# 第五十五話 潰しては、作り
それからしばらく後のこと。
マリオは風の便りに、王都の外れに変わった教え方をする教師がいるという噂を聞きつけてきた。目が見えなくとも、学べる道があるかもしれない、と。
「先生。一緒に行ってみませんか」
マリオの申し出に、フランチェスカは最初気乗りしない様子だった。だが、マリオのあのまっすぐな熱意に、根負けする形で、二人は拠点の門を叩くことになった。
私の前に立った二人は、これまでの経緯をかいつまんで話してくれた。長年、頂点に君臨してきた絵師が、視力を失い、それでも、なお諦めきれない情熱を抱えていること。そして、その傍らに不器用ながらも、決して師を見捨てなかった弟子がいること。
「目のない身で、何を表現できるというのか。正直、まだ、半信半疑です」
フランチェスカは、静かにそう漏らした。その声には、諦めと、それでも消えない未練とが、同居しているようだった。
「作品を“観る”という手段は、目だけとは限りません。一緒に、探してみませんか」
私がそう伝えると、フランチェスカは、しばらく沈黙していたが、やがて、深く頭を下げた。
「どうか、よろしく、お願いいたします」
その隣で、マリオも涙を堪えるように、深く頭を下げていた。
フランチェスカとの授業は、まず、視覚以外の感覚を、丁寧に確かめ直すところから始まった。
「これを、触ってみてください」
私がそう促すと、フランチェスカは、差し出された石を、指先でゆっくりと、なぞった。
「硬く、冷たい。それでいて、滑らかな面と、ざらついた面がある」
「その感触は、何色に感じますか」
その問いに、フランチェスカは少し考え込んだ。
「灰色、でしょうか。いいえ、もっと深い、青にも近いような」
私は続けて、焼きたてのパンを、彼女の前に差し出した。
「これは」
「温かくて、柔らかい。匂いも優しい。これは……黄色、いいえ橙に近い気がします」
こうした問いを、私は幾度となく繰り返した。触覚、嗅覚、聴覚。目に頼らない、あらゆる感覚を通して、色や形を捉え直す試み。フランチェスカは、最初こそ戸惑いながらも、次第に、その作業そのものに、夢中になっていった。
「面白い。目に見えていた頃には、気づかなかった色の広がりが感じられます」
そう語る彼女の声には、久しく失われていたであろう、生き生きとした輝きが戻り始めていた。
感覚の整理が進むと、私は粘土や木片、布の切れ端といった触れる素材を用意した。
「これらを使って、感じたものを形にしてみませんか」
その提案に、フランチェスカの表情が、大きく変わった。
それから、フランチェスカの創作は、常軌を逸したものになった。朝から晩まで、粘土をこね、木片を組み、思うような形にならなければ、容赦なくそれを壊してしまう。作っては壊し、また一から作り直す。その繰り返しは、傍で見ている私たちを驚かせるほどだった。
「フランチェスカさん、少し休まれた方が」
私がそう声をかけても、フランチェスカは聞く耳を持たなかった。
「今、頭の中に見えているものがあるのです。それを、形にするまでは休めません」
その執念は、時に鬼気迫るものすらあった。マレアがその様子を見て、心配そうに私に漏らしたこともあった。
「大丈夫なのかな、あれ」
だが、その傍らでマリオだけは、違う反応を見せていた。
「先生が、戻ってきた」
マリオは、そう言って、静かに微笑んでいた。
「あんな風に、寝食を忘れて、作品にのめり込む先生の姿。若い頃、初めて工房を訪ねたときと、同じです」
その言葉に、私はフランチェスカのこの激しい創作の日々が、単なる無理な頑張りではなく、彼女自身にとって、失われていたものを取り戻す、大切な過程なのだと理解した。
完成しては壊され、また一から始まる、粘土の塊。その繰り返しを、マリオは根気強く、傍らで支え続けた。水を用意し、道具を片付け、時には、フランチェスカが疲れ果てて、眠り込むのを、そっと見守りながら。
その献身は、単なる恩返しという言葉だけでは片付けられない、深い敬愛に支えられているように、私には見えた。




