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川で水浴びはまずかったのかな

 手のひら大のライムグリーンの魚は、狭いバケツの中で身を捩って逃げ出そうとするので、静樹はバケツが倒れてしまわないように手で押さえた。


(ひええ……元気がよすぎる)


 一分も耐えているとようやく魚はおとなしくなり、水の中をゆるやかに泳ぎはじめた。ホッと肩の力を抜く。


 スーパーで売られている切り身の魚しか普段は見ることがないので、川で実際に魚をとるのも初めてだ。


(すごい色してるけど、食べられるのかな)


 時々跳ねる魚が逃げ出してしまわないように見張っていると、ずぶ濡れになったタオがしょんぼりとした様子で川から上がってきた。


「一匹だけとれたけど、あとは全部逃げちゃったみたいだ」


 肩を落とす彼になんと声をかければいいものか迷う。励ましたくて、つっかえながらも言葉を発した。


「……一匹だけでも、すごいです。僕なら一匹だってとれない、から」

「そうかな? シズキがお腹いっぱいになるくらいに、食べさせてあげたかったんだけど」

「僕、食が細いので……一匹でも十分すぎるくらいに、多いです」

「本当に? だってシズキはまだ子どもなんだよね? だったらたくさん食べないと」

「子どもじゃないです……もう二十歳になりました、大人ですよ」


 タオは海色の瞳を思いきり見開く。


「えっ! 俺と二歳しか違わないの⁉︎」

「タオは、何歳なんですか」

「俺は二十二歳だよ。なーんだ、俺達そんなに年齢が違わないんだね」


 親しみのこもった声に、静樹は励まされて視線を上げた。


 顔はやはり虎だし獰猛な牙も口の端からのぞいているが、種族が違えど人と同じような感覚で生きているのであれば、仲良くなれるかもしれない。


「二歳だけ……タオ兄さん?」

「にっ、兄さんはやめて?」


 タオの声がひっくり返った。変なことを言ってしまったとたちまち後悔する。図々しいやつだと思われたかもしれない。


「すっすみません。調子に乗りました」

「あ、嫌とかじゃなくってね……なんて言えばいいのかな」


 タオはブルブルと犬が水滴を弾くみたいに、身体から水分を飛ばした後に静樹の方へ近づいてきた。


 反射的に慄いて後退りしそうになったが、すぐ後ろにある石に引っかかって退がれなかった。

 内心怯えながらもその場に踏みとどまる。


 頭の上に手のひらが迫ってきて、ぎゅっと目を閉じた。肉球で優しく髪を撫でられる感触がする。


「シズキが可愛すぎて、思いきり抱きしめたくなっちゃうからさ。お願いだから兄さんはやめておいて?」

「わ、わかりました」


 静樹の首より太い腕に抱き締められて、鯖折りにされてしまう悪夢が頭の中に浮かんだ。

 縁起でもないと首を横に振って打ち消す。


「でもそのくらい仲良くしてくれるのは大歓迎だよ! 口調も気楽に崩して、自分の家みたいな気分で寛いでくれていいからね」


 それは当分無理だし、そんな風に振る舞える日が来るかどうかもわからない。

 けれどせっかくの好意を無碍にするのもためらわれて、結局は遠慮がちに頷いた。


 タオも満足そうに頷くと、思い出したように声を上げた。


「あ! しまったな。タライも持ってくればよかった」

「タライ?」

「シズキ、そろそろ水浴びをしたいんじゃない?」


 そういえば、もう三日近くお風呂に入っていない。指摘されると頭が痒くなってきた。


「そうですね……水浴び、したいです」

「だよねえ……ここでしていく? うーん、でもなあ」

 タオは澄んだ水を見つめて、顎に手を当てた。

 静樹もつられて水面をのぞきこむ。


 指先を浸してみると、想像したほどには冷たくなかった。これなら直接水に入っても問題なさそうだ。


 服を脱ぎはじめると、タオが焦ったように手を振った。


「シ、シズキ! 今水浴びをするつもり?」

「あ、駄目、ですか?」

「駄目じゃないけど、駄目じゃないんだけれど……」


 なにやら葛藤している様子だが、一度気になると痒さがおさまらなくなってきた。

 身綺麗にできる機会があるのなら活用したい。


 それにこの後帰ってからもう一度、川に寄る元気はない。特に問題がないのであれば身体を洗ってしまいたかった。


「駄目じゃないのなら……身体を綺麗にしても、いいですか」

「あー、うん……」


 気もそぞろな様子だったものの、許可をもらえたことだしタオの気が変わらないうちに、上も下も脱いで足を水につける。


 流れる清流は冷たくて、歩いて体温の上がった身体の火照りを抑えてくれた。


「気持ちいい」

「あわわわわ……おっ、俺! 後ろ向いてるから!」


 タオは焦った声音で宣言して、静樹に背を向けた。

 なんだろうと疑問に思ったけれど、心地よい水の流れに意識が吸い寄せられていく。


 学校のプールに入ったことはあるけれど、流れのある水の中に身体を浸すのは特別な感じがする。


 勢いのある水流に足を捉われないように気をつけながら、頭まで水を被った。

 白すぎる細い体を見下ろして、もやしみたいだなと内心ため息をつく。


 昔クラスメイトからも揶揄われたことがあったっけと考えた瞬間、急に誰かの前で裸でいるのが心細く思えてきた。


 全身がさっぱりしたのでそろそろ川から上がろうとしたところで、そういえばタオルも何も持ってこなかったことに思い当たった。

 タオの背中を盗み見るが、彼も布類は持っていなさそうだ。


 やたらと尻尾がくねくねしているけれど、何か嬉しいことでもあったのだろうか……自覚はなかったけれど鼻が効くタオには静樹の体臭がキツくて、実は身体を洗ったことを喜んでいるのかもしれない。


(だとしたら、なるべく毎日水浴びした方がいいのかも)


 少し考えてから、借りた服を使って身体を拭いた。褲だけを身につける。


「お待たせしました……」

「終わったのかな? って、上の服はどうしたの⁉︎」

「すみませんっ、身体を拭くのに使いました」


 勝手にタオル代わりにして怒っただろうかと、肩を縮こませる。タオは自身の褶を脱いで静樹に貸してくれた。


「どうぞ、これを着て」

「え、悪いです、そんな」

「いいから! ……見てられないんだ」


 弱りきった声を聞いて、そんなに貧相だったかとショックを受けながらも服を着た。

 実際のところ、川から上がると肌寒くて風邪をひきそうだと思っていたから助かる。


 上半身裸になったタオは、服に隠れている部分も毛皮に覆われていた。腹側はよりふわふわで細かな毛に覆われていて、雪のように真っ白だ。


「寒くは、ないんですか」

「ん? ああ、マナーとして着ろって怒られるから着ているだけで、今頃の時期は裸でいたって寒くないよ。まだ秋の初めだしね」

「そう、ですか」


 彼との会話で、今は秋だと知った。

 杉の間にちらほら生えている落葉樹の木々の葉は青々としているから、秋になったばかりなのだろうか。


(怒られるって、誰にだろう)


 喉まで出かかった疑問を、ごくりと飲み込んだ。今日は何をしていたの、なんで帰ってこなかったのと聞くと、迷惑そうに眉をひそめる両親の顔が頭に過ぎった。

 急いで首を横に振って思考を追い出す。


 身の置き場なく広い襟ぐりを引っ張っていると、道具を抱えたタオが元来た道を先導しはじめた。


「そろそろ帰ろう」


 なんとか川辺の側の急斜面を登り終えるまで、虎獣人は足を止めて待ってくれていた。


 チャプチャプ揺れるバケツの音を聞きながら、無言のままタオの後ろに続く。


 日本での暮らしとは何もかも違うから、本当はタオから色々話を聞きたい。けれど勇気が出ない。


 どうしようもなく臆病な自分に嫌気が差す。

 気分が落ち込んでいくのと同時にどんどん視線は下がり、静樹は足元を見ながらひたすら歩き続けた。


 ジャリッと鳴った靴音から足を止めた気配を感じて顔を上げる。

 白い虎耳が警戒するように、小刻みに動いていた。


「近くまで来てる……ちょっと追い払ってくるね」


 タオは静樹の目の前に魚の入ったバケツを置くと、俊敏な動きで茂みの中へと飛び込んだ。


(えっ、なに?)


 森は危ないと言われたのに一人きりにされて、緊張で肩が強張った。

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