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黄昏人  作者: はるハル
打ち捨てられた地と
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4



 怒っているのか、ですって?



――ええ、怒っているわ。

 とんでもなく、頭にきているわ。当然よ。私が、短気だからなわけがない。これは、どう考えても、どこから見ても、怒っていいと思うわ。むしろ怒らなきゃおかしいわよ!?



 艶のある紫髪を一つに纏めた凛々しい女性騎士――ケイトは、かつかつとけたたましい靴音を鳴らして歩いていた。そのけたたましさは、硬度の高い石床にですら、まるで冬の雪山に点々と続く猛獣の足跡をつけて周囲の動物を脅かすかのごとくで。そして面に貼り付けた形相の恐ろしさは、すれ違う騎士全てが壁に張り付くようにして彼女に道を譲ったことからも容易に想像できる。

 彼女は一心に前方を睨みつけ、速歩する。そうして目的の場所に辿り着くと、そこに続く扉を蹴飛ばすかのように思いっきり押し開けた。いつもは重厚な音を立てて開く筈の扉も、猛獣から逃げる草食動物のように大人しく、左右に開く。完全に開ききる前に、よく通る綺麗な声が、怒声となって鳴り響いた。


「ヒユウ、説明しなさいよ! 私には聞く権利があるわ!!」


 目的地の部屋には、すっかりいつも通りとなった男がいた。小憎たらしいほど、外見上は普通だ。軍所属の優れた治療班のおかげで、瀕死状態だった欠片もそこには浮かんでいない。いつも通り、漆黒の軍服と冷えた雰囲気を身に纏って怜悧な面差しで佇んでいる。いつも愛用している長剣を腰に差し、これからちょうど、どこかへ向かうところだったのだろうか。あまりにいつもの雰囲気で――まるで何事もなかったかのように、将軍の座も剥奪され地位も名誉も信頼も無くした男には到底見えなくて、それが余計ケイトの眉間の皺を深くさせた。そして男の方も、扉を豪快に開け放ち、その真ん中で大立ちするそんな彼女を見て、うんざりした様子を隠しもしなかった。

「何の話だ」

「ふ、ふざけないでよ! よくも、のうのうと私の前に顔を出せたものだわ!」

 お前が積極的にやって来たんだろう、とは思わずにはいられなかったが。

 それを口にすれば、火に油を注いで余計にややこしい事態になるのでヒユウはただ黙していた。

「なんで、私達を裏切ったのよ? あの時、あなたは操られていないと言ったわ! たとえ本当にそうだとしても……いいえ。やっぱり、あなたは黄昏人の小娘に何らかの術で操られていた、そういうことね?」

 それなら、私も納得できるわ。私に楯突いたことも許してあげる。

 ケイトは確認するようにそう言った。いや、確認というより、そう言え! と脅しているような迫力だ。大抵の者なら彼女の迫力には気圧されてしまうのだが。

「何度言ったらわかる。私は操られてなどいない」

「……っ、じゃあ、どうしてよ……!」

「あの時に感じたそのままが事実だ」

「嘘!!」

 淡々と、まるで些細なことだという彼が信じられなかった。あの事件で、どれだけの騎士達が、自分が衝撃を受けたのかわかっているのだろうか。

 今までゆっくりと、だが確実に築き上げてきたと思ってきたものが、がらがらと音をたてて崩れ落ちていく。いや、最初から築き上げてきたものなど、幻に過ぎなかったのだろうか。

 ヒユウとは、士官学校も一緒だった。しかも、彼は彼女の後輩に当たる。同じ学び舎で、青少年期を過ごしたのだった――それだけじゃない、クラーヴァもギルベルトもヘテイグも、あのゼノンすら、帝都にある士官学校にて同様に青少年期を過ごし、帝国軍の騎士となった。それが帝国軍部入りへの王道だからもあるが、何より、主要な地域の領主権を有する貴族の、とくに家督を受け継ぐ者はそこでの修学は強制で、徹底的に英才教育を受けさせられるのだ。将来、帝国の未来を担う者として人脈を作る為にも、様々な地からこの帝都へと集まる。ゼノンとはさすがに年代が違うが、それ以外の者とは、ケイトは同じ学び舎で顔を合わせたことがあった。

 ふと、思う。その頃から、ヒユウはこんな性格だっただろうか。

 彼が龍を召喚したのは三年前だ。士官学校時代は彼は普通の騎士だった。それでも、龍を召喚する以前から、彼は騎士として有名だった。無理もない、自分も、初めて見たときはその端整な容貌に目を奪われてしまった一人なのだから。外見だけでなく、剣技も馬術も、中でも人の采配に長けていたので指揮官として将来有望という話だった。その頃からゼノンも目をつけていたと聞いたこともある。領主としての外交感覚に関しても何ら問題はなかった。その頃から、愛想も徹底的に分けられていたのだ。いや、途中からだっただろうか……あの、何を考えているのかよくわからない怜悧な面差しを浮かべるようになったのは。あいにく、ケイトには、そこまではわからない。

 それでも、少なくとも外面の良いヒユウしか知らない姫君たちよりは、自分はヒユウのことを知っていると思っていた。距離も、近いと思っていたのだ。それなのに――ケイトは騙され、裏切られた気分で胸が一杯だった。悔しさ、怒り、悲しさ、混乱……とにかく色んなものが混ざっていて、まるで色んな絵の具を無造作に混ぜまくって出来る、あの無秩序で汚い色になっていたのだ。沸沸と煮えていくこの思いを堪えることなどできない。


「あんたは、ひどいわ。あんたみたいな鉄面皮、見たことがない!」

「そうだな」


 ヒユウの態度があまりにも酷くて、かっとなったケイトは手を上げそうになった。これほど、自分は悲しんでいるのに、怒っているというのに、それすら面倒臭いとでも言いたげな彼の対応はあんまりだ。一発ぐらいなら、引っぱたいてもいいのではないか。否、一発なんて足りなさすぎる。そうケイトは思わずにはいられなくて、波立つ心を抑えることが出来ずに感情のまま、思いっきり平手打ちを食らわそうと思った。目の前の男が大人しく受け入れるだなんて思わなかったけれど、それもどうでもよかった。彼の頬に自分の爪先が走った傷が、みみず腫れが出来ればいい。それを見れば、少しはこの胸のうちもすっきりするだろう――それほど、ケイトの頭に血がのぼっていた。しかしそのとき、よりにもよって、目の前の男が突然、腰に下げていた愛剣の柄に手をつけたのだ。それにはさすがのケイトもぎょっとさせて、一瞬のうちに全身が強張った。

 こちらは親切にも平手打ち程度で済ませようとしているのに、剣だなんて、ありえない――!

 親切かどうかは置いておいて、ケイトは心中でわめいた。

 ヒユウは自分をあくまで騎士として扱い、それがケイトとしては嬉しかったが、それでも完全に男と同列に、というわけではなかった。ぎりぎりのところで、自分を男とは別として捉えている。やはりどう偽っても自分は女なのだ、だからそうせざるを得ない。かといって、貴族の姫に対するような扱いでもない。たとえば、自分とは訓練時に相手をする。手を抜くような素振りはしないが、それでも極力自分に傷を残すようにはしない――とくに、顔には。そういった、気遣い。あの裏切りの晩でさえ「容赦はしない」と言っていた彼だったが、ケイトは無傷だった。結局のところ、彼も紳士だということだろう。仕方ない、性別というのはどれだけ偽っても偽りきれるものではないからだ。男女差には、到底埋めることの出来ない溝がある。この点に関しては、ケイトは幾許か不満は残るものの、もう割り切っている。

 だから、今までの経験からしても、どれだけのことがあっても、やはり彼は女性に対して不必要に手を上げるような男ではないとケイトは信じていただけに、驚愕した。ひどい、また騙したわね、と漏らして、ぎゅっと目を強く瞑る。けれど、聞こえてきたのは、耳をつんざくような金属音だった。

「……え?」

 瞼を上げたケイトは、目の前の光景にさらに目を丸くした。


「え、な、ク、クラーヴァ……っ!?」


 自分のすぐ横で、ヒユウとクラーヴァは剣を絡み合わせていたのである。いつのまに来たのか、クラーヴァの気配に全く気付けなかったケイトはすぐには認めることができなかった。混乱している間にも、クラーヴァは渾身の力でもって剣で押し、怒気を隠すことなく、ヒユウと向かい合う。


「……ふ、どうだ。久しぶりの外の空気は! さぞかし清清しいだろうよ!?」

「御覧の通り、姦しくてたまらん」

「ほーお……五月蠅いのが厭だというなら、俺があの静かな籠の中に戻してやるから、――感謝しろよ!」

 クラーヴァは押し留めていた剣を素早く引き、そして間合いを詰めたそのままで剣を振り下ろす。速い。そして、重い。

「元凶であるお前を鎮めれば、問題ないことだ」

 ヒユウはそう返しつつ、風も岩も何もかも薙ぐようなクラーヴァの一撃を剣柄に近い位置で受け止めてそのまま立て板に流れる水のように受け流した。クラーヴァのように力任せに剣を振るう相手には一番効果的な方法だ。そうでなくとも、クラーヴァの馬鹿力をまともに受けるのは、ヒユウですら出来れば避けたいほどだった。

 そのヒユウの反応に、クラーヴァは舌打ちした。

――やはり、鈍い。

 龍を失ったからだろう。以前の彼ならば、奇襲だろうが不意打ちだろうが、異常な反応速度でもって、初撃をまともに受け止めることなどなかった。いつもならば、初撃を難なくかわして瞬時に反撃に転じていたというのに。ましてや、このようにこちらの反撃すら許すとは有り得なかったことだ。

「相変わらず、どこまでも、不遜な奴だよ……龍を失ったてめぇなんぞに、俺がやられるか!」


「ちょっと! あんた達、ここをどこだと思っているの! やめなさいよ!!」

 こんな普通の部屋の中で、普通よりは広い部屋だが、廊下も広くて天井も高いが……いや、そんなことが問題なんじゃない。訓練場などとは違う、普通の建物の中で見境なく剣を振るうなど――しかも、帝国軍の誇る二大騎士団の将軍二人が、だ(片方はその前に『元』がつくが)。あまりの事態に、ケイトは頭を抱えた。この二人が暴れて手をつけられる人間などいない。あのギルベルトだって、いつもクラーヴァ一人に振り回されているのだ。到底、ケイトが身を粉にしても、二人を止めることなど出来ないと確信した。

 その通り、ケイトの必死の叫びも虚しく、彼らはこんな部屋の中で剣を鋭く交し合った。時には、剣だけでなく体術も織り交ぜてなものだから、当然のごとく、室内の調度品など無残な状態だ。ケイトも彼らから避難するのに精一杯で、そんなことに気を取られている余裕などなかったが。

「ちょっと……もう……っ!」

 やばい、このままでは。

 乱闘騒ぎなど、しかも指揮官の二人がこんな騒動を起こしているのが広まれば、独房入りは必至だ。部屋から避難して、安全地帯ぎりぎりのところで、ケイトは必死に叫んで彼らを止めようとした。それでも、彼らが鎮まる様子はない。あの二人の間に割って入って止められるような実力も度胸も残念ながら、ケイトにはない。当たり前だ、こんなにも頭に血が上ったクラーヴァと、あの生意気なヒユウの二人を同時に止められる者がいるなら、それこそお目にかかりたい。

――ああ、もう、なんでこうなるのよ! クラーヴァの馬鹿!

 そもそも、最初にヒユウに対して怒鳴りこんでいったのは自分な筈なのに。今頃、クラーヴァのように怒気を発散していたのは自分だった筈なのに。彼が乱入したせいで、不本意にも自分は止める立場となって、このように無駄な叫び声を上げている。駄目だ、考えてるだけで、血圧が上がりそう……。

 そんなことを頭の端で考えながら、彼らの戦いを見ていたケイトだったが、この騒ぎを聞きつけてきただろう足音が耳に入って、慌てた。こうなれば、決死の覚悟で二人の間を割ってはいるしか、とまで思い詰めたケイトは、腰に下げている剣柄を握る。

 しかし、それよりも早く反応したのは、ヒユウで――彼は、クラーヴァの攻撃を受け流してそのまま、部屋の窓枠に手をかけて、ひらりと飛び降りた。

「ちょ……っと、ここ三階……っ!?」

「待ちやがれ、ヒユウ!!」

「クラーヴァ!? ま、待ちなさい!」


――信じられない。

 クラーヴァまで、ヒユウの後を追って、三階の窓から外へと飛び降りてしまった。ケイトは慌てて、窓まで駆けてその下を覗くが、既に彼らの姿は無かった。どうやって降りたのかと思ったが、窓の前方にある樹をつたったのだろう。その証拠に、地震のあとのように樹が揺れており、樹の根元には木の葉が積もっていた。

「……信じられない」

 改めてそう口にすると、途端に重い石が両肩に乗っかったような気がした。

「一体、何の騒ぎですか!? これは、ケイト殿!」

 騒ぎを聞きつけて駆けて来た騎士達が室内を見て、その惨状に驚く。その中で、窓辺にいるケイトの姿を見て、さらに驚いた。

「……まるで、嵐でもやってきたような」

 騎士の一人が部屋を見渡しながらそう呟くと、ケイトは無表情のまま、振り向いた。帝国軍の中でも女性騎士は珍しい。貴重な存在だ。そして、その稀有な中でも、ケイトは美しく、有名だった。無表情だと、さらにその美貌が引き立つ。振り返った彼女の美貌にどきりと鼓動を高鳴らせた騎士は、言葉を待った。

「……ええ、その通りよ。嵐が来て、今、去ったのよ」

 無表情なのは、彼女がかなり怒っているからで。しかし、それを知る術もない騎士は、ただケイトの異様な迫力に呑まれ、それ以上の詳細を問う言葉は、喉に詰まって出てこなかった。









◇  ◇  ◇









 アレシアから、教化政策について色々と教えて貰おうとしたフィリアだったが、どんどん顔色を無くしていく少女を見て、話は途中で打ち切られてしまった。

 どうして、もっと聞かせて欲しいと懇願しても、彼女は「今はまだ、いい。とにかく身体を休めろ」としか言わない。シェルンもそれには同意のようで、大きな欠伸をこちらに見せつけながら、早々に部屋へと戻った。

 この話題に関しては後日、ちゃんと教えてもらうことを約束して、ようやくフィリアは彼らの意見に従った。正直なところ、精神も身体も、そろそろ限界を訴えていたのだ。

 それでも、まだ気になることはたくさんある。寝室に向かう途中で、フィリアは老婆を呼び止めた。老婆は、腕の中に薬草か何か入った籠を持っていた。聞けば、これから調合するのだという。台所とは違う、薬草がいっぱい並べられた棚が所狭しとある部屋の中で、老婆は薬草やら何かの実やらを鍋に入れて、ゆっくりと中味を掻き混ぜていく。それを邪魔しないように隣で眺めながら、フィリアはおずおずと聞きたいことを切り出した。

「あの、お婆さん」

「何じゃ?」

「ヒユウ様……いえ、あの……帝国軍の黒騎士様は無事なのでしょうか?」

 噂でも何でもいい、自分を逃がしたあとどうなったのかフィリアは知りたかったのだ。

「おお、黒騎士ならば、龍を奪われて、帝国に剣を向けたということで牢にいれられたと聞く。極刑の噂もあったが……」

「そんな……!」

 極刑、という言葉にさあっと血の気が引いた。

「落ち着けや。どうやら、牢にいれられるだけで済んだようじゃ……しかし、黒印魔法騎士団の将軍の地位は剥奪されたようでな。街の者は失意に沈んでおるのじゃ……」

「そうですか……」

 とりあえず、無事で良かった。将軍の地位を剥奪され、自分の代わりに投獄されてしまったことにはひどい罪悪感が襲ってきたけれど。でも、生きていれば。助けてもらえた恩だって、返せる。ツヴェルフの無事も確かめたくて聞いてみたが、やはり彼が無事かどうかまでは、噂に流れていないらしい。

「……フィリアや」

「は、はい?」

「覚悟せいや。今や、お前さんは、この帝国に住む人間の、敵なのじゃ。英雄である黒騎士の龍を奪ったお前を、国民は絶対に許さんじゃろう……これから、辛い目に遭うぞ」

「……はい……」

 それは誰に言われずとも、わかっていることだ。国民だけじゃない、何より自分が、自分を一番許せないのだから。

「……お前さんは素直な子じゃぁな。だがな、その素直な純粋さは、いつか自分をどうしようもなく追い詰めるぞ。全てを受け入れるだけの強さは、今のお前さんには、まだない」

「は、い……」

 どくんと胸が高鳴った。老婆はどこまで見えているのだろう。フィリアの知りたがっている記憶の破片も全て、これからフィリアの身に起こることをも知っているような物言いだ。それだけでなくて、自分の性格までをも。何もかも見透かされているような気分に陥って、そわそわと落ち着かない。本当に、不思議な老婆だと思う。それとも、占い師というものが、えてしてこういった大仰な言葉を紡ぐのだろうか。残念ながら、今まで占い師というものと会ったことがないフィリアには判断がつかなかった。

「ふむ、やはり言ったところで無駄なようじゃな……」

 深く考え込む少女に老婆はふ、と軽い息を吐いて、苦笑する。そして、それに疑問符を浮かべるフィリアを、さあ、そろそろ寝なされ、と部屋まで優しく促したのだった。






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