07 ハリネズミ姫とボードゲーム
事前通知のあった時刻よりも1刻ほど早くジグムントは帰城した。城壁の外には歓迎のためと称して便乗した民衆が市場を開いており、賑やかな喧騒が屋敷内にまで聞こえてくる。
到着した馬車を迎え入れた馬丁達が慌ただしく後片付けしている様を、テオとフローラは談話室からぼんやりと眺めていた。
「お父様がいるといつも街が賑やかですね。お父様が『素晴らしい。それでこそ我が領民だ!経済を回すのは良いことだからな』なんて喜んでいらっしゃるのが目に浮かびます」
テオが階下の騒がしさに懐かしさすら感じていたところへ、フローラが真面目くさった顔でジグムントの真似を披露したので、テオはつい噴き出してしまった。たしかにジグムントはそういったことをよく話すので、存在しないはずのその場面が鮮明に目に浮かんだからだ。
「ふっ……そうだな、たしかにおっしゃるかもしれない」
最近はフローラが軽口を言う場面が増えていて、テオのフローラ像が静かで可憐な深窓のご令嬢というイメージから崩れかけている。二人の距離こそ常に数歩分離れているが、以前と比べ物にならないほど親密になっていた。
テオが軽口を返そうとすると、さらに屋敷中に響き渡るジグムントの声が聞こえてきたため、二人はおもわず顔を見合わせた。
「帰った!執事はおるか!」
確認など必要ない。使用人とともについにジグムントが屋敷へ到着したのだ。
玄関ホールから談話室は、同じ棟とはいえそれなりに距離があるはずなのだが、ジグムントの良く通る声が談話室にまで聞こえて来るのは毎度のことだった。割れんばかりのあまりの声量に、テオは思わずぼやく。
「相変わらずジグムント様はお元気でいらっしゃる。俺も見習った方がいいだろうか……」
「ふふふ、そうですね。テオドール様が、お父様みたいに……ふふっ……ふふふ」
「そ、そんなに笑わなくてもいいだろう?」
軽口でフローラを軽く笑わせるつもりであったテオだが、至極真面目に呟いたはずの言葉が相当ツボに入ったらしく、フローラから想定以上に笑われてしまった。
意図せず笑いを引き出せたのは良かったが、恥ずかしさからテオは自分の耳がほんのり熱くなるのを感じた。
「フ、フロレンツィア嬢……!」
「テオドール様はこちらへいらっしゃいますか?」
恥ずかしさの限界に達したテオがフローラへ声をかけようとしたタイミングで、談話室へ執事のヘイデンが訪れた。彼はイーゲル家遠縁の男爵位を持つ傍系の一人であり、ジグムントの右腕でもある。非常時は騎士として、領主代行も執り行う武人であるためか、テオドールは目の前にするだけで毎度緊張するのだった。
「……!誰かと思えばヘイデンか」
「はい。執事のヘイデンでございます、テオドール様。ジグムント様が執務室へお呼びです。お越しいただけますか」
「すぐに支度をする。少し待っていてくれ」
「承知いたしました」
テオは談話室で広げていた課題を片付けようと立ち上がった。手早く荷物を整えフローラに退室の挨拶をしようと顔を上げると、
「カタリナもいますよ、お嬢様」
「あら」
ヘイデンの後ろからひょこりとフローラの乳母のカタリナが現れた。そろそろフローラについている通いの家庭教師が来る時間なので、おそらく迎えに来たのだろう。
「フローラ様、そろそろ家庭教師の先生がいらっしゃる時間です。さあさ、行きましょうね」
カタリナがフローラを促すが、フローラは不服なようだ。不貞腐れた表情で談話室の椅子に根づいて頑なに動かないので、カタリナは困り顔である。
「……あの方、苦手だわ。勉強なんて自分で出来るのだし、あの方がいなくても……」
「そうおっしゃられても、ジグムント様が今度こそ次の適任者は見つからないって言っていましたよ。そう簡単に変更にゃなりません。おサボりは駄目ですよ。お嬢様!」
カタリナに半ば無理矢理引き摺られるように立たされたフローラは、ブツブツと文句を言っている。
「嫌がっているのに無理矢理参加させるなんて……」
「さあさ、お嬢様!シャンと立って下さいな。あぁ、ずっと座っていたからドレスに皺が……!」
慌ただしくフローラの世話を焼くカタリナをそのままに、フローラはテオに向かってにこやかに挨拶した。
「テオドール様!また後ほどこちらでお会いしましょう。ごきげんよう」
「ああ、また夕食前に来る。フロレンツィア嬢も、またその頃に」
マイペースに挨拶をするフローラは、どうやら約束の時間がかなり迫っているらしく待ち切れなかった様子のカタリナに「よろしいですか?行きますよ!」と叫ばれながら引きずられていった。
フローラを見送ったテオは近くのフットマンを捕まえて自室へ持っていくよう頼み、執事とともにジグムントの執務室へと向かったのだった。
入室の許可を得て執務室の扉をそっと開いたテオは、濃紺の上下仕立てのジャケットとトラウザーズに身を包み、執務室の椅子にすわるジグムントと対面した。ジグムントは普段から貴族としては比較的シンプルな装いを好むが、首元のカメオ、そして黄金で出来たシグニチャーリングが高い地位を静かに物語っている。
ジグムントの厳格で風格のある風貌のせいか、しばらくぶりにジグムントと直接対面をしたテオは少し緊張していた。
「お待たせいたしました。ご無事の御帰還を心よりお喜び申し上げます、ジグムント様」
「お堅い挨拶など不要だ、テオドール。なに、課題もしっかりこなしているとヘイデンから聞いておる。なによりだ。……して、あれからフローラの調子はどうだ?」
「フロレンツィア嬢の体調はあれ以来悪化していません。元気にお過ごしです」
ジグムントはテオからの報告に安心したようで雰囲気が少し和らいだ。ジグムントは頷くとおもむろに執務室の椅子から立ち上がり、テオに背を向け窓から庭を眺めながら口を開いた。
「テオドール、教会がどうもきな臭い」
「……わたしの方にも東へ派兵するのではないかと修道士達の間でも噂が回っていると友人から手紙が届きました」
「そうか、お前のところへ情報が回ったということは、ほぼ確定事項なのであろうな」
「はい」
苛立ちからか、ジグムントがトントンと窓の縁を叩く。和らいでいた雰囲気が変わったことを感じ取ったテオは、背筋を改めてスッと伸ばした。
「……民衆の不満を発散するのが目的だろうが、はたしてどうなるか……」
難しい顔をしたジグムントは仏頂面を隠さずに再び執務室の椅子にドカリと座った。そのまま手振りで着席するよう促されたので、テオは言われた通り備え付けのソファに腰掛け、続きを待った。
「こちらとしても教会とはよろしくやっていきたい。だが、教会内部も一枚岩ではないのが問題だな……南は教皇交代、東は異教徒との紛争で忙しく、北もなにやらきな臭い。……テオドール、お前も情報収集を欠かさないようにしなさい」
「はい。なにかあればジグムント様に報告いたします」
「うむ……」
ジグムントは悩んでいた。
広大な大地に根を張る教会――その勢力は三つに分かれ、互いに睨み合っていた。南の教皇庁は、教皇交代を目前に控え、政治的な駆け引きが過熱。東の正教会は、異教徒の侵攻に苦しみ、治安は悪化の一途を辿っていた。
ジグムントを最も悩ませるのは、北の修道会騎士団だった。彼らは聖地への遠征を繰り返し、周辺地域に多大な影響を与えていた。特に問題なのは、東の正教会への援護を名目に、略奪行為を繰り返しているという噂だ。修道会騎士団と、治安維持のために雇われた傭兵たちは、もはや紙一重。周辺の領主たちは、彼らの接近を恐れていた。
ジグムント率いるイーゲル家は、王家と修道会の間で常に揺れている。王家の宰相として修道会を牽制する立場でありながら、同時に修道会の長とは親族関係にあるからだ。そのため、領主になってから常にジグムントはイーゲル家の複雑な立場に頭を悩まされていた。
交易路が寸断されれば、領民たちは飢えに苦しむ。作物が不作の今年は、特に食料の確保が急務だ。今、他の勢力と対立することは、愚か者のすることだろう。ジグムントは窓の外を眺め、複雑な表情を浮かべた。
一方のテオも、先日知り合った修道会所属の修道士見習いのヨナスと細々と手紙のやり取りをする仲になっていたが、教会との今後の関係性次第では彼との関係も取り扱いが難しくなるだろうと思案していた。
「して、例の件はどうなっている?」
深く考え込んでいたテオの耳に、ジグムントの明るい声が飛び込んできた。気分転換でもしたのだろうか、先ほどとは別人かのような様子に、テオは思わず眉間に皺を寄せた。
「例のとは……?頂いている課題は順調です」
しかし、どうやらテオが考えていた話題とは違うらしい。ジグムントが訂正する。
「それは素晴らしい。……だが、そちらではない。あれはどうなっているのだ?」
あれとは一体何のことだろう?テオが首をかしげていると、ジグムントはテオの困惑に気づいたのか、さらなる言葉を続けた。
「我が愛娘、フローラのことだ」
「あ、えぇ……っと、そう、ですね……」
成果を報告しろと言われるとは思っていなかった。フローラとの距離が縮まり、それが日常になりつつあったのもいけなかったのかもしれない。テオがどもりながら、なんとかフローラとの距離が5歩以内に近づいたことを報告すると、ジグムントはご機嫌そうに頷いた。
「うむうむ。では次の目標だ」
「は……はい?」
「次は接触出来るようになることが目標だと言っておる」
やっと数歩距離が縮まったと思っていたところへ、すぐに次の話をされると思っていなかったテオの心臓がバクバクと音を立てる。
「接……ッ!?触るだなんて、いくらなんでも早すぎます!」
思わず声が裏返ってしまった。
「5歩より近づけたのだろう?それだけでも上手くいった者はほとんどおらんのだ。お前と接触することが出来たならば、将来的に他人と触れ合えるように……社交界デビューも可能になるやもしれぬだろう」
困惑するテオに、ジグムントは容赦なく追い打ちをかける。
(触れるなんて……ジグムント様は一体何を考えているんだ!?どう考えても無謀だろう)
そう思ったテオだったが、無理難題とはいえ、上司からの指示である。生真面目な彼は言われた通りにフローラとの接触を試してみるべきか思い悩みながらも、ひとまず談話室へと戻ったのだった。
家庭教師からの宿題をしているフローラの横で、テオはグルグルとジグムントからの新しい課題について考えを巡らせていた。
何度も何度も考えて、色んなパターンを想定してみたが、いずれにせよ少しでもフローラに拒否された時点で自分は落ち込むだろうというのがテオの結論だった。
「テオドール様、どうかされましたか?」
「あ、いや……特になにかあるわけではないんだが、手持ち無沙汰というか……」
どうするべきか決めきれないテオが言い淀んで談話室をウロウロしていると、奥の方に古めかしいテーブルゲームが据え付けられているのを見つけた。非常に古典的な対人ゲームである。両親が他界してからやる暇もなかったが、一緒に似た卓で共に遊んだ経験があり、テオは懐かしい気持ちになった。
「これは……」
慣れ親しんだ実家のものよりも豪奢ではあるが、テオは久しぶりに今は亡き家族との思い出を思い返した。
父はこのゲームが大好きだった。母はそんな父に付き合って仕方なくプレイしていた。
だがある時、
『母さんはこのゲームなら運さえ良ければ父さんに勝てるだろ?だから密かに気に入っているんだ。父さんは母さんが喜ぶ顔が見たくてこのゲームに誘うんだよ』
そう父がテオにこっそり打ち明けてくれた。
少し照れたような父の面影が、その時のテオには少しくすぐったかったのを覚えている。
しみじみと卓を眺めているとフローラが近付いて来た。テオが思っていたよりもフローラは臆病ではなく好奇心旺盛らしいと、テオは最近になってやっと知った。
「なにかありましたの?」
「ああ。フロレンツィア嬢は、このボードゲームで遊んだことはあるか?」
「……お父様が楽しまれているのを遠目で拝見しておりましたわ。自分で遊んだことはありません。こちらはどのように遊ぶものなのですか?」
「そうだな……」
このテーブルゲームは、2人で遊ぶすごろくのようなものだ。自分のコマをすべてゴールに運び、相手のコマを妨害しながら勝利を目指す。サイコロを振り、出た目の数だけ自分のコマを動かせるのだが、相手を妨害することも出来るなど、意外と運だけではない戦略的な思考が必要となる。
テオは、フローラに簡単にルールを説明した。
「どうだろうか?」
「面白そうです!やってみます!」
フローラはすぐにゲームのルールを理解し熱中し始めた。お互いにサイコロを振り、コマを進めていく。始めはつたなかったフローラも、コマを進めるにつれ慣れたようですっかりゲームに夢中である。目をキラキラさせながらサイコロを振っている。
二人でコマを進めていくうちに、二人の距離は少しずつ縮まっていった。
ふいに、サイコロを取ろうとするテオとフローラの手が触れ合ってしまった。テオの心臓が早鐘を打ち、顔が真っ赤に染まる。
「す、すまない!」
そう言ってテオは慌てて手を引っ込めた。おそるおそるフローラの方を仰ぎ見たが、フローラはテオが謝っていることにも気付かないほどゲームに集中し、駒や盤面に目を輝かせ「あっ、私の番ですね!」と楽しそうにしている。
テオは、安堵と同時にわずかな物足りなさを感じた自分に驚いた。
「……」
「?次はテオドール様の番です」
「あ、ああ……」
社交界デビューの済んだテオにとって、淑女との握手や挨拶のキスなど日常茶飯事だ。しかし、同じ年の生まれの友人は男子を含めても一人もおらず、さらにフローラとは常に距離を置いて暮らすことが当たり前となっていた。だからこそ、テオにとってはフローラとただ指が触れるだけでも大きな出来事なのだ。
動揺のあまり集中力を欠いたテオは、そのまま初心者のフローラにすっかり負けてしまったのだった。




