# 第五十七話 一番弟子
マリオが、初めて自分の手で、粘土に向き合ったのは、あの鳥の彫像が完成してから間もなくのことだった。
「僕にも、作らせてもらえませんか」
その申し出に、フランチェスカは迷わず頷いた。
「もちろんだよ。あなたの感じるままに」
マリオは、粘土の塊を、恐る恐る手に取った。だが、その手つきは、絵筆を握っていた頃とは明らかに違っていた。平面に、線を引くことに、ずっと苦手意識を抱いてきたマリオだったが、立体という新しい領域では、その手が、まるで、別人のように動き始めていた。
最初に、マリオが作り上げたのは、荒々しく、それでいて、力強い獣の像だった。洗練とは、程遠い、粗削りな作品だった。だが、その荒々しさの中には、平面の絵では、決して表現できなかったであろう、生命力が確かに宿っていた。
「先生、これを見てもらえますか」
マリオが、緊張した面持ちで、その像をフランチェスカの手に、そっと委ねた。
フランチェスカは、両手でその輪郭を丁寧になぞっていった。指先が、獣の逆立った毛並みを模した、粗い凹凸を、何度も確かめるように辿る。
しばらくの沈黙の後、フランチェスカの口元に、確かな笑みが浮かんだ。
「マリオ。あなた、これまで、絵の才能がないと、ずっと言われてきたのね」
「はい……」
「馬鹿な話です」
フランチェスカの声には、力強い確信が滲んでいた。
「この荒々しさ、この勢い。平面の中で押し殺されていた、あなた本来の力が、ここには余すところなく表れています。目で見るよりも、この手で触れる方が、私には、よほどはっきりとわかります」
その言葉に、マリオは、しばらく、放心したように立ち尽くしていた。
「僕に、才能が……?」
「ありますとも。今まで、誰もあなたを、正しい形で見ていなかっただけです」
フランチェスカは、そう言い切ると、獣の像をマリオの手に押し返した。
「一番弟子のマリオ! 次は何を作るんだい!」
その力強い問いかけに、マリオは、目に涙を浮かべながら、それでもしっかりと頷いた。
「次は……先生と一緒に、見た、あの空の下の景色を作りたいです」
「いいでしょう。一緒に作りましょう」
その日から、フランチェスカとマリオは、師弟として、共に新しい表現の地平を切り拓いていくことになった。目の見えないフランチェスカの、卓越した造形感覚と、マリオの荒々しくも力強い、独自の感性。二人の合作は、やがて、王都の芸術界に大きな波紋を投げかけることになる。
後に、王都の歴史に、「近代立体創作の開拓者」として、名を残すことになる、マリオという男の物語は、こうして始まった。
その原点には、一人の目の見えない師と、彼女を決して見捨てなかった、不器用な弟子の絆が、確かにあった。




