15話 弱いのは悪い
サウルたちは日が落ちるのを待った。
凱旋ムードの城内は寝静まらないだろうが、昼間よりはましだという。明るいうちに、サウルは城下で購入した紙を出し、城内の地図を描いた。
切株をテーブルにして、細かく線を引いていく。修正のため、紙の表面をナイフで削ることはほとんどなかった。
百日城は地下深くにまで広がる迷宮だ。よくもまあ、正確に記憶しているものだと、エゼキエルは感心した。
──王というか、人間の世界でいう文官や学匠のような個性であるな
サウルからもらった目が痛くなりそうな地図を、エゼキエルはサムに渡した。行くことになったら、サムはついてくるのだろう。テコでも動かなそうな兄の横顔を見て、エゼキエルは苦笑した。面頬に隠れた骸骨は、ときおり乾いた軋音を立てるだけだ。
必要な時しか動かぬ兄の勇姿を、また見てみたいと思った。
一敗となったザカリヤとの戦いは美しかった。強さに大差はないのではないか。次はサムが勝つかもしれない。今度は命を懸けることなく、純粋に武術を競い合わせたい。争いのなくなった世界で、強さの頂点を極めてほしかった。すべての片が付いたら──
別れ際、エゼキエルがこの思いを伝えることはなかった。
まだ、友情と呼べるほど親密な関係は築いておらず、サウルは依然として宿敵のままだった。しかし、前世の怒りは消え去り、代わりに好奇心が芽生えていた。
夕闇が少年の頬の赤みを奪い、白と黒の世界に変える。保護者であり、しもべであるザカリヤは余裕の表情で、サウルの横に立っていた。死を恐れないところは青い鳥のルイスと似ている。
ザカリヤの場合はサウルという保護対象がいることで、ルイスとは違い、生命感にあふれていた。憎悪に喰われた死相顔ではなく、戦いを楽しむ戦士の顔だ。
猛々しく獲物に牙を突き立てる。群れを守る気高い百獣の王が思い浮かぶ。父親が勇猛な獅子なら息子は狼かもしれなかった。
サウルの瞳は大狼と同じ色だ。
「人間の姿だと、ユゼフが戻ってきたみたいだ」
「残念ながら、朕とユゼフは異なる」
「記憶がないだけで、本人には違いないんだよな……最近、そう思うようになった」
ユゼフとの別れを惜しんでいるようだった。サウルは恵まれぬころを振り返った。
「学生時代、俺は孤独だった。友達といえば、ユゼフぐらいしかいなくてさ。似た境遇の俺たちは親友になったんだ」
前世の敵同士が生まれ変わって、親友になるとは面妖な。
「ユゼフは俺みたいに勝ち気な性格ではなくて、おとなしくて優しい奴だった」
「やはり、朕とは違う」
「でも、芯が強くて頑固だった」
やや下がって立つ兄にエゼキエルは視線を送った。芯が強くて頑固──これはヴァルタン家の家風であろう。エゼキエルにも多少、そういうところがある。
サウルがさっさと出発しないのは、怯懦のせいかと思われた。
自分の決めたやり方に自信がないのかと頭にきたが、童顔を見ていると責める気も失せた。
「ユゼフの記憶はいずれ戻ってくるのだろう?」
「戻るかもしれぬし、戻らぬかもしれぬ」
「以前のように、気軽に相談し合ったり、軽口を叩いて笑ったりできたらな……」
「相手が朕である必要はあるのか?」
「そりゃそうだけど」と、サウルは寂しそうに笑った。
グラニエを奪ってしまったことが、エゼキエルは後ろめたかった。けれども、今のサウルにはザカリヤがいる。兄のエドアルド、キメラやイアン、騎士団、青い鳥……他にも、たくさんの仲間がいるのだろう。
エゼキエルにも仲間がいるが、どれも強い力が引き寄せるものだ。サウルのように、個性に惹かれて集まるわけではない。
力を失くしたとき、いったいどれだけの者が残ってくれるのか──
「もし、ユゼフの記憶が戻ったとき、俺が死んでいたら──」
サウルは女々しいことを言い出す。魔国では弱みを見せれば喰われる。エゼキエルは行き場のない視線をサムに固定した。サムはピクリとも動かない。
「俺がやろうとしていたこと──アニュラスを一つにして、戦いを終結させる──これを引き継いでくれないだろうか?」
黄昏が深まり、顔の陰影を濃くしていた。エゼキエルはサウルの弱さを嘲る気にも、憤る気にもなれず、呆けていた。
仇だった男が自分を頼るのも、おかしな話だ。それに、子供のような純真な目を向けられ、邪険にはできないのだった。
「ごめん!! こんなこと言われても、困るよな? じゃ……」
サウルは弱さを恥じて、背を向けた。
「皆、同じ気持ちである」
自分でも、なぜそんな言葉を投げたのか、エゼキエルはわからなかった。
サウルの薄い背中が止まった。
「ありがとう」
森のほうからドサッと雪が落ちて、サウルの声はかき消された。枝に雪が残っていたようだ。
窪地の斜面を駆け上がる親子は、次の瞬間にはいなくなっていた。足音を立てぬのは彼ららしい。
渡りを忘れた大鳥が、ひゅうと風切り音を残したあと、静寂が訪れた。
エゼキエルは仮眠をとり、翌日に備えることとした。切株を移動させて、サムのマントを敷く。ザカリヤの使い魔がやってきて、起こしてくれることを期待しつつ、その上に横たわった。
寒さは気にならない。エゼキエルは体温を気温に合わせることができる。
座っているサムの鉄靴が見えた。骸骨は寝なくても、平気なのだろうか。前世のエゼキエルは寝なくても、生きていられた。不完全な肉体が憎らしい。
憎らしいはずなのに、自分を見守るサムの鉄靴を見ていると、未熟な肉体が愛おしくなってくる。弱いのは悪いことではないのか? 当然だと思っていたことに疑問を呈し、思考の迷宮に迷い込んだ。
曲がりくねった細い通路をがむしゃらに進んでいく。行き止まりは絶望だ。どこまで行っても終わりは見えず、追われるようにして道を選ぶ。何度も出現する岐路に辟易する。
今いるのはどこなのか。
百日城か──いや、ここはアニュラスを支配していたころの王城だ──
外から来た人間が城内へ入り込めないよう、複雑な迷路をこしらえさせた。魔力を持たぬ者に道は見えない。
人間に領域を侵されるのが怖かった。蛇の目をして、心の澱を浚おうとするユピテル。可憐で儚いアフロディテ──
外海の人間たちはエゼキエルの心をかき乱し、大切な何もかもを剥ぎ取っていった。光の力、家族、家臣、民、アニュラスの大地──何もかも。
闇に堕ちたエゼキエルは憎悪に呑まれた。時間の壁で世界を分断し、闇の者たちを従えるようになった。
不幸だった。
光を妬み、弱い者たちを虐げた。時間の壁を出し、憎悪の記憶を封じたのは、愛する女を自分から守りたかったからだ。死ぬことも予感していた。
エゼキエルは人間が怖かったのだ。




