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※マリナー視点
目を閉じて、深く息を吸う。深く息を吐く。二度、三度と繰り返した後、私はやっと目を開いた。
目の前にはエミリオ殿下。パーシェルが無理やり譲ってくれた決勝戦の舞台に、私はいる。パーシェルが自分で自分の腕を切ったと知った時は、流石に正気を疑ったが・・・
「だって、地位も立場もなく戦える唯一の機会だろ」
なんて笑顔で言われたら。感謝以外の何も言えなくなってしまった。
エミリオ殿下はフェルト帝国の第二王子。そして私はこの国の第一王子。学年も違う私たちが、立場を気にせず戦えるのは武術祭だけだ。学園を出て私たちが戦うことがあれば・・・それは、国の威信をかけた戦争になりかねない。
だからこれが、最初にして最後のチャンス。
「やる気ですね」
「君の相手ができるなんて光栄だからね」
エミリオ殿下からの返事はない。代わりに騎士殿の掛け声に合わせて、試合が始まった。
先に仕掛けてきたのはエミリオ殿下。ギンと甲高い音を立てて受け止めた一撃は、手のひらが痺れるほど強烈だった。
「っつぅ」
「へぇ、よく耐えましたね」
「私、だって、鍛えている、から、ね!」
力いっぱい弾いても、エミリオ殿下の体はブレない。私が弾いた力さえも利用したかのように、更に重い一撃が襲ってくる。
「っ」
これは無理だ。瞬時に諦めて横に交わせば、服と腕が切られた。赤い線を引いた利き腕を、だけど、気にしている余裕なんてない。
小さな体のどこにこれほどの力を秘めていたのだろう。パーシェルと比べても引けをとらないほど、一撃一撃が重い。これほどの実力を、今まで隠していたのか。アリアが代理に選ぶわけだ。
「考え事ですか? 余裕ですね」
「そうでもないさ!」
ギン、と鈍い音を立てて、やっと重さから解放される。エミリオ殿下の刃の届かないところまで距離を取った私は、ふぅと息を吐き出して、剣を握り直した。
見れば、エミリオ殿下も同じように柄を握り直している。そして、じっとこちらを睨むように見つめていた。
「・・・やっぱり思ってたよりも強い。鍛えました?」
「アリアにあれだけ焚きつけられればね」
「ふぅ~ん。アリア嬢に感謝すべきか、微妙なところだな」
感謝、か。私がこれだけ必死なのに、エミリオ殿下の余裕は崩れない。これが実力差か。悔しいけれど、認めざるを得ない。アリアの見る目は、やはり正しい。
振り下ろした刃は、軽々と受け止められた。何度も何度も。その度に鈍い音が周囲に響くが、エミリオ殿下はそのすべてをこともなく受け流していく。
何度も何度も、剣を振り、そのすべてをいなされて。そして、ふと気が付いた。
「反撃はしないのかい?」
「・・・必要ないでしょう。貴方はアリア嬢の賭けに絡んでいなさそうなので」
アリアの賭け。確かに私は何も絡んでいない。アリアを苛める者に手を貸すつもりなんてないし、彼女に頼られることもなかったのだから。
だが、それが何だというんだ? 理解できずに、鍔迫り合いついでに睨み付ければ。
エミリオ殿下は、こともなげに残酷な言葉を言い放った。
「賭けに関係ないのなら、勝つ必要はないので」
一瞬、息が詰まった。大きな隙。アルやパーシェルなら、間違いなくこの一瞬を逃さなかった。なのに。なのに!
エミリオ殿下は、踏み込んですら来なかった!
・・・実力差は認めよう。今の時点で、私にほとんど勝機はない。それがわかっていて、ただ泳がされている。おそらく、時間切れを狙われて。
こんな・・・こんな、ことが。
「許されていいわけないだろう!!」
脳裏にいろいろなことが思い浮かぶ。怪我をしてまで譲ってくれたパーシェルのこと。エミリオ殿下の前で膝をついたアルのこと。今まで私自身が対峙した参加者たち。
これは真剣勝負だ。開始時に誓った通り、忖度なしの実力勝負。なのにこのエミリオ殿下の態度は、武術祭に対する冒とくも同じだ!
「っ!」
剣を握る手に力がこもる。振り下ろした刃は、今までで一番早く、重かった。自覚がある。
現に、エミリオ殿下は受け止めきれず、その場に膝をついていた。
その刹那だった。
「そこまで! 時間切れ!!」
審判による制止の声に、はっ、と我に返る。慌てて剣を引けば、エミリオ殿下は何事もなかったように立ち上がった。
「勝敗はどうなさいますか?」
「マリナー殿下の」
「引き分けだ」
エミリオ殿下の言葉を遮れば、2対の瞳が私を見た。だが、これは絶対に譲らない。
「この勝負に勝者はいない。両者ともに敗者だ。文句はないだろう、エミリオ殿下」
「・・・貴方がそれでよいのなら」
騎士の目には、エミリオ殿下のほうが実力は上に映っただろう。戦闘経験があれば、誰でもわかる。それくらい、私たちの実力差は歴然としている。
だが、この場にいるのは戦闘経験のあるものばかりではない。むしろ、武術の心得などない貴族が大半だ。彼ら彼女らの目には、私が圧倒しているように見えたはず。エミリオ殿下が勝ったとしても、大半の者は不満に思うだろう。
そもそも、エミリオ殿下は勝ちなど必要としていない。こんなもの、初めから勝負にすらなっていない。
「この勝負、引き分け!」
勝敗を決める声が大きく響く。それに続いて大きなどよめきと、歓声が上がった。
だが、私の耳には何も入ってこない。脳裏に浮かんでいるのはアリアだ。君はどうしてこんな者を頼ったんだろう? 私にはパーシェルのほうがよほど強く、頼り甲斐もあるように見える。見る目はある君が、どうして?
頭の中をぐるぐると思考が回っている。でもどれだけ考えても、答えはでるはずもない。
アリアとエミリオ殿下の関係性さえ、今の私は把握していないのだから。
「くっ・・・」
思考と感情がぐちゃぐちゃだ。こんなことは初めてで、何をどうすればいいのかさえ、今の私にはわからなかった。
*****
※アリア視点
引き分け。その言葉が、私の中に重く響く。
ゲーム中において。武術祭の勝者は、パーシェル様か姉様のどちらかだ。それ以外のルートなんてありえない。そう、ありえないのだ。そもそも、パーシェル様が決勝を辞退したことから、もう意味が分からないほどありえない。
ありえないのだが。でも、だけど、兄様と姉様のルートとしては、間違えていない。お二人はルート通りに戦って引き分け、姉様が勝ちを譲った。ゲームのシナリオ通りだ。
だから問題ないのだと。そう言い切りたいのに、言い切っていいのかどうかが、わからない・・・
困惑している間に、彰式やらなにやらも終わり、武術祭も無事に閉幕したらしい。
VIPルーム兼運営席であるこの部屋には、兄様や怪我をしたパーシェル様も戻ってきた。
そして。
「アリア」
「アリア嬢」
殿下とエミリオ様が二人揃ってVIPルームに入ってきた。これもなんだか妙な気はするんだよね・・・うまく言葉にできないけど、喉の奥に小骨が刺さったような妙な違和感がどうしても抜けない。
「お疲れさまでした、お二人とも」
けど、そんなことは態度には出せない。いつも通りにっこり笑って話しかければ、二人もほっと表情を緩めたように見えた。
でもそれは本当に一瞬の事。殿下は私の隣にいた兄様に気付くなり、ぐいとその腕を引っ張った。
「アル、付き合って」
「どこに?」
「鍛錬場。君もいろいろあるだろう?」
「ああ、なるほど。いいよ」
え!? 武術祭終わったのに、まだ何かやるの!? ええええ!? 今日こそは兄様と一緒に帰ってゆっくりできると思ったのに!?
思ったことは、たぶん表情に出た。兄様が私と殿下を交互に見て、何とも言えない顔をする。
「一緒に帰れなくてごめん。ミーシャ、頼んでいいかい?」
「ええ、もちろん。」
笑顔で頷く姉様と、私を一撫でしてから殿下の元へと行く兄様。申し訳なさそうな兄様を見たら、我儘なんて言えるはずもない。
なのに、殿下はそんな私たちを見て、
「ごめんね、アリア。アルを借りるよ」
なんていうものだから。私は思わず、
「今すぐ返してください」
と言い返していた。
だって、本当なら貸したくなんてない! いろいろ終わって、今日こそは兄様をいたわり、ゆっくりまったり二人でのんびりできると思ってたのに! 急に出てきて意味わからないこと言わないで欲しいと思うのは、自然なことだ。
私の返事に、兄様だけじゃなくて殿下も笑ったのは解せないけど。でも、返してくれる気はないらしい。「ごめんね」とだけいいおいて、兄様と、あとパーシェル様も部屋を出て行ってしまった。
閉まる扉を見て、思わずため息が零れた。が、出て行ってしまったものは仕方ない。殿下にとられたのは気に入らないけど、兄様の邪魔をするつもりもないからね。
ため息ついでに深呼吸を一つ。先ほど部屋に来たのは殿下だけじゃない。私はエミリオ様に向き直ると、
「いろいろとありがとうございました、エミリオ様」
と、深く頭を下げていた。
決勝の結果は引き分け。優勝者なし。つまりは、殿下とエミリオ様が揃って準優勝ということになった。でも、意味としては優勝に等しい。賭けは私の勝ちで間違いないだろう。
「どういたしまして。貸しだからね」
楽しそうな声とともに、目の前に手が伸びてきた。
「はい。何かあれば、いつでも言ってください」
今回の私みたいに困ることが、エミリオ様にもあるのかどうかわからないけど。困ったときはお互い様。今回の件がなくたって、頼られて断らない程度には、エミリオ様とは仲がいいつもりだ。
差し出された手をとって、まっすぐにエミリオ様の目を見て言葉を返す。すると、エミリオ様も穏やかな笑顔を返してくれた。疲れてるだろうに、全然そんな素振りもない。本当に強い人だなぁ。
にこにこと笑顔を交わす私たちを、姉様達は静かに見守っている。この時姉様達が何を考えていたのかなんて、私には知りようもなかった。




