53話 綺麗な背中
文を書き終えた翌日には別れが待っていた。
仲介役はあくまで、イアンとカオルの二人。それを補佐する形でアスターも同行することになった。青い鳥と主国騎士団は途中まで一緒に帰る。それと、存在をすっかり忘れていたが、クリープことエドアルド王子もサウルのもとへ送り届けられることになった。
じつのところ、クリープはアスターが四者会談を提案した場にもいたのである。あまりに存在感が希薄で、エゼキエルは気にも留めないでいた。
痩せぎすの暗い眼鏡は使用人かと見紛う。ドゥルジの奴隷から解放されたというのに、変わる素振りは微塵も見られないのだった。
生い立ちは悲惨だ。少年期、グリンデル国内の闘争に巻き込まれ魔国へ亡命し、ドゥルジの奴隷となった。
兄を案じるサウルは、エゼキエルの寛大な措置に感謝することだろう。捕えて人質にする案は捨てることにした。サウルがアスターたちを派遣してくれたからドゥルジに勝てたのだし、弱みにつけこむのは卑劣だと思ったのだ。サムやティムの反論もなく、悲劇の王子はめでたく解放されることになったのである。
エゼキエルはティムを連れ、一行を魔国の国境まで見送った。
恩人たちを徒歩で帰しては、魔王の名がすたる。移動には二角獣の群れを用意してやった。
短い日数で七百頭ものバイコーンを用意できたのは、ドゥルジ戦の時のバイコーンが仲間を連れてきてくれたからだった。今後は、城内の厩舎で馬たちを飼育することになる。
それから、騎士団のグリフォンはエゼキエルが魔瓶に入れて返した。主国の損失はゼロだ。こういうささやかな気配りが印象を良くする。交渉へ向けての下準備である。
時間の壁の前で馬を降り、エゼキエルと人間たちは別れを惜しんだ。
最初はエゼキエルを怖がっていた人間たちも、アスターやルイスの平気な姿を見て、畏怖から畏敬へと感情が変化したようだ。また、彼らのなかにも亜人が混じっており、見た目の違いも許容できたのかと思われる。
次はダーラを連れて来いと、エゼキエルはジャメルに告げた。亜人で元盗賊、底辺から這い上がった男は強い。
ジャメルは髭面を綻ばせた。彼を重用するシーマには審美眼がある。その眼識に期待したかった。
イアンとティムが剣舞なのかなんなのか、剣をかち合わせ始めたのには度肝を抜かれた。大喧嘩のうえの真剣勝負かと勘違いしたのだ。騎士たちはわぁわぁ囃し立て、それに釣られて青い鳥たちも騒ぎ出した。青い鳥の一人がヴァイオリンを弾き、それに手拍子が加わる。
イアンとティムは鋭く視線を交わし、本気で戦っているかのように舞った。二人の動きは非常に美しく、目が離せなかった。
くるり、ひらり、くるり、たたんっ……憎らしいのは見られるのを明らかに意識しており、陶酔しきっているところである。美が正義だとしても、強烈な自己愛を見せつけられ、エゼキエルは苦笑した。赤毛とトサカ。奇抜さは舞う時には演出となる。
ティムは幼いころ、存分にかわいがられたのだろう。そして、イアンはいつでも愛に飢えていた。二人にとって、称賛は心の空洞を埋めるために必要なものだ。情熱や渇望は表現することによって昇華される。彼らは演者として申し分ない素質を備えていた。
互いに刃を突き付け、ピタッと止まる。その後は拍手の嵐が最高潮を迎えるまで、微動だにしなかった。
拍手が収まるのを待って、エゼキエルはイアンと共に主国へ行ってもよいぞと、ティムに持ちかけた。彼らが華麗に舞えば、頑なな連中の心も解けると思ったのである。誰しも美しいものには弱い。
ティムは頭を振って、その思いつきを蹴った。
「俺には陛下をお守りする使命がありますから」
あくまで、主第一らしい。剣をしまってから、イアンと無言で体を押し合い、ケンカと見せかけて抱擁するという寸劇まで披露した。無邪気に笑うイアンもだいぶ快復したようだ。
つらい出来事が重なり、人格を変えてしまったかと懸念したが、元の馬鹿に戻ってよかったと思う。
エゼキエルは隣で剣舞を楽しんでいたアスターに耳打ちした。
「竜の珠はディアナの所にあると考えて、間違いないのだろうな?」
「うむ……手中に収めたいのか?」
「できれば……」
正直言うと、どちらでも構わなかった。聖炎を消して、前世の肉体を取り戻したところで、状況が変わるわけではない。力を得ることより何より、今は戦いを終わらせたかった。
アスターはエゼキエルの心中を読み取ってくれた。
「ならば、ディアナと直接話せばよい」
髭をなでる手が止まった。亡くなった娘へ思いを馳せているのか、目元に暗い影が落ちる。
傍若無人なようでいて、アスターも苦しんできたに違いなかった。息子を惨殺され、娘を奪われた。痛くないはずがないのだ。
青い鳥のルイスと同じく深い悲しみの底にいて、ずっと死に場所を求めてさまよっている。家族ですら、救ってやることはできないのだろう。
彼らの苦痛を断つには、長く続いた争いを終結させるしかない。
じゃれ合うイアンとティムを見て、この二人を本気で戦わせてはいけないと思う。「次、会う時は敵だ」とは、けっして言わせてはならない。
頃合いを見て、エゼキエルは腕を一振りし、時間の壁を消した。
七百人を超える彼らの並んで通れる範囲が明るくなる。魔国の薄暗さに慣れたエゼキエルは目を細めた。
「おいおい、何をしてくれる? カオルの出番がなくなるではないか!」
アスターが文句を言ってきた。壁を裂いて道を作る、壮大かつ感動的な偉業をかわいい従者にさせたかったらしい。
エゼキエルはごまかすため、
「能力は出し惜しみしろ!」
と、答えた。アスターはすでに背を向け、片手を上げることで、さよならの挨拶としている。エゼキエルを息子のように思っていると公言したわりに、素っ気なかった。父親とはそういうものなのかと、エゼキエルは首をかしげる。
ティムとイアンは共に舞えて満足したらしく、明るく別れた。
「じゃな、イアン! しっかりやれよ!!」
「必ず成功させる! 今度、会う時は主国だ!」
イアンは八重歯を見せ、破顔した。顔だけ見ると幼子である。
イアンたちはこれから、サウルのいる瀝青城へ向かう。まず、サウルに状況を報告した後、ディアナを説得するらしい。ディアナの了承を得られたら、最後に向かうのはシーマの夜明けの城だ。
成し遂げてほしい──エゼキエルはイアンの綺麗な背中に願いを託した。




