第一話 円人経由まどかちゃん行き
「え? 今日のから揚げ美味くね? 俺ってやっぱ天才なんじゃ?」
「いやいや、卵焼きもなかなかよ! この甘さが癖になるんよな! お前も食べるか?」
「マジ? あんたいいところあるじゃん!」
誰もいない個室で、俺の声だけが小さく響く。
「……虚しい」
扉の向こうからは、女子たちの賑やかな声が聞こえてくる。
……何やってんだ、俺。
思わず、箸が止まる。
聖桜葉学院。
今年から共学になったこの学園に、俺はこの四月、入学した。
合格通知を受け取った時の喜びは今でも忘れられない。
興奮しすぎて真冬の河原に飛び込んだくらいだ。
でも、心は暖かかった。
翌日には体調崩して寝込んだけど、それは多分関係ない。
この学園で俺は薔薇色の高校生活を過ごすことになる。
そんな確かな予感が、あの通知書にはあったんだ。
……それなのに。
周りに視線を向ける。
ほんの少し手を伸ばしただけで、すぐに目の前の壁に触れた。
「なんでこんなところでご飯食べてんだ」
俺は今、職員用の男子トイレで昼ごはんを食べている。
しかも、学園の指定のジャージ姿で。
別にいじめられてるわけじゃない。
この学園には、俺以外の男子生徒が一人もいないからだ。
だから制服もないし、学生用の男子トイレもない。
ごめん、トイレでご飯を食べていることは今の話と関係なかったわ。 ただ教室だと恥ずかしいだけ。
……でも、やっぱりおかしい。
せめて制服くらいは用意してくれよ。 義務だろ。
入学式の日、俺は学園中を徘徊してこのトイレを探した。
担任も知らなかった。
用務員さんさえ知らなかった。
……用務員さんは知っとけよ。
あの瞬間、俺は悟ったんだ。
ここに仲間は一人もいない。
受験日にいた、あの大群の男子中学生たち。
リーゼントの彼も、アフロの彼も、明らかにおじさんだった彼も。
一緒に青春を謳歌しようと誓ったのに、この場には居ない。
まぁ、おじさんは落ちて当然だけど。
……でも、なんで俺だけ合格したのか。
そんな疑問がずっと喉につっかかる。
あと骨も引っかかっている。 もっとちゃんと鮭ほぐさないと。
「もしかして、俺って特別に選ばれたん——」
「一年二組の月代まどかさん。 至急、校長室までお越しください」
俺の独り言を遮るように、校内放送が頭上から響く。
「校長室? なんで? なんか悪いことしたっけ」
俺は急いで弁当の蓋を閉め、目の前の扉を開ける。
手洗い場の鏡に自分の上半身が映る。
ジャージには金文字で、月代まどかと縫ってあった。
「俺、月代円人なんだけどな。 まぁ、もう慣れたけど」
ハンカチで手を拭いて、急いで校長室へ向かう。
初日の探索の甲斐あって場所は知っていた。
「男だわ、あれがまどかちゃんよ」
「あの子が噂の?」
途中ですれ違う女子たちが、小声で何かを話しながら俺の方をちらちらと見る。
その度に少しの嬉しさと恥ずかしさで、背中に汗が滲んだ。
俺は目を伏せ、通路の端に身体を寄せながら校長室へと向かった。
「まどかちゃんじゃない? なによ、あなたも呼ばれたの?」
校長室の前についた頃、俺の背後から聞きたくない声が耳に入った。
「あ、青蜜」
「あら? なんで呼び捨てなのかしら?」
腰まで伸ばした青髪を払いのけながら、青蜜は不機嫌そうにそう答えた。
「……青蜜さん」
青蜜あかね。
俺のクラスメイトで、一年生にしてこの学園のヒエラルキーのトップに君臨する女子生徒。
「よくできました。 で? まどかちゃんはどうしてここに?」
「よ、呼ばれたんだよ。 さっき放送があっただろ」
「そんなの知らないわよ」
俺の精一杯の返答に、まるで興味がないように爪を見つめながら、青蜜は言った。
……こいつ、多少顔がいいからって調子に乗りやがって。
まぁ、多少じゃないけど。
ファンクラブがあるくらいには可愛いけど!
「それにしても、まどかちゃんも一緒に呼ばれてるってことは……はぁー、大した話じゃなさそうね」
青蜜は心底残念そうに肩を落とす。
苦手! 俺はやっぱりこの子苦手だわ!
隣の席で周りの女子たちと、妙に艶めかしい話するところとか特に!
聞き耳立てる俺も悪いけどね!
「何よ? なんか言いたいことでもあるの?」
俺の表情を見て何かを察したのか、青蜜は睨みつけるように目線を合わせる。
……綺麗な目しやがって。
「何回も言ってるけど、俺の名前はまどかじゃなくて円人――」
「そんな小さいこと考えてたの? 名前なんてただの記号じゃない」
——ぷち。
いや、そんな音してないけど。 でも、ここは男らしく何か言い返さないと。
「あ、あのな!」
「それに、まどかちゃんって呼びやすくていい名前じゃない。 親しみやすいしね」
「……」
……まぁ、親しみやすいならいいか。
「とりあえず立ち話もここまでにして、中に入りましょう。 早くしないと昼休みが終わっちゃうわよ」
青蜜はそう言うと、俺の横を通り過ぎて校長室の扉に手を掛けた。
「失礼します」
芯のある透明な声と、キリッとした横顔。
そして、かすかな柑橘系の香りを通路に残して青蜜はそのまま部屋の中に入っていった。
俺にだってあれくらいはできる。
呼吸を整えて、青蜜に続く。
「失礼します」
裏返った声を通路に響かせながら、俺も校長室の扉を開けた。
「まどかちゃん、意外と面白いところあるのね」
部屋に入った途端、青蜜は笑いながらこちらに振り向いた。
「実は朝から喉の調子が悪いんだよ」
俺のその言葉に青蜜はにやにやと頬を緩める。
「そう。 ならそう言うことにしといてあげるわ」
「あ、あかねちゃん。 そんなに笑わない方がいいですよ。 まどかさん、本当に調子が悪いのかもしれませんし」
恥ずかしさに震える俺の耳に、天使の声が聞こえた。
「それもそうね。 私が悪かったわ。 ごめんなさいね、まどかちゃん」
その声に導かれるように、青蜜は申し訳なさそうに頭を下げた。
「あ、あぁ。 まぁ、わかってくれたならいいんだ」
正直、青蜜に馬鹿にされたことなんかどうでもいい。
今の俺の目の前には、紛れもない女神がいたんだから。
刻惣結衣。
青蜜と同じく俺のクラスメイトの一人。
でも、性格はまるで違う。
控えめで、丁寧で、誰に対しても優しい笑顔を向ける。
初日にゾンビみたいに彷徨ってた俺を職員用のトイレに導いてくれたのも彼女だ。
「ゆ、結衣ちゃんも呼ばれてたんだ」
「はい。 先程、先生から直接声を掛けられました。 最初は校長室なんて不安だったんですが、今はちょっと安心しました」
「安心?」
結衣ちゃんは手をもじもじさせながら、恥ずかしそうに話す。
「あかねちゃんも……まどかさんも来てくれましたから」
「そ、そう。 それはよかった」
……めっちゃ可愛い。
「ねぇ、それより校長は? どこにもいないじゃない」
静かにしろ、青蜜。
「あっ、校長先生ならさっき忘れ物をしたとかで出て行っちゃいましたよ。 すぐに戻ってくるからちょっと待ってて欲しいって言われました」
結衣ちゃんは小さな身体を揺らして、身振り手振りで状況を俺たちに伝えてくれた。
本当にいい子だ。
それに、胸が大きい。
……いや、今のは他意はない。
ただの事実をありのままに言っただけだ。
「まどかさん? どうかしましたか?」
「っ――」
俺の視線に気付いたのか、結衣ちゃんは不思議そうにこちらを覗き込む。
「な、何でもないよ。 それより早く戻ってきて欲しいね。 なんで呼び出されたかもわからないし」
「ふふっ、そうですね」
「あら? まどかちゃんは心当たりないの?」
「え?」
青蜜はそう言うと、一歩前に出て話を始めた。
「私は何となくわかるわよ。 だって、この私が呼ばれてるのよ? 大方、新入生のまとめ役を頼まれるってところじゃないかしら」
「そうなんですか? でも、それなら私が呼ばれる意味が……」
「結衣は私と違って外部からの入学生だもの。 まどかちゃんは……まぁ、成績はそれなりにいいものね」
今、ちょっと迷っただろこいつ。
「あかねちゃん、すごい! そんなことまでわかるんですね!」
結衣ちゃんは、手を叩いて青蜜を誉める。
その拍手に気をよくしたのか、青蜜は大きく頷きながら腕組みをしていた。
……俺も拍手しとこ。
俺が手を合わせると同時に、校長室の扉が勢いよく開いた。
「す、すまん! 遅くなった!」
額から大粒の汗を流した校長は、お世辞にも健康的とは言えない身体を必死に動かして俺たちの前に立つ。
「はぁ……はぁはぁ、じ、時間がないから簡潔に言うぞ? あのな、君たちには――」
「もちろん引き受けるわ、校長先生」
校長の言葉を遮って、青蜜が誇らしげに続ける。
「私、頼まれたことは断らないの。 それがこの学園のためなら尚更よ」
その言葉に続くように、結衣ちゃんの小さな拍手が部屋中に響く。
俺も……いや、しなくていいか。
「本当に引き受けてくれるんじゃな? いやー、よかったよかった! では、あとは頼んだぞ。 頑張って世界の滅亡を阻止してくれ!」
「ええ、もちろんよ。 頑張って世界の滅亡を……え?」
校長室の空気が一瞬で止まる。
今、この人なんて言った? 世界の滅亡がなんとかって……。
思わず、青蜜に目を向ける。
盛大に予想を外した青蜜は、なぜだか嬉しそうに瞳を輝かせていた。




