43話 遠くで何か起こった
運命は時に残酷だ──
安全圏にいるサチは勝利を確信し、高みの見物を決め込んだ。
城はほぼ手に入れた。あとはオートマトンや鮫の化け物の後始末をして、要人たちの逃走経路を塞ぐだけだ。
しかし、負け確定のナスターシャが、余裕の笑みを浮かべているのは不気味だった。
──なにか、まだ企んでいるのか?
ちょうど、報告係のギコギコが四階の踊り場に到着したので、ザカリヤの所へ遣わそうと思った。
ナスターシャの甘言に惑わされ、罠にかけられる可能性もある。ザカリヤは女に油断する。
サチが階段の罠を解除し、ギコギコを迎え入れるまでの間、天鏡の中のザカリヤとナスターシャは言葉を交わした。
「妾の懺悔に相応しいのは、亡き姉の居室。あの日、あの時のまま、残しておる」
「……どうしてですか?」
「そなたの真意が知りたかった。そのために残しておいたのだ。姉は……クラウディアはそなたを拒絶した。それでも、愛しているのかと」
拒絶──今、はっきりそう言った。クラウディアは王のため、操を守ろうとしていたのか……だとすると、サチがザカリヤとクラウディアの息子という言説は成り立たなくなる。ザカリヤは答えられないでいた。
「忍び入ったそなたを見つけたのは、運命だと思っておる」
「城内に入り込んだのを黙っている代わりに、契れと」
「約束を反故にしたことを怒っているか?」
「いいえ。クラウディア様に拒まれ、すごすごと引き下がった俺が悪いのです。強引にあの方を連れ去るべきだった」
「クラウディアはそなたではなく、ニュクスを選んだ」
ザカリヤがふたたび返答に詰まると、ナスターシャは追い打ちをかけた。
「妾を姉の居室へと連れて参れ。然らば、姉が最期に遺した心のありようを、知り得るであろう……」
胸騒ぎがして、サチはザカリヤを止めようと思った。窓から入り込んだギコギコに命を下すつもりだった。階段を駆け下りれば、なんとか間に合うかもしれない。
ところが、運命はサチを裏切った──
突然、座っている椅子が宙に浮いた。ほんの数キュビット先にいるギコギコが歪んで見えたかと思うと、サチは床に突っ伏していた。
ズ……ズズズ……
石が石を削る低い音が床から直に伝わってくる。広間を囲む台座が動いていた。規則正しい間隔で円を象っていた水晶がズレる。
トッ、ペチペチッ……不快な音がした。台座の上で何かが跳ねている。
カタカタッ……これはギコギコの音だ。骸骨の膝関節が外れそうになっていた。
サチは立ち上がろうとしたが、バランスを取れずに転んだ。床がぬかるみのようだ。
世界が揺れていた。
サチには初めての経験だった。幼き日を過ごしたリンドス島、少年期から青年期までいた主国の王都、どちらも地震とは無縁の環境だった。一度くらい、どんなものか体験してみたいものだと、ふざけた望みを持ってしまうほど遠い存在だったのだ。それが今、書物の上でしか知らなかった災害に襲われている。
内海の一部やグリンデル東部の火山地帯は揺れると、聞いたことがある。だが、火山地帯からここまではかなり離れていた。
牙を剥く自然現象の前で、サチは無力だった。立ち上がることすらできず、台座から転がり落ちる術士の首におびえた。ギコギコが解体されないか心配しながらも駆け寄れず、伏せの姿勢で足を踏ん張った。
揺れは収まるどころか、どんどん激しくなった。くわえて、巨大で邪悪な気配が生まれるのを遠くで感じた。
何か……何か、とてつもなく怖ろしいことが起こっている──
──まさか、魔国か!? エゼキエル……ユゼフに何かあったのか!?
心の叫びに連動するかのごとく、頭上でピシッとひび割れる音がした。
危機に瀕した瞬間というのは、あとから考えても、思い出せないものである。サチはとっさに机の下に潜り込んだ。踊る脚をつかみ、なんとか安定させようとする。
その直後、粉々に割れた天鏡が降ってきた。
最初に大雨の音が迫り、それが少し収まったあと、澄んだ金属音と重い打撃音に攻められる。サチは目をギュッとつむり、嵐が去るのを待った。
時間にしたら、数分だったろう。未経験者にはその十倍の時間に感じられた。
ガラスの雨が止んだ時、揺れも収まった。机の下から這い出たサチは、まず身近にいる仲間──ギコギコの無事を確認した。
骨の山に頭蓋骨が載った状態を見てギョッとしたが、ギコギコはただちに立て直した。
関節と関節が見えない糸で繋ぎ留められ、骨格を形成していく。タセット(腰鎧)から下は剥き出しという中途半端な装備も、腰に吊るしていた錆びた剣も、あっという間に元通りになった。
その後、まえより威勢よくギコギコは、片言のアニュラス語を話すようになった。これまで、骸骨たちは身振り手振りか、文を運ぶことで職務を遂行していたのだ。
「チカラみなぎりマス。マエより、強くなりマシタ!」
サチも妙に元気だった。割れ落ちた天鏡で裂かれた腕や足が、瞬時に治っている。
──闇の力が増してる??
考察したい気持ちをこらえ、ギコギコと共に階下へ向かわねばならなかった。
天鏡が壊れ、城内の様子を把握できなくなった。司令塔としての役割を果たすには、報告に頼るしかあるまい。城の中心部に陣を構える必要があった。
サチが向かったのは女王の間だった。
居場所が変わったことの周知と、各部隊の戦況報告を求め、ギコギコを激戦区へと送り出した。必然的にザカリヤの件は後回しになる。
それからは猛烈に忙しくなった。伝令が女王の間を行ったり来たりし、サチはその都度、報告を聞いて指示を出さねばならなかった。間断なく現れる骸骨たちは言を発し、数刻前より生き生きしていた。
しかしながら、情報伝達がスムーズになったことで、サチの負担は増えた。大地震の背後にあるものや、ザカリヤのことを考える余裕などなかったのである。
しばらくすると、イザベラやエドアルドが報告にやってきた。
地震により、城内の一部は崩壊、地下道の多くは封鎖されたという。幸運なことに、同盟軍の被害は最小限で済んだようだ。むしろ、地震はこちらの有利に働いてくれた。揺れのせいで、安全装置が作動したオートマトンの多くは機能停止か誤爆。問題の陸鮫は本能的に逃げ惑い、飛空部隊の格好の餌食となった。
長であるイザベラやエドアルドが直接来たということは、けりがついた証明だった。
サチは居心地の悪い玉座に座り、耳を傾けた。
内郭は制圧済。城内は地下以外、すべて占拠した。抵抗する兵士は残っておらず、投降するか逃走を試みるかのどちらか。要人の六割を捕らえることに成功したが、肝心のナスターシャの姿が見当たらない。
サチは一抹の不安を胸に、ザカリヤとナスターシャ女王の捜索を命じた。担当のαチームとは地震のあと、連絡を取れずにいる。落人たちの捜索を担当する青い鳥に、人員を割くようお願いした。
兄のエドアルドは相変わらずの無表情で一礼した後、女王の間を出て行った。兄には王として扱ってほしくないとサチは思う。
イザベラは広間を眺め回し、ここに残ると言い張った。
「ちょっと! 有事とはいえ、王が玉座の間で一人っきりという状況は好ましくないわ! わたしは護衛として、ここに残ります」
「俺は平気だよ。これでも一応、ザカリヤの血を引いている」
「いーえ、ダメよ! 残党が寝首を掻こうとしてくるかもしれないでしょ!」
護衛が王妃候補というおかしな関係性に恥じらいつつ、猛烈な勢いでまくし立てられては反抗する気も起きず、サチはおとなしく従った。




