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伏見宮と天皇家  作者: やまのしか
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東伏見宮

(29)【東伏見宮】

②(依仁親王)(よりひとしんのう)(1867~1922)・伏見宮邦家親王・第17王子、

明治36年(1903年)1月31日、伏見宮邦家親王の第17王子である依仁親王を初代として創設された。依仁親王は、当初は兄の小松宮彰仁親王の創設した小松宮を継承する予定であったが、折り合いが悪く離縁。その際、新たな宮号を名乗ることとなり、小松宮の旧称である東伏見宮を称することとなった[1]。

大正11年(1922年)6月27日、依仁親王が嗣子を残さず薨去したことにより宮家としては断絶。依仁親王は生前。大甥にあたる邦英王を実子同然に養育していたことから[1]、昭和6年4月4日、臣籍降下に際して東伏見宮伯爵家を創設、宮家の祭祀を継承した[2]。ただし、それとは別に東伏見宮家自体は依仁親王妃周子が1947年(昭和22年)10月14日、GHQの指令により皇籍離脱するまで存続している。

東伏見宮 依仁親王(ひがしふしみのみや よりひとしんのう、1867年10月16日〈慶応3年9月19日〉 - 1922年〈大正11年〉6月27日)は、日本の皇族、海軍軍人[1]。伏見宮邦家親王第17王子。官位は元帥海軍大将・大勲位・功三級。妃は土佐藩主山内豊信三女の八重子、次いで岩倉具定公爵長女周子かねこ

初め名を定麿王という。1868年(慶応4年)2月、円満院門跡の相続が内定する。ただし、明治維新により、実現しなかった。1869年(明治2年)2月、兄宮・山階宮晃親王の養子となる。1877年3月、海軍兵学校に予科生として入学する。1884年4月、海軍兵学校を中退し、イギリス留学のために出発する。1885年12月に小松宮彰仁親王の養子となり、1886年5月に親王宣下を受け[注釈 1]、明治天皇猶子となり名を依仁と改める。1887年(明治20年)7月、イギリスからフランスに移り、ブレスト海軍兵学校に入学する。1890年7月にブレスト海軍兵学校を卒業し、8月に海軍少尉に任官する。1892年2月、帰国する。以後は海軍軍人として生涯を歩む。1903年(明治36年)1月、小松宮彰仁親王の願い出により、新たに東伏見宮を創設した[注釈 2]。彰仁親王とは生前折り合いが悪かったようである。日露戦争では巡洋艦「千歳」副長、同「千代田」艦長として参戦した。1911年の英国ジョージ5世の戴冠式に東郷平八郎、乃木希典を随員として参列した[2]ほか、大日本水産会総裁、日仏協会名誉総裁などを歴任する。横須賀鎮守府司令長官、第二艦隊司令長官を歴任し、1918年(大正7年)7月、海軍大将に進む。1922年(大正11年)、56歳で薨去。薨去に際し大勲位菊花章頸飾と元帥の称号を賜った。親王には継嗣が無く、東伏見宮は一代で廃絶となった。なお、晩年の依仁親王は久邇宮邦彦王の三男邦英王を養子のようにしており、東伏見宮家の祭祀を継がせた。

1885年(明治18年)、日本にはハワイ王国のカラカウア国王が来日した。日本の歴史上、外国の国家元首が来日はこれが初であった。カラカウア国王は、赤坂離宮で明治天皇と会談した際に幾つかの提案をした。その一つが姪のカイウラニ王女(当時5歳)と依仁親王(当時13歳で山階宮定麿王と呼ばれていた)との縁談だった[9][10]。しかし、国力増強に努めている明治新政府にはそこまでの余力はなく、ハワイ王国の欧米化が進んでいた中での縁談はアメリカと敵対しかねないため断った。

久邇宮邦彦王の第三王子邦英王は、1919年(大正8年)より東伏見宮邸で養育され、親王薨去の際は御沙汰によって葬儀の喪主を務めていた。事実上、邦英王は、養子に近い存在であったといえる。その後、東伏見宮の祭祀を受継ぎ、東伏見の家名を賜り臣籍降下し、伯爵東伏見邦英となる。邦英王は後に京都青蓮院門跡門主となり、東伏見慈洽と号した


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