貴族の屋敷
応接室を出ると、クラウトは店番をしていたマガンを他の工房への使いに出した。先ほど話した根回しをお願いするためだ。
儂に店先で待つように言うと、自分はもう一度店の奥へ取って返す。次に出てきたときは、普段の濃い緑のベストの上に同じ色のローブを着ていた。
「待たせたな、行くぞ」
扉を施錠して不在の札を提げると、東通りの方へと歩き出す。そのまま東通りを抜けて北側の職人通りに入ると、貴族の屋敷が並ぶ街の中心部へと向かって坂を上っていく。
北側の職人通りは初めて来たが、こちらも南側同様に静まり返っていた。看板を見る限りこちらには紡織や染色関係の工房が多いようだが、針子の歌も聞こえなければ、染布が干されている様子もない。
「親方、組合には報告しなくて良いのですか?」
通りに並ぶ工房を眺めているうちに浮かんだ疑問を、前を歩くクラウトに投げてみた。
父様の話では、職人の工房を管理しているのは商業組合だったはずだ。ならば、契約に関しても組合に話を通しておくべきではないのだろうかと思ったのだ。
すると尋ねられたクラウトは、前を向いたまま忌々し気に息を吐いて答えた。
「確かに、本来は組合に契約内容の変更の申請をしなきゃなんねぇ。特に今回みてぇなケースは工房側の手落ちだからな。紹介した組合と工房それぞれで違約金を依頼主に払う必要がある」
やけに「本来は」という部分を強調した物言いに、今回は特例なのだと察する。
続くクラウトの言葉が、その理由を教えてくれた。
「だが、あの依頼主、カースモス伯爵の契約だけは別だ。契約締結後に追加要件を出してくる、納期を変える、設計を変える、そのたんびにガンガン金を積んで意見をごり押す。終いにゃ工房側がパンクして、手元に残るのは買取を拒否された作りかけのゴミか、対応しきれずに要件不履行で差っ引かれたはした金が残るだけってオチだ。クソったれめ」
よほど腹に据えかねているのだろう。一度地面を蹴りつけると、大きくため息をついた。
「そんなゴタゴタが続いたからか、組合も極力関わりたがらねぇ。職人連中は目ぇつけられねぇ様にビクビクしてるって訳だ」
「それは……受注拒否は出来ないのですか?」
そこまで悪質な客ならば、出禁など何らかの制裁を加えることが出来るのではないだろうか。そう考えた儂の言葉に、うんざりした様な調子でクラウトが答える。
「奴さん、商業組合の出資者の一人なんだと。営業してる訳でもねぇのに、金に目が眩んだ組合が受け入れちまったのがそもそもの間違いだ。なぁにが善意の出資者だ。ンな上手い話がある訳ねぇだろうが」
組合内部に関わっているからこそ、門前払いには出来ないという訳か。
藪蛇な質問だったらしく、クラウトの態度がますます荒れてしまった。こんな調子で本人と顔を合わせて穏便に済むのだろうか。
そんな儂の心配をよそに、周囲の景色は工房が立ち並ぶ通りから、大きな庭を構えた屋敷が点在するものへと変わる。貴族が居を構える中心部に着いたようだ。
建ち並んだ屋敷の内の一つに、門の前で先ほど使いに出したマガンが待っているのが見えた。マガンは儂らの姿に気付くと、一礼して迎える。
「どうだった?」
「はい。カースモス卿はお会い下さると」
どうやら、マガンは使いの他に先触れの役割も任されていたらしい。今頃職人通りでは、他の木工職人の徒弟たちが駆け回っているのだろうか。
クラウトは一度大きく深呼吸をすると、横に立つ儂を見下ろして言った。
「基本的な話は俺がするから、イリスは聞かれたことだけ答えるんだ。いいな?」
「はい、親方」
儂が頷くと、クラウトも頷き返してからマガンに視線を向ける。それを受けたマガンが門扉に備え付けられた魔石に触れると、ひとりでに門扉が開き始めた。
開き切った門扉を潜って、三人で玄関へと続く中庭の石畳を進む。石畳の左右に植えられた鮮やかな花を宿した植栽は、綺麗に刈り揃えられ、とても丁寧に手入れをされている事が一目で分かった。
花から漂う甘い芳香に包まれながら石畳を進みきると、やがて細微に渡って装飾が施された、無駄に豪奢な玄関扉にたどり着く。
マガンは一度ごくりと喉を鳴らすと、扉についた叩き金を鳴らした。
「お待ちしておりました、クラウト様。奥で旦那様がお待ちです。どうぞ」
扉が開くと、黒の燕尾服に身を包んだ初老の男性が現れた。彼は儂らを中へと招き入れると、そのまま先頭に立ち屋敷の中の応接室まで先導を始めた。
屋敷の中は広く、様々な調度品や絵画が数多く飾られていて、一目で金がかかっていることが分かった。しかし、そのあまりにも装飾過多な様は美しさを通り越して下品な印象さえ抱かせる。一つ一つが極上の品であろうだけに、飾り手のセンスが残念でならない。
燕尾服の男はホールを抜けて奥の廊下を進む。廊下は片面が硝子張りの窓になっていて、中庭の様子を窺うことが出来た。中央に噴水が設けられた中庭の向こうには、ぐるりと囲うように屋敷の廊下が続いているのが見える。
どうやらこの館は、口の字に造られているらしい。
暫く歩くと、燕尾服の男は廊下の途中にある扉の前で立ち止まる。そして扉に備え付けられた魔石を一度触ると、扉の奥に向かって声を掛けた。
「旦那様、クラウト様をお連れしました」
「入れ」
燕尾服の男が恭しく扉を開くと、部屋の奥の長椅子に、大柄で恰幅が良い中年の男がふんぞり返って座っているのが見えた。腹が出ているせいでふんぞり返って見えるだけで、本人は普通に座っているつもりかもしれないが。
この偉そうに長椅子に座っている男がカースモス伯爵だろう。
クラウト、儂、マガンの順に部屋へ入ると、クラウトとマガンは胸に手を当てて軽く頭を下げた。それを見た儂はワンピースの裾を摘まみ上げて軽く膝を曲げる。それぞれが一礼を終えると、クラウトが口を開いた。
「カースモス卿、突然のご訪問を快くお受け下さり、誠にありがとうございます」
謝辞を受けたカースモス伯爵は座ったまま鷹揚に手を上げて答え、儂らに向かいの長椅子を勧めた。それを受けてクラウトが長椅子に座り、マガンがクラウトの斜め後ろに立つ。
儂がどうしたものかと逡巡すると、クラウトが目で座るように促したので、クラウトの隣に座る。
ふと視線を感じて前を見やると、正面に座るカースモス伯爵が、纏わりつくような視線で下卑た笑みを浮かべながら儂を観察していた。値踏みされている、という感覚は恐らく勘違いではないだろう。
一通り嘗め回すように儂を眺めたカースモス伯爵は、不快な笑みを浮かべたまま喋り出した。
「よく来たね、クラウト君。君の要件は寝台の件だろう? 思ったより早かったじゃないか。それに、器だけじゃなく中身まで用意するとは、君にも商売の何たるかが分かってきたと見える。少々青いが、君にしては中々良いものを用意したじゃないか」
そう言ってカースモス伯爵はぐふぐふと笑う。
器? 中身? この男はなんの話をしているのだろうか。
クラウトは意味が分かったのか、軽く首を振って答える。
「カースモス伯、本日お伺いしたのは、ご依頼頂いた寝台を作成するための材料が不足しましたことを、ご報告するためでございます」
クラウトの言葉に、先ほどまで笑みを浮かべていたカースモス伯は一転して、顔を真っ赤にして憤怒の形相を浮かべた。まるで幼子の様にころころと表情が良く変わる男だ。
カースモス伯は身を乗り出してローテーブルを叩くと、顔をしかめたくなる様な怒鳴り声をあげた。
「不足しただと!? 納期は今日だぞ! 何をやっている! 油を売っている暇があるなら、買い足すなり採ってくるなりしたらどうだ! 完成品でなければ私は一銅貨たりとも払わんからな!」
突然の激昂を受けたクラウトだが、その表情は一片も揺るがない。まるで予想済みだと言わんばかりに、事前の打ち合わせ通りの説明を始める。
「仰る通り私は今朝方、材木を得るためにこちらの娘を森へ使いに出しました。そこでこの娘は、群れからはぐれたイェグタンを見かけたのです。そうだな? イリス」
クラウトに水を向けられたので、儂は一つ頷いて森の中で見てきた状況を改めて説明する。
「はい、親方。全身白い毛むくじゃらに黒い顔面と腹を持った人型の獣が、イチェの木の幹をその長いかぎ爪で引っ掻いていたのを見ました」
儂の説明に思い当たることがあるのか、カースモス伯爵はやや顔色を悪くした。
「は、はぐれのイェグタンだと……では、材木は?」
「当然、持ち帰れるはずもありません。この娘は連れと二人、命からがら戻ってきたのです。今、連れの方が騎士団へ討伐を依頼しに行っているので、明日には騎士団から正式に森への立ち入り禁止の通達が出されるでしょう」
暫し黙考したカースモス伯爵は、ねめつけるようにクラウトを見る。その表情は苦々しい。
「では、他の工房から材木の買取りを行え。森に入れなくなったのは不幸だが、足りなくなったのは貴様の管理能力の甘さが招いたものだ。当然、買取分はそちらの持ち出しだ」
これも予想していた答えだ。クラウトは酷く残念そうに項垂れた様子で、台本を読み上げるように朗々と語る。
「それが、ここ最近家具の発注が偶然相次いだ様子でして、他の工房に問い合わせたところ、どこも在庫が存在しないと……」
「なっ!? そんなバカな話があるか! オベディス!」
「はっ」
カースモス伯爵が叫ぶと、部屋の隅で待機していた黒い燕尾服の男性がカースモス伯爵に近寄る。先ほど応接室まで案内してくれた初老の男だ。
「すぐに商業組合に問い合わせてこい! 各工房の在庫状況も全部報告させろ! 大至急だ!」
「畏まりました」
恭しく一礼をしたオベディスが部屋を出ていくと、肩を怒らせて荒い息を繰り返すカースモス伯爵がクラウトを睨み付ける。それを涼しい顔でいなすと、クラウトは太々しく提案した。
「森の立ち入り禁止令は二、三日で解禁されるでしょう。私共にお任せ頂ければ、解禁された即日に寝台の納品をお約束出来ると確信しておりますが、いかがいたしま――」
「父上! 商談は終わりましたか!?」
クラウトが提案を言い終えるのと、闖入者が乱暴に扉を開けて大声を出すのが重なった。
全員が驚いた面持ちで入り口を見ると、そこにはカースモス伯を小さくしたような少年が立っていた。目鼻立ちだけではなく、子供の割にはやや大きい体躯に、出っ張った腹までそっくりだ。
いち早く立ち直ったカースモス伯が、殊更優し気な笑みを浮かべて答える。
「おお、マルヴァジオ。すまない、まだ商談の途中なんだ。もう少し良い子で待っていておくれ」
カースモス伯爵がそう言うと、マルヴァジオと呼ばれた少年は露骨に嫌そうな顔をする。
それを見たカースモス伯爵が少し困ったように周囲を見回すと、儂を見て再び下卑た笑みを浮かべた。
「おおそうだ、そこの娘と遊んでいると良い。うちのマルヴァジオは六歳だ。見たところそちらの娘も似たような年頃だろう? 子供は子供同士で遊んでいなさい」
もう少しでやり込められそうな所を混ぜっ返された挙句、子守りまで押し付けられてしまった。どうしたら良いかとクラウトを見上げると、軽く肩を竦めて目を伏せたまま首を振られた。諦めろと言うことらしい。
「イリス、終わったら迎えに行くから、少し遊んでもらってきなさい」
「……分かりました、親方」
クラウトがそう言うと、大人の許可を待っていたのか、突然マルヴァジオが儂の腕を掴んできた。そのまま強引に立ち上がらせると、儂の腕を引いて部屋から駆け出す。
「来い!屋敷の中を案内してやる!」
こうしてマルヴァジオによる、屋敷案内という名の引き回しの刑が始まった。
屋敷を一回りして中庭の噴水前に戻ってきた頃には、儂はすっかり疲れ果てて肩で息をしていた。
年の割に体格の良いマルヴァジオは、儂よりも腕力が強く、歩幅が大きく、体力があった。そんなマルヴァジオの速度に付き合わされて走れば、疲れるのはあっという間だった。
「お前、弱っちいな」
とマルヴァジオに言われたが、この年の体格差は大きいと痛感した。
相手が貴族の子供なので、腕を振りほどいても良いかどうか分からず、されるがままだったせいというのもあるが。
儂が呼吸を大きく深くして体力の回復に努めていると、突然マルヴァジオが近寄ってきてまじまじと儂を見た。何をするにも行動が唐突なこの童は、肉体的な意味でも精神的な意味でも相手をしていてとても疲れる。
「お前、綺麗な髪してるな」
いきなりそんなことを言いだしたかと思うと、無遠慮に儂の髪を掴もうと手を伸ばしてきた。その後の展開が容易に想像できたので、つい反射的に身を捌いて躱してしまう。
髪は人体急所でこそないが、髪の毛を掴まれた人間は行動を著しく制限されてしまう。だからこそ、前世では髪を短くしていたし、イリスになってからは気を許した相手にしか髪を触らせたことは無かった。
なおもしつこく手を伸ばしてくるマルヴァジオを、身を捌いて躱し続ける。やがて辛抱出来なくなったのか、とうとう指を突き付けて命令してきた。
「おい!髪を触らせろ!」
正直、嫌だ。しかし、断っても良いのかどうかの判別が出来ない。
前世では、武家に逆らった者は罪に問われることもあった。この世界の貴族がどういう立場なのか知らないが、下手に逆らったことで両親やクラウトに迷惑が掛からないとも限らない。
そう考えると、我慢して触らせてやるしか無かった。
仕方なく毛先を一房束ねて差し出してやると、マルヴァジオはそれを無視して、こめかみの横の髪を無造作に掴む。その途端、全身に鳥肌が立つような拒絶感が走った。気持ちが悪い。
思いやりの欠片も無く差し入れられた指が、こめかみから肩口へと降りる。母様に優しく梳られるのとはまるで違う、生理的嫌悪感しか催さない行為に、奥歯を噛んでじっと耐える。
時折、指先に髪を絡ませられ、なするように扱かれる。丹精に整えてくれた母様の思いが汚されるような気がして、頭を振って逃げ出したくなるのを必死で我慢した。
指が髪から抜ける瞬間、ぐっと髪の毛を握りこまれると、力任せに引っ張られた。頭皮が引きつり、ぶちぶちと嫌な音を立てて髪の数本が抜ける。
覚悟はしていたが、やはり痛い。
咄嗟に頭を押さえて涙の滲んだ目でマルヴァジオを睨み付けると、抜き取った髪を光に翳したり、指に巻いたりして弄んでいた。
「坊ちゃま! 駄目ですよ、女の子の髪をそんな風にしたら」
様子を見ていたのか、中庭の奥から侍女の一人が駆け寄ってきて儂とマルヴァジオの間に割って入った。そして儂の肩に手を置いて視線を合わせると、儂が泣き出していないことを確認してほっと息を付く。
「イリスさん、クラウト様が玄関ホールでお待ちです。参りましょう」
侍女に肩を押されて、中庭を後にする。
振り返れば、マルヴァジオはまだ抜き取った儂の髪で遊んでいた。
侍女に案内されてホールへ戻ると、そこにはクラウトとマガンが待っていた。侍女に連れられた儂を見て、クラウトが眉をひそめる。
「イリス、どうした?」
「なんでもありません、親方。話は終わったのでしょうか?」
クラウトを見上げると、儂の顔を見たクラウトが一瞬声を詰まらせた。
「あ、ああ、何とか無事に終わった」
「では、早く帰りましょう。わたし、お母様を待たせてしまっているので」
「……そうか、すまん」
オベディスに見送られて、カースモス伯爵の屋敷を後にすると、丁度夜の鐘が鳴り響いた。
なんだか、とても疲れた。
早く家に帰って、湯浴みをして、眠りたい気分だった。
クラウトさん絶好調。
空気を読まないマルヴァジオ。
イリスにとっては髪が大切なのではなく、イリスの大切な母様が大切にしている髪だからこだわるのです。
次回、また閑話。母様視点です。




