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黄昏人  作者: はるハル
Lost Sheep
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11


 昨日のことについては何も触れずに、何も無かったような明るい表情でフィリアはメイリンをお茶に誘った。ネイミーも一緒にということで、心なしかメイリンもほっとしていたような気がする。

 それにしても、また一段と濃くメイリンの顔には疲れといったものが滲んでいるような気がした。勿論、彼女の美貌を損なわない程度、というか親しい者が目を凝らして見ないと気付かない程度だけれど。でも、いつも溌剌とした輝きを放っているメイリンがフィリアに対しても隠せないほどの疲れを溜めているなんて、初めてのことだ。それほど、皇宮での暮らしは大変だということだろうか。

 何より、レヴァインとはうまくいってるのだろうか。レヴァイン自身がなんだか飄々と掴みどころがないというか、あの秀麗な笑顔からは決して本心が読めないというか。といっても、彼と接した時間などわずかだし、そこから窺える性格など上っ面の一部分にしか過ぎないだろうけど。

 身一つで飛び込んだ、貴族社会。平民と貴族の間の埋められぬ、溝。高く聳える壁。未知の世界には、パオラのような錦上花を添えたような数多の姫君が一面に咲いている。レヴァインはその花々の間を舞う蝶。ずっと、一箇所には留まってはくれない、気紛れな存在。これぞ、蝶争いならぬ寵争いではないか。

 と、こんなことを考えている場合ではない。フィリアは思考を元に戻した。

 悩みがあっても、言いたくないことだってある。フィリアにだって触れて欲しくないことはある。人に話してすっきりする悩みだってあるけれど、でもそうでないこともあるのだ。詮索をするのは嫌いなので、とりあえずフィリアは自分でできる範囲で何かないかと考えた。はっきり言って自分はメイリンよりずっと無知で世間知らずだ。人生の経験値など差がありすぎて、遠い目をしたくなる。だから残念なことに、彼女の心から悩みを取り外すような、癒しの台詞も、光明へと導くような悟り文句も思いつきやしない。なので、少しでも気晴らしできる一時でも作れたらいいなぁと、そういうわけでネイミーの助力を願ったのだ。

「私、メイリン様のファンなんです、よろしくお願いしますっ!」

 喜びを全開にして頭を下げたネイミーに、僅かに引いてしまったような気がしたけれど。彼女の明るい気分は伝染するらしく、次第にメイリンの表情も軟化していって、声を上げて笑うようになった。


 中庭に続くテラスで、テーブルにつくメイリン。すぐ横ではネイミーが紅茶の用意をしている。茶器から湯気が立ち昇り、仄かな芳香が漂ってきた。

「……良い香りね」

 初めて嗅ぐ香りだとメイリンが首を傾げると、途端にネイミーはよくぞ聞いてくれましたという風に胸を張った。

「これはですね、こわ~い女官の先輩方も知らない厨房の奥にある茶葉なんですけれど、わざわざ異国から取り寄せたすんごい珍しくて、おいしいお紅茶なんです。先輩方や女官長様に怒られた時なんかに下っ端のあたし達はこれを飲みながら愚痴大会を開くんですよ」

「まあ、ふふふ。面白い子ね、ネイミーって」

 こわ~い、を殊更強調するネイミーにメイリンはくすりと笑いを零す。ネイミーは暫し茶器の取っ手を持ったまま、ぽーっと見ていた。お菓子を盛った皿を盆に載せてやって来たフィリアが、動きの止まったネイミーの横から覗き込む。

「どうしたんですか、ネイミーさん?」

「あ、いえっ。本当に綺麗だな~と感動しちゃって」

 メイリンの笑顔に見惚れてしまったことを素直に白状するネイミーに、当の本人であるメイリンはぽかんとしてしまった。が、すぐに噴出して高らかな笑いをあげる。

 それを見てフィリアは、心の底からよかったと思った。やはり、ネイミーを連れてきて正解だった。あとで彼女にお礼を言おう、と胸中で決意すると、彼女も雑談の中へと入っていった。



 一刻ほどそんな楽しい時間を過ごしていた頃、部屋の方から女官が入ってきて、ネイミーを呼ぶ。どうやら女官長がお呼びらしい。ネイミーは嫌そうな顔をしたが、女官長に逆らうことは出来ない。渋々といったかんじで退出してしまい、フィリアとメイリンは二人っきりになってしまった。何となくぎこちない空気が流れて、それを誤魔化すようにして紅茶に口をつける。

「……フィリア」

「はい」

 無意識に緊張してしまって、少し焦った。彼女に伝わっていないといいなと思ったが、やはり伝わってしまったのか、メイリンは苦笑した。

「ありがとう……楽しかったわ」

「はい……! 私も、楽しかったです」

 このときの自分は、まるで子犬が主人に誉められたときのように、尻尾を振る姿だろうなと思った。メイリンは少し目を瞬かせて、また紅茶に口をつける。密かに笑いを堪えているようだ。なんか、こういうときにいつも、年齢の違いを感じてしまう。実際には一つくらいしか違わないけれど、メイリンがなんだか歳の離れた妹を見守るような目をするものだから。

 そういうとき、フィリアはそわそわと、むず痒いような嬉しい気分になる。ぽっかりと空いた穴底に何か温かいものが満ちていく感覚。そして、確信する。やはり、どちらも選べないと。

 フィリアは一つ頷いて、決意した。


「メイリンさん……私、この城にいます」


 少し勇気がいったけれど、でもフィリアはゆっくりと話した。彼女から視線を逸らしていた為、このとき、メイリンが顔面蒼白になったことに気付かなかった。


「女官としても慣れてきましたし、……これからも」


「やめて!!」

 直接脳を揺さぶるような痛ましい声に、ようやくフィリアはメイリンの普通ではない様子に気付いた。そして、言葉を無くす。

「メ、メイリンさん……?」

 てっきり、喜んでもらえるかと思ったフィリアは狼狽した。なんで、彼女は真っ青になって、小刻みに震えながら、あまつさえその双眸に涙を浮かべているのだろう。美しい眉が吊り上っているのだろう。

 怒っている。彼女は怒っているのだ。人は悲しい時ではなく、怒りの時でも、涙は溢れるのかと場違いなことを思ってしまった。

「何を言っているのか、わかっているの……?」

「え、あの、だから……私も女官としてここにいようかなぁ、とか」

「駄目よ、そんなの!」

 メイリンはフィリアの声を打ち消すように叫んだ。踊り以外で滅多に感情を高ぶらせない彼女の、ヒステリックな叫び声は、まるで別人のようだった。フィリアにはどうしても、彼女のこれほどの怒りが理解できなかった。ぽかんとしたフィリアに、彼女は今まで聞いたことのないような一段と低い声で呻く。

「やめて……なんなの、もう……。それは同情しているの……? 私が心配だから、自分が我慢して傍にいてやるって? そんなの頼んでないわ、私は一人でも大丈夫って言ったじゃない! 余計なお世話なのよ!」

「ちがっ……! 我慢なんて!」

 椅子をひっくり返すようにその場で立ち上がってフィリアを見下ろしたメイリンは、顔を真っ赤にして柳眉を逆立て怒りを顕にしている。そして同時に今にも涙が零れそうなほどに悲しんでいた。フィリアも立って、違う、同情なんかじゃないと叫んだが、メイリンの怒気はますます膨れ上がるだけだった。

 どうしよう。なんでこんなにも怒っているのだろう。フィリアこそ泣きたい気分だった。別に同情で、こんな厄介な生活を送ろうとするほど、自分はお人よしではないのだ。それを伝えたかったのだが、感情的になった彼女は聞く耳を持ってくれない。

「何が、我慢してないのよ! どこが我慢していないって言うの? フィリアは帰りたいんでしょう? ハデス司祭と一緒に元の街へ帰りたいんでしょう! こんな城の中にいたい理由なんてあるわけないじゃない!」

「ち、違います! 聞いて下さ」

「違わない! ……どうして嘘を吐くの、我慢をするの! そういうところが嫌いなのよ……自己犠牲、奉仕精神ってやつ!? シスターだから?」

「メ、メイリンさん、私は嘘なんか」

「そうやって、あんたはいつも私に思い知らせるんだわ……ああ……もう、こんなもの、私は知りたくなかったのに……」

「メイリンさん……?」

 なんだか、彼女の言っていることが支離滅裂になってきたように聞こえて、フィリアは名前を呼ぶことしかできなかった。彼女は何をそれほど怒っているのだろう。嘆いているのだろう。

「……ば、よかった」

「え?」

「会わなければ、よかった……。……そうすれば、この……引き裂くような痛みを味わうこともなかったのに……。お願い……帰って……。すぐに、ここから……」

 最後は痛切な懇願になっていた。同時に、何かに怯えるように、彼女は自分の身体を自分で抱く。そして。

「メイリンさん、待って!」

 フィリアの制止の声を振り払ってそのまま、メイリンはドレスの裾を掴んで走っていってしまった。追いかけなきゃと思った。追いかけて、落ち着かせて、誤解を解かなきゃと思ったけれど、足が地面に根を下ろしてしまった樹のようにびくともしなかった。

 フィリアはただ茫然と、その場で立ち尽くしていた。



 違う。同情じゃない。メイリンはフィリアの初めての友達だった。頼れる姉のような存在だった。だから、自分が少しでも役に立つなら、傍にいたかったのだ。

 でも、ハデス司祭と街に帰りたいというのも本音。だから咄嗟に言い返すことが出来なかった。

 依然として見つからない、ハデス司祭。

――― もしかして、もう……――

 悪い思考にばかり陥って、何も考えたくなかった。不安に押しつぶされそうだった。本当は、必要としているのは自分の方かもしれない。そうだ、誰かに傍にいて欲しいのは自分なのだ。


 どうしよう。メイリンを怒らせてしまった。嫌いと言われてしまった。きっと、飽きられてしまった。

 フィリアは愕然とした。その言葉が脳裏にこびりついて、ぐるぐるとまわる。自分の弱い部分を暴き出す。何とかしなきゃ、誤解を解かなきゃと思うものの、怖くて踏み出せなかった。追いかけても手を振り払われるのが怖かった。メイリンに拒絶されてしまったら、どうなるのだろう……いや、既にされてしまったのだろうか。

 こういう時、どうしたらいいのかさっぱりわからない。

 今まで辺境の田舎町で、他人との深い関わりをしてこなかったフィリアは、当然というか、人間の激しい感情を正面からぶつけられたことなどなかった。

 一番近くにいるハデス司祭はいつも穏やかで、見守るようにして傍にいてくれただけで、怒られたことも喧嘩したこともない。彼の言いつけに歯向かったり破ったりすることもなかった、また彼もフィリアに対して何かを強制したりすることなどなかったから反論する必要もなかったのだ。せいぜい、夜道は危ないから遅くなる前に帰りなさいとか、知らない人についていってはいけないとかそんなレベル。街の人たちも、穏やかな気質の人ばかりだし、ハデス司祭の人徳のおかげで、フィリアに対する風当たりも柔らかいものだった。

 そんな風に、温かい真綿に包まれて暮らしていたものだから、人との衝突なんて記憶にはない。だからこういう状況になった時にどうしたらいいのかわからない。

 勿論、何か悪いことをしたら謝る、ということはわかっている。

 だけど、今回は自分のどこが悪かったのかがわからない。わからないで、ただ一方的に相手に許して欲しい、相手の機嫌を直して欲しい、という理由だけで謝罪の言葉を口にするのは、とても失礼なことだと思った。きっと、ただ形だけで謝っても、メイリンはさらに怒るだけだと思った。

 だから、ただ呆然と、途方に暮れているしかなかった。




 その後、勇気を出して会いに行ったのだが、メイリンはフィリアを門前払いし、頑なに避け続けた。




「どうしよう……ハデス様」


 メイリンに嫌われてしまった。

 不安な時も悩み事がある時も、ハデス司祭に全てを話してフィリアは心の澱みを消すことができた。でも、今傍に彼はいない。

 寝台のシーツに顔を埋めながら、フィリアは届くはずもない名前を呟いた。





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