その10
さけみつるからの帰路、紗由は車の中でぐっすりと眠っていた。おいしいおやつの夢でも見ているのか、笑顔でお腹をなでまわしている。
「あれだけ食べたのに、寝てても食べてるって、すごいよな」龍が笑う。
「なあ、龍。おまえ、どうして自分でサーチせえへんのや? さっきも翼くんと紗由ちゃんにばかりやらせとった」
「メンテナンス中なんだ。朝食の時、おばあさまからも、体を休めておけと言われたし」
「体調よくないんか?」
「そういうわけじゃないよ。おばあさまが皆の前で普通に言うことは、予知でも診断でもない。まあ、最近大忙しなのは確かだからなあ」
「何かあったん?」
「子守だよ。聖人に真琴に華音。おばあさま、東京に来たのはいいけど、風馬おじさんたちを呼び出して長時間話し込むものだから、連日子守。家の者は選挙前で皆そっちに借り出されてて、それでなくても人手が足りないっていうのに」
「そりゃ大変やな」
「そういう時に限って紗由はいないし。とにかく華音にはお手上げだよ。紗由より動き回るし、サッカーの試合より体力使う。おかげでグッスリ眠れるけどね」
「なら、ええけど…」
「でも、おばあさまは、うっすらとした予感が些細なこととして口に出るんだろうね。ドタバタの芽が出掛かってるから備えておくようにと聞こえなくもない」
「しばらく落ち着いてたのに、またかいな。まあ…さっきの久我の社長はんの話、なんや騒動につながりそうな気もするしな」
「以前は…東京の子たちは、僕と紗由を中心にして力が影響し広がった。でも、今周囲にいる小さい子たちは、最初から皆ポテンシャルが高い。
例えば華音に今の段階で力が出てたら、1歳半ならノーマークどころか、1歳半でどこまでできるのかを確認しにやってくる奴らが現れると思うんだ。
聖人と真琴のように、3歳までいってれば言葉もかなり通じるし、格好の確認材料さ。僕らの力の伸び具合を確認したい連中もいるかもしれないし…」
難しい表情で淡々と述べる龍に、翔太は少しおどけ気味に言う。
「そういや、まこちゃん、天気予報ができるで。素質ありありや」
「へえ。じゃあこの先の長期予報でもお願いしようかな」
「せやな。それ大事やわ」翔太が笑う。
「そうだ。明日の夕方、空港まで直哉おじさまを“迎え”に行こうと思うんだ。翔太も行く?」
「進子ちゃんに触手がのびる前に捕獲するつもりか?」
「ここは紗由を見習って、ガンガン行っておこうと思ってさ」
龍は笑うと華織に電話を掛け始めた。
* * *
進が帰宅すると、リビングからは賑やかな声が聞こえてきた。
未那、悠斗、大斗以外の声が混じっていたので、進は耳をそばだてる。
「進ちゃん、おかえりなさい」
「賑やかだな」
「華音さまをお預かりしてるの。そろそろお迎えの時間なんだけど…」
未那が目を向けた壁の時計は午後7時半になろうとしていた。
「そうか」
進がリビングに入ると、悠斗が振り向きざま笑顔になった。
「おかえりなさい!」
「ただいま、悠斗。華音さま、いらっしゃいませ」
進が声をかけると、華音は首から下げていたヒヨコのポシェットをなでまわしながら、進をじーっと見つめる。
「…おや、そのヒヨコちゃんのポシェット可愛いですねぇ」
「うーたん!」手を挙げて叫ぶ華音。
「…うーたん?」
「華織さまがいうところ“悠ちゃん”のようよ」
未那に言われ、改めて華音のほうを見つめる進だが、華音の注意が進のほうに逸れたのはさっきの一瞬だけで、彼女の視線はすでに悠斗しかとらえていなかった。
「聞きしに勝る悠ちゃん大好きぶりだな」
「ちなみに現在の発語は、“ママ”“パパ”“んぱ”“うばあ”“まんま”“わんわん”“うーたん”の計7つだそうよ。かなり早いほうだわね」
「“んぱ”“うばあ”というのは、“グランパ”と“おばあさま”のことか?」
「正解。華音さまね、大斗のこともかわいがってくれるのよ。ハゲそうなぐらい、頭をなでてくださるし」
「…いいのか、それ」
進はベビーベッドで眠る我が子の髪の毛を覗き込んだ。
「悠斗が手を取って止めるから大丈夫。手をつなぐと超ごきげんなの」
進の顔をのぞきこむ未那。
「私は8歳で婚約したけど、1歳半で婚約しちゃったりしてね」
「…ところで、何で預かってるんだ?」
「風馬さまの集中を削がないように、しばらく離しておきたいからって、華織さまが」
「風馬さまに何をさせてるんだろうな」
「進ちゃん、聞いてないの?」
「ああ」
「石をきめてるんだよ」悠斗が進に答えた。
「石?」
「おっきなネコの目にいれる石」
「あら。そんなのいつ聞いたの?」
「華音がきのう、ゆめの中でそういった」
「え?」
進と未那が華音を見つめると、華音は悠斗とつないでないほうの手を挙げた。
「うーたん!」
「華織ちゃまは、双ツ君に石をあげないといけないんだ。3つになったから」
悠斗の言う双ツ君とは、双子の聖人と真琴のことだ。
「そんなこと言ってなかったじゃないの」
「華音にきかないでしゃべったら、おこりそうだもん」
悠斗の言葉に、華音の様子をうかがう進と未那。
「うーたん」
「そうだって言ってるよ」
「全部、“うーたん”なんだな」
「でもわかるよ。大人はことばをつかいすぎなんだ」
「まあな」苦笑いする進。「でもおまえ、華音さまを呼び捨てっていうのは…」
「“さま”をつけると泣くんだもん。やってみる?」
「…遠慮しておこう」
「だいじょうぶ。風馬さまのまえではよばないから」
「ねえ、悠斗。大きい猫というのは、縞猫荘にある白虎の置き物のこと?」
「おっきなぬいぐるみだった」
悠斗が答えた時、ドアチャイムが鳴り、未那が対応してドアを開けた。
「遅くなってすみませんでした」
頭を下げながら入ってくる澪の後には、風馬の姿があった。
「華音、暴れてませんでしたか?」心配そうな風馬。
「とてもいい子になさってましたよ」
「よかった。ほら。華音、おいで」
風馬が抱き上げようとすると、華音はきゅっと口を結び、悠斗の袖をつかむ。
「うーたん…」
「ほら、おうちに帰るぞ」
「うーたん!」
一気に泣き出す華音にうろたえる風馬を横目に、澪はさっさと華音を抱き上げると、華音の耳元で何かを囁いた。その途端、ぴたりと泣き止む華音。
「悠斗くん、どうもありがとう。また遊んでね」
「はい」
「うーたん…」
華音が両腕を悠斗のほうへ伸ばすと、澪は、悠斗の顔に華音の手が届くようにしゃがみこんだ。
華音は悠斗のほっぺたに、ちゅーっと唇を押し付け、ご満悦の笑みをこぼすが、その横では風馬が固まっている。
「帰りますよ」
澪は風馬に淡々と告げると、進と未那に丁寧に礼を言い、呆然とする風馬を、ひじで押し出すようにして部屋を出て行った。
「石を選んだ後でよかったと言うべきなのかな、ここは」
複雑な表情でドアを見つめる進に、悠斗は言う。
「華音、きっと風馬さまになんどもチューするよ」
「ん?」
「華音は風馬さまのこと、もてあそんでるんだ。ましょうの女だよね」
「仕方ないわよ。弄ばれたい男がいるから、女は魔性になるんだわ。悠斗も気をつけなさい。女はすぐに大人になるから」
「紗由ひめは、おむつがとれたら、おとなだって言ってた」
「おいおい。おまえら、何の会話をしてるんだよ」
「ごめん。パパにはむずかしかったね」
悠斗は神妙な顔をして大きく頷き、後ろで未那はさらに大きく頷いていた。
* * *
“翔太は気付いたんだろうか…。”
隣のベッドでぐっすり眠っている翔太を見つめながら、龍は最近自分の身に起きている変化について考えていた。
今、僕が使える力。思念での会話。通常の意識状態で未来のヴィジョンで受け取ること。人や物から過去をたどること。相手の脳に直接働きかけて記憶を妨げること、身体の動きを止めること。
石を使ってそれらの力を増幅させること、他の能力者の力を抑制すること。
だが、最近おかしい。力の加減がうまくいかない。力が出すぎてしまう。この状態で力を使えば、僕のしたことは周囲に漏れてしまう。一般人にも不審に思われるレベルだ。この時期、やるべきことがたくさんあるっていうのに…。
龍は神経が高ぶりそうになるのを必死で抑えようと拳を握った。
“ダメダメ。こんなにイラつくと僕の思念がダダ漏れになる。…そうか。僕から情報を得たい人間が、僕に何かをしたということか。誰がいつ、どこで、どんなふうに?”
龍の頭の中には最近の自分の行動が走馬灯のように流れ出し、所々でその映像が強く光るのを感じた。だが急激な睡魔に襲われ、その意味を検証することなく、龍は深い眠りへと落ちていった。
* * *




