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「ヒユウ、逃げるなこの野郎!!」
クラーヴァの乱入により始まった乱闘騒ぎは、三階から飛び降りて逃げ出すことによって、面倒な後始末をケイト一人に丸投げした後も続いていた。
「それとも、龍がいないから、臆したか!!」
見損なったぜ、と嘲りの色を含めて、中庭を駆けるヒユウの背に向かって唾を吐きかけるように叫ぶと、途端に立ち止まって振り向いた彼から、そんな侮蔑などまるごと包んだ「馬鹿か、お前は」という一言が返ってきた。勿論、クラーヴァはそんな一言を受け流すことなく、ある意味生真面目に、怒る。
「馬鹿だと?!」
「お前と仲良く揃って独房入りなど御免被る故に、あの場から立ち去っただけだ。この単細胞め」
考えれば、すぐにわかることだろう、とヒユウは付け足して言った。
そもそも、何故こんな中庭で男二人で追いかけっこをしなくてはならないのか――改めてこの状況を纏めて文章にしてみると、気持ちが悪くなったヒユウは思いっきり不機嫌に眉を顰めた。
「てっめぇ喧嘩売ってんのか、そうだな、よーし、覚悟決めやがれ!?」
「先に売ったのはお前だろうが。何なんだ、お前といい、ケイトといい、妙に私に絡んでくるが」
「――な、」
クラーヴァは思わず、絶句した。本気で訊いてるらしいヒユウに対して、ますます怒りが込みあがってくる。
「何なんだ、とはこちらの台詞だぜ。そもそも、お前の裏切りが原因だろうが。言え、一体何があった!? 何が、お前をそうさせた!」
これはあの裏切りの晩からずっと、クラーヴァの中にあった言葉だった。喉の奥に詰まって、吐き出したくて、投げつけたくて堪らない澱みだった。
あの、星の少ない夜。庭園に無残な大穴を開けて、その中央の血溜まりの中に倒れているのがヒユウだなんて、到底信じられなかった。我が目を疑う、という言葉を初めて思い知った。翌日、牢獄の中で対峙したときも盛大に吐きかけた言葉、だがあのときのヒユウはいつもとは違う妙な雰囲気を持っていて、認めたくは無いが、クラーヴァはその雰囲気に呑まれてしまったのだ。だからその場では慌てて、黄昏人に操られているからと理由付けて、そしてその場の空気を追い払うかのように、クラーヴァは立ち去らざるを得なかった――不完全燃焼のまま。そのときの失態を取り戻す、というより、ヒユウの周囲を纏った妙に昏い雰囲気の原因を確かめたくて、何よりこの澱みを晴らしたくて、クラーヴァはこうしてまたやってきたのだ。その確かめ方は至ってシンプルで、勿論話し合いなどという平和的なものではなく、所謂「剣を合わせれば、わかる」という、なんともクラーヴァという人間らしい方法。それも結局、途中であまりに不甲斐ないヒユウに失望したクラーヴァによって、単なる乱闘騒ぎになってしまったが。
あの牢でのヒユウはもういなくて、元の――クラーヴァの知っている――ヒユウに近い彼に戻ってはいた。それに無意識に安堵はしていたが、それでも彼の口から出る答えは同じだった。それが、クラーヴァを落胆させる。
「何故、理由を訊く必要がある? 私が黄昏人の小娘に操られている、お前はそう判断したのではなかったのか」
単純な彼には珍しく複雑な思いを抱えて喚きたてるクラーヴァを、怪訝そうにヒユウは目を細めるだけで、淡々と問い返す。しかも、それは酷く突き放したような内容で――それがますますクラーヴァを落胆させ、憤りを募らせた。
「……それ以外に、お前がこんな馬鹿なことをやる理由が思いつかないからに決まってんだろう!」
「そうか。ならば、それでいいではないか。どうせ、ゼノンあたりに私の動向の監視でも任せられているのだろう。それも、好きにすればいい。それに関して、私もどうこう不満を言うつもりはないしな」
ぐ、とクラーヴァは言葉に詰まった。同時に胸の奥にまた不快な澱みが積もっていくのが感じられる。
牢から出した彼に、ゼノンが監視をつけない筈がない。そして、たとえ龍を失ったとはいえ、ヒユウを監視できる程の力量を持つ人間は限られている。直接的な監視の一番の適任は、クラーヴァだ――何故ならば、ヒユウの酷薄な対応にも、鋭く冷めた圧力にも真っ向から立ち向かえる度胸を持っているのは彼を置いて他にない。こうやって、監視をつけられることなど彼も容易く予想していることだろう。それに対して彼に抗うつもりがないなら、クラーヴァにとっては都合が良いではないか。そう思おうとしても、憤りが波のように次々と押し寄せてくる――押し寄せるばかりで、一向に引かない波が。
知らず、クラーヴァの剣柄を握る右手に力が込められた。強い衝動が、彼を襲う。
それを鋭く察したのか、それとももうこのやりとりに心底辟易したのかは定かではないが、ヒユウは諭すようにクラーヴァに言った。
「クラーヴァ、今はこんなことをしている場合ではないだろう。今まで、謎に覆われていたケルジャナへの手がかりが、得られるかもしれんのだ。お前の嫌いな『聖なる手』も動き出すかもしれん」
「んなことはわかってる!! しかし、気にいらねーもんは気にいらねーんだよ、今は『聖なる手』より、貴様がな――っ!」
ヒユウの語尾を打ち消すかのように、叫んだクラーヴァは地を蹴った。速く、重い一撃を容赦なく繰り出し、そうして、先ほどの乱闘の続きを無理やりに再開させたのだった。
クラーヴァが何より気に入らないのは、ヒユウの態度だった。これだけの怒りを押し付けているにも関わらず、彼の淡々とした反応を見ていると、本当は自分の怒りなど一欠けらも伝わっていないんじゃないだろうか、とそんな感覚に陥る。自分の言葉など彼を素通りして、どこか遠くに吹き飛ばされて、宙を漂ってしまっているように感じる。非常に、不快だ――自分の怒りが相手に伝わらないということは。これほど歯痒くて、地団駄を踏みたくなることは無い。それはケイトが感じていることと全く同じものだった。
そうして再び、中庭の奥で騎士二人が何合か激しい剣戟を繰り返す途中、不意に何者かが近づく気配が両者を襲った。また先ほどの繰り返しか、とこの状況に溜息を吐きたくなりながら、ヒユウはすぐさまクラーヴァの動きを牽制する。しかし当の彼は頭に血が上っているのか、一向に剣を引く気配がなかった。それどころか、剣にこめられる力がより強くなる。さすがに、これにはヒユウも目を見開いてみせた。
どうやらクラーヴァは、誰かに見つかって独房入りになる事態よりも、目の前のむかつく野郎をこてんぱんに叩きのめすことを優先したようだ。
―― そうしなければ、この胸のむかつきは収まらねぇ。
龍を失ったヒユウならば、簡単だ。徹底的に叩き伏せて、地面に這い蹲らせて、彼に、己のしでかした愚かさというものを思い知らせてやろう。彼はそう決意した。より一層、剣にこめる力が怒気と一緒になる。
「おい、クラーヴァ、いい加減にしろ」
もう一度、ヒユウは窘める。しかし冷静さを取り戻すどころか、クラーヴァの怒りの炎に油を注いだだけとなった。
「うるせえ! お前を叩きのめすまでは、俺はやめねぇ! やめられねぇ!」
「クラーヴァ、」
「くたばれ、ヒユウ! そして死ぬほど後悔しろ!!」
―― ……後悔?
それは、ない――鋭く見据えたヒユウから発せられたその低い呟きは、クラーヴァに届くことはなかった。何故ならば、それより前に彼の視界は暗転し、同時に思考も強制的に中断させられてしまったからだ。
「―― っと、ちょっと、クラーヴァ!! しっかりしなさいよ!」
きんきんと耳に響く、クラーヴァもよく知っている高くて滑らかな声。それにはいつもより、焦りといった色が濃く滲んでいて、不思議に思ったクラーヴァは瞼を上げようとした。しかし、重くてなかなか思うようにいかない。その重たさは、まるで鉛のようで、戦場で一暴れした後のような疲労感が彼を襲う。
「……ケイトか」
何度か瞬きを繰り返し、ぼんやりとした視界がくっきりと見えるようになった頃。仰向けに寝そべったクラーヴァの顔を心配そうに覗き込んだケイトがいた。
「もう……心配させないでよ、一体何があったってのよ……!」
「お前……あの場の後始末はどうしたよ?」
クラーヴァは、中庭の芝生の上に仰向けに倒れていた。気だるそうだったが、しっかりと目を開けた彼を見て、明らかにほっと肩の力を抜いたケイトはへなへなとその場に座り込む。隣にへたりこんだ彼女を視界の端に置き、ぼんやりと視線を空に向けたままのクラーヴァは尋ねた。途端に、殊勝に肩を落としていた彼女の様子が、弾かれたようにみるみると怒りの色に変わっていく。思い出し笑いならぬ、思い出し怒りというやつだろう。
「ええ、ええ。ちゃんとしましたとも! 好き勝手に乱闘騒ぎを起こすだけ起こして、三階の窓から飛び降りて逃げやがった男二人の尻拭いはすべて私がしましたわよ! おかげで、独房入りは免れられたんだから、盛大に感謝しなさいよね!」
あの後、無残な状態となった部屋に一人残されたケイトは、駆けつけた騎士達を上手くあしらって、というか半ば脅しをかけることによって、乱闘騒ぎを最初から無かったことにした。勿論、部屋も片付けた。といっても、片付けの大半を任せられたのは駆けつけた騎士達だったのだが。そういうわけで今回の騒ぎで一番哀れだったのは間違いなく、原因もわからぬまま、ひたすらケイトの鬼気迫る迫力に圧倒されながら、部屋の片付けをさせられた彼らだろう。その上、彼らのその労力も、もう既に彼女の頭からすっかり忘れ去られてしまっているのだ。とことん、報われない彼らであった。
「んもう、そんなことより、なんなのよ! 説明しなさいよ! 慌てて駆けつけてみれば、あんたが中庭に大の字で寝そべっているわ、肝心のヒユウの姿はいないわで……!」
「―― ヒユウだと?」
「な、何よ!?」
まるでヒユウの名前は禁句だというように、がばりと起き上がって反応を示すクラーヴァ。眉間には深い皺が刻まれ、声色も低い。ただならぬ雰囲気を感じ取って、ケイトは僅かにたじろいだ。しかし、すぐに「なんで私がびくつかなきゃいけないのよ!」と思い直す。そうだ、今この時、怒る権利を誰より行使していいのは自分の筈だ、と自問自答したケイトは、改めてクラーヴァを厳しく問い詰めた。
「あの野郎……何が、龍を無くした、だ」
「……はぁ?」
上半身を起こして前方を睨みつけたまま、訳のわからぬ言葉で悪態つくクラーヴァに、ケイトはただ頭を傾げるしかできなかった。
「龍を封じられているなんて、嘘っぱちだろう!? あいつ、さっきとは反応速度が全然違ったぞ! ちくしょう、あの野郎! 弱ったなんて油断させるようなことしやがって! かーっ! まんまと騙されたぜ!」
「……ちょ、ちょっと、どういうことよ、それ? 私にもわかるように説明なさいよ!」
いきなり意味不明なことを叫び始めたクラーヴァを見て、もしかしたら後頭部を強く打ったのかも、とケイトは急に心配になったのだった。
―― しまったな。
中庭を抜け、颯爽と歩く銀髪の黒騎士の姿。その面には何の色も窺えないが、胸中では舌打ちしたい思いで一杯だった。
相手があの単細胞なクラーヴァだから大丈夫だと思いつつも、時折、抜け目ない行動を素でやらかす彼のことだ。理屈で悟ることが出来なくとも、本能で何か違和感を感じ取るかもしれない。そう考えて、改めてヒユウはしまった、と思う ―― それでも。それでも、あの場で彼に叩き伏せられるのは、ヒユウは御免だった。そこまで己の矜持は低くない。いや、むしろ高いのだろう。だからこそ、この身を歯痒く思うのだ。だからこそ、クラーヴァに対して焦燥にも似た思いを抱いていることなど、認めたくないのだ。本当は、信じたくない。けれど、既に彼は心の端ではそれを認めていた。焦燥……というよりも羨望に近いかもしれない――そうだ、自分は確かにクラーヴァの持つ、太陽の光のように周りを圧倒するあの力を、『生』の脈動というものを強く感じさせる彼を、羨ましく思っている。何故ならば、それは自分では永遠に手に入れられないものだからだ。だから、羨望というものを抱くのだろう。いくら考えても栓の無いことだというのに。だからこそ、自分はここにいるというのに。
ヒユウはかぶりを振って、思考を払い落とした。
中庭の木陰で立ち止まった彼の視線の先には、己の側近であるツヴェルフの姿がある。木に寄りかかるようにして腰を下ろしていた彼は、ヒユウを認めると、軽い調子で片手を上げた。
「ツヴェルフ、大分やられたか」
「……おうよ」
「『聖なる手』相手に深追いはするなと言っておいたろう」
「いや~……、あの不気味な仮面がさ、あまりに趣味悪ぃだろって気持ち悪くてさ。剥がしてやろうと頑張っちゃったもんだから。そしたらなんか、あっちが予想以上にキレちまったんだよ……あ~、いててて」
傍目にはそれほどの大怪我を負っている様子はない。しかしツヴェルフ曰く、そこかしこに打撲やら細かい傷を負っていて、体力もすり減らしてしんどいとのことだった。全身を擦りながらぼやく側近の姿を、ヒユウはあまり気に留めることなく、ただ見下ろしていた。
「なぁ……それより、あいつら、変だぜ? フィリアを捕まえようとするのなら、出来たのに、それをしなかった」
考え込むような素振りで頬杖をつきながら、ツヴェルフは頭にこびりついていた疑問を吐いた。彼が、かの存在と対峙してみて、改めて感じたその疑問。どうも、本気でフィリアを捕まえて処刑しようとしているようには思えないのだ。それにしては、抜けがあるし、肝心なところで一歩引いた距離を保っている。それがツヴェルフにひどく気持ち悪い違和感を残していた。喉に小骨が刺さったまま抜けない、そんな表現がぴったりだった。
「……だから、茶番劇だ」
「はぁ?!」
「私の力を封じる為、各地の黄昏人を誘き出す為、彼らの本拠地ケルジャナの謎を探る為、『聖なる手』――元老院の真意、ひいては教皇の謎を掴む為、ゼノンが仕掛けた茶番劇だ」
そして、自分の真意を掴む為にこうやって、彼は自分を泳がしているのだろう。
餌を放って、それに群がる魚を一匹ずつ釣っては、見定めているのだ。彼の目的を邪魔する本当の敵を。
「フィリアは、その為の単なる餌に過ぎん。いつでも、処理可能な存在なんだろうよ」
「……処理、とか言うなよ」
窘めるようにツヴェルフが言う。不意に真面目な色を声と貌に貼り付けた彼に、ヒユウは思わず瞠目した。
「……私が言っているわけではない」
「それでも、お前は口にすんな。したら駄目だ」
妙なところで食い下がるツヴェルフにヒユウは内心訝しく思いながら、「何故だ」と問うた。するとツヴェルフは、大仰に肩を竦めてみせる。
「俺の胸糞が悪くなるからだよ……はあ、それより、それなら俺にも言っておいて欲しかったぜ。色々ありすぎて、いちいち疲れた」
「私とて、気付いたのは途中だ」
「あっそ」と軽い返事をしたツヴェルフは腰を下ろしたまま、視線を地面に落とした。
「で、どうするよ? フィリアの監視に向かったのがお前の信者の一人だぜ? あの、ヘテイグとかいう奴」
信者、という言葉にヒユウは苦虫を潰したように顔を歪めたが、すぐに頷いて言った。
「知っている。だが監視のみだ」
「いやいや、あんだけ、お前に心酔していた奴だぜ。監視だけで済むと思うか?」
「ヘテイグは若いながらも、自制に長けた人間だ。何より、任務を第一としている。だからこそ、私も黒印魔法騎士団の副官を任せられた」
だから、大丈夫だろうと、その心配を杞憂だとヒユウは言う。しかしツヴェルフはかぶりを振って、それを否定した。
「いーや、お前はわかってないね。あいつの信者っぷりを。あいつが任務を第一とし、あれほど完璧にこなすことが出来ていたのは、何よりお前に任せられた任務だからだよ」
◇ ◇ ◇
皮膚はただれ、沸々と煮え滾るような熱湯のような、この炎を忘れてはいけない。
黒印魔法騎士団の騎士の称号を授かった時から身につけている黒の手袋を見下ろしながら、ヘテイグは思った。掌を返すと、手の甲には剣に絡む龍の紋章の刺繍が施されている。これは、誇りだ。誉れだ。何にも代えがたい、彼にとってはもう存在意義と呼べるものだ。
そして、もう一つ。彼にとって、同等となる存在がある。
目を細めて、誉れの証である紋章を見据える。脳裏に浮かぶのは、黒衣を纏い、剣を片手に、もう一方の手で龍を従える銀髪の男。士官学校時代から、ヘテイグにとって彼は憧憬の対象であった。目指すべき、指針であった。常に彼は頭上にいた。遥か、遠く、高く。偉大なる龍を行使するに相応しい器量を備え、その龍の眩い光を背に彼は常に前を見据え、自分はそれを道標に、いつかあの遥か高き場所へと夢見て進む。その筈だった。だからこそ、彼が負けるのは許せなかった。彼があの眩い光を失うのなんて、耐えられなかった。彼の光を遮るものがあるならば、何を置いても自分は排除すると、正騎士となった日に誓ったのだ。
―― その誓いを果たす日が来た。
「ヘテイグ殿、大丈夫ですか」
「……ああ、心配無用だ」
今にも拳を握り締め、喚起を行おうとする衝動が己の中で渦巻いている。そんなヘテイグの葛藤を、ギルベルトは鋭く察しているのだろう。気遣う言葉の中に、厳しい牽制が含まれていた。目を閉じて、闇色の視界の中でヘテイグは己の不甲斐なさを強く戒めた。帝国が誇る『黒印魔法騎士団』の副官であり、強大な力を有する召喚士でもある彼も、ヒユウらと同じく、どんな状況であっても精神の乱れを即座に正して催眠状態へと移行する術を身につけている。故に、再び瞼を上げた彼の精神は、一瞬前とは別人なほどのそれだった。
頭をもたげ、前方を強く睨む。その視線の先には、夜明けも間近なグルンレスタの街の中を、影を縫うようにして進むフィリア達のがある。先頭には青髪を高くに結った男、最後尾に剣を携えた赤髪の女。そして、真ん中にいる亜麻色の髪を持つ少女が、彼らの目的とする存在だろう。はじめ見たときは、あまりに平々凡々な、というか人畜無害にしか見えない少女の外見に、ヘテイグですら動揺した。しかし、すぐに「惑わされるな」と自分を叱咤し、最初のその印象についても、少女の恐るべき正体を知っているだけにすぐに立ち消え、むしろ逆に騙されたような気になった。それに、その上、彼女がヘテイグの尊敬するヒユウの龍まで奪ったともなれば、憎悪の炎が揺らめくのにもそう時間がかからないのも当然のことだろう。
「……奴ら、飛獣を使うつもりか」
少女達の外套の中に隠れるようにして、翼の生えた小さな犬のような生き物が潜んでいる。それを目敏く見つけたヘテイグは眉を顰め、忌々しそうに呟いた。
「ええ、しかもあの飛獣は遠距離飛行に適したケツジーに改良を加えたですね、この地の交易法に反したものです、おそらく闇市場で売買されているものでしょう」
「あとで、ガサいれもするか」
「そうですね、それはこの街の兵士で事足りるでしょう。後ほど、ゼノン様にも連絡を入れておきましょう。それより、あれで一気に飛べば、一週間もあればケルジャナには着きます」
ギルベルトの言葉に、ヘテイグは「……ふむ」と目を伏せて、寸時考え込んだ。
「それでは、いくら俺の『遠眼』でも追跡は辛いな……止めるか」
一歩進み出て、ヘテイグは何事か呟いた――それは、喚起。召喚士が己の『召喚獣』を呼び出す為の、呪文。低く呟き、己を意識の奥底よりもっと深い場所まで沈ませる。辿り着いたそこは白く、天も地もない世界、けれど膨大な量の何かに満ちた場所 ―― 無意識の領域の中で、召喚士は喚起を行う。
ヘテイグの召喚獣は『シー・モクレイ』という長く白い胴を持ち、蛇に似た姿であった。
彼の喚起が完了した時には既に少女達はグルンレスタの西南にある街門近くまで進んでいた。街門には常駐の兵士、役人以外にも、現在は帝国軍上層部の指示によって、密かに騎士らが集まっている。さすがの彼らもそれには気付いているだろうが、やはりここで多少強引でも、早く脱出する選択を取ったのだろう。きっと、その選択は正しい――だが。
「そうは、させん……!」
背中から不意打ち、というのは騎士であるヘテイグにとっては、絶対に避けたい事態だ。しかし、相手が忌まわしき黄昏人、それに加担する者であれば、そんな騎士道は不要。なんとしてでも、確実に彼らを追い詰める方法を優先する。それほどまでに、ヘテイグの意志は固かった。
―― 邪悪なる者らを、その白き身が鎖となって戒めよ。
彼の叫びに応えた召喚獣が、その長く白い胴を地に這わせ、少女達に襲い掛かろうとする。ちょうど、彼女達の外套から飛獣が降り立ち、その小さな身から本来の大きさに変化するところであった。ヘテイグの目的は、移動手段であるその飛獣。それを、長距離に耐え切れなくなる程度まで、傷を負わせるつもりだったのだが。
一瞬で少女らに到達した白く長い『シー・モクレイ』。普通の人間ならば、五感で認知することすら、難しい――その筈であった。
「何……っ!?」
思わず、ヘテイグは叫んだ。思いがけない事態に、常に平坦であるべき精神の波が微かに揺れだす。だが、それも無理はない。歯牙にもかけない、単なる女剣士だと思っていた赤髪の少女が、なんと襲い掛かる『シー・モクレイ』をその剣で一刀両断にしたのだ。
いくら、最小限の被害に留めようと手加減していたとはいえ、通常の人間ならばありえない異常な反応である。
「ちっ!」
「ヘテイグ殿! どうか、冷静に」
ギルベルトが止めようとしたときには遅く、既にヘテイグは二度目の攻撃をしかけたあとであった。




