44話 悪女の最期
鐘楼が勝利の鐘を打ち鳴らし、扉が開け放たれたころ、ふたたびエドアルドが王の間にやってきた。途中参戦した青い鳥のルイスとビアンカも一緒だ。
二人とも戦いのあとの興奮が冷めやらぬ様子で、ぎらぎらしていた。
ルイスの黒い三つ編みは乱れ、吟遊詩人らしい赤と黒の派手な衣装は返り血で汚れている。彼の活躍はギコギコが知らせてくれた。その歌声は陸鮫たちを惑わし、五感を鈍らせたという。
浅黒い肌と月銀の走った栗毛が野性的な女戦士のビアンカは、疲労の色を見せず、どこか吹っ切れたような顔をしていた。彼女には四者会談の前準備で、相当世話になっている。ヘリオーティスに潜り込み、ディアナの居所を教えてくれたのが彼女。勇ましい女戦士は拷問死したスヴェンの婚約者である。
精悍な見た目に反し、女戦士は甘ったるい喋り方でナスターシャの最期を振り返った。
憎っくき仇は尖塔に落とされたのだ。
「申し訳ございません。本来ならば、サウル様のもとへお連れし、然るべき裁きを受けさせるべきでした。けれど、あの場は……人の理性を許さぬ空気に満ちておりました」
青い目は澄んでおり、後悔や自己嫌悪で曇ってはいなかった。
「仇を目にした同志たちは、憎しみに身を委ね、誰一人として踏みとどまれなかったのです。あたくしも例外ではありません。皆と同じ怒りを抱え、ナスターシャを引き立てました……」
勝手なことをと、ビアンカを責めることがサチにはできなかった。愛する者を無残にも奪われた彼女たちの苦しみは、想像を絶するものだっただろう。
憑き物が落ちたような顔をしているルイスも同様。彼らが感情を爆発させ、私刑を行ったとしても咎める気にはならなかった。
サチは彼らを労い、一番気になっていたことを尋ねた。
「ザカリヤは──」
場の空気が淀む。
命令違反を率直に打ち明けた彼らの呼気が乱れた。サチは困った顔をする彼らを見ていられなくなり、足元に視線を落とした。こういう時、エドアルドの無表情がありがたいと思う。傍らに控えるイザベラが、ひじ掛けに置いた手を握ってくれた。
吸い込んだ息を吐くまえに、ビアンカはエドアルドと顔を見合わせ、提案を持ちかけた。
「ザカリヤ様に関しては、ご自分の目で確認されたほうがよろしいかと。いらっしゃる場所へご案内いたしますわ」
生きているのか──わずかな希望に、サチはすがりたかった。
玉座を離れ、サチはルイスに留守番を命じた。マンドリン片手に今にも歌い出しそうな吟遊詩人は、快く留守番を承諾し、玉座に腰掛けた。
「わたしも行くわ!! あなたを守るのがわたしの役目!」
サチが背を向けようとすると、イザベラが見せつけるように、腕を絡ませてきた。
刹那、勇ましい女たちの間に火花が飛び散ったが、サチは見なかったことにした。
無意識だろうか。お腹の子を意識してビアンカが腹を押さえる。体調は問題ないかとサチは気遣った。
ビアンカは顔をくしゃくしゃにし、「問題があったら、ここにはおりません」と答えた。
「さ、参りましょう。ザカリヤ様は後殿の一階の角部屋、故クラウディア女王の寝室にいらっしゃいます」
同行するのは兄のエドアルドとビアンカ、イザベラだけである。自分は王に見えるのだろうかとサチは自嘲した。
だが、自己評価とは裏腹に、通り過ぎる者全員が頭を垂れるか、ひざまずいた。仰々しい反応に慣れるのには、時間がかかりそうだ。とても、気恥ずかしかった。
王の間を出て少し歩くと、滑らかな歌声が聞こえてきて、不安を和らげてくれた。
ルイスの歌声は傷ついた兵士たちの力にもなる。泣いていた者は涙を拭いて背筋を伸ばし、瓦礫を運ぶ者はふらつく腰を安定させた。骸骨たちはリズムに合わせて、骨を揺らした。美しい音楽は皆の心を一つにした。
後殿へ行くまえに内廓の状態を確認したいと、サチはわがままを言って、回廊に出た。アーチ型の飾り窓から内廓を一望できる。
後殿や側防塔の屋上に立てられていた国旗が破かれ、投げ捨てられていた。鐘楼の屋根には、青い両翼の描かれた白い布がはためいている。青い鳥のシンボルだ。
内廓では敵兵を連れる護送役や、オートマトンの残骸を運ぶ者たち、怪我人の手当てに追われる者たちが忙しく働いていた。
すべて終わったのだと、サチは実感した。
回廊に背を向け、主殿と後殿をつなぐ連絡通路に入る。二つ目の窓に尖塔が見え、サチは体を強張らせた。刺さっているのは、母のクラウディアではなく、ナスターシャである。吐き気やめまいはもう、襲ってこなかった。
サチが尖塔恐怖症を克服したことを皆に伝えると、イザベラは手を叩いて祝福し、ビアンカはまた笑顔になった。よく笑う女だ。死んだスヴェンの代わりに、この凛々しい人を守ってやらねばとサチは思う。エドアルドは朗報に対し、軽くうなずいた。
恐怖症は治ったのに、サチはナスターシャの遺体を見るのが苦痛だった。溜飲が下がるどころか、心に寒々とした風が吹き、暗澹たる気持ちに沈んだ。
──変だなぁ。因果応報ではないか? 皆のように気分爽快にならないのはなぜだ? 今まで、皆を苦しめてきた災厄の女だ。いい気味ではないか
それなのに……目を見開き、絶望の表情で貫かれるナスターシャが仇だとは思えないのだった。自分はどうして愛されなかったのだろうと、忌まわしい考えまで浮上し、サチは慌てて打ち消した。
どうかしている。たぶん、ザカリヤのことから逃げようとしているのだ──そう何度も自分に言い聞かせ、サチは長い通路に耐えた。
ほどなく後殿に入り、一世代前の王族が暮らしていた区画を歩いた。ナスターシャの部屋は開放され、青い鳥たちに荒らされていた。相手がナスターシャでなければ、サチは咎めていただろうが、この時も凍える心を隠すことに努めた。
悪女の死に動揺する自分が信じられなかった。あの女はサチの大切なものを奪い、心まで壊そうとした。そんな人でなしに、憐憫の情を抱くのは間違っている。
葛藤を誰かに知られるわけにはいかず、サチは極めて冷静を保とうとした。言ったところで、どうせ誰も理解してくれないだろう。腕に感じるイザベラの温もりが、孤独な心を慰撫した。
クラウディア女王の部屋に着いた時、覚悟も何もできていなかった。中は猛毒に満ちていますと告げられても、ザカリヤと直接は結びつかなかった。
渡されたガスマスクをサチの代わりにイザベラが断った。
「わたしはメニンクスが使えるから大丈夫」
防御魔法は毒からも、守ってくれるらしい。あいにく、天の権能を持つサチにはどちらも必要ないが、未来の妻の機嫌を損ねたくなく、ピンクの膜の中へ入った。
「何があろうとも、わたしはあなたの味方ですからね? 泣きたかったら、泣いたっていいし、怒ってもいい。何もかも受け入れるわ」
イザベラは嬉しいことを言ってくれた。腕を組んでいるせいで、マントの下の豊満な乳房が当たる。性的というよりか、母性を感じた。ディアナもそうだった。腕を組んで歩くだけで、鎮め薬の効果があった。
ナスターシャとも腕を組んだことがあったと思い返し、サチは気分が悪くなった。ナスターシャからは、微塵も母性を感じられなかった。
扉の取っ手を握るサチに、ビアンカが警告する。
「長時間は危険です。お別れが済んだら、お戻りくださいね」
“お別れ”──サチは聞き間違いかと思った。誰とお別れするというのか。ザカリヤは……? 最期に悪女は父さえも奪ったというのか?
サチは悪い考えを振り払おうと、扉を押した。




