題83話 捕縛
バネッサは仮の総裁室の黒い革張りのソファに腰掛けると立ったままのハルを見上げた。
「・・・私、いつもおばちゃんの前ではいい子でいたかった。おばちゃんに褒められたくて。ホントの娘になりたくて・・・。」
「私だってずっとハルを娘だって思ってきた。でも貴方の母親はどうしても許せなかった。組織を守って死んだあの人をつまらない男と言った。生まれたばかりのトウヤを抱きしめていつも微笑んでいた穏やかなあの人を、何も知らないくせに馬鹿にした。」
バネッサは雪の中トウヤを抱きしめたまま数時間待った。
夫の体を取り返す機会を。
子供を生んだところで体は衰えてはいたが、自分の身が滅んででも成し遂げなければいけないことだった。
夫は十八で家督を継ぎ、賓度羅の総裁に就任してすぐ自分を拾ってくれた。
穏やかだけれど芯の強さはある人だった。
そしてただの生意気な流れ者だった自分の話を初めてちゃんと聞いてくれた人だった。
だから自分は心の底から敬愛しその人のために命を懸けて、誇りを持って仕事をしてきた。
そしてそんな自分をあの人は選んでくれた。
出自も分からない自分を妻にと。
自分にとってその時まで夫が人生の全てだった。
そんな夫の遺体は鷹紋家の納屋で一枚のござの上に横たわっていた。
もう熱を失ったその冷たい体を運ぶとき、兵士に見つかり命がけで戦った結果、片目を失った。
「あの雪の日全てが崩れていった。悲しいというよりも悔しかった。散々組織をいいようにつかい邪魔になると切り捨てた国王も。数だけの武力で自分たちに襲い掛かってきた軍も。でも、それでもトウヤがいてくれたからどうにか立ち直れたの。それにカイクも戻ってきてくれた。組織も立ちなおり、自分も総裁と認められた。それなのに、また崩れていった。どうしてあなたたち一族は私から全てを奪ってゆくの?私にはもう何もない。あの人が残していったもの、何もかも。」
バネッサは頭を抱えた。
「ねえ、ハル・・・。私疲れたわ。一緒に死にましょ・・・。」
けれどハルは首を振ってまっすぐ前を見た。
「おばちゃん・・・。それはできないよ。私、もう死にたくない。今は生きたいんだ。」
「あら、気持ち変わったの?あれだけ死にたいって言ってたじゃない。本当に私の育てた子は反抗してばっかり。役に立たない。」
バネッサが剣を抜くのを見てハルは小刀で応戦しようとした。
けれどすぐにバネッサの剣は地面に落ちた。手に深々と苦無が刺さっていた。
「おばちゃん!」
「カイクも・・・なまっちゃいないねえ。」
バネッサが顔を上げるとハルの後ろにカイクが立っていた。
「メンター!いつの間に・・・。」
「バネッサ、終わりだ。総裁としての責務を果たせ。」
カイクの目は何処までも冷たいものだった。
バネッサは口に笑みを作ると立ち上がった。
「ちょっと待って!何処行くの?」
「神の御剣に差し出す。」
「何で!ちょっとメンター待って。」
カイクは次の瞬間にはバネッサの後ろに立っていた。
バネッサは抗うこともせず、ただ歩き出した。
「待ってってばメンター!」
「うちの教え子を助けてもらった恩があるからな。総裁を突き出してチャラにする。」
「そんなの嫌!ちょっとメンター!」
ハルは必死に彼らの後ろを歩いた。
洞窟を出るとシギだけがいた。
「皆は?」
「御剣が来るから散らした。」
「そっか・・・。ね。お願いがあるんだ。」
「何だ?」
「私も捕まえて。」
ハルはシギ手を差し出した。
シギもカイクも、そしてバネッサでさえ驚いた。
「どうしてもおばちゃんと話がしたい。だからおばちゃんと一緒の牢に入れて。」
「お前!捕まるって意味分かってるのか?死が待ってるんだぞ。」
「分かってるよ。シギ。」
ハルはニヤリと笑った。
シギはため息をつくと手錠をかけた。