温かな腕の中で
恐ろしさとは別の理由で震える両手をタオの両頬に添えて、顔を近づけていく。
「……んっ」
いつも微笑んでいるような口元に、唇を押しつけた。
濡れた鼻に鼻先が当たって、驚いてすぐに口を離してしまったけれど、間近で見た彼はもっと驚いた顔をしていた。海色の瞳を限界まで見開いている。
「え、えっ、シズキ⁉︎ 友達じゃなくてもいいって、そういう意味?」
言葉にするなんてとてもできなくて頷くと、すごい勢いで肩を引き寄せられた。
ハッとしたようにすぐに柔い力に変えられて、じわじわと力を調整しながら抱きしめられる。
「シズキ、シズキ……! 俺の番になってくれるの?」
「番……は、正直なところよくわからないんだけれど。友達じゃなくて、もっと近づきたい」
「うん、そうしよう! まずは恋人同士になろうよ」
「恋人……」
甘い響きの言葉に胸が高鳴った。
タオとつきあうなんて考えたこともなかったけれど、嬉しいと素直に思える。
「うん、恋人になろう」
「やった! 今日から静樹は俺の恋人だ……!」
タオは噛み締めるように言葉を繰り返した後、勢いよく静樹に振り向いた。
「恋人ならもっと触ってもいいってことだよね?」
再び頷くと、タオは静樹を寝台の上に押し倒した。
長くざらりとした舌で頬を舐められて、未知の感触にうひゃあと情けない悲鳴が上がる。
「えっ、なに? 痛かった?」
「い、痛いわけじゃなくて……びっくりしただけだから」
「本当に? 大丈夫?」
何度も頷くと、タオは納得してくれたらしい。
静樹をぎゅっと抱きしめながら、彼は「恋人同士なら、いいよね?」と耳元にささやいた。
***
小鳥の鳴き声が耳に飛び込んできて、今は何時だろうと重い瞼を上げた。
目の前にある温かな毛皮に擦り寄ったところで、ハッと意識が覚醒する。
(そうだ、僕は昨日、タオと……)
最後の方は記憶が混濁するくらい愛されたことを朧げに思い出し、かあっと身体が熱くなる。
腕を持ち上げるだけで気怠く感じるが、気力を振り絞って全身を確認してみた。
新しい服を着ている、タオがやってくれたのだろうか。
想像すると恥ずかしくなって、タオのふかふかの胸元に顔を埋めた。
「ん……おはよう、シズキ」
タオが起きたらしい、ゆっくりと髪を撫でられて、その心地よさにため息をついた。
おはようと答えようとして、声が酷く掠れていることに気づく。
「おは、よ、ケホッ」
「わあ、酷い声だ。水を飲みなよ」
タオは寝台サイドのテーブルに置いてあった水差しから、杯に水を注いでくれた。
冷たい水を喉に流し込むと、幾分喉の調子がマシになる。
「ありがとう、タオ」
「身体は大丈夫かな、お腹空いてない? 果物を採ってきたから食べよう」
同じくテーブルからブドウのような見た目をした、桃色の果実を差し出される。
「はい、あーん」
「え、あ、あーん……」
口の中に果実を入れられて咀嚼する。
林檎のような爽やかな甘みが舌の上に広がり、静樹は目を細めた。
「美味しい? もう一つどうぞ」
タオは静樹がもういいと言うまで、何度も果実を口に運んだ。
恋人同士そのものな触れ合いを気恥ずかしく思いながらも、嬉しさも同時に湧き上がってくる。
頬を染めながら彼の好意を受け入れた。
静樹の作ったスープも温め直してくれて、それも食べる。
タオも果実とスープを食べてお互い満足したところで、ぎゅっと柔らかく抱きしめられた。
毛皮が地肌に触れあって、ため息が出るほど心地よい。
肩から背中のラインを辿るようになぞると、タオはグルグルと気持ちよさそうに喉を鳴らした。
静樹は微笑みながら、彼の背中を繰り返し撫でる。
「シズキ……はあ、好き」
「……っ!」
突然気持ちを告げられて息を呑んだ。
うっとりしたような声音は、心から静樹のことを好きだと伝えてくるようで、どうしたらいいかわからなくなって俯いた。
「あ、僕も……好きだよ」
なんとか気持ちを返すと、一瞬グッと息が詰まるほど強く抱きしめられた。
手がお尻の上に乗って揉まれるのを、身を捩って避けようとする。
「シズキ、まだ足りないんだけれど」
「えっ……もう無理だよ」
筋肉痛とお尻の違和感が凄まじくて、これ以上やったら壊れてしまいそうだ。
恐れの気持ちを滲ませながら首を横に振ると、名残惜しげに腰を触られた。
「ええ、駄目?」
「だめ……」
彼の胸元に顔を埋めながら告げると、尻尾がシーツの上を擦る音が聞こえた。
ううーと唸った彼は、静樹の頭から腰までを順に撫で下ろす。
「どうしても駄目?」
「お尻壊れちゃうから……」
言い方が不味かっただろうか、甘えるような声音になってしまい、タオがゴクリと息を呑む気配がした。
見上げた目は瞳孔が大きく開き、興奮でキラキラしている。
「ね、シズキ今の台詞、もっかい言って?」
「や、やだ。そんなことより、もやしを買いにいこうよ」
「え、もやし?」
もう一戦挑まれそうな危機感を感じて、別の提案をしてみた。
面食らった様子のタオにさらに畳みかける。
「一緒にもやしを買いにいってくれるんでしょう?」
「ああ、そんなことも言ったね。いいよ、探してみよう」
タオは起き上がり衣服を身につけた。静樹も落ちていた服を取ろうと起き上がる。
足に力が入らずバランスを崩して、寝台から落ちてしまった。
「ぇわっ!」
「シズキ!」
幸いにもタオが止めてくれて事なきを得る。
危うく顔面から床に飛び込むところだったと、ホッと胸を撫で下ろした。
「ああ、びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだよー、今日は出かけずに寝台で過ごした方がよさそうだね」
その方がよさそうだと、素直にタオの言葉を受け入れた。
食事も何もかもを面倒見てくれて、ベッドの上で抱きしめあってイチャイチャしながら過ごす一日は格別だった。
夜になり、やっと寝台から離れられた静樹はタオと一緒に料理を作っていた。
タオにとっては辛すぎる塩漬け鶏肉の塩を丁寧に抜いて、根菜と一緒に仕込んでスープにする。
「シズキ、料理が上手になったよね。手つきが手慣れてきた」
「そうかな、だったら嬉しい」
にこにこしながら髪や肩を順に撫で下ろされて、タオの方に身を寄せた。
すると彼はゴロゴロ喉を鳴らしながら、静樹の頭に顎を乗せる。
少し調理し辛いが、心はほっこり温かい。
無事にスープを作り終えてよそっていたところに、来訪者があった。
「おいタオ、今いいか」
「ユウロン、いらっしゃい! ちょうどシズキと一緒にスープを作ったところなんだけど、食べていく?」
「そうだな、もらおう」
狼獣人はいつものように、遠慮なく席につく。
温かなスープを食べ終えた頃に、ユウロンはおもむろに話をし始めた。
「お前らが知りたがるだろうと思ってな、事件の顛末を話にきてやったぞ」
「ああ、あれからどうなったの?」
ユウロンは元気そうだが、ハオエンはどうなったのだろう。静樹も耳を澄ました。
「一座の面々は全員、国から派遣された軍兵に捕まって中央に連行された。あれだけの事件を起こしたからな、少なくとも冬の間は懲役を受けることになるだろう」
「そんな……」
静樹が憂いていると、ユウロンは皮肉げな笑みを見せた。
「ヤツら、これで冬の間は飯にありつけるし住むところもあるって喜んでいたぞ。しぶといヤツらだ。あの子どもも平気そうな顔をしていた」
「ハオエンも……」
「まあ、そういうわけだから心配すんな。奇怪獣の被害も怪我人だけで、死者は出ていない。広場の天幕も撤去させたし、全てが元通りになっている頃だろうさ」
せっかくできた友達だけれど、こんなことになってしまった以上はもう会えないかもしれない。せめて彼が辛い思いをせずに過ごせますようにと願った。
「じゃあ、これで一件落着ってことだね」
「ああ。お前にも世話になったな」
「いいよ別に。また何かあったら遠慮なく言って」
「助かる」
ユウロンはお礼だと言って、壺漬けの野菜を置いていってくれた。
地味にありがたい、冬支度はまだ済んでいないのだ。
「明日は市に行って買い物をしよう。もうそろそろ雪が降るし、急がなきゃね」
「そうだね」
次の日は朝から薪を売って、そのお金で食料を買い込んだ。その後タオが寄りたいと言ったのは服屋だ。
彼は風を通さない、もこもことした温かそうな生地を手に取る。
「どれがいいかな、うーん」
布なんて何に使うのだろう、彼はいつも薄着だしと首を傾げると、タオは楽しげに尻尾を揺らめかせる。
「シズキに服を作ってあげたくってさ。獣人にとって服はマナーであり、愛情を示すための手段でもあるんだ。手作りの服を贈るのは愛の証なんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「いつか愛する人ができたら、服を作ってあげたいと思っていたんだ。だから俺、細かいことは苦手だけど裁縫だけは一生懸命練習したんだ」
あまり裁縫は得意ではないのに、何故手作りの服なんてと思ったが、そんな意味合いがあったらしい。
タオはいくつも布を腕に抱え込んでは、どれにしようかと首を捻っている。
「こっちの赤いのも可愛いだろうし、白もいいなあ……シズキはどれがいいと思う?」
「あまり派手なのはちょっと……白の方が好き」
静樹は答えながらも、タオに似合いそうな深い緑色の生地を見つけて、惹かれるまま手に取った。
「僕も、タオに何か作ってみようかな」
「え、作ってくれるの? 楽しみだなあ!」
冬でも薄着なタオだから、凝った服を作る必要はなさそうだが、どうなることやら。
慣れない体験は苦手だったけれど、タオと一緒だと思うと楽しめそうだ。
「作り方、教えてくれる?」
「もちろんだよ! 一緒に作ろう」
針と糸も買い足して、タオはいっぱいに膨れた買い物カゴを軽々と担ぐ。
「後はもやしをみつけなきゃね。他にやりたい事はある?」
「やりたいこと……そうだ、本って高いのかな。できれば字を覚えたいんだ」
司書になるのはすぐには難しそうだが、例えば手紙の代筆だとか、本を書き写す仕事とかがあればやりたいと思いついた。
そのためにはまず字を覚えなければいけない。
「いいよ、本を買おう」
「あまり高価であればいらないよ」
「そんなこと言わないで、シズキの夢なんでしょ? 俺に任せてよ、ちゃんとシズキを養えるくらいのお金は稼いでいるからね」
質屋に赴き学習用の本はあるのか尋ねると、挿絵がたくさん載った図鑑のような本を提示された。
これなら絵を見ながら字を覚えられそうだ。
結構な金額がしたけれど、タオはためらうことなく購入してくれた。恐縮しながらお礼を伝える。
「ありがとう、大切に使うね」
冬の間に読み込もうと、大切に本を胸の前で抱きしめた。
帰りがてら市場を一通り練り歩いたが、やはりもやしは売ってはいなかったので、代わりに大豆によく似た豆を買ってみた。
これを暗闇で育てればもやしになるかもしれない。
「芽が出るのは春だろうね」
「冬の間は大事に取っておこう」
荷車を引くタオの横で、静樹は歩きながらとりとめもない話題を振った。
「僕ね、昔もやしみたいって揶揄われたことがあるんだ」
「そうなんだ?」
「白くて細くて、頼りないでしょう? だから」
自身の細い手首に視線を落としながら告げると、タオは頭を撫でてくれる。
「白くて細くて綺麗の間違いじゃない? 人間に頼り甲斐がないのは普通のことなんだし、むしろ頼ってもらえるのが嬉しいから、頼り甲斐なんてなくていいと思うな」
「……はは、そっか」
タオにかかれば、静樹の頼りないところも臆病で引っ込み思案なところも、可愛いポイントの一つになってしまうらしい。
荷車を引く大きな手を、ちょっとだけ撫でてみた。
冬毛になりますますモフモフになった手の甲の肌触りにうっとりして、自然と微笑みが溢れる。
「帰ったらまた、ギュッとしてくれる?」
「帰ったらなんて言わずに今でもいいよ! むしろそんな可愛いこと言われたら、今すぐ抱きしめたい!」
「わっ⁉︎」
タオは荷車を放りだす勢いで下ろして、シズキのことを踵が浮くくらい情熱的に抱きしめてくれた。
荷車の取手が地面の岩にぶつかって重い音を立てると、森で木の実をつついていた小鳥達が驚いて一斉に飛び立っていく。
白い羽根が空に舞って、まるで天使が祝福してくれているみたいだなんて、柄にもないことを考えた。
「わあ……」
「羽根がたくさん落ちてきたね。一緒に服に縫い込んじゃおうか、暖かくなりそう」
「それいいね」
二人で羽根を拾って家に持ち帰った。
羽毛の感触を指先で楽しんでいると、荷車を納屋に仕舞ったタオが後ろから静樹を抱きしめてくる。
「そんな羽毛より、俺の毛皮の方がもっと触り心地がいいよ?」
「触ってほしいってこと?」
「そうだよ、シズキ大正解」
素直に心情を吐露した愛しい恋人に向き直り、首や耳の辺りの毛を手を伸ばして撫でた。
彼は撫でやすいようにかがみながら、ゴロゴロと喉を鳴らす。
重低音のゴロゴロ音は、彼が気持ちよく感じている証拠だから、すっかり大好きな音になってしまった。
ずっと聞いていたいとまで思うようにまでなった。
冬の間はたくさん彼のことを撫でて過ごそう。
幸せな未来予想図に頬を緩めた。尻尾に頬擦りしながら、甘くとろける海色の瞳に微笑みかける。
「ずっと一緒にいてくれる?」
「もちろん! 冬の間もその後も、ずっとずっと!」
やがて冬になり、雪が降り始めた。例年は手足の先が冷えてしょうがない静樹も、今年の冬は身体も心もほかほかだ。
彼の手作りの衣装と彼自身の体毛のおかげで、ぬくぬくと過ごせている。
窓の外がが明るくなってまどろみの中から目覚めると、健やかに寝息をたてる虎が目の前にいる。
静樹は牙まで見えるくらい大口を開けて、油断しながら寝ているタオの姿を微笑ましく見上げながら、大好きな彼の尻尾を抱えて二度寝をした。
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