第70話 捨てた人間
アヤは娘と暗殺者がお互いを見つめあい、幸せそうに微笑む姿をただ見ていた。
それは自分がかつて信じていたものを見せられているようだった。
「馬鹿らしい・・・。」
そしてもう一人の少女の方へ目を移す。
娘と変わらぬ歳で全く違う人生を歩んできた少女。
今は人工的に呼吸をさせられ、血の気のない顔をしていた。
「あなたも・・・・人を平気で裏切るの?」
そう問いかけたアヤの瞳には涙が浮かんでいた。
けれど夫の声が現実へと引き戻した。
「成る程、密告があり、部下を向かわせたらこの子がいたということか・・・。」
「はい。密告も暗部の仕業かと。こいつの周りにはいつも暗部が張り付いてましたから。」
「そうか。この娘が狙われたのは我々のせいか。」
「・・・恐らく。」
長官はアヤのそばに来るとハルの顔を覗き込んだ。
「このような子供まで兵器にするとは。賓度羅め・・・。で、この子もカイクの教え子か?」
「・・・はい。」
その名は自分の今まで閉じ込めておいた感情を無理やり開くものだった。
喜怒哀楽すべての感情を自分に叩き込んだ人間の名前と同じだった。
「カイク・・・?榮のカイク?」
「は・・・。榮をご存知で?」
アヤの頭の中にあの頃のカイクが蘇る。
自分を最後まで騙し続けたカイク。
本当のことは何も言わず自分に後悔だけを残していった男。
「生きているの、あの男は・・・。」
答えたのは夫だった。
まるで旧友のような親しみと少しの憎しみを込めて頷いた。
「ああ、生きているさ。アヤも知っているのか?」
「ええ・・・。殺してやりたい・・・。あんな奴がまだ生きてたなんて・・・。」
アヤはうつむいて扇を握り締めた。
シギと長官の二人は後ろで顔を見合わせた。
「殺してやりたいとは随分だな。」
声にアヤは目を見開き振り返った。
扉口にはカイクが立っていた。
アヤは一瞬顔を崩したがすぐに唇を噛んで顔をもとに戻した。
「ずっと死んだと思っていたのに・・・。」
「そう思っていてくれたほうが楽だな。」
カイクは相手を嬲るように鼻で笑うとソウマに目を遣った。
「ソウマ、意識が戻ったか。」
ソウマが頷くとカイクの後ろから一人顔を出した。
ソウマは顔を緩めて仲間を呼んだ。
「ルカ・・・よかった。元気・・・そうで。」
ルカは嬉しそうに駆け寄るとソウマにしがみついた。
「良かった!ソウマ!ホントに良かった。痛むか?本当に心配させやがって!このスカシ野郎!」
「痛い・・・です。じゃれないでください。あの・・・ルカ、ハルは?」
ソウマが視線を右に動かしたため、ルカも慌てて右を向いて、そして息を呑んだ。
唇が何度もハルの名前を呼んだ。
「容態はソウマ以上。一人で御剣九人と暗部六人の相手をしたんだ。よく戦った。」
「シギ、お前が助けてくれたのか?」
カイクは近寄るとそっと頬に触れた。
頬に生気は無かった。
ルカもハルに駆け寄る。
シギは殺気を感じ扉に目を向けた。
トウヤはシギを見ていた。
「お前も・・・生きてたか・・・。」
シギの挑戦的な目にトウヤは冷たい目で返すとソウマに目を向けた。
「何か必要なものあったら、言ってよ。買いに行くからさ。」
「トウヤ・・・。」
目を閉じてソウマはこみ上げてきたものを押さえると、笑顔を向けた。
「いいえ。君が生きていてくれた。これ以上欲しいものなんてありません。ハルについていてあげてください。」
「ありがとう。ソウマ。」
トウヤははにかむとシギの存在を無視して通り過ぎた。
シギは気を悪くするでもなくカイクの後ろに立った。
「蘇生はしましたが。薬を吸い込んでいて。」
「そうか・・・。わかった。」
カイクはそれだけ言うと息を吐いて、部屋から出て行った。