして近しい人を亡くしてきた。

王家に近しくなるということは常に死と隣り合わせとなることと同義。

だからリリーベルは一切の気を抜かない。

そうして常に危機感を持って周りを見渡すからこそ、この国の脆さがよくわかっているのだ。


「魔女に頼り切った現状を嘆くのは結構。けれどなんの準備もない段階でその鉄壁の守りがなくなるという意味をちゃんと理解していなかったのでございましょう」

「戦争もない、魔獣からの攻撃もない、実戦経験のほとんどない軍が今も小競り合いを繰り返している他国の軍に通用すると本気で思っているのかしら?」

「思っているのでしょうね。じゃなきゃ魔女討伐なんてするもんですか」


それなりに痛かったんだから、とその時のことを思い出したようにスピカが怒ってみせれば、そんなスピカにリリーベルは申し訳なさそうな顔をする。


「ごめんなさいね。いくら計画の内とは言え、殺しにくるのをじっと待てだなんて・・・オスカー様もなにを考えているのか」

「王弟殿下のせいでも、ましてやリリーベル様のせいでもございませんわ!全部全部彼らが悪いのですから。王弟殿下からの信書でも実行される確率は五分五分だと書いておりましたもの。二者択一で愚行を選んだのは全てあの愚か者たちですわ」

「シルヴィア様にそう言っていただけるなら、安心したわ」


心のどこかで、この計画自体に魔女が怒り出すのではないかと、そしてそれにより愛想を尽かされてしまうのではないかと、国王もリリーベルも発案者の王弟でさえも思っていた。

計画書に添えられていた王弟の手紙には持ちうる限りの言葉でもってこのような事態になったことやこのようなお願いをすることを詫びる言葉が随所に書かれていた。

全ての責任は自分が持つと、それはもうかわいそうなくらいに兄である国王や計画を許した重臣たちを擁護していた。

魔女を害す情報を得ていながら自衛するなと言っていたのだから当たり前だ。

そういったことも踏まえたスピカの嫌忌はオルドミズ家に向いているようで、相変わらず自分たちの味方でいてくれるようだとリリーベルは安心したのだ。


「陛下とリリーベル様がずっとこのシルヴィアに心砕いて下さっているのは知っておりますから。特にリリーベル様はメデイア様とのことを知ってすぐにお見舞いに来てくださいましたでしょ?それからずっとこのシルヴィアはリリーベル様の味方ですのよ」

「ふふ。引きこもりと聞いていたのに案外ケロッとしてて拍子抜けしたけどね」

「それは事情も知らないメデイア様が勝手に引きこもりだなんて言い出しただけでしょう?そう考えるとやっぱり今も昔も変わらず思い込みだけで過ごしておいでなのですね、あの方は。いや、もうあれは血ですよね。親子共々思い込みが激しいですもの」


リリーベルがスピカに初めて会ったのはスピカが領地へ移り住んで数ヶ月後、ようやくリリーベルが婚約者候補のお茶会に顔を出すことができた直後だった。

あまりにも傲慢なメデイアの態度を窘め、他のご令嬢からそれまでの行いを聞いたリリーベルはすぐに最初の被害者であるスピカの元へと見舞いに行った。

当の本人は全く気にした様子でもなく悠々自適に過ごしていたためにリリーベルは拍子抜けしてしまったわけだが、それからリリーベルはスピカの数少ないお茶のみ友達となったのだ。

これが彼女にとって大きな転機となる。


王妃に求められるのは人々を引き付ける求心力、それは間違っていないが、その方法をどうするかでその持続性は全く異なる。

確かに最初のうちはメデイアが他の令嬢を牽引しているようではあったが、リリーベルが現れたことによりそのやり方の脆さが露呈した。

政治で例えるならばリリーベルは堅実的な統治者で、メデイアは恐怖政治を強いる暴君。

リリーベルは他者を気遣い、話をじっくり聞いて、時には問題を共に解決していくことで他の令嬢から信頼という支持を集めていた。

この処世術は時間はかかるが時間をかけた分だけ強固な絆を築くことができる。

本人としては意図していたわけではないが、そうやってリリーベルが盤石な足場を作っているその間メデイアが改心してスピカや他の令嬢たちに歩み寄ろうとする気配は全くなく、それどころか敵対者をどんどんと作って支持者を減らしていった。


王妃は国内の女性の頂点にして鑑となる、彼女たちの支持なくしてその立場は成り立たない。

あのお茶会で篩となっていたのは邪魔者を排除する力量ではなく、どう味方を増やしていくかの力量だったことにメデイアは今なお気が付いていないだろう。


そしてその味方の中でも一番重要なカードをリリーベルは真っ先に手に入れていたことで、あの篩はほとんど出来レースだったと言ってもいい。

幾度となくお茶会を重ねて親交を深めてリリーベルの人となりを十分理解したからこそ、彼女が未来の"カトレア"ならば間違いはないだろうと思ったスピカは魔女の親書に彼女の名を記して王家に推薦したし、他の令嬢からの支持のあついリリーベルを王家も選んだ。

そのことすらもメデイアは『リリーベル派閥(負け犬たち)に嵌められた』と思い込んでいるようだけれど、もし本当にそうだったとしても彼女の落ち度に他ならないと王家に判断されるだけだ。

そんな彼女の父であるオルドミズ侯爵も現在の地位に不満を持っているようで、同じように敵対派閥の計略だと思い込んでいるらしい。

つくづく似たもの親子だともはや感嘆の溜息も出るほどだ。


「そもそも陛下はちゃんとそのために動いていた。不要とされていた軍の強化、強固な団結を図れる外交、魔女に頼らずとも、そして魔女の負担を少しでも減らすことができるようにと努力を重ねてきた。それが一瞬にして水の泡になりかねないことを彼らはしてしまったのよ。」


国王ウィリアム、そしてその父王ケイネスはかねてより魔女に頼り切った国防に疑問を抱いていた。

魔女による加護があるとはいえ、その魔女に愛想を尽かされてしまえばたちまちその矛先は自分たちに向けられる諸刃の剣なのだ。

いつまでも子供のように魔女に頼るばかりではそれこそ呆れられても仕方がないと考えた先王と現王は、だからこそできうる限りの努力を重ねてきた。


その一端が魔導騎士団の導入だったのだ。

今現在はまだ試運転のようなものだからこそ魔導騎士団は王弟殿下預かりとなっているのだが、その活躍のめざましさに早々に国王直属の管轄とすべしという意見が多く出ていた。

もちろん国王自身それは願ったりな申し出なので近いうちに魔導騎士団を正式な国家機関と定める用意をしていた最中に先の騒動が起こってしまった。


オルドミズ侯爵が何を思ってそのような行動に出たのかはリリーベルにはわからないが、元よりスピカの言う通り、かの侯爵は思い込みの激しいところが前々から見受けられ、それ故に国家の要の部分には触れることのない役職へと就かされていた。

しかし、なまじ歴史のある家柄な上その先代までは度々重要なポストに就いていたこともあり、自分もそこに収まると思っていたようで、今現在の役職には不満を持っているようだった。

それもそうだろう。

狭い国土のせいでほとんど移民の受け入れられないこの国の出入国管理大臣なんて閑官でしかないのだから、就く人によっては喜ばれる役職ではあるが、野心家には満足出来なかったようだ。


だからこその今回の暴挙なのだ。

先代が才ある忠臣だっただけに残念だと彼の幼馴染であった宰相までもが頭を抱えていたほどだ。

あまりの愚かさに、先代侯爵の本当の子ではなかったのではないかとすら言われている。

突然の病により急逝されてしまい代替わりした今ではその真相も闇の中となってしまったわけだが、現状を鑑みるとその急逝も怪しく思えてきてしまう。


「アウイナイトは大丈夫?」

「ラルフレッド様が先手を打ってくださったので問題なく。身代わりをさせてしまったチャロアイトも取調官が尋問をしたことにしてくださっているので無事ですわ。ただ、大好きなお兄ちゃんに矛先が向いたことにフローライトを始めとする妹たちが酷く怒っているので、事態が綺麗さっぱり何事もなかったように丸く収まるということはなくなりましたわね」


あの子たち怒ると恐いの、と困ったようにスピカは言うが、それを止める気もないところからして彼女自身彼らを無傷で終わらせるつもりはないようだ。

しかしそれはリリーベルとしても同じ気持ちなので敢えて何も言わずに頷くに留めた。


もう充分だろう。

少女の頃より19年ばかり、ずっとリリーベルはメデイアを窘め尻ぬぐいをしてきた。

どれだけリリーベルが歩み寄り心を込めて説得しても彼女は変わることはなかった。

時には貴族らしからぬ汚い言葉で罵られることもあったし、おぞましいほど危険な目にあったこともある。

それでもまだウィリアムにだけ身も心を捧げていたのならば許せた。

彼を愛するがゆえに自身ではどうにもできないほど熱くなってしまっているのだろうと思えていた。

しかし彼女は彼をも裏切っていたのだ。


確かに正真正銘の政略結婚であったことで彼自身義務的に赴いていたところがあったかもしれないが、それを置いてもどれだけ真面目に話しても聞き入れない者の相手などどんな聖人君子でも疲弊する。

候補者の時からもっと穏便にできないのか、もっと他を思いやれないものかと諭そうとしても、それもこれも殿下のためだなどと嘯き、さらにはウィリアムに対して自分の理想とご都合的な人物像を押し付けてはそれから逸脱すればすぐに失望したと嘆いて見せる。

真面目に自分に向き合ってくれない、そんな人をいったい誰が愛せると思うのか。

それでもウィリアムは国王の義務としてでも定期的にメデイアの元へと赴き、極力心穏やかに接して彼女の希望が通るように図らってもいた。

だというのに彼女は全てウィリアムとリリーベルのせいだと言いながら、国王に捧げられたはずの操を他者にも委ねていた。

それを知ってリリーベルもメデイアを見限ることにしたのだ。


それからはもう二人は直接注意することはせず、自分たちや良心的な人々へと余計な火の粉が飛ばないようにするだけに留め、メデイアに弄ばれた被害者達にはよい働き口を斡旋するようにした。

中には自業自得な者もいたが、国王にも敬遠された女の相手をしただけで命を取られるなんてことはあまりにも可哀想なのでそれぞれ最低位に降格くらいでとどめられている。

そんな尻ぬぐいももう終わりにできるのだと、リリーベルはようやく肩の荷がおりる気分だった。


「いつまで子供でいる気なのかしらね、彼女は」

「少女のよう、が揶揄であることにも気が付いてないのでしょう。むしろ喜んですらいますもの」


気が付いていないのは当事者ばかり。

オルドミズ家の可愛い可愛いお姫様は、自分が破滅の扉を開けてしまったことに気付かぬまま、今日も首振り人形と楽しくおしゃべりしている。




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