59話 また、あいつか
瀝青城だと!?
かつてサムエル・ヴァルタンが城主だった陰気な城を占拠しているのはディアナだ。敵地へシオンは向かったというのか!? あり得ない。シーマは聞き間違いだと願い、もう一度聞いてみた。
「……何城だ??」
「瀝青城です」
「どうして誰も止めない!? すぐにでも連れ戻さねば……」
シーマは声を荒げた。普段は冷静沈着で感情を表に出すことはない。取り乱し、怒号を上げるなんて滅多にないことだ。興奮して、瞳の色が変化したかもしれなかった。
みっともない姿をさらけ出すシーマを見ても、ジャメルは姿勢を崩さなかった。
「イアンは和睦を勧めようと、ディアナ様のもとへ向かったのです。アスター様もご一緒です」
「何を考えているのだ、あのクソ親父は……狂ったか?」
「いいえ。極めて冷静です。瀝青城にはサチがいるのですよ。イアンは臣従の誓いを立て、サチの臣下に入りました。ディアナ様を説得したら、夜明けの城に戻って今度は陛下とお話しすると思います」
二重に驚いて、シーマはしばし言葉を失った。
サチ・ジーンニア──ここで、その名前が出てくるとは。
「ディアナ様の瀝青城奪取はサチが暗躍していたかと。イアンたちは陛下、エゼキエル王、ディアナ女王、サチ……サウル王、四人の王を集めて会談させようと、根回ししているのですよ。すでにエゼキエル王の了承は得られています」
動転していたが、頭のどこかに整然としたところも残っていて、シーマは状況を瞬時に把握した。
つまり、こういうことだ。すべてはサチ・ジーンニアが仕組んだ。
魔国を追われたサチは密かにディアナと繋がり、援助する。力を蓄えつつ、アスターや青い鳥とも連携し、魔国の闘争に介入した。援軍を出したシーマは、知らないうちに片棒を担がされていたわけだ。助けられたエゼキエルは和睦に向けて話し合うことを了承した。
何から何まで癪に障る。どうしていつもいつも、邪魔をしてくるのか。英雄王だ? ふざけるな──
出会いは学生時代だ。初めて見た時、こいつには何かあるとシーマは早々に感づいた。集団に暴行され、起き上がる姿が神々しくて目に焼き付いている。なんとなく、自分は拒絶されると察したため、ユゼフを助けに向かわせた。そして、狙い通り二人は親友になった。
小柄で貧弱、子供みたいな顔をして、非力なくせに言うことだけは一人前。どこへ行こうが生意気だ、目障りだとサチはイジメられた。騎士団も居づらかったのではないか? どう見ても肉体派ではないサチを騎士団に入れたのは、シーマのささやかな復讐だった。
──何度、あいつに煮え湯を飲まされている?
最初の謀反の時もサチのせいで追い詰められた。剣術大会の時だってそうだ。予定が狂い、背反者たちを排除できなかった。
彼は特別だと、磨けば輝く希少な宝玉なのだと、いち早く察知していたにもかかわらず、手をこまねいていた。傘下に置けば、必ずや貢献してくれる。役に立つどころか、華々しく才能を開花させ、時代の流れすら変えてしまえただろう。
だが、サチがシーマの下につくことはなく、敵対し続けた。
「サチにお怒りですか?」
ジャメルが思考の邪魔をしてきた。人相の悪くない髭面は落ち着き払っている。騎士団のつながりで、サチと親しかったのかもしれない。こいつも没落した貴族の出で苦労している。
「怒ってはないさ。ただ、鬱陶しいだけだ」
内心は荒れ狂っているが、シーマは微笑んでみせた。いつもの調子を取り戻したふりをする。
ジャメルの黒い瞳は、サチが乗り移ったかのように澄んでいた。
「差し出がましいと承知のうえで、申し上げます。サチがいなければ、イアンは生きていませんでした。カオルも死んでいたかもしれません」
「シオンはともかく、カオルは死んでいても構わぬ」
「陛下、お忘れですか? 蓬莱の水をとってきたのはイアンとカオルです。イアン一人では成し遂げられませんでした」
「その水は奪われて、サチが持ってきた水を……」
言ってからハッとする。ジャメルは微かに口の端を上げた。悪い笑い方だ。元盗賊というのを思い出す。
「どちらにせよ、蓬莱の水で俺は目覚めなかった。ユゼフが臣従礼を解除したことで、長い眠りから覚めることができたのだ」
「それもサチが関わっておりますよ」
同行していただけで、ユゼフを助けたわけではないだろう。しかし、シーマは言い返すのをやめ、利いたふうな口をきくジャメルを下がらせた。少し熱を冷まさなければ、まともな話し合いはできない。
ジャメルは忌憚なく意見を言う男だが、真っ向から対立することはこれまでになかった。サチやエゼキエルのことになると、シーマは平静でいられなくなる。イアンやディアナに関してもそうだ。彼らはいつも、シーマの完璧な計画をめちゃくちゃにしてしまう。
ディアナとサチの関係を正確に把握していなかった。政略的とはいえ、婚約していたということは仲がいいのだろう。盲点だった。
シオンはサチの所にいれば安全だ。ご立派な廉潔の士はシオンを守る。今のシーマにできるのは、シオンがディアナとの協議を終え、帰って来るのを待つだけであった。
「仲介? 根回しだと?」
シーマはつぶやいて、笑いを漏らした。あのシオンが? 感情と本能だけで生きているようなおバカさんだ。大人の会話はできない。ディアナと話すのはサチ。シオンはただのお飾りだ。
シオンとカオルが仲介役に選ばれた理由はわかる。
シオンにはガーデンブルグ王家、妖精族の王の血が流れている。エゼキエルの血で眷属となったから、魔族でもあるわけだ。そして、カオルには王家とエデン人の血が。エデン人は旧国民でもなく、外海から来た人間とも異なる。異世界人だ。中立的な立場といえる。
王たちと深い関わりを持ち、なおかつ争いの最初から渦中にいた。それぞれの言い分をよく知る二人である。
「和睦か……戯言を抜かしやがって」
シオンが和睦を勧めてきた時、シーマは逆上しそうになった。冗談にもほどがある。かろうじて自制心を保てたのは、子供の心のシオンには悪気がなく、おかしな考えに染まっているだけだと思ったからだ。一時的なものだと。
だだっ子が手足をバタつかせているに過ぎない。そのうち、理解する日が来る。理解できなくとも、何もできないと軽んじていた。
「どうせ、白紙に戻るさ」
エゼキエルとの和睦はあっても、四者会談は実現不可能だ。ディアナが承諾するわけがない。ディアナはシーマとエゼキエルを憎んでいる。女の怨恨は、話し合い程度で解決できないものだ。体内に湧いた嫌悪感は古い油のようにべトッとして、取り去るのは困難である。
一度嫌悪すると、女は生涯それを貫き通す。嫌悪と嫌いは違う。
サチの無謀な試みは失敗に終わるだろう。
シーマは一人で結論を出すと、ほぅっと息を吐いた。
そうだ、ミリヤを何日も放置してしまった。会いに行こう。




