Note:37 サクリファイス
戦闘終了から、体感で三十分程度だろうか、そのくらいの時間が経過した頃……私たちの必死の救護により、リトは何とか目を覚ますことが出来た。
薄目を開け、彼はぼんやりと言葉を発する。
「む……俺、は……」
「あ、良かった、目が覚めたんですね……」
この中で誰よりも彼の身を案じていたのは、当然私である。一か八か繰り出した裏拳が、まさか見事にリトの顎を撃ちぬくとは思っていなかったのだ。目を覚ましてくれて、本当に心底安心した。
「大丈夫ですか、その……気持ち悪いとか、そういうことは……」
「あ、ああ……それは特に問題ない。無様な姿を見せてしまったようだな、済まぬ」
「いえ、そんなことは……」
彼の反応を見る限り、どうやら通常の会話も可能なようだ。今のところ大きな後遺症らしきものは見受けられない。だが、念のためしばらくは横にしておいた方が良いだろう。泡を吹いたのは、頭部への強い衝撃で一時的なてんかん発作に類似した症状が出たため、と考えられる。そうであれば、脳への影響に鑑みても安静にしておくべきだ。
さやさやと、爽やかな風が私たちの間を縫うように通り抜ける。寝かしておくには少々肌寒いかも知れないが、おいそれと動かす訳にもいかないし、このまま空気の良いところで静養した方が良いだろう。
安堵し小さく息を吐いた私へ、リトはポツリと呟く。
「しかし、まさか拳で決着させるとは……俺も甘かったが、お前……いや、リナ殿も大したものだ。とても戦闘経験が無いとは思えぬ」
「あ、その……あ、あはは……」
何とも返答に窮するものだ。戦闘経験はなくとも、裏拳を使ったのはこの世界に来て二度目である……などと、アスナやアナが傍にいる状況で言えるはずもない。
少し柔らかな空気に包まれる中、先ほどから黙ったままであったアスナが、不意にリトの両肩を掴んだ。突然の行動に私もアナも、そしてリトも驚き、全員がアスナへと視線を注ぐ。
「……話は伺いました。私の与り知らないところで、国の行く末に関わる大きな賭けが行われていた、と」
「アスナ様……」
「私の心配をしてくれるのは、とても嬉しいですわ。でも……国の未来を背負うのは、誰にでも出来ること。それ以前に国が滅びてしまえば、何も残らない。……そんなこと、聡明なあなたならば分かっていたはず。そうでしょう?」
「……」
静かに、しかし明確にアスナはリトへの怒りを露わにする。……当然のことだ。何も聞かされないまま、今まで進めていた計画を取り潰されそうになれば、誰だって不満に思うだろう。
ただ、こうなったのは私の責任でもある。科学力が皆無であるため、文字通り武力こそがその力を示すことになる、この世界。エグアレン相手に何も太刀打ちできなかった私に、アスナを任せようなどと思えるだろうか。
幾ら女神の再来だと聞かされても、この街では何も事を為していない。リトの目には、私など無力なか弱き乙女にしか映っていないはずだ。
それ相応の成果を得た上で、交渉すべきであった。これは、功を焦った私のミスだ。時間的猶予が無かったとはいえ、もっとやり様はあったはずなのだ。
「アスナ……リトさんは、みんなの命を守るために必死だったんだよ。国と、人の命。それを天秤にかけて、人の命を選んだ。その選択は、間違いではないと思う」
「リナさん……」
「それにさ、私が勝ったんだからもう文句は言わせないから。ちょっと汚い手を使ったかもしれないけど、約束は約束。……そうですよね、リトさん」
決闘のルールは、剣を使ってリトを打ち倒すこと、であったはずだ。剣でリトを打ち倒せ、とは一言も聞いていないし、むしろ拳を使う方が難易度としては高い。規定上は、何ら問題は無いはずだ。
「……ふっ、狡猾な女よ。良かろう、その頭脳で敵を存分に攪乱させ、アスナ様をお守りせよ。まったく、良い知己を持たれたものですね、アスナ様。……さて」
そう言うと、リトはゆっくりと起き上がる。まだ裏拳の痛みが残っているようで少々体をぐらつかせながらも、支えようとしたアナを軽く制した。
「あ、まだ起き上がっては……」
「良いのだよ。……実はリナ殿に拳を食らう直前より、体が動かなくなっていて、な。最後に止まったのは、何故だか突如として腕が固まってしまったからなのだよ。このところ疲れが溜まっていたからな、恐らくそれが出てしまったのだろう。まあ、負けの言い訳には出来ぬが」
「そう、なんですか?」
「ああ。故に、そう心配せずとも良い。頭痛も無く、むしろ少し眠れたことで疲れも取れたようだからな」
グルグルと腕を回し、リトは回復をアピールしている。どうやら本当に問題ないようだ。この様子ならば、自室で少し休憩を挟めば完全回復も出来るだろう。素人考えは良くないため、後日また調子を確認することにしよう。
しかし、リトの調子が悪くて助かった。もし彼が万全であったならば、今頃泡を吹いて倒れていたのは私の方だったかも知れない。場合によっては、あの変な竹刀で叩かれていたら、打ちどころによっては……ああ、考えただけでも身の毛がよだつ。
フェルムの件といい、今回といい……これだけの短い期間で、九死に一生を得る体験を二度もするとは。運が良いのだか、悪いのだか。
それは一旦置いておくとしよう。それよりも、朝からずっと気になっていたことがある。それを確かめておきたい。
「あの、ところで一つ聞いてもいいですか?」
「む?」
「その竹刀は、一体どこで手に入れたんです? もしかして作った、とか?」
先ほどからリトの傍らに置かれていた、歪な形の竹刀。こんなものがどうしてここにあるのか、それが気になっていたのである。
私のいた世界では、この時代、それにこの地方で竹刀が使われていたという歴史的事実は無い。リトの使用する日本刀もそうだが、一体どこでそれらを手にしたのだろうか。
「竹刀、とは……もしや、これのことか? これは、城の地下より見付かった剣を模倣して作ったものだ。俺の愛刀も同様にそこで見つかったのだが、何分、見知らぬ木で出来ていたためか酷く劣化していてな……故に見様見真似で作ってみたのだ。それが何か?」
「ああ、いえその……面白い形だな、と」
「ふむ? まあ、確かに特殊な形状をしておるが……これはこれで、使い勝手は良いぞ」
まさか、日本刀どころか竹刀すらも遺構からの出土品であったとは。この世界の人間は、どこまで遺構の存在に頼り切っているのだろう。幾ら文明の発展が遅れているとはいえ、さすがに自力で創り上げたものが少なすぎる。
この竹刀は、ある意味では本物を参考にして作ったオリジナルであるが……竹が手に入らず已む無く木を代用した結果、このように歪な形状になってしまったのだろう。これならば、正直に言って木刀を使った方がマシだ。竹刀の持つ利点を全面的に殺してしまっている。
もしどこかから青竹が手に入れば、その折に提言してみよう。きっと、劇的に使いやすくなるはずだ。
「さて……無駄話はこれくらいにして、部屋に戻るとしようではないか。二人とも、今日は済まなかったな」
「いえ、むしろ殴ってしまって……それに、リトさんのアスナを想う気持ちは充分に分かりましたから。ね、アナ?」
「ええ、もちろん。これほど殿方に愛されるだなんて、アスナは本当に幸せ者です。羨ましいですよ」
「ちょっと二人とも、茶化さないでくださいよ……もう」
最終的にはアスナにも笑顔が戻り、穏やかな雰囲気となりつつあった。お互いの蟠りが少しずつ解け、この調子ならば一層仲良くなれる。そんな気がしていた。
だが、この平穏は脆くも崩れ去ることとなる。
「さて……うん?」
顔を上げ、私の背後へと視線を移したリトは、表情を一変させる。先ほどの戦闘時のそれとは異なる、緊張感のある面持ちだ。
異変に気付いた私とアナは、彼の視線の先へと振り返る。するとそこには、何やら慌てた様子の兵士が、こちらへと駆け付けている様子がはっきりと映った。
「リ、リト様! 大変です!」
「何事か」
「はあ、はあ……グラヴィール家の草より、緊急の報告にございます! グレイスティーム王国が、ドルテの応援要請を受け入れたとのこと!」
「何だと!」
それは、私たちの想像以上に最悪な報告であった。一瞬にして不穏な空気に包まれ、先ほどまで心地よく吹き付けていた風も、ピタリと止んでしまった。
「それは、真か」
「はっ! 王国の特使が、グラヴィール家領テルミ市の港へと到着したという情報にて、恐らくは」
「……なるほど、それならば確かであると言えような。これは、思った以上に厳しい状況だな」
私にはそのテルミ市というのがどこなのか分からないが、話の流れに鑑みて、王国との交易拠点である街のことを指すのであろう。そこに王国の特使が来たということは……十中八九、援軍の派遣が確定したと言える。
これはマズい、こちらはまだ暴徒たちと交渉するどころか、ポーションの製造すらも行えていない状況なのだ。このままでは、王国軍により先に首都を陥落されてしまう。そうすれば、一巻の終わりだ。
「で、でも……確か王国は他の国とも戦争中だったはず。それなのに、どうして急に?」
「そこは分からぬ。フルベストラント共和国、それにニムス族との戦闘が終決したという情報は未だ入っておらぬ。もしかすると、手堅く落とせる方を選択したのかも知れぬな」
手堅いといえば、確かにそうだ。元々は貴族の寄せ集めでしかないこの国には、大国に応戦できるほどの軍事力など有るはずが無い。暴徒により、あっさりと首都が陥落したという事実に鑑みても、それは明白だ。
しかも、他の交戦地域とは異なり交通手段が存在し、かつ王国の傀儡たるドルテがそれなりの領土を有しているのだ。拠点がある上に、相手するのは一般市民……この条件で負ける方がどうかしている。
もう、ヴィール公国は風前の灯火どころではない。子どもの前に置かれたバースデーケーキの蝋燭の火ほどに、吹き消される運命といえよう。
「ドルテと交渉をすれば、まだ間に合うのでは……?」
「いや、アスナ。それは無駄だよ。応援要請をした時点で、もうドルテには何も期待できない。交渉するのなら、やっぱり王国か、もしくは暴徒たちのリーダーだろうね」
「ええ、リナ殿の言う通りです。我々には、王国の進軍を止めるだけの武力も、手段も無いのですから」
「……では、手筈通りに首都へ? それでは、どうしたって時間が……」
「……」
ポーションの製造自体は二、三日もあればどうにかなる。問題は、首都への移動時間と交渉だ。以前、あの別邸で見た地図で位置だけは確認したが、縮尺的にここから首都までは四、五百キロメートルはある。その距離を徒歩で移動するのは不可能であるし、馬を使うにしても三、四日といったところだ。
どうにか、王国側の注意を逸らす方法は無いだろうか……ヴィール公国の平定よりも、大きなエサとなるようなもの……そんなものは、どこにも……。
「……いや、そうか……」
一つだけ、ある。グレイスティーム王国の、王女が喉から手が出るほどに欲していた存在が、ここにあった。
そう、それは……この私だ。私がこの身を差し出せば、王国の注意を引き付けられる。そして、その間にアスナたちが首都を押さえれば……ヴィール公国に平和が訪れる。
何も悩むことは無い。私は、アスナが国を取り戻すために尽力する……ただ、それだけなのだから。




